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1978年7月の東京でのライオンズクラブ国際大会で開設

 ライオン誌日本語版 2001年11月号の『日本ライオンズ半世紀の航路』より

-−−日本人が国際第三副会長に選出されるのはライオンズクラブ
国際協会史上初めてのことであった。この日からライオン村上は日
本人初の国際会長への道を歩き始めるのだが、もう一つ、この大会
では国際大会史上初という出来事があった。マクラクリン国際会長は、
東京大会の開催に当たり、記念のアマチュア無線局を開設して、大会
の様子を全世界のライオンズへ実況で流せないものかと考えていた。

その意向が国際理事で大阪道頓堀クラブのライオン橋本宣太郎に伝え
られた。ライオン橋本は、近畿地方を中心にした日本ライオンズ・ハム
クラブの代表でもあった。大会開催地が東京であるため、話は大阪か
ら東京に運ばれ、関東地域のメンバーを集めて、東京ライオンズ・ハム
クラブ(代表・東京五反田クラブ・ライオン鈴木盛保)が結成された。

記念無線局という形の局は年に数局しか許可にならないものであった
が、ライオン楠木正夫(大阪此花クラブ)、中村正好(大阪ノースクラブ)
を始めとした多くのライオンズ・ハムの協力が実り、「8J1LIO」局が
開局し大会期間中、全世界に向けて、国際大会の模様が刻々と伝え
られたのであった。交信は八千局に及んだ。まさに国際大会史上初の
快挙であった。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



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