よい商品を安く
        (昭和二十四年〜二十九年)

よい商品を、より安く

昭和二十四年   

三月十五日   午前五時十一分の列車で上京。午後四時の列車で帰る。
        出張費 四百円
             一生堂     二千五百九十円
             はっとり  二万三千四百八十円
             柳田     一万二千四百十円
             木原      六千六百二十円
             プラチナ      四千四百円
             ウインパー     一万八十円
             クラウン        四千円
             仕入・合計 六万二千八百八十円


 高崎に生まれ、旧制高崎中学から桐生高専(現群馬大学工学部)に学び、中島飛行機
製作所に勤務していた私は、太平洋戦争でスマトラ島パレンバンへ。復員後、二十二年
にアサヒ商会を創業。翌年には株式会社化した。弁当箱にご飯と梅干を詰めて、大きな
リュックを背負って、東京に買い出し。国鉄高崎線で行くのだが、日帰りで出張費四百
円という時代だった。

 私の古い手帳を見ると、昭和十一年当時の物価が書いてある。給料四二五〇・下宿二
食付八九〇〜二三九五・電車十八・そば三十・床屋風呂五十・喫茶店の紅茶十五・靴八
百・雑誌五十・レコード百五十〜百、映画四十・靴下十五・下駄七十などとある。貨幣
の単位も円ではなく銭だったはずだ。

 戦後は物がない時代だったから、仕入れてきて並べれば飛ぶように売れた。「よりよ
い商品を、より安く」そんな商売の原点にたって、私は駆け回った。高崎には大きな企
業もなかったから、おもに役所に営業に歩いた。ポケットに売上金をねじ込んだまま、
あちこち歩いたものだった。


  二十日   日曜独特の万年筆、ボールペンがよく売れる。
        日ノ出屋と競争となりそうだ。弱っている。内田洋行のカタログ配布。
  三十一日        須藤氏  三千六百円
              後藤氏   千五百円
              オバさん  千二百円
              姉    一万二千円
              オク   二万二千円
四月三日    本日よりサマータイムとなる。
  五日    開店以来の大集金。
         専売局 十五万六千百円
         工事局 七万四千三百八十円
  八日    市制五十周年記念日。あまり売れなかった。二万五千円。
  九日    サーカス、又山車、みこし賑やか。五万一千百円。
  十日    お祭り三日目。人出多い。四万二千円。
  十二日   店頭装飾コンクール四等賞。
  十八日   上信バス車庫裏より発火。凄い火事で渡辺さんが燃えそうなので、少
		し応援する。一時間位で鎮火。
  十九日   五時十一分の列車で上京。いつものコースを回る。
        一時二十五分の列車に間に合う様、荷物を買って三時頃迄には帰宅。
  二十三日  七時四十分の列車で上京。木原、柳田、プラスへ寄る。銀座に出て服
		 部、福田、豊玉へ寄って概ね用事をすませてスマトラ会があるので、
		 小串君の家へ行き、鈴木、須賀、錦織、夏目と一行七名が語り合い、
		 大いに飲んで	グロッキーになった。小串君の家へ泊まる。
  二十五日  坊やも母も具合がわるいので弱った。
五月八日    須藤氏東京出張、五百六十円。
  十日    文具共益会の伊香保行きの日。バスで渋川へ出て伊香保・藤の家旅館。
  十一日   ネーム彫刻機、二万五千円。
  十九日   五時十一分の列車で上京。いつものコースを回り、服部に寄って四時
		 の列車で帰る。
六月十二日   五時十一分の列車で上京。一時二十五分の列車で帰る。
  二十五日  五時の列車で上京。四時の列車で帰る。
              名村     四千八百八十円
              プラチナ  四千八百六十二円
              桜井      五千八十八円
              片山     千四百八十五円
              福田      二千九百十円
              はっとり  三千三百二十一円
              一生  一万七千四百四十四円
              柳田       一万五千円
七月八日    エンゼルインク関西旅行招待出発。中林、大類氏と一緒。
  九日    朝九時四十分着の列車で大阪着。エンゼルインク工場を見る。
        大黒屋旅館へ泊まる。
  十日    エンゼルインク旅行。嵐山を見てから京都へ見物。ツナツル旅館に泊
		 まる。
  十一日   七時四十五分の列車で東京駅午後七時四十三分着。十時帰宅。
  十二日   六万五千円の計算機、専売公社へ納入。
  十四日   列車で星野温泉へ行き、母の御機嫌伺い。
  二十五日  神保経理士、二千円。
八月二日    タイガー計算機、専売公社へ納入。
  八日    万年筆のお客を文開堂にとられくやしい。もっとよい品物を安く売ら
		ねば
		ならぬと勉強になった。
  九日    五時列車で上京。いつものコース。七軒回った。四時列車で帰る。
  十六日   ラジオ放送。古橋広之進、橋爪四郎ら全米水上選手権で世界新記録樹
		立。
  二十二日  専売局から大量の注文を貰う。
  二十四日  五時の列車で上京。いつものコース、七軒。四時帰る。
  二十七日  スクーターを七万三千円で買う。前橋より現金払い。
  三十一日  自転車、一万五百円。
九月六日    東京出張。五時、上京。一生堂が多くなった。
        一生堂五万九千円。柳田一万五千円。四時帰る。
  八日    扁桃腺ですっかり風邪を引いた。身体不調。
  九日    乾医院で注射。
  十〜十二日 よくなった。
  十四日   県関の自動車学校試験。
  十七日   五時上京。四時帰る。
  二十日   アキレス腱の痛いのを中沢先生で治療。
        この頃は一万六千円〜一万八千円位の売り上げがあった。
  二十七日  スクーターで東鉄工業、横浜ゴムを回る。
        専公、一万三千円の注文を貰う。
  三十日   六十六万二千百六十五円。
        五十三万九百九十円。
十月一日    五時、上京。七軒回った。四時帰る。
  三日    文具共益会で戸倉温泉へ旅行。九名。
  八日    五時、列車で上京。上野精養軒で文具見本市。
        四時帰る。東京出張六百五十円。
  九日    高商の実習販売よく売れた。六千円。
  十二日   スクーターの免許貰う。ガソリンが問題だ。
  十四日   近くの春山金物店で火事。
  十六日   タテマエ 小玉大工 五万七千三百円。
  十七日   スクーターで渋川より前橋へ出てスクーター修理。
  二十四日  五時上京。五時二十分帰る。出張費六百五十円。
  二十九日  スクーターで前橋へ。ダットサン商会で調子を直す。
        その間、関根兄の紹介で群馬大同銀行事務用品の納入を依頼する。
  三十一日  六十万八千円。
        四十二万五千百五十円。
十一月一日   スクーターにメタノールを入れる。
   三日   神保経理士、三千円。
   十日   五時、列車で上京。七軒回って五時列車で帰る。
        出張費六百円。
   十一日  スクーター不調。
   十二日  停電四〜五回。
   二十日  えびす講最終日。三万三千円。よく売れた。
   二十五日 五時三十分上京。例によってプラチナ、木原、ウインパーを回って横
		山町へ出て、柳田で自転車を借りて、ぺんどりアルバム、一生堂、柳
		田を回た。五時二十分列車で帰る。
   二十六日 プロ野球、二リーグ制に。
   三十日  五十二万七千七百九十円。
        四十九万五千円。
十二月四日   通信部(現NTT)、国鉄管理所、市役所、専公、注文取り。
   九日   柳田があまり熱意がないので考えている。
   十三日  税務署の小板橋氏が法人税の調査に来られ、少ししぼられ疲れ切った。
   十七日  五時三十分列車上京。五時二十分帰る。
   二十二日 新しい女中、ヤエちゃん。
   二十三日 神保経理士、二千円。
   二十七日 インドネシア連邦共和国成立。初代大統領にスカルノ氏。
   二十八日 須藤氏 二千五百円。後藤氏 二千円。
   三十日  寒い。零下五度。
   三十一日 六十九万八千五百八十円。
        四十九万三千七百二十円。

スクーターで営業

昭和二十五年

一月六日    少林山へ行った。とても賑やかだった。
  十九日   五時三十分の列車で上京。
        プラチナ、木原、ウインピーを回った。上野精養軒の見本市。一生堂、
		柳田と回った。四時二十分列車、帰る。
  二十一日  大同銀行より万年筆五十三本を、専売公社よりカーボン紙百枚を受注。
  二十三日  五時三十分、列車上京。木原、三千百五十円。プラチナ、三千円。岩
		出、一万八百八十円。はっとり、一万三千九百十二円。一生堂、一万
		円。さつまや、一万百四十円。福田、一万千五百円。ウインパー二万
		二千八百円。五時二十分列車帰高。
  二十五日  長女生まれる。七時十五分。母子共に健康。
  三十一日  長女美枝子。名前をつける。
              入 七十万九百円
              出 五十一万八千百二十九円
              税 八万六千八百五十円

 万年筆、カメラなどが本当によく売れた。高崎市連雀町の店だったが、一日千五百人
も客がきていたのだから、すし詰め状態だった。三十坪くらいしかなかったから、二階
を作った。ところが客が入りすぎて二階の床が抜けてしまったこともあった。

二月一日    商業界の相原氏臨店診断。二千円。
  六日    五時三十分列車上京。五時二十分帰高。
  十七日   浜松時代の戦友、前沢氏来る。
  十八日   近松の叔母さんが来る。
  二十日   東京文具共和会見本市、熱海大野屋ローマ風呂一泊。
  二十八日  附近の十八料理屋出火。強風なので心配した。
        荷造りをしたり大騒ぎ。
            六十六万九百五十円 入
            七十六万百四十六円 出
            税金 一万七千八百四十円
            運賃 六千八百五円
三月九日    五時三十分、列車で上京。五時二十分で帰る。九軒回る。
  十二日   西村自転車 六千百円。
  十三日   芝塚の松原氏のところを借りて芝塚出張所を作る。
  十七日   専公より輪転機、計算機、五台注文を貰う。
  十八日   五時三十分、列車で上京。七時三十五分で帰る。
  二十四日  旧制高校最後の卒業式。
  二十七日  七時二十六分発の列車で上京。十軒回った。七時三十五分発の準急で
		帰る。
  二十九日  五時五分の列車で上京。横浜の日邦器機で、五万二千六百円で手形保
		護器を求める。
        協和商会、千代田文具、ウインパー。七時三十分の列車で帰る。
四月三日    忙しいので信沢みち子さんが手伝いにくる。
        四日以降、便利屋を使うようになる。大体百〜五百円。
  十六日   坊やと関根の子供を連れて高崎公園花見。
        亀升屋のおばちゃんの告別式。
  二十日   伯父信沢雅男氏、脳溢血で死亡。
  二十一日  信沢雅男氏の通夜。
  二十二日  信沢雅男氏の告別式。
        山本富士子、第一回ミス日本に選ばれる。
  二十五日  市役所、十時三十分頃、大火で燃える。
五月六日    五時三十分の列車で上京。七軒回って後楽園野球見物。七時二十二分
		帰る。
  十一日   丸星機械より青写真機購入。八万五千円。
  十三日   六時十分の列車で上京。十一軒回った。上野へ出て夕食後、七時三十
		五分発の列車で帰る。
  二十一日  文具組合の旅行で水上温泉、フジヤ旅館。
  二十七日  五時三十分の列車で上京。七軒回った。上野で夕食をとった。七時で
		帰る。
                六月頃は夜は映画をよく見た。
六月十日    カーボンペーパーの招待で箱根塔之沢温泉へ一泊。
  十一日   帰高する。
  二十五日  朝鮮戦争勃発。
  二十七日  鉄道関係、須藤氏と一緒に回って成果あった。
  二十九日  リヤカー、六千円。
七月十一日   大型ピジョンスクーター購入。九万円。
  十四日   自転車買う。七千百円。
  十六日   昭和町へ引っ越す。
  十八日   夜、信沢物産で鉄道納入組合の会議出席。
        タカラ亭で一杯飲む。
  二十三日  大型スクーターで東邦亜鉛。店の方も大分工事が進む。
 
  最初はスクーターで営業に回っていた。まだまだ二輪車が常識の時代だった。
その後四輪としては、当時爆発的な人気を集めたスバル360を買った。値段も安く、
燃費も優れている。小回りがきくいい車だった。

  二十六日  住居の方は本日上棟で賑やか。
八月九日    大型スクーターで渋川の日発、関東電化。
  十日    警察予備隊令公布。即日施行。
  十二日   賞与 須藤氏三千円。
  十五日   スクーターで東邦亜鉛へ寄り、お盆なので藤塚へ寄り墓参。
  十七日   鉄道関係の寄合が暢神荘で。
  二十日   店はよく売れる。改築のおかげだ。
  二十二日  スクーターで東邦亜鉛と磯部の信越化学へ。
  二十三日  県庁の課長が来たので、小野里県議と前の宮坂塚氏と四人で勉強会を
		する。
  二十四日  前の文開店のおばあさんの告別式。
  二十六日  暫く振りで七時二十分、列車で上京。岩出、服部、日劇小劇場。七時
		三十五分、帰高。
  二十七日  足利の福田の叔父が脳溢血で急逝する。
  三十日   足利の福田家の告別式。関根兄と一緒。夕食後帰る。
  三十一日  スクーターで東邦亜鉛、信越化学を回る。
九月六日    六時十分の列車で上京。浅草公会堂の見本市。プラチナ、ウインパー
		へ寄った。七時二十五分、列車で帰高。
  十一日   引越をする。
  二十四日  川喜多先生、店舗診断で配置替えをする。五千円支払い。
九月二十八日   シャチハタ工業の招待旅行。飯坂温泉。
十月二日    七時十分アカギで上京。五軒回り。五時十六分、新橋発の列車で帰る。
  五日    高崎文具組合の旅行。水上奥利根館。
  二十四日  七月十日アカギ上京。五軒回った。五時十二分新橋発の列車で帰る。
        七十九万五千九百八十円。
        七十八万千六百二十円。
十一月三日   文化の日。国旗掲揚や君が代斉唱が五年ぶりに復活。
   八、九日 山崎順司君が死亡。告別式。
        裕三君に十年以上振りに会って話がつきない。
        翌日、スクーターに裕三君をのせて板鼻で医師を開業している田島多
		嘉司君の家で昼食を御馳走になりながら一杯飲んで昔の思い出話をす
		る。
   十日   NHK東京テレビジョン実験局で定期実験放送開始。
   十六日  初氷。
        七時十分、アカギで上京。物価少し上りつつあり。五時十分、新橋発	
		で帰る。
   二十二日 岩出招待。箱根湯本温泉、天成園一泊。
   二十九日 信沢薬局で一杯御馳走になる。
        七十五万八千七百二十円。
        五十一万二千七百四十四円
        税金 三万二千十二円。
十二月五日   七時十五分、アカギで上京。三軒用を足して、その足で足利の福田麗
		子さんの御祝儀、半蔵門東條会館。七時ハルナで帰高。
        仕入 服部六万千九百八十八円。一生堂三万二千二百二十二円。
   二十四日 ボーナス三人分、一万五千円。
   二十六日 七時十五分のアカギで上京。プラチナ一万六千二百七十二円。木原一
		万二千五百円。一生堂五万六千五十五円。はっとり九千九百五十六円。
        五時十分新橋発の準急、帰高。
           横浜ゴム  一万三千五十六円
           トヨタ    七千六百八十円
           板紙  一万四千六百六十八円
           工場    六千九百三十五円
           ハルナ    五千百九十六円
           関東電機     二千五百円
        サヨナラ 一九五〇年 五時二十五分。

昭和二十六年

一月三日    NHK、第一回紅白歌合戦放送。
四月一日    マッカーサー元帥、連合軍最高司令官を罷免され、後任にリッジウェ
		イ中将。
六月三日    NHK、テレビ(実験放送)で初の実況中継。後楽園球場から日本橋
		三越の電波展覧会へプロ野球を放送。
十月二十五日  民間航空再開。日航一番機「もく星号」就航。

観音山で撮影会

昭和二十七年

一月十日    税務調査。栗原氏。
  十三日   高中三十四回同窓会。貿易会館二十五人。
  十八日   七時十五分、本年初の上京。六軒回った。一時、列車で帰る。
二月三日    カメラヤの熱海招待。見本市。大野屋。
  七日    七時十五分上京。共栄会の見本市。そのあと紙製品の見本市。
        三越で母のハンドバッグを求めた。内田洋行の会長の欧米視察の話を
		聞いて、夕食を食べた。八時、列車で帰る。
  二十九日  七時十五分、列車で上京。六軒回った。五時十分、新橋発で帰高。
三月八日    信沢輝男さんの結婚式。高崎神社、なべやで披露。
  十日    井上工業の社長宅、火事。
  十五日   吾妻鉱山の向井氏と一杯やる。
  十七〜   水上温泉の奥利根館でカメラヤ総会。
    十八日
  二十日   山三始まる。
  二十八日  七時十五分、列車で上京。六〜七軒回った。二時の列車で帰る。
四月六日    観音山でアサヒ商会主催の撮影会をする。とても盛大。

 現代なら誰もが持っているカメラだが、当時は高級品だった。気軽にスナップを写す
という習慣もまだまだない時代だった。しかし私は、これから広く普及していくだろう
と直感して売り込みに力を入れた。

 その一環として、アサヒ商会主催のモデル撮影会をよく開催した。高崎の観音
山などは絶好の撮影ポイントだった。当時とすれば極めて珍しい催しだったから、大型
バス一台には乗り切れないほどの参加者があった。草津温泉一泊撮影会なども企画した
ものだった。

  十一日   日航の「もく星号」、伊豆大島三原山に墜落。三十七名全員死亡。
  十五日   新スクーター。
  十七日   カメラ七台盗難。警察に届ける。
  二十日   モデル撮影会。観音山盛大。
五月一日    七時十五分、列車で上京。樫村洋行へ初めて訪問。五時十分帰高。
  八日    七時十五分、アカギで上京。七軒回って、五時十二分の列車で帰高。
  十三日   七時十五分の列車で上京。樫村、堀井、水野、一生堂など回り五時十
		二分で帰高。
  十九日   スクーターで群馬銀行へ。カメラの納入に行ったら泉文具が来ていた。
  二十六日  七時十五分の列車で上京。水野、ジイド社、樫村、岩出、柳田、片山。
		二時三十分の列車で帰高。
七月一日    羽田空港、米軍から返還。東京国際空港業務開始。
  八日    ゼネラルカーボン紙、共栄会、伊東温泉エビナ旅館。
八月二日    四月十七日に盗難にあったカメラ、警察より受領する。
  七日    店がとてもよく売れて忙しい。カメラ二台が売れた。
  十一日   安子が子供を連れてみっちゃんと一緒に軽井沢へ。小串君と暫くぶり
		で会って話をし、歌舞伎を見る。八時の列車で帰る。
  二十一日  岩出の伊香保温泉招待。見本市。木暮武太夫旅館。
  三十一日  伊香保温泉へ行った。母を出迎える。 
九月四日    カメラ関係の仕事で水上奥利根館へ。
  十日    七時十五分のアカギで上京。三軒回って、東林館の見本市。
        白刷を一寸みて、七時十分のハルナで帰高。
  二十三日  おひがんで藤塚へ。母と洋一と三人で墓参。
十月四日    小学校時代の五十嵐先生を迎えての同窓会。美羽でする。
  十二日   洋一の幼稚園の運動会。美枝子を連れて出かける。
  十三日   八時二十七分、ハルナで上京。三、四軒回ってから、日東商会のユニ
		オンカーボン会があるので、船橋の三田快晴堂の招待会に出る。
  十四日   船橋よりバスで新橋の文具見本市へ。帰りは中西氏と一緒に、五時の
		準急で帰高。
  二十日   武藤、福田、中曽根、当選祝い。岡源。
  二十一日  スクーターで渋川へ。建設省、日発、電気化学へ寄る。前橋回り、途
		中スピード出し過ぎで注意を受ける。
十一月九日   専売公社のカメラ同好会。バスで榛名湖、モデルは岡本嬢。
   十日   皇太子立太子記念日。
   十二日  七時十五分、列車で上京。三美社の見本市。
        パイロットから三越、金ペン万年筆の展示会。他四軒回った。タクシ
		ーで上野観光閣見本市会場。七万円買う。
        八時二十分の列車で帰高。

 万年筆というものは昔に比べると使わなくなったが、かつてはもっとも一般的
な筆記用具であり、自分で使うのはもちろん、進学・就職のプレゼントとしてもよく売れた。


   十五日  洋一と美枝子、七五三祝。安子もよい着物を着て、高崎神社お参り。
		社員にとりの子餅配布。夜、村田夫妻と麻雀をする。
   十六日  母が上京するのでスクーターで駅まで送る。東京の方は近松友子さん
		が迎えに来てくれる。
        閉店後、村田夫婦と小林氏で麻雀をする。
十二月一日   七時十五分、列車で上京。近江屋のバスでキヤノン工場見学。熱海で
		一泊。
   二日   熱海、九時三十分発で、小田原へ。富士フィルム工場見学。そのあと
		東京へ出て、岩出、柳田、一生堂を回った。七時二十分のアカギで帰高。
   八日   専売公社にいる同級生と美羽で一杯やる。
   十一日  七時十五分、アカギで上京。はっとり、樫村から上野へ出て、水野で
		カメラを仕入れる。十一時の列車で帰高。
        停電が多い。
   二十四日 クリスマスイブ。よく売れた。忙しいので夜十時閉店。
   二十五日 カメラ五台売れ、その他の売り上げがよい。

昭和二十八年 

二月一日    NHK、東京地区でテレビの本放送開始(一日約四時間。契約数八六
		六)。
  二十八日  吉田茂首相、衆院予算委で右派社会党西村栄一に「バカヤロー」と暴
		言。問題化。三月十四日、衆院野党三派提出の吉田内閣不信任案可決。
		いわゆる「バカヤロー解散」に。
七月二十七日  板門店で朝鮮休戦協定調印。三年一カ月の朝鮮戦争にピリオド。
八月二十八日  日本テレビ、民間初の本放送開始。
九月十五日   日航機、初の国際線就航。
十二月三十一日 NHK紅白歌合戦が日劇で初の公開放送。

昭和二十九年

一月二十日   東京の地下鉄丸ノ内・御茶ノ水間開業。
七月一日    陸海空の自衛隊発足(保安隊を改組)。









 千人を超える客の列
         (昭和三十年〜三十九年)

文具業者の組合結成

昭和三十年

一月七日    トヨタ自動車、トヨペットクラウンを発表(乗用車製造技術、国際水
		準に近づく)。


昭和三十二年

二月二十五日  第一次岸信介内閣成立。


昭和三十三年 

一月二日    初売。アルバイト三人を含めて、二十数名で一生懸命。お客様千名を
		突破して、昨年を上回る。

 当時は正月二日から店を開けて初売りした。初詣もあり、市内は人手がすごかった。
お年玉を握りしめた子供もずいぶんきてくれた。

  六日    少林山、七草で物凄い人出で、石塚氏と一緒に見物。
  八日    七時、アカギで母を連れて卸業招待見本市へ。富士屋ホテルへ。岩出、
		内田、利見、関東文具、日東商会によばれたわけだ。岩出の六さんの
		おかげでよい部屋がとれた。
  九日    母をおいて一人で帰った。あとはアヤ子伯母さんがおくる。
  十一日   三菱テレビ十四インチワイドを求める。
  十九日   子供三人を風呂へ入れる。
  二十日   日・インドネシア、平和条約および賠償協定など調印。
  二十一日  八時二十七分、ハルナで上京。はっとり、一生堂、他二軒回って八芳
		園で東部クラブ会の総会に出た。七時四十五分列車で帰高。
  二十三日  六時五分、列車で上京。関東地区、パイロットのウキワ会。目黒雅叙
		園へ行く。七時四十五分、列車で帰高。
  二十六日  高中三十四回の同窓会。魚仲で行う。二十数名。余りに賑やかだった。
  二十七日  十二時十分の列車で熊谷の馬場商事の店舗落成式出席。
二月四日    六時五分、列車で上京。はっとり、外国文献社、淹沢、一生堂へ寄っ
		た。一時十分の列車で帰高。
  八日    七時十三分、列車で上京。熱海の富士屋ホテル。東部クラブ会總会。
  九日    熱海、五時七分、列車で帰高。中林靖さんの結婚式。
  十四日   六時五分の列車で安子を連れて産業会館の文具の見本市を見る。
  二十四日  五時四十九分、列車で上京。熱海つるやで一生堂の見本市。三時、列
		車で帰高。
三月三日    ロータリークラブで三年連続出席賞を貰う。
  六日    七時十三分で上京。ハトヤで切手を求め、三菱鉛筆の見本市。十一時
		五分、帰高。
  九日    切手が飛ぶようによく売れる。
  十二日〜  風邪をひいて一寸参った。
    十三日
  二十日   東京の近松伯母さんと足利の福田の伯母さんが来たので、荻野氏が自
		動車で墓参に出かけた。
  二十三日  入試発表があったので一日中忙しい。よく売れた。
  三十日   よく売れて夕方までに八百名のお客様が来てくれた。有難い。
四月三日    万年筆、ノート、筆入、アルバムが特によく売れた。
  八日    何でもよく売れて、お客様は千四百五十人新記録。
  十日    高工土木科、建築科のコンパスは英式でなく独乙式のケントを納品す
		る。英より独の方が安心感がある。
  十五日   高工の電機科へコンパスを納入。
  十八日   六時列車で上京。ハトヤ、一生堂を回って星ヶ岡茶寮へ。セーラー万
		年筆会の理事会。そのあと内田洋行へ寄って帰る。
  十九日   二階のギャラリーで切手展をする。満員だった。
  二十日   切手展、ギャラリー床が落ちるような人出で賑やかだった。
        郵便局長まで来てくれた。大分商売にプラスになる。
  二十三日  パイロット万年筆の北関東ウキワ会の総会。
        七時十一分の列車で上京。
        十一時二十五分の東海道線で平塚工場へ。工場見学。総会もやって、
		箱根の天成園一泊、懇親会。
  二十四日  一旦東京へ出てハトヤ、三越を見てから後楽園で野球を少し見る。四
		時四十分の列車で帰高。
  二十九日  六時五十八分、列車で洋一を連れて上京。切手入手ルートの紹介。肉
		の万世で昼食。交通博物館に。二時二十五分、電車で帰高。疲れた。
五月五日    母、安子、洋一等と八幡町の古墳塚をみてから、太田、館林ドライブ。
  六日    後藤氏の結婚式に出席。
  七日    切手の販売も下火になった。切手はよい商売だった。
  十三日   六時五十八分、列車で上京。岡田スタンプで切手を仕入。
        一生堂を回る。
  十七日   七時十二分、アカギで上京。内田友の会総会に出席。
        日の出桟橋から興安丸、八千トン、東洋一。十一時三十分、ドラの鐘、
		出帆。船内で昼食、総会。六時上陸。ハルナで帰高。
  二十日   切手がよく売れた。まだ人気がある。
  二十三日  二階のギャラリー切手展。
  二十四日  七時のアカギで上京。セーラー万年筆のコンテストの表彰式が帝国ホ
		テルであるので参加。そのあと帝劇でシネマを見る。六時帰高。
  二十六日  イセヤシューズでメーン販売会に出る。
六月七日    資材協力会の総会に出席。
  九日    十二時十四分、列車で上京。いろいろ切手を仕入れて東京駅へ。セー
		ラー万年筆、広島天応工場見学会。十九時のアサカゼ特急の寝台車で
		出発。
  十日    七時三十分頃広島へ到着。午前中工場見学。午後宮島へ。平清盛が作
		った厳島神社をみる。
  十一日   原爆関係を見る。二十二時の寝台車で帰高。
七月六日    高崎文具組合を作るので小家氏をお招きして、出迎えて自動車で市内
		の各店を回る。四時から総会をやり、そのあと素晴らしい講演を聞く。
		そのあと田島屋旅館で懇親会をする。

 文具販売業者の同業組合を作り、業界全体の発展に微力を注いできた。組合は高崎市
から始まり、群馬県文具組合に広がり、長く会長を務めた。さらに群馬県事務機流通協
会会長、全国文具総連合副会長も歴任した。

 一企業の発展だけを目指していては、本当の社会貢献にはならないのではない
か。そんな信念からの取り組みだった。これに伴う忙しさは並大抵ではなかった。日記
に書いたように会合のためだけでも、東京をはじめとして県外を飛び回る日々が長い間
続いたのだった。そんな日々を送ってきたが、充実感はなにものにも代え難いものがあ
った。

 六十二年に県の表彰を受けたが、私の考え・取り組みが認められたのだと思う。

  十七日   六時の電車で上京。藤沢市の商店街を見て大いに参考になる。切手屋
		を二軒回った。岩出の副社長六さん、川崎球場へ。十時三十分の列車
		で帰高。
  二十日   洋一と美枝子を連れて蒲田まで電車。そのあとはバスで羽田へ。
八月七日    伊香保、木暮武太夫奥さんの告別式。
  十三日   全日本空輸の旅客機が墜落。三十三名即死。
  十六日   十一時十分、列車で石塚氏と一緒に上京。二、三軒回って、カシムラ
		で落ち合い、後楽園へ巨人阪神戦を見た。新宿に泊まった。

 娯楽の少なかった時代のこと。プロ野球の人気はそれは素晴らしいものだった。
仕入れや会合で東京に出ることが多かったから、よく球場に足を運んだ。
 
私のひいきは巨人軍で、後楽園球場のスタンドで、野球の神様・川上哲治たちの
活躍に熱狂したものだった。巨人・阪神戦、巨人・中日戦などの試合をよく見た。
この年にあの長嶋選手が巨人の三塁手として華々しくデビュー。期待にたがわぬ
大活躍で新人王に輝いたのである。長嶋と同じように活躍したパ・リーグ南海の
杉浦忠投手は、長嶋とは立教大学のチームメートでエースと四番の関係。そんな
二人の一年生がプロ野球でもエースと四番になってしまったのだ。

  十七日   最初に西荻窪へ行った。二十年前のイメージをと歩き、勤務先だった
		中島飛行機付近から荻窪へ。そのあと近松さん宅へ。十年振りでいろ
		いろ話をした。三越へ寄り買物をした。一時十分の列車で帰高。
  二十七日  七時十分の列車で上京。産業会館の見本市へ。丸星へ打ち合わせをし
		てから、岩出の副社長とナイターを見た。帰ったのは十二時三十分。
九月八日    七時十一分、列車で上京。写真機材商組合の旅行。小田原のフジフィ
		ルム工場見学、終えて熱海の富士屋ホテルへ一泊。
  十六日   七時十二分の列車で上京。日本青年館でのセーラー講座へ出席。
  十八日   台風襲来。河川氾濫。八千代橋流失。
十月九日    長嶋茂雄(巨人)、セ・リーグの新人王獲得。パ・リーグは南海の杉
		浦忠。
  十七日   七時、アカギで上京。自動車ショーを見てから十二時、帝国ホテル。
		パイロットウキワ会全国連合会に出席。
  十八日   帝国ホテル朝食後、服部時計店を見てからゼブラ工場見学。
  十九日   顔面神経マヒになる。高崎病院で注射、マッサージ二百円。
十一月一日   東海道本線東京・神戸間、特急こだま号運転開始。
   五日   沖電気高崎工場落成式。
   十一日  宮元町、吉田さんの告別式。
   十日   関口整形外科低周波治療(二十日まで)。
   二十七日 皇太子妃決定発表。館林市出身の正田美智子さん。
   二十八日 七時十分、アカギ上京。関東ゼブラ会、熱海の金城館。
十二月一日   一万円札発行。
   六日   顔面神経マヒも関口整形ではよくならない。
   八日   国立病院診断してもらう。
   十日   十二時十分、列車で上京。ネコスの代理店会議、丸の内工業会舘で。
        会議終了後、銀座のらん月でスキヤキパーティー。九時急行で帰高。
   十三日  国立病院へ治療に行く。川喜田先生、一寸寄る。
   十六日  七時十二分、アカギで上京。クリスマス用品の仕入れ。一時十分で帰
		る。
   十九日  国立病院へ治療に行く。スバル360購入。
   二十三日 信沢智恵子さんの結婚式。高崎神社。
   二十四日 スバル360に乗って国立病院へ治療に行く。
        店の方はクリスマスなのでアルバム、ノート、万年筆がよく売れた。
   二十六日 国立病院へ治療。

レーザー治療

昭和三十四年 

一月一日    メートル法実施(尺貫法廃止)。
  十一日   二階ギャラリーで外処氏の洋画展。
  十四日   七時十二分、アカギで上京。そのあと母を連れて熱海の大野屋へ。見
		本市へ一泊。
  十三日   九時三十分、いでゆ号で東京へ出て、日赤病院へ近松の叔母を見舞う。
		ガンでもう駄目らしい。東横デパートで買物をして、三時の列車で帰
		る。母のお供は大変だ。
  二十二日  八時二十七分、ハルナで上京。理研光学打ち合わせ後、西銀座診療所
		に行ったが、超満員で予約でなければ駄目と言われたので、内田洋行、
		一生堂を回った。パイロットの関東地区の幹事会に出る。一泊。常任
		理事会に出て、そのあと総会。宴会。
  二十四日  九時、いでゆ号で帰り、いろいろ忙しく過ごして、店は高工の土建科
		の先生と打ち合わせ。
  二十六日  国立病院へ治療に行く。
二月二日    国立病院へ治療。
  三日    十時、列車で上京。日赤病院へ近松の伯母を見舞う(危篤)。
        コクヨへ出て夕食を御馳走になり、七時帰高。
  四日    近松の叔母死亡。弔電を打つ。
  五日    七時二十七分の列車で上京。近松の叔母が亡くなったので、西永福の
		自宅へ。お焼香をすませて、西銀座診療所でレーザーで治療。二時間
		もかかり、三時二十二分に帰高。

 どうしたことか、顔面神経マヒになってしまったことがあった。市内の関口整形外科
に行っても、国立病院に行っても思わしくない。そこで東京の病院まで出掛けてレーザ
ーを当てたりして、ようやく治った。それまでは、しゃべることはできるのだが、水を
飲むのも思うようにはいかないほど不自由だった。

 この時、私は健康の大切さを痛感した。経営者がくたびれていてはいけない。
常に元気でいることが経営者の第一条件。不健康だと、細かなところばかり見て、
大局を見落としてしまうのではないだろうか。
 それに主治医にも恵まれた。
「医者と銀行家と弁護士を友人に持てば、人生危うからず」
 と言う。私は今日までの人生で銀行家にも弁護士にも恵まれたが、良い医者にはもっ
と恵まれた。それが、今日までの長きにわたって経営の最前線に立ち続けられた最大の
要因かもしれない。

  七日    八時二十七分、ハルナで上京。岩出の展示会を見てから近松さんの家
		まで行き、告別式に出る。みのる叔父も具合悪く入院。帰りに西銀座
		診療所へレーザーをかける。五時二十七分、アカギで帰高。
  九日    十二時、列車で上京。西銀座診療所、レーザー。
  十日    十時四分 列車で上京。西銀座診療所。三時二十二分の列車で帰高。
  十二日   八時二十七分、ハルナで上京。西銀座診療所、番をとっておき、一生
		堂へ寄ってから、西銀座でレーザーをかけ、一時の列車で帰高。
  十三日   十時、列車で上京。西銀座診療所、レーザー。
        二時二十五分、列車で帰高。
  十七日〜  五時、列車で上京。東京駅、七時五十分、列車で中林靖さんと一緒に
		商業界
   十九日  ゼミナールに参加。小田原駅より帰高。
  二十日   十時四分、列車で上京。西銀座診療所でレーザーをかける。
        外国文献社。はっとり、内田洋行を回って八時二分、列車で帰高。
三月二日    お手伝、岩崎みつえさんが帰った代わりに、新潟からナミちゃんが来
		る。
  三日    五時四十七分、列車で上京。東京発八時二十二分の列車で母を連れて
		一生堂の恒例の見本市で、つるや熱海。福引は一等賞が当たる。
  五日    店売りがとても忙しくなってきた。
  八日    スバルで荻野氏を連れて、中里、神川、鬼石各役場と朝日化学を一回
		りする。スバルは大いに役立っている。
  十八日   スバルに母を乗せてお彼岸の墓参りをする。
  二十一日  亡父と三十三回忌と富士雄君の十三回忌の法事をする。
  二十四日  高校入試の発表の日で、店はとても忙しくなる。
  二十六日〜 納品も店売りも忙しく、目の回るほど。毎日五百〜六百名のお客様が
		みえて
    三十日 くれたわけだ。
四月一日〜五日 桜満開。店売り、納品共に忙しい。
  六日    万年筆、ノート、よく売れた。客数千百名。
  七日    万年筆、ノート、よく売れた。客数千二百名
  十日    皇太子と正田美智子さんと結婚のよき日。
        早朝よりテレビ放送あり。
  二十日   十一時四十六分、列車で上京。産業会館の見本市へ各種商品をみる。
		法華クラブに泊まる。十千万の長田氏と二、三軒飲む。
  二十一日  外国文献社のホルソートカートの勉強会の帰りに、内田洋行と打ち合
		わせ夕食会。七時四十五分帰高。
  二十二日  税務署の調査、二人来る。気さくな人で楽だった。
  二十五日  十時、上京。一生堂で連絡をしてから、後楽園で巨人近鉄戦を見てか
		ら、隈田川温泉で三菱協力会役員会に出て、七時四十五分で帰高。
  二十七日  川喜田先生が見えて、店舗の指導をされた。
五月一日    市会議員選挙。細野もダメ。四十山氏当選。当選祝いに行く。
  二日    クラブ総会。東京よりバス旅行。途中ニチバンセロテープ工場見学。
		熱海富士屋ホテル一泊。
  三日    母の関係で法事が行われ、叔父や叔母が集まってお墓参りをして、伊
		香保温泉へ。
  八日    七時十二分、アカギで上京。丸星、ネコス、ウチダ終わってから、後
		楽園で巨人阪神戦をみた。五時二十七分、アカギで帰高。
  二十日   アカギで上京。内田洋行のゴールデンセール発表会が行われたので、
		ショールームを見て、次にトーホー精機の工場を見てから、バスで
		横浜市内を見て、プリンスホテル。夕食はかつ丼一杯。そのあと新橋
		の第一ホテル。
  二十一日  朝食後解散。宇都宮の有文堂と一緒に晴海の国際見本市を見て、一時
		十五分の列車で帰高。
  二十三日  渋川の建設省が火事で焼けたと聞いたので、荻野氏を連れて見舞いに
		行く。
  二十六日  第十八回オリンピックの開催地を東京に決定。
六月二日    スバルで新町カネボウ、自衛隊から神川、鬼石役場、朝日化学を回っ
		た。
  八日    音楽センターの地鎮祭に出る。
  十二日   税務署調査。小野さんに一日中付き合ったが大丈夫。
  二十日   十一時四十六分、快速で上京。一生堂、岩出、副社長と一杯やる。
        武正の招待、関西旅行。十時東京発のスイセイ号で寝台車で一泊。京
		都へ。バスで見物。
  二十二日  バスで大阪へ。コクヨ工場をみる。大阪城見物。有馬温泉一泊。
  二十八日  近松の叔父が死亡。
  三十日   八時二十七分、ハルナで上京。近松の叔父の告別式。
七月二日    安子が佐藤病院で手術。経過良好。
  十日    安子の退院。
  二十二日  店へ泥棒に入られ、パイロット万年筆四、五十本(約四十八万円)。
		入ったのは分かっていたが、夜明に警察へ届ける。

 高崎の町にも泥棒がずいぶんいたのだろう。これ以降もたびたびこそ泥の被害
にあった。夜中に、泥棒が大切な店の中を物色していると考えるとくやしかったが、
「金は盗られてもいい。命が大事」
 と、泥棒が去った後で警察に通報したこともあった。

  二十七日  柏原ガバナーの公式訪問。(ロータリークラブ)
八月一日    日産自動車、ダットサン・ブルーバードを発売。マイカー時代の幕開
		け。
  十日    連日、石塚氏とよく飲んでいる。
  十四日   台風七号襲来。大分被害があった。風雨が強かった。
  二十九日  十一時四十五分、列車で上京。内田洋行の会議へ行く。
        東京発十七時、準急で小田原へ。貸し切りバスで芦ノ湖旅館。
九月二十一日  アサヒ商会社員旅行。水上へ。母も安子も健康で一緒に行く。
  二十六日  台風十五号(伊勢湾台風)上陸。暴風雨、停電、看板破損。
十月四日    小沢カメラ主人が亡くなる。
  九日    七時、アカギで上京。経営機械展へ行く。そのあと丸星と理研光学。
		そのあと一生堂、岩出を見て三越でショッピングをしてから、十千万
		の長田氏と、鴬谷の樽酒屋でフグチリで一杯飲んで、七時四十分、
		急行で帰高。
  十四日   十一時四十五分、快速で上京。ネコスより内田洋行から山三へ。その
		あと大西氏と一杯やってから、代々木の旅館へ一泊。
  十五日   東京駅発の八時の電車で平塚へ。パイロットのウキワ会の全国連合会
		に出る。午後、工場見学をやってからバスで熱海の静観荘、一泊。
  二十九日  七時、アカギで上京。晴海埠頭の自動車ショーを見物。
        後楽園で日本シリーズを見て、鴬谷の樽酒屋に寄って一杯やる。
十一月六日   前橋の大気堂のビジネスショー、盛大だったので社員交代も見学。
   十三日  七時十三分、上京。大森の理研光学へ出かける。
        特約販売店になる。交渉は上々だ。帰りは外車で送ってもらい、岩出
		の副社長の六郎氏の告別式に出席。内田洋行へ寄ってハルナで帰る。
   十六日  七時十三分、アカギで上京。一生堂、ネコスへ寄る。
        セーラー関東販売店の総会。金城館へ一泊。
   二十二日 よい天気だったので、スバルで母と安子、子供二人を乗せて長瀞へド
		ライブ。
   二十七日 七時十一分、アカギ上京。新しい店を二軒回ってから、コクヨ、一生
		堂を回って三越へ寄り、五時二十六分、列車で帰る。
   三十日  決算書類の提出やら、税金の納付、集金、支払すみ。
十二月八日   七時十二分、列車で上京。理研光学へ特約店の仲間入りが決まり、市
		村社長、常務の話。なかなか強気だ。七時四分、ハルナで帰る。
   九日   高々の輪転機問題。東鉄のシャープ問題。頭が痛い。
   十日   東鉄のシャープ、一万三千本。馬場商事の専務が来た。
   十三日  好天気が続く。年末なので、荷物が沢山到来する。
   十八日  群和会の忘年会に出席。帰りに宮川酒店のコップ酒場の開店に寄って
		帰る。
   二十一日 五時より宇喜代でロータリークラブのクリスマス家族会があるので、
		安子を連れて出席。なかなか盛大だった。
   二十五日 ボーナスを出す。
   二十八日 スバルで伊勢崎へ。三共電器で百万円の手形集金。
   二十九日 八時二十七分、ハルナ上京。内田洋行へ昨日の約手を回してから、一
		生堂、岩出で用を足して、三時列車で帰高。
   三十一日 大体仕事が片づき、集金、支払い、税金、一応すませる。


千人を超える客

昭和三十五年 

一月二日    初売。万年筆、シャープが筆頭によく売れた。千名の客数。
  五日    カメラヤ木暮氏、急逝する。
  六日    石塚氏、専務等と少林山、七草へ。
  九日    オートバイ購入。
  十六日   七時十三分、アカギで上京。ネコス、日本複写機、一生堂、岩出に寄
		ってから、伊藤商事の店舗落成式。内田洋行、小池部長、有文堂、一
		杯やった。七時四十五分、列車で帰る。
  二十四日  高中三十四回の同窓会を宇喜代でする。先生は高橋、若井先生。
  二十九日  前沢戦友が来る。昼食を御馳走した。
二月四日    七時十二分 アカギで上京。一生堂、岩出、内田洋行、理研光学。そ
		の後近松さんの叔父、叔母の一周忌に出る。樽酒を飲み、七時四十五
		分帰る。
  六日    日の出屋へ行き柳さんといろいろ話をして、中西氏も呼んだ。
  七日    桐生工業会高崎支部新年会出席。
  十日    十時四分、列車上京。三越で事務器展を見る。
        内田洋行へ寄ってから熱海へ。カシオ計算機の講習会。
  十一日   静観荘。関東地区ウキワ会常任理事会。
  十二日   九時五十二分の列車で帰る。健次が土産品を喜んでくれる。
  十七日   中部名店街、山田氏告別式。
  十九日   七時十二分、アカギで上京。内田洋行で連絡後、文京区へ。
        トーホー研究会。十名位でよい勉強会。そのあと東京観光。ホテル一
		泊。
  二十日   産業会館での見本市へ出て、一時五十五分の列車で帰る。
  二十三日  美智子妃、皇子誕生。お目出度い限りだ。
        店の二階のギャラリーでやっているのは事務能率向上展なので、なか
		なか盛大でてんてこ舞い。
  二十五日  五時五分、列車で上京。東京駅より熱海へ。出迎えのバスで富士屋ホ
		テル。
  二十八日  小学校の同窓会がナベヤであり出席。
三月三日    七時十三分、アカギで上京。関根兄と同行。東京支店を見てから、内
		田洋行、ネコス、岩出、理研光学。九時四十四分の列車で帰る。
  五日    須藤氏と一緒にリコピーSLを積んで明星電気へ。
        取付テストは上々。技術係の方にほめられた。
  十一日   八時九分、ビジネス準急で上京。内田洋行へ寄ってから、東京旭商会
		でリコー会の連中が来た。新製品発表会場へ。終わってから有文堂と
		一緒に、ネコスから内田洋行で一杯飲んだ。七時四十九分、列車で帰る。
  二十日   お彼岸なので、母と子供を連れて墓参する。
  二十七日  店が俄然忙しくなった。ノート、アルバムなど、万年筆は昨年の倍売
		れた。客数七百名位。万年筆、シャープ合計百本。
四月一日〜十日 店の方は毎日よく売れて、アルバイト三名を合わせてよくやってくれ
		たので、よい売上だ。また納品も忙しかった。
  六、七日  ノート、万年筆、学用品がよく売れて、千名以上のお客様。
  十六日   八時九分、ビジネス快速で上京。ネコス、服部時計店、内田洋行、産
		業会館の展示会。第一商事。鴬谷で樽酒を飲む。七時四十五分の列車
		で帰る。
  二十三日  八時九分、ビジネス準急で上京。第一商事、内田洋行、理研光学。3
		33のリコピーの発表会を見て、鴬谷で旨い樽酒を飲んで帰る。
四月三十日   ソニー、世界初のトランジスタテレビを発売。
五月七日    八時九分、ビジネス準急で上京。ネコス、内田洋行を回ってから靖国
		神社へ参拝。故富士雄君の記念品を貰った。三越でショッピング。
		鴬谷へ出てフグチリと樽酒を飲んで、六時四十五分、列車で帰る。
  十二日   洋一の遠足の日で、三時起きをして駅まで自転車で送って行く。とて
		も嬉しそう。元気に出発。稲毛へ潮干狩りへ行く。夕方帰ってくるの
		で、自転車で迎えに行く。 
  十六日   アカギネ商会の石塚氏がスバルで事故をおこしてしまい、大分重傷で
		気の毒だ。奥さんと病院へ行ったら、手術は高崎でやるようになった。
  十七日   石塚氏が帰ってきたが、腕の骨折のようだ。あとは打撲傷で大丈夫。
  十八日   石塚氏を病院へ見舞う。すっかり元気になった。
  二十日   文開堂のおばあさんの葬儀の手伝いをする。
        隣保班なので仕方ない。昼食も万払いも断わった。
  二十四日  紳士録の件で秘密探偵社に訪問され、強引でいやだった。遊人、小太
		郎というやつも寄附みたいな金をせびられる。関係はないが、何の因
		縁か?
  二十五日  新聞によると青森方面の太平洋側がチリの大地震の影響で、大津波に
		襲われて、大きな被害を受けた。天災とはいえお気の毒だ。
        八時九分の列車で上京。内田洋行をすませ、晴海のビジネスショー会
		場へ行く。しばらく見学してから、ネコスへ集まって、ダイヤモンド
		ホテルで全国の第一回の代理店会に出て、中野新橋で懇談会。
		七時四十五分、列車で帰る。
  二十六日  七時八分、列車で上京。中西さんと一緒。内田洋行でゴールデンセー
		ルの話を聞く。ヘンミ計算尺の工場を見学。昼食後、バスで東條会館
		へ。立派なホールで社長帰朝報告勉強会。洋食の晩餐会後、銀座の東
		急ホテルへ泊まる。
  二十七日  ビジネスショーを見て、二時三十分帰る。
  二十八日  グアム島の元日本兵二人帰国。
  二十九日  外国文献社の代理店会議。千駄ヶ谷の日本青年会館で一日中。ホルソ
		ートカードの勉強会。終わってから宇都宮の相場さんと巨人阪神のナ
		イターをみる。
六月二日    リコー会佐渡行き。零時十五分、越後準急三等寝台出発。
  三日    早朝新潟駅へ到着。一旦宿へ入った。一風呂浴びた。朝食をすませて
		九時出帆の定期便にて佐渡へ。
        一旦中見物後、相川町の佐州ホテルへ一泊。市村社長を混じえての宴
		会。
  四日    佐渡見物。二時十分の船で新潟へ。鍋茶屋で大宴会。十時三十分の越
		後準急寝台で帰京。四時十六分帰高。
  七日    カシオリレー計算機を二十五万契約する。
  十一日   経済同友会の講演会。群馬銀行経済懇話会の始まり。
  十六日   国会前で全学連と警備隊の大乱闘がある。死亡者一名。重軽傷者数百
		名の不祥事。岸内閣もアイク訪日中止。
  十八日   早朝六時頃、専務と荻野氏でスバルで藤岡工業へリコピーの売り込み
		に。
七月六日    日の出屋、店舗売却。岡田、宮田と三人で柳氏挨拶にくる。
  九日    文具組合の総会、岡源。黒崎会議所会頭もみえる。
  十三日   丸善機械卸、笹山氏がみえ、代理店契約をする。
  十四日   自民党池田新総裁決まる。岸首相、暴漢に襲わる。
  十六日   八時九分準急で上京。理研光学の代理店会に出席。そのあと一生堂へ。
		そのあと十千万。七時四分、列車で帰高。
  十七日   母が軽井沢へ。
  十九日   第一次池田勇人内閣成立。
  十九日〜  六時五十五分の列車で一路小田原へ。バスで小湧園へ。パイロット万
      二十一日 年筆のトップ、マネージメント経営者研究会に出席。
    二十一日、  九時二十四分、東海準急上野経由遅かった、早く帰りたかった。
  二十三日  子供三人を乗せて軽井沢へ。星野温泉へ行ったり、西武デパートでシ
		ョッピングして一泊して二十四日に帰る。
八月三日    安子と健次を連れて上京。熱海暖海荘へトンボ鉛筆の会。専務より帰
		朝報告等、一泊して翌朝早く帰る。
  三十日   軽井沢、引き揚げる。
九月三日    八時九分、ビジネス準急で上京。一生堂、東京事務機、理研光学、内
		田洋行。後楽園、巨人対中日戦を見る。
  二十二日  八時九分準急で上京。一生堂を見てから椿山荘へ。北関東リコー会、
		栃木、茨城、千葉の合同総会が行われ四百名。一仕事終わってから
		フグチリを食べて後楽園の巨人阪神戦をみる。
  二十三日  第一ホテルから内田洋行。本日はトーホー研究会に出席。四時、東京
		発東海準急で熱海へ。金城館十六名。旅館の指定は自分がしたので心
		配だったが、すべてよかったので安心。
  二十四日  専務の帰朝報告会を聞いて、東京へ出て理研光学。打ち合わせをして、
		五時九分で帰高。
十月四日    八時九分、ビジネス準急で上京。ネコス、東京タイプライター、理研
		光学、内田洋行、桃井堂、泰文堂等と回り、昼食軽く一杯やった。
		二時準急で熱海。静観荘へ。関東トンボ。ホモ会。一泊。
  七日    本日より貿易会舘でビジネスショー開催。雨降りで参った。数十人の
		お客様が来てくれて嬉しい。
  八日    ビジネスショー二日目は天気になったが、午後大分風が吹いた。午前
		中は良くなかった。午後は群馬銀行さんが一番よく見てくれた。
  十二日   社会党浅沼稲次郎、演説中暴漢に襲われ死亡。
  十五日   五時四十五分、列車で上京。一路パイロット万年筆の平塚工場。全国
		ウキワ会連合会に参加。勉強になった。バスで熱海温泉、静観荘に一
		泊。
  二十五日  二中のPTAに出て本日は授業参観やら話し合いをした。洋一は成績
		はよし。ちゃんとしているのでほんとうに頼もしい。
十一月六日   太田氏の世話で高々の校庭前の地所を、母と安子、須藤氏と下検分。
		約三百坪の土地を取得する。
   十一日  八時九分、準急で上京。デパートをみてから理研光学へ。集まって関
		東、東京リコー合同会に。修善寺温泉ホテル。市村社長が出席。一泊。
   二十一日 新しいスバルで、衆議院選挙を見る。福田氏九万票、中曽根氏七万票、
		栗原氏四万票、山口氏三万票。
十二月三日   八時九分、ビジネス特急で上京。理研光学の代理店の会に出る。山本
		部長を囲んで大いに話し合いをする。
        内田洋行へ寄って連絡をすませて有文堂と話をする。九時帰る。
   十四日  八時九分、準急で上京。一生堂、丸善、内田洋行、三美社の社屋落成
		式、お祝いに出る。三時準急で帰る。
   十六日  二中のPTA。生徒の反省会。洋一が司会をする。

ゴルフに熱中

昭和三十六年 

一月二日    初売。よく売れた。万年筆、トランプ、花札etc。
        九百名のお客様が来てくれた。
  九日    丸善薬品の交代に善如寺夫人挨拶。
  十一日   八時四分、準急で上京。一生堂、次に理研光学。内田洋行、次に関東
		文具の落成式に出た。四時二十五分、アカギで帰高。
  二十二日  高中三十四回の同窓会。魚仲。
  二十三日  八時九分、準急で上京。内田洋行へ。そのあとパイロットウキワ会へ
		出る。ホテルニュージャパンでやった。
二月三日    石塚氏とずっと殆ど毎晩飲んでいる。
  七日    青写真焼付忙しい。一日中頑張る。
  十八日   下仁田の平吉さんの義母が亡くなり、葬式へスバルで三〜四人。
  二十二日  八時の準急で上京。ムサシ商会と取り引きすることになり話し合いに
		出る。
  二十五日  産業会館の見本市。関口、有文堂と一緒。そのため理研光学代表者会
		も。五時五分、列車で帰高。
三月六日    RC、六年連続出席。
  二十一日  お彼岸なので母を乗せて板鼻の長伝寺へ墓参。
  二十二日  八時九分、準急で上京。内田洋行、ムサシ商会。七時四十五分の列車
		で帰る。
  二十八日  社員の給料、十%くらいあげた。
四月二日    店は新学期なので良い。よく売れた。万年筆九十本売れた。
  四日    リコピー、タイプライター、その他店の文具もよく売れた。
  六、七日  納品も店売りもよく売れ、千人以上のお客様があった。

 万年筆が一日九十本、百本と売れた時代だった。社員の給料も上げることがで
きた。当然である。業績の向上は社員の働きのお陰だからだ。

 あんまり忙しくて、当時中学生だった長男の洋一も、小学生の長女・美枝子も学校か
ら帰ると店を手伝ってくれた。そうやって家族も使わなければ、客をさばけなかった。


  九日    お客様は千百八十五人の新記録。洋一も動員。
  十二日   ソ連のガガーリン少佐が乗った有人宇宙船「ボストーク1号」地球一
		周に成功。人類初の宇宙旅行。
  十五日   中央小同窓会をもりやそば店でする。
  二十一日  六時五十五分、列車で上京。ネコス、晴海の見本市。内田洋行、岩出、
		クラブ会出席。一生堂。
  二十九日  母の代理で八時九分、準急で上京。近松さんの夫妻の三年忌に出席。
		西永福町。
五月八日    七時八分で上京。最初にパイロット万年筆へ寄った。十一時に東京駅
		へ。ゼブラ会に出る。最初に工場見学をする。なかなか優秀な機械で
		作っている。そのあと三時のいでゆ準急で熱海へ。金城館で總会と懇
		親会。一泊。
  九日    九時の準急で東京へ。有文堂と一緒になり、コンテックス兼松事務機
		より内田洋行で打ち合わせ後、ムサシ商会、理研光学。オリンピック
		で四人で一杯やり、十時八分、急行で帰高。
  十日    マイクロの機械の使用法をムサシ商会が指導する。
		関根政巳兄が群馬銀行の取締役になる。目出度い。
  十一日   二中の二年のPTA会長、用事多い。
  十四日   安子が健次を連れてクラブ会に出席。熱海へ行く。
  二十九日  五時四十八分、上京。RCの世界大会へ。マックスの山田さんと参加。
		帝国ホテルで受付。晴海の会場。天皇陛下の開会のご挨拶あり。
		二万人。
六月二日    マイクロの機械設置。
  四日    八時九分、準急で上京。トンボホモ会の表彰式。熱海の大月ホテル。
  八日    九時十八分、上京。内田洋行。品川のプリンスホテルでの文具小売商
		報社の五周年記念パーティー出席。
        一生堂の新美君を誘って、鴬谷の酒道楽で樽酒を飲む。六時十分帰高。
  十六日   八時九分準急で上京。東條会館。内田友の会出席。ホテルニュージャ
		パン泊。
  十八日   理研開催で関東リコー会のメンバー集まり。理研の幹部も参加。マイ
		クロ、ハイヤー二台で、里見を回って榛名神社。榛名湖畔を観光して
		岸権旅館へ。特約店会。一泊。
  二十二日  電気化学、田崎、島、課長にお願いしてリコピー一式入れる。
六月二十八日   新しいブルーバードで渋川電気化学を回る。

七月七日    五時四十八分、列車で上京。一生堂の招待旅行。東京駅を東京駅発の
		九時、つばめで一路岐阜へ。長良館に投宿後乗船。船の中で一杯やり
		鵜飼い見物。
  八日    犬山城、国宝を眺めてみる。素晴らしい、三井物産を訪問。スマトラ
		時代の小池さんに電話をしてみたかった。
  十一日   二中PTA会合。
  十三日   市制六十周年、水道五十周年の式典の音楽センターへ。完成祝。
  二十五日  中部名店街の役員一同で賛光電気へ工場見学後、川魚料理を御馳走に
		なる。
  二十八日  初めてのゴルフ、馬場さんにすすめられた。随分苦労して一・五ラウ
		ンドやった。

 この年に生まれて初めてゴルフクラブを握った。四十代になったばかりだった。
 戦後の混乱期に会社を立ち上げ、仕事仕事で追いまくられてきた私だったが、ゴルフ
には熱中した。性にあったと言うべきだろう。店の屋上に個人用の練習スペースを作っ
たほどだ。週に三回くらいラウンドしていたこともあった。午前中コースを回って、午
後から店の仕事。それでも若かったから疲れなど感じなかった。

 腕前も上がって、業界の大会などで何度も優勝することができた。そんなこと
だから、クラブを握るのが楽しくて仕方がなかった。七十代になってもコースに出てい
たが、健康作りの面からも大いに役に立ったと思う。

八月四日    乗附の社宅が出来る。湯浅、五十嵐氏が入る。
  七日    ロータリークラブ、音楽センター会議。群馬銀行から変更。
  十日    九時二十五分、準急で上京。八重洲のホテル、国際観光で北関東と神
		奈川とのセーラー合同の会があった。内田洋行を回った。
		六時五分列車で帰高。
  二十九日  第二回目のゴルフ。
九月一日    日赤、愛の献血運動を開始。
  三日    定休日だったのでブルーバード、政弘君の運転で伊香保ゴルフ場でお
		茶を飲んだ。母と安子、健次一緒。そのあと落合梁で鮎を食べて、
		水沢観音。うどんetc。
  七日    パイロットウキワ会の総会が伊香保の岸権旅館で行われる。集まりが
		悪いので一苦労。一泊。
  八日    近江屋、大谷氏と三人でゴルフ。
  九日    四時、準急で東京に出る。東京発七時の第一コダマで一路大阪へ。冷
		房完備、快適だ。全国の文具小売商組合の総会で、羽衣荘で開催。
		総勢六十名。
  十日    帰りはジェット機で羽田へ。四時四十五分帰る。
  十二日   四十四回目の誕生祝。屋上へゴルフインドアをつけさせる。
  十三日   台風十八号の雨の中、沖電の春木さんを呼んでのゴルフ。一ランドプ
		レイ。
  二十一日  九時二十五分、準急で上京。東京駅より電車で熱海へ。途中横浜の汽
		車弁が旨かった。伊豆山の熱海ホテルでセーラー万年筆の総会に出席。
		一泊。
  二十二日  熱海に一泊してから東京へ出て、内田洋行へ寄った。桑山課長等と昼
		食に一杯やった。二時二十分準急で帰る。
  二十三日  お彼岸で安子と子供を連れ墓参。
  二十八日  給料日。問屋の支払い。金繰りが大変になってきた。
十月四日    八時九分の準急で上京。ネコス、国際観光ホテルへ寄った。セーラー
		万年筆の旅行会の打ち合わせ。ビールを飲んでデパートを見て、丸善
		キカイ部。七時三十分の列車で帰高。
  十四日   藤塚の玉枝さんの結婚式。三鷹のキリスト教大学に出る。披露宴会、
		大学の講堂で行われ、新郎は日興証券社員。七時三十八分の列車で
		帰高。
  十八日   二中の洋一、授業参観。英語の時間。洋一はテストで組の二番。
  十九日   パイロット万年筆の全国連合会が平塚工場へ集合。見学後、バスで熱
		海温泉の公会堂で総会がある。静観荘へ入り一泊。
  二十日   伊香保国際カントリーのメンバーが稲田代議士の世話で二十万円内で
		メンバーになれた。
  二十七日  熱海発九時七分、いでゆ号で東京へ。セーラー万年筆で旅行会の打ち
		合わせをした。四時、電車で帰高。高松荘での二中PTAの懇談会に
		出る。
十一月一〜五日 関東セーラー会の旅行会の参加。東京発六時二十分発の特急みづほ号
		で出発。大阪を見て、四国へ行ったり、宮島を見たりする。呉へ行っ
		た。住んでいた所をみた。
   十二日  三井物産の小池氏がみえたので、伊香保国際でゴルフのプレイを楽し
		む。
   十四日  前橋の水道会館でやっているビジネスショーへ義理で出る。経済懇話
		会の当番で日銀支店長、湯川氏を迎えて、会員も沢山来てよかった。
   十五日  健次の七五三祝い、これで全部終わった。       
   二十四日 信沢輝男さんの結婚式が高崎神社であった。
十二月三日   広瀬幸平さんの長女の結婚式で高崎神社へ。ムコさんは太陽誘電のな
		かなかよい青年だ。
   八日   十一時四十六分、急行で上京。大森の内田洋行へ。有文堂もみえてい
		ろいろ打ち合わせをして、九時四十二分発の夜行列車で大阪へ。
   九日   大阪駅へ八時四十二分到着。有料トイレでゆっくり休憩してゼネラル
		共栄会へ出席。
   十四日  八時九分、準急で上京。一生堂、岩出産業、理研光学の代理店会へ。
		オリンピックレストランでのパーティーに出て、七時三十八分、
		列車で帰高。


コピー時代の幕開け

昭和三十七年  

一月五日    湯浅氏を連れて渋川方面年始。群馬化学他。午後は荻野氏を連れて碓
		氷方面。東邦亜鉛、信越化学。
  六日    倉賀野、新町方面。湯浅氏のブルーバードで本庄を経由、明星電気。
  十二日   自動車の免許試験、ダメ。二時三十分、準急上京。法令様式の販売。
		契約をすませて兼松事務機へ寄って、六時十七分、列車で帰る。
  十五日   五時四十二分、列車で上京。熱海静観荘へ。パイロット万年筆の関東
		地区の総会に出る。会議終了後、六時三十分、芸者入りの宴会。一泊。
  二十一日  本多千恵子さんの結婚式に出席。そのあとモーニングに着替えて片山
		喜美江さんの結婚式、高崎神社。披露宴、相当呑む。
  二十五日  労音主催の芦野宏のシャンソンリサイタル、音楽センター。安子と洋
		一と三人で出かける。
二月十四日   十時三十五分、列車で上京。アカギネ商会の石塚氏と一緒に熱川温泉。
		月販チェーンのカメラヤ関係の会議に出席。一泊。
  十七日   八時九分、準急、上京。文具の見本市会場を一回りした。そのあと浅
		草橋の共和会館での文化堂の見本市へ出て、二時三十分、列車で帰る。
  二十一日  関根の昌枝さん、結納の日。相手は米国帰りの医学博士、粉川氏。
  二十四日  自動車教習所、前橋へ通う。
三月一日    昌枝さんと一緒に自動車教習所へ。
  六日    自動車教習所へ通う。
  七〜十二日 前橋の自動車教習所へ通う。十五日、十六日も。
  十七日   自動車普通免許、合格の日。
  二十二日  お彼岸なので、安子と健次をつれて墓参する。
        昌枝さんを連れ、日赤病院へ母の明日からの入院手続きをする。
四月八日    店は忙しい。万年筆、ノート、筆入など。お客様、遂に千二百名。万
		年筆も百本以上売れた。洋一、美枝子も手伝う。
  十日    母が日赤病院を退院するので、ブルーバードとサンバーを用意。十分
		元気になって安心。
  十一日   待望のパブリカが到着する。
  十四日   自動車の普通免許証の交付で、警察へとりに行く。よかった。
  二十日   八時九分、準急で上京。ネコス、理研光学、内田洋行。八時、列車で
		帰る。
五月十二日   税務署の法人係の人が調査にくる。半日で又明日くる。
  十五日   税務署が昨日に引続き。リコピーの仕入、販売の数量を調査して大変
		だ。
  十七日   八時九分、準急で上京。ネコス、内田洋行、理研光学の二十五周年記
		念。市村社長もみえて、池田首相が来て祝辞あり。湯河原温泉の清光閣
		へ泊まる。
  十八日   理研沼津工場見学。世界一と自負するオートメーション工場を見て、
		バスで東京まで出て、十時すぎ帰宅する。
  二十三日  八時九分、準急で上京。土岐君夫妻と一緒になった。ネコス代理店総
		会。東急ホテルへ。東日本全部集まって、昼食をとり、車でビジネス会
		場を一回り。新製品を見てから、赤坂のホテルオークラへ。洋食の夕食。
		一泊する。
  二十五日  パイロット、奥様会なので、安子、健次と姉が出席。
六月七日    八時七分、快速で宇都宮へ。理研特約店会議。有文堂へ寄り、昼頃宇
		都宮ゴルフ場で三人で1R。雨中、陽南荘。
  二十三日  八時、準急で上京。東京商工会議館で全文連の創立総会があり、これ
		に参加。小家氏が会長になる。六時三分、東京発で帰る。
七月一日    二時より安子を連れて音楽センターへ。藤原歌劇団の蝶々夫人のオペ
		ラを見る。砂原美智子の歌が素晴らしかった。
  七日    午前中ゴルフをやった。渋川駅二時七分、水上へ三菱鉛筆のユニーク
		会総会に出席。挨拶をさせられたり、表彰を受ける。懇親会飲み過ぎ。
		一泊。
  十一日   八時九分、準急で上京。熱海金城館。全国のゼネラル共栄会。日帰り。
  十七日   八時九分、準急で上京。北関東セーラー会。理事会。銀座の東急ホテ
		ル。昼食宴会で、三時七分、軽井沢号で帰る。
  二十三日  母と政弘さんと軽井沢へ。
八月三日    近くの丸新の火事で一時大さわぎだった。
  十二日   早朝パブリカで安子と子供を連れて軽井沢へ。母もすっかり元気で何
		より。
  十三日   九時三十六分、列車で上京。理研光学の新製品の発表会。リコピー五
		百。
  十六日   政弘さんと美智子さんとSYの落合氏と軽井沢へプレイ。終って中軽
		井沢のうちへ。母の料理で満腹。帰る。少しゴルフ狂い。
  二十日   二時三十二分 列車で上京。トンボの石川氏と共に巨人大洋のナイタ
		ーをみてから九時三十三分、列車で帰る。
  二十六日  五時四十八分、列車で上京。セーラー会の全国連合会。小田原まで出
		て、宮ノ下の富士屋ホテルで会議。そのあと倉本先生の講演を聞いて
		一泊。
九月三日    軽井沢を引き揚げる。
  五日    国鉄スワローズの金田正一投手、三振奪取三五〇九の世界新記録。
  二十五日  政弘君と一緒にプリンスで出発。伊勢崎、太田、桐生で用事をすませ
		て、一路那須温泉へ。足利、佐野、宇都宮を経由。運転を途中交代して
		那須ビューホテルの最上の部屋で一泊。中島セーラー社長と落ち合い、
		いろいろ話す。
  二十六日  早く起き那須ゴルフ場に一・五ラウンドプレイする。二時より北関東
		セーラー会がビューホテルに出席。開閉会挨拶。
  二十七日  早く起きてセーラーの中島社長と二人だけで那須ゴルフ場で1Rプレ
		イ。不調だった。プリンスに富田商会、近江屋も乗せて政弘君の運転で
		帰宅。
  二十九日  富士写真光機、国産電子複写機を完成。コピー時代の幕開けとなる。

 世の中はコピー時代に突入した。この流れに乗り遅れてはならじと、青写真複写機や
マイクロ写真撮影などを扱った。県内の業者として初めてのことだった。さらに事務機
卸販売から計算機の代理店と広げていったのだった。

十月十一日   雨のなかゴルフをやった。木暮旅館(伊香保)でトンボホモ会の結成。
		五十名くらいで会長を仰せつかる。
  十二日   高崎南RC。家族親睦会があるので、安子を連れて。奥様方は二十名。
		少林山の普茶料理。トンボの石川氏とアカギネ商会の石塚氏と連日酒を
		飲み帰宅。
  十七日   五時八分、列車で正林堂、桃井堂と一緒に平塚へ。パイロットウキワ
		会連合会に出席。工場見学後総会をする。終わってバスで熱海静観荘で
		宴会。一泊。
  二十七日  群銀から庶務部を通じ、コピー九台の注文をもらう。
十一月二日   七時、列車で上京。浅草橋、一生堂、そのあと晴海埠頭の自動車ショ
		ーを見る。そのあとネコス打ち合わせ。そのあと理研の代理店会。オリ
		ンピックレストラン出席。六時列車で帰る。
   十一日  休日になったので、母と安子と健次をプリンスに乗せて、大間々の菊、
		ながめ遊園地でよい菊を見る。
   十九日  高崎南ロータリークラブのチャーターナイト(認証状伝達式)が音楽
		センターで行われる。バス四台で観音山観光。そのあと懇親会。
   二十一日 群馬ビジネスショーを開催。随分人が来てくれて、千五百冊の手帳が
		足りなかった。クイックコピー、マイクロ、カシオ、人気あり。終わっ
		てからフクヤで内田洋行、大多和社長と大気堂社長と一杯飲む。
   二十二日 湯浅君の結婚式に招待され出席。護国神社で挨拶。そのあとビジネス
		ショー会場へ。四時三十分 終了してメーカーの方に音楽センターで一
		杯出す。
十二月二日   八時、準急で上京。熱海へ。岩出産業のクラブ会の招待。一泊。
   三日   富士機械へ佐田氏を訪ねる。二十五年前に中島飛行機(東京・荻窪)
		で働いた人で、山水会館で昼食をとりながら話をする。その時は常務に
		なっていた。

高崎卸商社街協同組合

昭和三十八年 

一月二日    初売り出し。一日中よく売れた。万年筆、アルバム、トランプ等々。
		アルバイト四人含めて、二十人以上、お客様七百名。万年筆、シャープ
		ペン百本以上。夜は店の新年会。
  八日    写真組合の新年会が前橋の山水会館であったので参加して、帰りに中
		島時代、現富士機械の常務宅を訪ねた。御馳走になりまた話がはずんで
		楽しかった。
  九日    資材事務所より呼び出しがあったので、須藤氏を連れて出張。物品購
		入の話。
  十四日   八時、準急で上京。丸善を見てから東京八重洲口の国際観光ホテルへ
		集合。パイロットの関東地区のウキワ会総会があった。終わってから洋
		食の夕食会をすませて早く帰る。
  十九日   魚仲で高中三十四回のクラス会に出席。
  二十八日  高崎卸商社街協同組合設立総会で監査役となる。そのあと組合の宴会
。 
 高崎市の郊外に卸売商社の団地を造成することになり、組合が結成された。その後全
国各地に同じ様な問屋団地が誕生したが、高崎はその第一号であった。さすがに古くか
ら「お江戸見たけりゃ高崎田町」とうたわれた商都だけのことはある。後にそんな評価
が集まったものだった。

二月一日    プリンスで母と政弘君と三人で、一路熱海へ。地図を見たりして、な
		かなか大変だったが、何とか五時間半かかって熱海グランドホテルへ。
		一生堂の招待見本市なので少し買って、六時半より宴会で一泊。
  二日    朝風呂へ入って、プリンスで出発。梅園を見て、植物園も見て、活魚
		を食べたがなかなか旨かった。大磯で焼めしを食べ、小田原でかまぼこ
		など土産を沢山買った。七時か八時頃帰宅。
  五日    卸商社街組合第一回理事会に出席。その後浜尻の土地を見る。広いと
		ころだ。
  十五日   八時九分、準急で上京。本日は武蔵商会へ一寸寄ってから、上野精養
		軒へ。内田洋行の友の会で大人数集まり、午後は総会をする。大阪支社
		のストの話もあり東京観光ホテル一泊。
  二十三日  八時九分、準急で上京。全文連の役員会が熱海ガーデンで行われた。
  二十四日  熱海よりいでゆ号で東京へ。四時からの三菱協力会の総会に出て、品
		川プリンスホテルでパーティーをやった。七時十五分、帰る。
  二十八日  洋一が高々のすべり止めの群馬高専へ見事受かった。大喜び。十六、
		七倍だった。夕食は祝膳で皆喜ぶ。
三月二日    二中へ洋一の高専合格の挨拶に行く。
  四日    柴山氏と一緒に沖縄旅行。郡銀の東京支店集合で、羽田発十三時、ダ
		グラスDC74発のプロペラ機で、十七時沖縄那覇空港着。バンド入り
		の歓迎を受けた。記念撮影。
        バスは右側通行、日光という旅館は落ち着いていた。一流料亭「なは
		」で宴会。泡盛、ビール、日本酒、美人の酌で相当呑み、柴山氏と同室
		で一泊。
  五日    ロータリアン九名、メーキャップ。観光ひめゆりの塔。タクシー十五
		セントと安い。群馬の塔も見る。
  二十日   十時二十五分 準急で上京。熱海へ全国ゼネラル共栄会に出席。熱海
		ガーデンへ六時より会議。テキパキ司会。一泊。
  二十一日  熱海五時起きして、十一時三十分で帰り、パイロットのパレードに参
		加。政弘君も一緒。夕方近くに終了して、田中屋で馬場さんを囲んで一
		杯やる。
  二十三日  洋一が高々にパスする。ほんとうに嬉しい。本命は高々だ。二中へ合
		格の挨拶に行く。
  三十一日  休日だったので店はよく売れ、万年筆百本以上。お客様も七百名近い。
		納品も凄く忙しい。
四月六日    洋一の入学式。付き添いに行く。中学と違い父親が多い。
  六日〜十日 店の方はとてもよく売れて忙しい。
  十九日   八時、準急で上京。十二時三十分、ネコス集合。関東地区の代理店会
		に出席。八時の電車で帰る。
  二十日   三時三十分より岡源で群馬ゼネラル共栄会の総会を開催。なかなか盛
		大で会長を仰せつかった。
  二十五日  八時九分、準急で上京。東京駅でパイロットウキワ会群馬の一行が平
		塚工場へ。昼食をとってから工場見学をして総会をやり、バスで熱海温
		泉、お馴染みの静観荘へ。七時より夕食で一泊。
  二十八日  オーナークラブのコンペに出席。マックスの山田社長の車でIKCC
		へ。四十三・五十一で五アンダーで優勝する。
五月九日    米の人間衛星、地球を二百数十周。無事着水成功する。
  十八日   群馬県トンボホモ会の役員会が宇喜代であり、会長がいないので挨拶
		してから議長をやり、五時半に終了。盛大な宴会をする。
  二十六日  安子と母をプリンスに乗せて高々の翠巒祭へ行く。洋一がいて色々説
		明をしてくれる。よく出来ているので驚いたり嬉しかった。
        この数カ月ゴルフ狂いで、週三回くらいやった。原研へ一生懸命通っ
		ている。
六月七日    八時、準急で上京。一生堂、新美氏と話す。そのあと西武デパートを
		見てから、七階の池袋RCへメーキャップする。そのあと新宿の厚生年
		金会館でリコーの新製品発表会へ出て、太田屋と一緒になり、前橋で一
		杯やって帰る。
  十五日   八時の準急で上京。一生堂、山三を回って熱海へ。金城館。東和タイ
		プライターの代理店会に出席。有文堂と一緒になって一泊。
  十六日   晴海のビジネスショーを見る。 
  二十八日  八高線で八王子の新装成ったセーラー八王子工場へ、中林さんと出か
		ける。セーラー万年筆の役員会をする。終了後新宿の聚楽へ。中華料理
		で会食をして参宮橋ホテルへ一泊。
  二十九日  七時頃坂田専務の迎え。車で武蔵カントリーへ。名門コースで一・五
		R回った。八高線で帰る。
七月十五日   洋一が盲腸炎を起こして大騒ぎ。真木病院で手術成功。
  十六日〜  洋一の入院付添、安子が行く。ガスが出たからもう大丈夫。数人の見
		舞客に
   十七日  接する。
  二十二日  洋一は退院してホッとする。カシオリレー計算機とリコピーの新製品
		発表会を中央公民館でするので忙しい。
  二十三日  洋一を連れて軽井沢へ。母に頼む。
八月十七日   八時十分、準急で上京。日本ファイリング、内田洋行、高千穂へ寄り、
		コモドアのコピーの話をする。一時までに品川駅前。東京観光ホテルで
		内田洋行のシステムの打ち合わせ会。一生堂へ寄ってから新美氏を連れ
		て帰る。
  二十日   藤田航空の八丈島遊覧飛行機が山にぶつかって十九名全員死亡。
  二十二日  十一時四十三分、列車で水上温泉へ。聚楽でトーホー研修会。十名で
		ちょうどよい。グループで関口さんがいた。内田洋行中村常務も出てき
		て、最後に荻野谷先生の討論式のディスカッションは有意義だった。
		七時より懇親会をやった。一泊。

  二十三日  朝食後、我々三人、関口、有文堂は関東リコー会があるので、高崎か
		ら急行に乗って上京。銀座のリコーへ。少し討論をやった。芝の八芳園
		で会議もやって、終了後夕食会をやった。七時に解散。
  二十五日  安子と健次を乗せて軽井沢へ。母は関根義兄が来るのでうちに居て、
		安子と健次を乗せて旧軽へ少し買物をして、昼は関根兄も含めて皆で一
		杯飲みながら、賑やかになった。少し休んで、四時三十分出発。帰る。
  二十七日  六時に熊谷の馬場商事一行と南軽のゴルフ場へ。好調で、四十八、五
		十二、五十一。すんでからうちの山荘へ一同寄ってもらい、母の御馳走
		で一杯飲み美味しかった。少し休んで五時に帰る。
九月四日    母が軽井沢を引き揚げるので、政弘君と湯浅君が迎えに行く。朝のう
		ち原子力研究所の青図が忙しい。待望のグロリアの新車を入れる。
  十三日   ゴルフ、多すぎる。
  十四日   社員一同、早く出勤してもらい、大体片づけて、十時の美山観光バス
		に乗って、熊谷、八王子を廻って、一路箱根芦ノ湖までドライブ。五時
		三十分近く。武蔵別館へ到着。一風呂浴びて六時半より夕食にする。
		あとで麻雀、ピンポン、テレビ、二次会。
  十五日   翌日は自由行動でお土産を買ったり、ボートに乗ったり。十時にバス
		で一番よいコース、十国峠をドライブ。一路、小田原海岸通りをドライ
		ブして、藤沢バイパス。七時十分帰宅。
  二十四日  原子力研究所の前に出張所を作るため長谷川氏宅へ。給料や条件を決
		め、水原先生にお願いして家を作る事にする。三時三十分、列車で上京。
		石塚氏と一緒に樽酒を飲んでから、後楽園、巨人国鉄のナイターをみて、
		十一時三十分帰る。
		九月にゴルフ九回。
十月六日    文具組合の旅行日で、七時、バスで一路軽井沢へ。横川で朝食をとり、
		鬼押し出しで休憩、見物して、川原湯温泉の山木館へ到着。ゆっくり休
		んで風呂に入ってから一行と分かれて、座席指定の列車で東京へ。
		ホテルニュージャパンの三菱鉛筆のユニアピール招待記念会に出て一泊。
  七日    豪華なバスで二百数十名は横浜の三菱工場見学。昼食後、バスで熱海
		伊豆山のサガミヤホテル貸切。大宴会あり一泊。
  十四日   原研出張所が出来上がり、近所挨拶をやったり母にも見せて、水原先
		生もよんで祝酒をやる。
  十五日   安子が柳和子さんの結婚式で東京へ。泰文堂の結婚式。武雄さんの樽
		入れで一杯やる。
  十七日   十時、急行で上京。パイロット万年筆の全国ウキワ会。連合総会がホ
		テルニューオータニで行われる。六時三十分集合。
		翌日取手ゴルフ場でプレイする。
十一月七日   サントリーへ行った。山崎裕三君死亡。お気の毒だった。
   十日   九州の三池炭鉱で坑内爆発。死者四百数十名。鶴見駅附近で三重衝突
		で死者百六十八名。お気の毒だ。母と安子をプリンスで原研出張所をみ
		て、帰りに豊岡の鯉料理を食べて帰る。
   二十二日 ケネディ・米大統領、テキサス州ダラスで暗殺される。
   二十三日 コモドアの複写機の勉強会。
十二月八日   プロレスラー力道山、暴力団員に刺され、十五日に死亡。

海外旅行の始まり

昭和三十九年 

一月十一日   卸商社街協同組合理事会。資金委員になる。
  十三日   暖冬異変。五月頃の気温。雨が降りスキー、スケートダメ。
  二十日   寒波襲来。
  三十一日  原研納品開始。
二月二十四日  原研の本部の方、業者代表。三名で打ち合わせ会議。
  二十七日  富士航空機、大分空港で着陸に失敗、墜落。二十名死亡。
  二十九日  原研の実験台の作業につき丸二家具を見て回り、順調なので安心。
三月十九日   万年筆が八十本売れた。高校入試の発表の日。
  二十六日  原研の工事、忙しい。
  二十九日  百本以上万年筆売れた。
  三十日   原研高崎研究所、開所式の日。表彰されて一生懸命やった甲斐あり。
		また原研入金、四百数十万円あり。

 原子力研究所も大切な営業先だったが、その近くに川魚専門の料理屋があった。そこ
の料理を食べるのが楽しみで、ひたすら研究所に通ったのも懐かしい思い出だ。

四月一日    この二、三日の売り上げ、入出金は開店以来の好調だろう。
  二日    連日、二十万円の売り上げあり。
  三日    専売公社の人と接し交流を深める。
  七日    細矢氏の結婚式。高崎神社。
  十二日   店先よく売れる。
  十六日   新潟。ロータリークラブ地区大会。
五月十六日   原研の新しい課長が来たので高橋さん等と協力会の幹事が魚仲へ呼ば
		れて打ち合せをする。
  十七日〜  税務調査。
   十九日
  二十八日  兼松とコンテックス会打ち合わせ。
六月八日    原研出張所、青写真を焼く。
  十六日   地震、新潟大被害。
七月三日    ロータリークラブ、第一回月例会幹事。
  二十四日  ガバナー公式訪問。吉野ガバナー。
八月一日    計算機コンテックス技術講習会。
  十四日   旧軽で天皇が皇太子時代、プリンスを運転しているのに会う。
  二十二日  社員一同で旅行の壮行会、グリーンホール専務設営。三十名。
  二十七日  欧米旅行説明会。 トラベラーズチェックを千七百ドル。キャッシュ
		を五百ドル。安子の心づくしの鯛の尾頭で無事を祈る。

 業界の仲間と海外旅行に行き始めたのも、この頃からのこと。ハワイからアメリカ西
海岸へ、そして東海岸、大西洋を渡ってヨーロッパへ。海外へ行くなどというと、家族
は鯛の尾頭付きで無事を祈り、周囲の者は餞別を持ってくるような時代であった。

 戦時中は南方戦線に赴いた私だけに、海外経験はあるものの、戦に向かうのと、平和
な世の中での旅行ではまったく違う。そんな、初めての「海外旅行」は一カ月もの行程
であった。当時海外旅行など一般的ではなかった時代だから、友人達からはずいぶんう
らやましがられた。

 その後、海外旅行を年に三、四回のペースで続け、百を超える国々を訪問した。単な
る観光旅行ではなく、地元ロータリークラブをはじめ、様々な人と交流を深めてきたこ
とは、自分自身にとっても貴重な財産だ。記念写真を納めたアルバムが何冊になったこ
とだろう。我ながらよく行ったものだと思う。

  二十八日  羽田発一路ハワイへ(九月二十六日まで)。欧米事務機マーケティン
		グ視察団。
九月二十七〜  ロータリー三五五地区年次大会。安子と共に。
  二十九日
十月一日    東京・大阪四時間の東海道新幹線開業。
  十日    東京オリンピック開会式。天気良好。
  十一日   武夫君の結婚式。
  二十九日  藤五デパート開店。
十一月八日   パラリンピック(国際身体障害者スポーツ大会)東京大会開幕。
十二月九日   問屋町アサヒ商会の土地の位置が決まる。
   十八日  群馬リコー会、設立準備。










 売り上げの新記録
         (昭和四十年〜四十九年)


問屋団地に進出

昭和四十年 

一月二十四日  関東リコー会臨時総会。市村社長出席。
  二十六日  ホテルニューオータニで兼松事務機の計算機の会議。東日本ブロック
コンテストで敢闘賞をもらう。
二月二日    豊田屋でゼミ同友会合。
  十二日   美枝子、東京家政学院高校合格。
五月二十七日  キリンビール落成式。
六月十九日   アサヒ商会社員旅行。善光寺、湯田中温泉。
  二十五日  高崎南RC、幹事終了。ダイヤ入りのバッジをもらう。
七月二十三日  松山病院でのどの手術をしてもらう。
八月十日    内田洋行の55セール、目標達成。東急ホテル。
九月一日    トンボの連中と麻雀。
十月十一日〜  内田洋行55セールでアジア視察団旅行。台湾、シンガポール、香港、
マカオ。
  二十二日  帰りのノースウエスト、七時間遅れて出迎えの人々に申し訳なかった
。
十一月五日   問屋団地、第一号進出。
   十一日  上信電鉄の依頼で浜松へ。河合楽器常務で同級生の樋口君を訪ねる。


昭和四十一年 

一月九日    問屋町地鎮祭。
  十一日   問屋町、書類提出。
  十三日   長谷川肉屋、告別式。
  十四日   上信電機、天田氏に錦山荘に招待された。河合楽器へ前橋の土地を斡
旋成功。
  二十日   柳川町の中心に大火あり。十数軒焼ける。バーなど。
  二十一日  問屋町建築資金。三百万円。群銀北支店より井上工業へ支払う。
  二十二日  パイロットコンペで熊谷の関口氏の紹介で、昔熊谷時代に世話になっ
た紫藤みよ子さんに会う。二十六年振り。感激。
  二十四日  関東リコー会結成記念、北海道へ。YS11。気圧が低くよくゆれて、
千歳空港後丘珠空港へ。市村社長一緒。
二月四日    全日空ボーイング727型機、羽田沖墜落。百三十三名全員死亡。
  十日    兼松事務機、代理店会議出席。ホテルニューオータニ。
  十一日〜  三和商会の台湾旅行。
   十七日
  二十日   群馬コクヨの招待で水上聚楽。
三月四日    カナダ太平洋航空DC8型機墜落。六十四名死亡。羽田空港で濃霧中
着陸に失敗。
  五日    英国海外航空(BOAC)ボーイング707型機が富士山麓墜落。十
二四名全員死亡。航空機事故が多すぎる。
  六日    高中三十四回、魚仲で同窓会。
  六日    洋一、東大第一次試験合格。
  十一日   水上温泉ホテル、二軒焼けて死亡、三十一名焼死。
  十二日   問屋団地、第二回目の資金三百万円。井上工業支払い。
  十九日   墓参り、帰りに母に問屋町を見せる。
  二十一日  洋一、東大入りダメ。一浪となる。
  三十一日  小林経理士から本島経理事務所に変わる。
五月六日    トーホー研究会。有文堂と共に長野へ。見学後、戸倉温泉笹屋ホテル
。翌日ゴルフ。
  十四日   問屋団地の落成式。新店舗。市長、助役、会議所小山会頭、小野里県
議、原氏、水原徳言先生出席。メーカーの応援で事務機ショーをする。パーティー式お
祝い。寿司屋も出る。
 四十一年に高崎に問屋町が造成された。私はいち早く進出を決めた。進出企業第一号
だった。
 当時は田んぼが広がる殺風景な所だった。しかし、車社会が進むだろうし、町の中心
街での営業には限界があるだろうと思っていた。進出当時は営業本部としての位置づけ
であったが、足の便の良さを武器に、後に店頭販売部門やコンピュータールームも備え
ることになる。
 広い店舗と、豊富な商品、何より広い駐車場。この条件は現代社会では必須条件だ。
事実その後三十年の歳月が流れ、高崎の問屋町は広大な町となり、農村だった面影など
どこにもないほどの発展を遂げたのだった。
 問屋専門団地整備は高崎が全国にさきがけて進めたものだ。そこの第一号ということ
は、全国で一番ということになる。それはアサヒ商会の歴史にとっても特筆すべき事柄
なのである。

  十九日   キヤノン代理店会で伊豆山の桃李境。翌日大箱根カントリーで御手洗
社長とゴルフ。
  二十八日  相生町大火。武井家トンボ鉛筆見舞う。馬場家具焼ける。 
六月十四日〜  群馬コクヨの招待旅行の会で大阪工場見学。今里工場。深井工場。八
尾工場。
   十五日  オートメーション採用。大津琵琶湖ホテル。京都を見物して帰る。
七月四日    政府、新東京国際空港の建設地を千葉県成田市三里塚地区に決定。
  十日    内田洋行友の会総会。熱海大観荘。
  十一日   西熱海ゴルフ場でプレイ。四十一、四十五。有文堂と一緒。
  二十四日〜 トンボモノ、ホモ会ミーティング、招待旅行。長崎、九州一周。別府
温泉。
   二十六日
八月三日    ゼブラ招待旅行。安子、美枝子、健次。
  七日    軽井沢へ母と子供三人乗せて、鰻弁慶。
  一八日   内田洋行の久田社長と宇都宮ゴルフ場(有文堂)。
        北京天安門広場で紅衛兵が文化大革命勝利祝賀の百万人集会開催。
  二十一日〜 39会一行十名。問屋町店を見てもらう。伊香保木暮旅館。六名で伊
香保カ
   二十二日 ントリーでゴルフ。
九月六日    キヤノン代理店会議。本社。
  十七日   東京地区のトンボホモ会。ミカドであり、オブザーバーとして出席。
ところが有隣堂が欠席なので、代役で舞台で原稿を見て挨拶をさせられる。
  二十五日  二十六号台風が高崎を通過して、被害甚大。浸水、停電。
十一月十二日  アサヒ商会慰安旅行。バス、鬼怒川温泉。芸者三人。
   十三日  全日空YS11型機、松山空港沖で墜落。五十名全員死亡。
   十七日〜 三菱鉛筆八十周年記念招待会。芝のプリンスホテル。洋一一緒。二次
会は兼
    十八日 松の加戸氏と飲み、翌日は皇居を見て、六時から藤山一郎、村田英雄
の大パーティー
十二月四日   群馬コンテックス会、特別招待会。水上聚楽、十二名。
   十五日  ニュー岡源落成式。
   十八日  小山長四郎氏の藍授褒章のお祝い。ニュー岡源。


洋一が大学生に

昭和四十二年 

一月二十八日  トーホー研究会友の会。東天紅。
二月八日    東日本コンテックス会、表彰式。日本一の栄冠。ホテルニューオータ
ニ。代理洋一。
  二十一日  トーホー研究会。久田社長と有志でゴルフ。熊谷ゴルフ場。関口さん
の世話役で、スキヤキの川上で夕食。
  十五日   洋一、慶応大学の文学部へパス。上機嫌。
  十六日   中林勝利さんに洋一の慶応大学合格でいろいろ話を聞く。
四月六日    洋一の慶応大学の入学式に参加。
        小池氏のところへ嬉しい挨拶。兼松事務機へ寄った。銀座の天ぷら屋
で一杯。
  十五日   東京都知事選、美濃部亮吉氏当選。革新都政の誕生。
五月五日    政弘さんの仲人を引き受ける。
  七日    トーホー研究会。宇都宮へ集合。鬼怒川温泉へ。
  二十一日  政弘さん結婚式。安子と一緒に仲人。教会。ニュー岡源。
  二十五日  キヤノン代理店会議。下丸子と多摩川工場見る。横浜ドリームランド
の中にあるエンパイヤホテル泊。
  二十六日  翌日保土ヶ谷名門クラブでプレイ。伊豆長岡の三養荘泊。
  二十七日  品川の高輪プリンスホテル。リコーのB5―1の表彰式。洋一も来て
一緒に晴海のビジネスショーを見る。
  二十八日  柳川町大火。清水文具、類焼する。パイロットウキワ会より、七百万
円出る。
六月九日    都丸氏と前橋病院で診療をしてもらう(渡辺先生)。
  二十四日〜 トンボモノホモ会。羽田JAL727、札幌千歳空港まで。グランド
ホテル。
   二十六日
七月十七日   セーラー万年筆、全国連合会。那須ビューホテル。
  二十日   三井物産の小池氏、来高。嬉しくて駅まで送る。
  二十五日  国光(株)、落成祝いに出席。
九月二日    寺西工場見学(三九会)。関西汽船の一等洋室で、四国高松へ四国見
物。
  四日    松山―大阪―羽田YS11。帰宅。
十月二日    プラチナ会、バス二台で晴山ホテル(軽井沢)。
  四日〜七日 内田ゼミトップグループ、静岡へ。日本平観光ホテル。太平氏講演。
  十二日   内田友の会ブロック会。十名。岡源。
  十五日   トンボホモ会。甲府の湯村温泉。
  十七日   丸善の代理店会。タイムレコーダー、五万四千円高いようだ。
  十八日   ミニの女王・ツィッギー来日。この年、ミニスカート大流行。
  二十日   吉田茂元首相没。
  三十一日  吉田元首相首相の国葬。武道館。
十一月二日   高々七十周年記念祝典。
   三日   卸商社街の落成。祝賀会。モーニング着用。
   九日   下仁田鍋谷平吉氏の長女の嫁入りのお茶呼び。
   十一日  三和商会の新築落成式。
   十二日  トーホー研究会。静岡例会。
   二十三日 ゼブラ会。七十周年招待会。帝国ホテル。
   二十六日 群馬コンテックス会を伊香保轟ホテル。十四名招待。
   二十八日 八時の列車、上京。電子機械センター委員と丸正という大きな問屋が
使っている電算室を見学する。岩出へ寄る。
十二月二日   荻野氏に仕事を任せて細矢君と一緒にマツダの新車発表会を見る。
        十一時に納品業者、二十名集まって新町自衛隊へ。
        ソフトボールの親善試合をする。昔の軍隊時代を思い出す。大敗して
、ヤシマ機器の車で伊香保へ。ビジネス協会の忘年会をする。
   三日   須藤氏の家の隣から出火。大分水をかぶったので見舞いをした。馬場
商事に連絡して、ウキワ会より型通りの見舞金が出る。
   十一日  商業界ゼミ同友会の忘年会を榛名湖畔レークホテルでする。
        英・仏共同製作の超音速旅客機「コンコルド」一号機完成。
   十二日  十時、急行で上京。上野文化会館で山三エコールの役員会。
        三時三十分、急行で帰る。
   十五日  RCで中曽根康弘氏の話を聞く。
   十九日  中古のコロナ買う。



二十数年ぶりの大雪

昭和四十三年 

一月一日    元旦、上天気。
        母、七十一歳。元気。
        洋一、大学生。
        美枝子、今年大学。
        健次、六歳。
        太郎、五十一歳。
        安子、四十四歳。
        六人で目出度い元旦を雑煮、おとそと御馳走。
        連雀町の新年会。
  五日    三時、店前。中央ビル地鎮祭。
二月三日    東日本コンテックス会。熱海のホテルサガミヤ。翌日ゴルフ。
  十六日   大雪で三十五センチ積もった。二十数年振りの大雪。
  十六日   高崎南RC例会。小林芳雄の経歴、紹介をする。
  十八日   美枝子、家政学院大学短大の入学。
  二十一日  裏の唐沢紙店、倒産。
  二十四日  産業会舘見本市。リコービルで市村社長の講演会。
  二十七日  日盛商事、セイコータイムレコーダーの販売依頼。
        キヤノンの松井社長が来る。
        新前橋駅まで送る。
四月十二日   内田洋行、森本部長来社。
  二十六日  トヨタからクラウンを入れる。
  二十七日  霞ヶ関ビル完成。三十六H東京会館、シルバールームでキヤノン事務
機販売の全国代表者会議がある。荒川がいないので、洋一、出席。御手洗会長共に。洋
食のフルコース。問屋町センターで川口さんと一緒の監査役。
五月五日    故富士雄君の三十三回忌。
  七日    パイロットの田中副社長、松本支社長、馬場、関口、常盤とともに湯
本のいわきカントリーでプレイ。
        湯本温泉、古滝旅館一泊。
  八日    湯本旅館で一泊後、急行一等車で仙台へ。
        トーホー研究会。仙台市内は立派。松島観光ホテル一泊。松島巡り、
天下の名勝見物後、仙台ゴルフ場でプレイ。
  十六日   北海道、東北大地震あり。
  二十四日  晴海ビジネスショー。
六月四日    シャチハタGS会。都ホテル集合。京都、平等院などを見て。表彰式
。
  十九日   全国プラチナ会。上野精養軒。宿泊ニューオークラ。
七月三日    洋一、太平洋大学。晴海埠頭から出帆。見送る。
  五〜七日  三和の北海道招待旅行。荻野氏同道。
  十四日   内田友の会。パレスホテル。藤原弘達先生の話。
  十八日   セーラー全国連合会。箱根湯本温泉。
八月六日    洋一、太平洋大学、マルガリータ号、無事帰ってくる。
  二十四日  アサヒ商会社員旅行。三十四名、志賀高原方面。
九月一日    藤塚で法事あり。
  二十日   セーラー万年筆、北関東セーラー会。河口湖ホテル。
十月一日〜三日 トーホー研究会。一等寝台で秋田へ。那波さんの世話で観光。男鹿半
島。
  五日〜七日 39会。長崎、石丸さん。諏訪神社。日本三大祭、おくんち。
  十一日   上野寛永寺でプラチナ中田社長告別式。
  十四日〜  内田ゼミ、浜松グランドホテル。
   十六日
  十七日   パイロット全国ウキワ会、全国連合会、ホテルニューオータニ。
        川端康成氏にノーベル文学賞。
  二十四日  中央スーパー、スカイビル店、開店。
十一月十一日  三菱鉛筆、藤岡工場。落成式出席。
   十七日  三菱鉛筆の招待会。京都。安子、奥様会。
   十九日  太田クラブ堂の店舗落成式。
十二月二日   寄合町の中央銀座で大火あり。三好食堂焼ける。
   十日   東京府中方面で三億円強奪事件。五十年に時効成立。
   十五日  群馬コンテックス会。伊香保森秋旅館。
   二十日  浦野さんの父の葬式に出る。
   二十四日 米宇宙船「アポロ8号」、月周回軌道に乗り、初めて月面をテレビ中
継。

群馬キヤノン会

昭和四十四年  

一月九日    八時五分、急行で上京。モリイチを見学。
        東京プリンスホテルでソニーの名刺交換会へ出て、井深社長、盛田副
社長の話を聞く。感激する。そのあと、クスダ、内田洋行、服部時計店を回った。五時
の鈍行で帰る。
  十日    十時二十五分、急行で上京。清水、小板橋さんを連れて、ホテルニュ
ージャパン。パイロットの関東地区総会に出る。和田社長、田中副社長の言葉を聞いて
、ホテルニュージャパン、一人部屋一泊。
  十一日   秋葉原のYKKビルでの山三エコールの見本市をちょっと見て、一時
三十分の特急で帰る。
  三十日   磯部茂富氏の葬儀。
二月十五日   十時七分、特急で上京。産業会館の見本市へ。会場出て内田洋行の六
本木の瀬里奈で、内田友の会とトーホー研究会の役員会をしてから、カニ料理夕食。帝
国ホテルで一泊。
  十六日   六時四十八分、上野発の列車で帰高。中央小学校での健次との父親学
級。文栄社の告別式。錦山荘で高中三十四回同窓会。
三月二十二日  群馬キヤノン会を岡源で。よく出来た。
  三十一日  支払いも沢山あり、入金も多く、少し楽になった様な気がする。
四月六日    団地から女子四名を呼んだ。常務も大いに張り切った。五百六十名の
お客で売上げ二十二万円。
  十一日   洋一が太平洋大学へ出かけるので、トロの刺身で一杯やる。
  十七日   朝おきたら、何と雪が十センチもある。四、五日前は三十度近くの夏
日となった。扇風機、冷房だと騒いだのに、本日はストーブを持ち出すさわぎだ。
  十九日   母と堤さんを乗せて足利の福田へ。母が堤家と福田家の結納の役をす
るわけだ。昼食を御馳走になった。工場を一寸見せてもらい、帰宅し、堤家で夕食を御
馳走になった。
五月九日    国鉄運賃平均一四%値上げ。グリーン車も登場。
  十日    特急で上京。熱海静観荘のパイロット万年筆群馬ウキワ会出席。
  二十日   警察署で十六年無事故表彰を受ける。
  二十六日  東名高速道路全線開通。
  二十七日  「アポロ10号」無事帰還。月上陸も間近でアメリカの技術は大したも
のだ。
六月八日    39会で名古屋から近鉄の特急でお伊勢参りをする。
七月二十日   米の「アポロ11号」月着陸。いろいろ船外活動を開始。テレビで放映
。全人類初の快挙。
  二十七日  故中曽根松五郎翁の葬儀に出席。
  三十日   極東提供の夕食。長峰館へ一泊。
  三十一日  欧米ソ商業視察団に参加。広瀬、トミタ、三和、中田屋。羽田より、
八時出発。ソ連のアエロフロートジェット機。モスクワ、十八時。ウクライナホテル。

八月一日    モスクワ市内観光。
  二日    コペンハーゲン市内視察。
  三日    コペンハーゲン。
  四、五日  ベルリン。東、西。
  六日    チェコ、プラハ。
  七、八日  ローマ。
  九日    バスでナポリ、ポンペイ、ソレント。
  十日    カプリ島、ローマ。
  十一日   ジュネーブ、ロレックス買う。モンブラン。
  十二日   ロンドン(十三日まで)。
  十四日   パリ(十五日まで)。
  十六日   JAL、ニューヨーク。キヤノンUSA。加藤氏出迎え。
  十七日   ニューヨーク、メッツ、プロ野球。キヤノンUSA招待。
  十八日   フェニックス。
        第五一回全国高校野球選手権大会決勝、松山商と三沢高が延長十八回
で史上初の引き分け。翌日の再試合で松山商が優勝。
  十九日   グランドキャニオン。ラスベガス。
  二十日   ロスアンゼルス。キヤノンUSA。山本氏。ハリウッド事務機店。セ
ンチュリーホテル。RC。メーキャップ。
  二十一日  十一時、ロスよりJAL。十六時五十分、ホノルル。カイマナビーチ
ホテル。お別れパーティー。
  二十二日  ホノルル視察。
  二十四日  JAL71便。二十五日振りの羽田。洋一の運転で十九時四十分帰宅
。
九月十一日   十時四十七分、特急、上京。ホテルニューオータニ。リコーの電子複
写機の全国販売コンテストの表彰式に出席。高橋圭三、余興。十八時五十分で帰る。
十月六日〜   九時十九分、上京。東京発新幹線で小田原。タクシー。大磯ロングビ
ーチで、
   八日   本日より三日間、内田、トップゼミ。
  十五日   十時二十分、急行で上京。ホテルニュージャパン。コクヨのジュリー
メンバーズ関東地区大会。一泊。
  十六日   洋一の下宿先、田園調布へ。立派な家の離れを借りている。洋一と一
緒に伊東屋を見た。
  二十七日  プラチナ万年筆故中田社長の一周忌で、ホテルオークラ。
十一月八日   問屋町二周年記念式典に出席。そのあと十二時五十七分、特急で上京
。新幹線で熱海の起雲閣へ。欧米ソ視察団の想い出の会に出席。八ミリを見たりして、
一人部屋で一泊。
   十二日  上野の東天紅で北関東リコー会の発会式。初代の会長を仰せつかる。
   十八日  熱海富士屋ホテルのネコスの代理店会に出席。


キヤノーラで日本一

昭和四十五年 

一月八日    キヤノン岡田課長がみえて、キヤノーラのキャンペーンで日本一と決
まった。嬉しかった。
 キヤノンの計算機の販売で全国一位になった。
 当時の計算機は大きなものだった。今のように手帳サイズ、名刺サイズの物になるな
どとは想像もできなかった。しかし、画期的な機械であり、「これは飛躍的に普及する
だろう」と社員一丸となって努力した。その成果が日本一につながったのだった。

  十日    六時三十七分、上京。明治記念館。九時よりリコーの賀詞新年会に出
る。明治神宮を参拝して、バスで椿山荘へ。終わって二時三十分、急行で帰る。
  十一日   十二時二十九分の急行で上京。ニュージャパンでパイロット万年筆の
関東地区ウキワ会に出る。六時より懇親会。八時、列車で帰る。
  二十四日  関根兄の専務昇格のお祝い挨拶。
三月十三日   シャチハタGの会。都ホテル一泊。
  十五日   大阪万博開場式。
四月二日    日航機、乗っ取られ金浦飛行場へ着陸。百人くらい乗客。三日にやっ
と解放。
  五、六日  店売りがよく売れた。
  十一日   八時七分、アカギで上京。十時、新幹線で大阪より有馬グランドホテ
ルへ。東京タイプの全国代理店会へ出席。一泊。
  十二日   万博見物。
  十五日   十二時四十二分、サブ店販売店連れて、帝国ホテルのキヤノンポケッ
ト計算機の新製品発表会に出る。世界一の計算機発表会。素晴らしい。感激だ。パーテ
ィー後、六時五十分、帰る。
  二十六日  八時九分、上京。ホテルオークラでの堤家と福田家の結婚式に出席。
盛大だった。三時五分、特急で帰宅。
  三十日   伊藤君入社。名物男。
五月三日    川上医院落成式。粉川、中野、関根兄、母も出て、有田群栄化学社長
も出席。
  九日    山三エコールの開店披露。百名くらい来た。モギ店も出て、予想通り
、紀文ずしに出張。大役は無事終了。
  十二日   井上君の結婚式のお祝い。堀口女史の車で出かける。
  二十三日  九時十八分、急行で上京。バスで鉄鋼会館へ。北関東リコー会の研修
会で百名くらい集まり、会議終了後、晴海のビジネスショーを見て、一時三十分で帰る
。
  三十一日  ペルー北部でM七・七の大地震。死者七万一〇〇〇人余。
六月二十五日  洋一は慶応大学院へパス。
  二十七日  十二時二十六分、急行で上京。上野精養軒で山三エコール事務機のチ
エンの総会あり。役員となり取締役となる。
  二十九日  八時九分、急行で上京。第一ホテルへコンテックス計算機の代理店会
に出席。二時三十五分、急行で帰る。
七月十一日   アサヒ商会の社員旅行。安房鴨川方面。
  二十三日  九時十七分、急行で上京。浜松町の世界貿易センター三十九階のキャ
ノーラ会の会合に出席。十一時より二十社くらい集まった。昼食をはさんで四時頃まで
会議をする。生井さんも出席。群馬キヤノンビジネスマシンズKK、設立準備。四時、
急行で帰る。
  二十六日  浦野さんのご主人が脳溢血で死亡する。九時四十五分。母が軽井沢へ
行くため、松本女史、洋一と新しいおばさん、和田一行が送る。
  二十八日  トーホー研究会、浦和の関口事務機。有文堂も参加。長瀞養生館会議
で熊谷の川上でスキヤキ。
八月二日    法令様式の群馬総会。伊香保福一。
        東京銀座などで歩行者天国実施。
  七日    九時五十五分、列車で上京。キヤノンの岡田氏を呼ぶ。昼食を共にし
てから、モノレールで羽田へ。有文堂も一緒。YS11で秋田へ。39会の連中と一緒に
なり池醒亭で一泊する。
  八日    秋田に初めての訪問をした。秋田キヤノンを訪問して、朝礼を見せて
もらい、九時二十六分発の秋田発「いなほ」特急で帰る。帰ってからプラチナ会の役員
会に出席。
  九日    母の居る軽井沢へ。いろいろ話し込んで、昼食は手料理で満腹。夕食
もまた御馳走で満腹。一泊する。軽井沢は寒いくらいだ。
  十四日   九時十九分、上京。東京駅発一時十分、新幹線で小田原駅経由キヤノ
ンの全国理事会に出席。いろいろ議題が多く、五時三十分までかんづめで会議。仙石原
温泉ホテル。夕食、一泊。足を痛めた。
九月十一日   八時九分、急行で上京。こだまで小田原。内田トップゼミへ参加。箱
根仙石原の花月園へ。一人部屋で一泊。
  十六日   十二時二十九分、急行で上京。岩出産業の新築祝に出席。中西、宮下
、清水氏と一緒。また熊谷の関口氏も一緒。
  二十日   山三エコールの見本市へ。安子を連れて、九時十九分、アカギで上京
。大丸のゴルフバーゲンへ寄ってから、見本市会場で二百万円近く仕入れをした。山三
心づくしの、ホリデイオンアイスを見るため、後楽園へ。八時、急行で帰る。
  二十一日  母と美枝子を乗せて長伝寺へ墓参に行く。
十一月十五日  キヤノーラ会。バスで碓氷峠を通り湯田中へ。四時三十分。到着。山
本館へ着いて、表彰式をする。
   十六日  湯田中、十時五十八分。座席指定車で十二時五十八分高崎駅到着。一
時半に伊香保福一へ。セーラー万年筆群馬ブロック会。九時、タクシーで帰宅。
   二十五日 九時十九分、アカギで上京。目黒の雅叙園へネコスの代理店会。三島
由紀夫が防衛庁切り込み、自殺する。
十二月二十一日 賞与二・五月分。


美枝子の結婚

昭和四十六年 

一月二日    初売りはよくうれて、概略二十四万円くらい。
  九日    店を閉めてから、安子との銀婚式をした。シャンパンで乾杯して一家
団欒。
  十一日   十二時二十九分、急行で上京。ヒルトンホテルでのオールキヤノンの
集まり。知人が多く楽しい会話がある。御手洗社長の挨拶、上利君(同級生)もいて楽
しく話をした。四時五十分、急行で帰る。生井さんも一緒。
  十五日   成人の日。小売部、アルバム、万年筆、よく売れて二十万。
  二十六日  本島さん、経理をみてもらうようになる。
二月七日    高中三十四回の同窓会を魚仲でする。二十名以上出席。田島正平さん
、やってくれるらしい。
  十日    「アポロ14号」は無事、月面着陸して任を果たした。無事地球に帰る
。科学の発達に驚異。テレビカメラ放送は全く驚いた。
  二十五日  十時二十七分、急行で上京。モノレールで羽田へ。岩出の大島招待旅
行。フレンドシップ号で大島空港へ。小桶園ホテル。三十年振りの大島だ。一泊。
三月九日    小林家の結婚式の仲人。高崎神社。魚仲で披露宴。
  十一日   十二時五十七分、ときで上京。岩出産業の紹介で日本勧業銀行。横山
町支店へ行った。小板橋勲さんの人格を詳しく尋ねる。三時三十七分、帰宅。
三月十四日   美枝子、小板橋勲さんと見合い。品田の奥さんの案内で水沢うどんか
ら榛名湖。
  二十一日  三十万円売り上げ。
  二十八日  四十万円。
四月三日    本家の八十四歳のおばあさんの告別式。
  六日    二万四千円のプラチナ。一万五千円のパイロット万年筆が売れる。
  二十七日  佐藤寿雄氏の葬儀。臼田・堤氏と一緒。
五月十一日〜  香港、シンガポール、バリ島、ジャカルタ、オーストラリア、シドニ
ーRC
   二十一日 世界大会。
 美枝子と小板橋氏の結婚式の十日前に、ロータリーの関係でバリ、ジャカルタ旅行。
大切な娘の晴れ舞台の直前によく行ったものだと思う。

  三十日   美枝子結婚式。(小板橋勲氏と)
          高崎神社。宇喜代料理。
六月一日    問屋町センター理事会。井上新理事長。午後、前橋の古久家で群馬コ
クヨゴルフ会を作る打ち合わせ。
  二十二日  群馬コクヨの初コンペ。1KC。四十八、四十四、キャロウエイHD
十五。
七月三日    アサヒ商会社員旅行。松島、仙台。
        北海道、函館付近で東亜航空YS11が墜落。六十八名死亡。
  六日    十時二十七分、急行で上京。帝国ホテル、内田友の会の総会に出席。
酒の佐々木氏の面白い話を聞き、そのあと草柳大蔵氏の話もよかった。泊まるわけだっ
たが、中止して八時、電車で帰宅。
  二十日   日本マクドナルド、一号店を銀座三越内に開店。
  二十一日〜 岩出産業招待韓国旅行。ソウル見物、見学。
   二十三日
  二十五日  クラウンで母の居る軽井沢山荘へ。旧軽方面、西武デパートを回って
親孝行をする。
  九日    二中PTA活動盛ん。
  三十日   大久保事件。八人の尊い命を奪った。史上最悪の人間だ。
        岩手県雫石町上空で全日空機と自衛隊のジェット機が衝突。全日空機
の乗客百六十二名が全員死亡。
八月一日    安子が極東ノートの招待で下呂温泉へ出かけた。
  六日    十時三十分、リコーへ。飯野、太田屋、所長、四人で一路那須へ。五
時間かかってロイヤルホテルへ入った。北関東リコー会をやり、一泊。
  七日    塩原ゴルフ場で、四十四、四十六、優勝する。
  十四日   安子を連れて長伝寺に墓参をする。お盆入り。
九月二日    五時より乗附の社宅のタテマエをする。
  七、八日  二中PTA、活動忙しい。暢神荘で八木、西村氏と打ち合わせ。
 PTAの会合というと暢神荘を使ってよく飲んだ。週に三回も行ったことがあった。
いやはやよく飲んだものだった。

  六日    トーホー研究会。福一で会議は司会は全部自分と忙しい。七時夕食会
。
  七日    トーホー研究会ゴルフ組と観光組に別れて、それぞれ行動をして暢神
荘へ集まって鮎の定食で昼食会。三時、全部終わる。
  十二日   誕生日。安子の心づくしの料理で、美枝子夫婦と一緒に一杯飲んで、
満五十四歳。
十月一日    二中PTA、先生五名呼んで暢神荘で八木、西村さんと三人で一杯や
る。暢神荘の借金を全部支払う。
  五〜八日  馬場商事招待香港旅行。
  九日    二中の先生、四人呼んで暢神荘で、八木、西村さんと一杯。無事帰国
祝だ。
  十一日   群馬コクヨの清水正太郎会長の告別式へ出る。
  二十三日  群馬県連の第二回通常総会。七十名集まった。音楽センター第二会議
室。パーティー。
  二十四日  二中PTA先生と、一行二十四名がバスで迦葉山の進学願いこめて、
祈願に出かける。四時頃帰った。暢神荘で下山祝いをやり、一杯飲んで帰る。
十一月二日   二中の先生、三名を呼んで暢神荘でナポレオン会。八木、西村夫人も
一緒。
   四日   リコーの表彰式と三十五周年記念が東急ホテルであり参加。中村メイ
子、高橋圭三、都はるみ、橋幸夫。
   八日   乗附の社宅、三棟完成。
   十三日  三菱鉛筆の八十五周年記念。帝国ホテル。千名以上。豪華版だった。
宮田アナウンサー司会で、橋幸夫。北島三郎。一泊。
   十七日  二中のPTA、中央地区懇談会。七十名集まって盛大だった。
   十日   内田洋行の本社落成祝。大平氏が来客にみえた。
十二月三日   トヨタ・クラウンの新車を入れる。
   九日   山三エコール、長谷川氏、大分片寄る。
   十三日  二中の校長、教頭、辻先生と暢神荘で打ち合せ。
   十八日  経済懇話会の二次会。暢神荘。西村、八木夫人。
   十九日  一ドル三百八円となる。
        伊香保、轟ホテルでアサヒ商会と、山三合同懇親会。一泊。


初孫誕生

昭和四十七年 

一月二十七日  キヤノン中山氏と高崎観音台ゴルフ場地鎮祭出席。
二月二日    一月二十四日にグアム島のジャングルで見つかった元陸軍軍曹・横井
庄一さんが帰国。
  三日    札幌オリンピック開会式。
  三日    健次、新島学園合格。
  十九日   浅間山荘事件。連合赤軍の五人が管理人の妻を人質に籠城。二十八日
に人質救出。五人逮捕。警官二人死亡。
  二十六日  内田洋行、久田会長葬儀。大阪。
三月二十一日  奈良県明日香村の高松塚古墳で極彩色の壁画発見。
  二十八日  初孫誕生。淳ちゃん。
 初孫ができた。長女美枝子と小板橋功氏の長男・淳ちゃんである。後に、しばらく私
の家に一緒に住んでいたこともある。優しい男の子である。

四月十二日   武井歯科医院、新築祝。
五月十五日   沖縄、日本本土に還る。
  二十八日  元二中PTA有志と迦葉山へお礼参り。
  二十九日  乗附の社宅完成。
六月十四日   日本航空DC8、インドで墜落。八十六人死亡。
  十六日   キャセイ航空機、ベトナム上空で墜落。七十一人死亡。前橋のプロパ
ン業者十七名即死。
七月五日    田中角栄、三角大福の決選投票で自民党総裁。
九月七日    ミュンヘンオリンピック。
十月十九日   コクヨ京都ジュリーメンバーの会。
  二十日   江原英二氏死亡。
  二十八日  日本シリーズ巨人優勝。
十一月八日   山三エコール、ハワイ旅行(十三日まで)。
   二十九日 日航機、モスクワで墜落。六十二人死亡。


オイルショック

昭和四十八年 

一月二十日   母、多野病院へ入院。
二月十日    母、退院。
  十七日   グアム旅行。エコール主催(十九日まで)。
  二十八日  寒波襲来。
三月二十五日  五十万円の売り上げあり。
四月一日    五十九万円、売り上げの新記録。
 問屋町の営業本部ビルでは現金店頭販売をしていたので、団地内の企業の人はもちろ
ん、周辺からも客が来てくれた。
「品揃えが豊富で、しかも安い。車で行くのにも、とても便利だ」
 そんな評判が立っていった。こちらは問屋だから、小売りはいけない。すべて業務用
の小口卸売り価格だったからにぎわうのも当然だ。
 中には、評判を聞きつけてずいぶん遠くから通ってくれた人もいたようだった。中心
街の連雀町の店と合わせてのことで、売り上げは飛躍的に伸びていった。

  二十日〜  内田洋行、欧州旅行(五月十五日まで)。ハノーバー、メッセ、コペ
ンハーゲン、パリ、ロンドン(小野家訪問)、アムステルダム。
五月二十日   全国連合会。関東東京合同ブロック会。
  二十六日  キヤノン会、韓国訪問ツアー招待会(二十八日まで)。
七月二十一日〜 日航ジャンボ、ハイジャック。ドバイからリビアで解放。
   二十四日
八月七日    高中三十四回同窓生。本田三郎告別式。
  十四日   サンコー、五十円万出した。書き替え料やっとメンバーになる。
九月七日    ナガシマビジネスショー。
  二十二日  山三エコール見本市。安子同道。浅草の素晴らしい野八ずし。長谷川
部長。帝国劇場。
  二十七日  ボンペット代理店契約。科防化学、消火器。
十月五日    三浦君入社。
  八日    キヤノンフェア。カラー複写機とA2コピー機。開発力立派。
  十七日〜  ぎっくり腰。苦しむ。
   十九日
  二十五日  オイルショック。国際石油資本五社、日本への原油供給約一〇%減を
通知。
  三十一日  尼崎市でトイレットペーパー買いだめパニック。 
十一月三日   マーキュリーホテル、神保さんの娘、結婚式。
   九日   安藤震四郎氏の葬儀。
   十九日  遠藤氏夫人葬儀。弔辞。
   二十一日 七十三年、アサヒビジネスマシンショー。
   二十五日 福田蔵相誕生。


売り上げの新記録

昭和四十九年 

二月二日    二人目の孫誕生。亮(りょう)。
三月九日    県表彰を受ける。
  十日    小野田寛郎元少尉、ルパング島で発見。三十数年間ジャングルにいた
。十二日帰国。
  二十一日  六十四万五千円。新記録。
 この当時、売り上げの新記録が連日続いた。一日六十万円、七十万円台の売り上げが
あったのである。ありがたいことだった。

  二十三日  プラス前橋新築完成祝。
  二十四日  五十万円。
  三十一日  七十五万円。新記録。
四月一日    五十六万円。
  十二日   交通ゼネスト(十三日まで)。
  三十日   入金一千万円以上あり。
五月十五日   東京都江東区豊洲にコンビニエンスストア第一号「セブンイレブン」
開店。
六月十五日   デイッパーダンアイス。十一万円。
  十六日   十四万円。
  十九日   税務調査(二十日まで)。
七月十三日   アサヒ商会慰安旅行。四十九名。北陸和倉温泉。
  二十一日  デイッバーダン、十万円。新記録。
        七月中よく呑んで、よく毛染め。
  二十六日〜 三和招待旅行。九州。大分、阿蘇、水前寺公園、長崎、福岡。
   二十八日
八月三日    安子誕生日。
  八〜十一日 永和、フィリピン、マニラツアー。ハプニングがあった。
十月三日    キヤノン複写機の岡田部長が来社。五名。
  十二日〜  文具組合の北陸旅行。金沢、昭和ノート、黒部峡トロッコ、宇奈月グ
ランド
   十五日  ホテル。加賀屋ホテル。
  十八日   コクヨ。ジュリーメンバーズ中央大会。天理市。
  二十二日  トーホー研究会。沖縄大会(二十五日まで)。
十一月四日   法令様式。伊豆長岡。三養荘。
   七日   東日本ネコス会。宇都宮。
   九日   群馬県連合会。伊勢崎。
   十日   渋川、高塚氏死亡。
   十四日  小池梯四郎氏来高(パレンバンの戦友)。暢神荘で飲む。
   十八日  フォード米大統領来日。
   二十六日 高崎南RC次期会長を受ける。
十二月五日   吉岡村役員。桐生同窓、高野清君、訪ねる。教育長。
   九日   三木内閣誕生。福田副総理。中曽根幹事長。
   二十二日 五十万円。アイス、十万円。










 キヤノンに命運を
         (昭和五十年〜五十九年)

洋一の結婚

昭和五十年 

一月二日    初売り。店、四十万円。アイス、七万円。
  十六日   山三エコール役員会。ダイヤモンドホテル。
        はとバスで東京夜の探訪。ミカドのショー。貿易会館三十六F、夜の
東京。
  二十二日  キヤノンNP全国販売店会議。高輪プリンスホテル。前田社長挨拶。
終わってからパーティー。帰高。
二月六日    故元住谷市長。市民葬。音楽センター。
  七日    十三時十分、特急で上京。経済連の九階で内田友の会役員会。
  二十三日  健次、学習院大学パス。
  二十三日  高中三十四回同窓会。暢神荘。恩師丸橋先生出席。
三月一日    ディッパーダンアイスクリームに中村雅俊という俳優が来て、お客が
多すぎて文句を言われる。
 アイスクリームの販売も取り扱った。ディッパーダンという銘柄のアイスクリームだ
が、これが飛ぶように売れた。このキャンペーンに、当時売り出し中だった俳優の中村
雅俊さんが店にきた。それはすごい騒ぎになって、店内がごった返した。一日に何百個
も売れたのだからすごいことだと思う。

  十一日   JOA京都例会。阪口で例会。舞妓入りの宴会で一泊。
  十二日   伏見桃山御陵を参拝。明治天皇の遺徳が偲ばれる。
  十六日   店、四十二万円。アイス、十万円。
  二十一日  店、五十三万五千円。
  二十三日  店、五十八万円。アイス、十万円。
  二十三日  故吉田菊男氏の七年忌。
  二十九日  店、七十万円。
  三十日   店、六十万円以上。アイス、十万円。
四月六日    蒋介石死亡。
  八日    健次、学習院大学入学式。
  十六日   アサヒ商会花見をカッパピアで。四十五名参加。
  十九日   群馬キヤノーラ会。台湾招待旅行。キヤノン台湾工場見学(二十一日
まで)。
  二十七日  市会議員選挙。
五月七日    エリザベス女王来日。
  九日    交通ゼネスト。
  二十四日  永和清友会、宇和島、四国旅行(二十六日まで)。
六月二日    群馬リコー販売KK、誕生。
  四日    プラチナ万年筆全国会長会議。パレスホテル。
  八日    ディッパーダンアイスクリーム、最高売上記録、十九・五万。
  十一日〜  JOAのメキシコツアー。アカプルコ、ノノアルコRC。チャルタッ
クRC
   二十日  をメーキャップ
七月二日    吉田竹夫氏告別式。
  四日    高崎南RC会長就任。第一回例会。
  五日    アサヒ商会社員旅行。軽井沢方面から水上温泉。四十名参加。
  二十二日  ボーナス、一・五月分。
八月三日    小野里仙平氏宅で洋一見合い。藤岡の県議、武市文成氏の娘、真理子
さん。
  十三日   お盆の入りで、安子を乗せて長伝寺へ墓参。
  十六日   高崎ふるさと祭で山車を引く。
九月六日    宇喜代茶寮へ。洋一、安子と三人で。竹市真理子さんの両親と一緒に
昼食。
  十二日   洋一の藤岡竹市家との樽入れ。
  十四日   美枝子夫婦、東京へ転勤。
  三十日   天皇・皇后両陛下、ご訪米出発。
十月十三日   コクヨジュリーメンバーズの会が京都グランドホテルで。
  十五日   ホテルオークラでパイロット万年筆の全国のウキワ会総会。
  二十日   ホテルオータニのシャチハタGS会に出席。一泊。翌日ゴルフ。
  二十三日  日生会館七FのNPキヤノンストアー会。昼食後、東京プリンスホテ
ルNPチャレンジャーコンテストの表彰式で第六位の成績だった。
  二十五日  永和清友会の旅行。京都へ。雄琴温泉。
  二十七日  JOA例会。宝塚の七福荘。二時より会議。全部松茸料理。松茸御飯
を三杯おかわり。
  二十八日  三田市の松茸山で松茸狩り。沢山とれて、スキヤキで食べて帰る。
十一月九日   東日本ネコス会。宇都宮から有文堂のBMWで飯坂温泉へ。花水旅館
は天皇、皇太子も泊まった由緒あるホテル。一泊。
   十日   洋一の結納。仲人、関根兄や政弘君等と内宴。
   二十一日 ガバナー公式訪問。
   二十三日 えびす講、六十万円以上。
   二十六日 公労協交通ゼネスト(十二月四日まで)。
十二月六日   洋一の結婚式。前橋ロイヤルホテル。二百人のお客様。知事、丸茂、
高橋参議院議員、片方善治先生、飯塚羚児先生、小山内宏先生、本島氏、名士多数集ま
った。大成功。
 洋一が結婚した。相手は藤岡市選出の県会議員・武市文成さんのお嬢さんの真理子さ
ん。前橋のロイヤルホテルで行なった結婚披露宴には二百人も招待した。広瀬家側はビ
ジネス上の招待者が多い。武市家側は政界関係のお客様が多く、県知事から国会議員、
県会議員まで。こんな両家の披露宴だけに、盛大なものだった。高崎でやりたかったが
、当時、二百人もの宴会ができる場所がなかったために、前橋にしたような気がする。


   九日   山三エコールオープン。
   十三日  アサヒ商会忘年会及び洋一、真理子さんのお茶よび会。カッパピア。
   十六日  母の御機嫌伺い。
   二十日  本日出す賞与の計算の手伝いをして支給する。
        高崎南RCのクリスマス家族会。盛大。会長を半年無事務め、ホッと
する。
   二十四日 洋一と真理子さんの新婚旅行出発とクリスマスイブを兼ねての夕食会
。小野里仙平さんも見えた。賑やか。ヨーロッパへ旅行。

母との別れ

昭和五十一年 

一月二日    初売り。店内、四十九万円。店外、三十万円、アイス、十万円。
  三日    店内、四十五万円。店外、十五万円。アイス、八万五千円。
  四日    店内、五十二万円。アイス、九万二千円。
        洋一夫婦、新婚旅行より帰り、一安心。安子の心づくしの新年祝宴を
やり、とても嬉しかったので杯を重ねる。
  六日    中林久方氏が急逝される。
  七日    中林精良堂の葬儀、弔辞を読む。
  十日    アサヒ商会の新年会。レストランみやま。
  十一日   洋一と真理子さんと一緒に藤岡の光徳寺へ新年の挨拶。帰って安子と
一緒に母を慰問する。
  十六日   九時二十八分、上京。最初に産業会館での山三エコール見本市を見て
から、パシフィックホテルへ。キヤノンNPコピーの全国代理店会議に出席。全国BB
コースで二位で表彰され、パーティーをして帰る。
  十七日   竹市父母が来て母のところへ挨拶をする。
二月五日    JOA例会。岡山、倉敷、大原美術館。
  六日    ロッキード事件表面化。二十四日に強制捜査始まる。
  十日    税務調査。
  十四日   母が井草病院に入院。二日で退院。
  十五日   高中三十四回の同窓会。魚仲。出席。
  十六日   ロッキード事件。国会で喚問。
  十七日   パイロット万年筆平塚工場見学後、バスで湯本吉沢へ。
  十九日   税務調査。
  二十日   内田洋行友の会。パレスホテル。
  二十三日  税務調査(二十四日まで)。
  二十六日  連日母のところへ見舞い、顔を出す。村田先生くる。
三月六日    群バスの萩原社長、死亡。十六日に葬儀。弔辞。
  八日    母の診療に村田先生がみえる。
  十四日   佐藤桂子さんの結婚式披露。政弘君と一緒に出る。
  十八日   安子を連れて長伝寺、彼岸墓参。
  二十一日  母の看病。風邪までひいて重体だ。
  二十二日  目黒よりバスで美枝子のアパートへ行く。
四月一日    母の看病。ボケてしまった。
  十一日   六十万円以上売り上げる。
  二十三日  アサヒ商会の花見。カッパピア。
五月十二日   下仁田平吉さんの長男、英男君の結婚式。
  二十日   母の様子がおかしいとの知らせに、大急ぎで帰宅。一寸苦しんでいる
ので、村田先生に注射してもらい、落ち着いた。
  二十四日  母、重態になる。肺炎をおこし、四十度高熱で大変だ。
  二十五日  母死亡。十時二十五分、八十歳の天寿を全うした。
 母は八十歳で他界した。最後まで気丈な母だった。その姿勢には、肉親ながら頭の下
がる思いであった。
 私が小学校三年の時に夫、つまり私の父親を亡くした苦労人。戦時中に製図機械の仕
入れ・販売の店を始めた。これがアサヒ商会の前身だった。
 なぜ、女性としては不向きな製図器などという固い商品を選んだかは定かではない。
なにかの機縁というほかにないだろう。
 人生の最後の最後まで元気だったことは、息子たる私にとって大きな誇りと言える。

  二十七日  亡母のお通夜。生花が二十以上。花輪、五十以上。
        十九時より母のいた部屋で焼香をして、八時に終了。お清め。
  二十八日  「麗光院心田鶴松遊枝寿照大姉」武内葬儀社。
        十一時より本葬。竹市文成氏の応援あり。会葬者も五百名以上。十二
時よりの焼香の時間は、ほとんど人切れもなく無事終了。寺屋すませて、四時より岡源
でお清め。七十名あまりで行い、大任を果たしたわけだ。ホッとする。
  三十日   関根兄夫婦と安子、四人で亡母の財産わけをする。四時間かかって、
無事遺産分けをした。
  三十一日  亡母の初七日忌法要。
六月二日    片岡氏の母堂が亡くなった。RC会長として、一万円包んで龍光寺ま
で焼香に行く。
  五〜九日  永和清友会旅行。長崎、石丸文行堂、グラバー邸。
  九日    プラチナ万年筆会長会議。大阪ロイヤルホテル。
  十日    ディッパーダンアイスクリーム、スズラン店オープン。
  十三日   浦野栄子女史の長女の結婚式に招かれて、高崎神社。
  十七日   JOA八丈ヶ島例会。
  二十四日  岩出産業の創立百周年記念祝賀会に出席。七、八百人が来てお祝い。
  二十五日  高崎南RCの本年度の会長の責任を果たして夜間例会で、一人一人に
お酌をして、お礼を申し上げる。
  二十七日  亡母の納骨。三十五日供養。
七月一日    第一回の詩吟会。ローズレストラン。
  三日    母の遺言で、市へ百万円+二十万円寄付。
  十二日   亡母の四十九日
  十五日   レストランローズ、詩吟会。
  二十日   セーラー万年筆、全国会長会。パレスホテル。
  二十一日  宇都宮へ。有文堂の鈴木社長の出迎えで日光へ。三九会に出席。
  二十二日  日光カントリークラブでゴルフ。中禅寺のプリンスホテル。三九会。
十五名集まる。会議。懇談会。一泊。
  二十四日  土用丑の日でうなぎを食べた。
  二十五日  清水一郎氏、知事選に当選。
  二十七日  ロッキード事件で田中元首相、逮捕。
  二十九日  市功労者表彰。詩吟の勉強。
八月一日〜九日 印度旅行へ出発。三和主催。八月七日に下痢。印度はこわい。
  十二日   ローズレストラン詩吟の会。
  十五日   ふるさと祭、二十台山車が出る。
九月一日    安子と姉を乗せて長伝寺へ。母の百日の供養。
  四日    アサヒ商会社員旅行。四十二名。上信バス。東北を観光。
        大谷観音、乃木神社、塩原温泉、こめやホテル。
  五日    東照宮、中禅寺湖、金精峠経由、帰る。
  七日    ソ連ミグ戦闘機、函館空港へ着陸。
  十七日   群馬プラス会。東山温泉。
  二十日   安子と姉を乗せて、長伝寺へお彼岸の墓参。
  二十二日  宮元町、土地六十七坪、買い入れ決定。内金支払、大陸不動産。
  二十四日  十六時、駅へ集合。詩吟会、東京との合同会で一路堂へ。
  二十八日  洋一、ペガサス米セミナー。
  三十日   キヤノンNPコンテスト、Cコース、全国一位。
十月七〜九日  山三エコール、グアム旅行。サイパン、ファーストクラス。
  十日    小室祐司君の仲人をする。群馬ロイヤルホテル。
  十三日   詩吟の稽古。ローズレストラン。
  十四日   内田洋行友の会、パレスホテル。
  十五日   パイロット全国ウキワ会総会。帝国ホテル。
  二十二日  キヤノンゴルフ大会。富士レイクサイドカントリー。一位。
  二十八日  群馬コクヨコンペ。四十五、四十七で優勝。
  二十九日  酒田市で大火。一七七四戸を焼失。
十一月八日   JOA例会。ニューオータニ山茶花荘へ。
   九日   西村節子さん、キヤノン入社決定。
 知人のお嬢さんである西村節子さんは気立てのいい女性で、キヤノンの社長秘書にと
請われたので、私が間に立って入社の運びとなった。彼女が
「一度社長応接室で広瀬さんにお茶を入れたいから、キヤノンにきてください」
 と言ってくれた時の笑顔をよく覚えている。でも体があまり丈夫でなかったので、間
もなく退社してしまった。残念なことだった。

   十六日  浅井氏に来てもらい、小室氏の件で打ち合わせ。
   十九日  山三エコール総会。成田ホリデイインホテルへ。千葉の関根奥さんと
話し合う。一泊。
   二十九日 洋一と真理子さんの長男誕生。私にとって初内孫だ。
   三十日  キヤノンNP複写機、全国コンテストCコース優勝。
十二月一日   クラウンで伊香保福一へ。クラブ樹林オープン。招待された。太田屋
と一泊。
   六日   初内孫は一成(かずしげ)と命名。
   九日   安子を乗せて藤岡ドライブ。光徳寺へ。竹市家、歳暮、真理子さんと
初孫の一成くん、見舞う。レストランローズ、詩吟の会おさらい。
   二十四日 福田赳夫氏が内閣総理大臣に。上州内閣誕生。
   二十五日 アサヒ商会忘年会。福一泊り。
   二十六日 午後、内孫一成君が藤岡のお母さんと真理子さん、洋一、そのあと、
小室裕夫婦が歳暮を持ってきた。
   二十七日 群馬キヤノン会の会合を船すしで開く。昼食後、二時間ほどですむ。
   二十八日 安子を乗せ、破魔弓やお祝いの品を積んで、クラウンで丸山団地へ。
一成君、喜んでいる。


安子との北欧旅行

昭和五十二年 

一月二日    店、四十四万円。外、十一万円。
  三日    四十万円。
  六日    レストランローズ、詩吟の稽古。これ以外に一月二十二日、二月十七
日、二十四日、四月二十一日、六月九日、十一月二十四日、十二月一日、十二月十五日
、十二月二十二日。
  八日    アサヒ商会新年会。カッパピア。バスが迎えに来る。五十四名。
  十五日   健次の成人式。スキヤキパーティー。赤飯。
  二十三日  玉翠会、初吟会。六名。東京女子会館の会場。百名、大人数で、一日
中詩吟を聞いたり、独吟も。五時よりパーティー。
  二十五日  事務器協同組合の初例会。あづま。十二名。
  二十六日  内田洋行の友の会。パレスホテル。昼食パーティー。ウチダ本社へ。
  三十一日  上大類診療所で胆嚢の検査をする。
二月一日    寒波襲来。零下七.二度。
  七日    パイロット群馬ウキワ会役員会。福一一泊。
  十七日   寒波、零下七度。寒い。
  二十日   高中。同窓会、新年会。二十五名。伊香保。木暮金太夫旅館。
  二十五日  京王プラザホテル。四十二階。山三エコール役員会。一泊。
  二十六日  文紙卸見本市に出席。帰りに淀橋カメラ見学。目黒よりバスで美枝子
の家へ。順も亮も大喜び。
三月十日    レストランローズ詩吟の稽古。二十四日も。
  十一日   ホテルオークラ。JOAの例会。北欧旅行の16ミリを見たり、西洋料
理のマナーの勉強。
  十五日   暢神荘で栗原小巻さんを囲む会に出席。なかなか美人だ。帰りに西村
さんの家でビールを一杯御馳走になり帰宅。
 栗原小巻さんは、思わず息を呑むような美しさだった。さすがに当代一の美人女優だ
った。

  十八日   安子と姉を乗せてお彼岸、長伝寺墓参り。
  二十一日  春分の日。よく売れてアイス二十万円以上。店五十三万円+九万二千
円。
  二十三日  宮元町の家の建築は東鉄工業にお願いすることに決定。
  二十七日  店売りが忙しい。五十五万円+六万円。昨年より悪い。
四月三日    安子を乗せて観音山の花見ドライブ。店の方は三十八万円+二十万円
。
  九日    国際ロータリー、三五五、三五六。連合国際大会。水戸。
  十日    店売り、忙しい。三十九万円+十六万円。アイス十三万円。
  二十一日  山三事務機、岩田専務奥さんの告別式。
  二十四日  内孫一成君の宮参りの日。
五月六日    成田市の三里塚で新東京国際空港公団、海港反対派の鉄塔二基を機動
隊五〇〇〇人を動員して未明に抜き打ち撤去。
  七日    アサヒ商会、花見の会。ミヤマで。五十名集まる。
  十二日   小林正一さんの藍綬褒賞の会へ。東京会館、出席。
  十三日   十三日の金曜日。仏滅。無事で何よりだった。
 十三日の金曜日というのは不吉なことの代名詞として、日本でも定着し始めていた。
 アメリカにそんな恐怖映画があったりしたから、子供たちもそんな言い方をよくして
いた。「無事でなにより」などと日記に書き残しているのだから、私も影響されていた
ようだ。

  十四日   群馬キヤノン会、台湾旅行(十六日まで)。
  十九日   シャチハタGS会。鹿児島。霧島、林田温泉。
  二十二日  亡父の五十年忌。亡母一年忌。亡弟の三十三年忌法事。板鼻の長伝寺
。三十八名集まった。法事の行事をやってもらう。お清めは暢神荘で昼食を出す。よい
供養ができた。
  二十三日  上大類診療所で診断。血圧一六八―九〇。よい。
  二十七日  永和清友会旅行。筑波学園都市。水戸。キング五十周年記念会。ホテ
ルオークラ。祝典。一泊。
  二十八日  晴海のビジネスショー見学。IBMPPC複写機。その他コンピュー
ター関係を見た。一時間半くらいで帰る。
六月一日    キヤノン販売の前田社長の葬儀。青山斎場で行われた。出席。
  十二日   樋口久子、日本人初の全米女子プロゴルフ優勝。
  十五日   プラチナ全国会長会議。名古屋で行われる。ホテルキャッスル。
  三十日   宮元町の自宅建設で、東鉄工業に契約金千六百三十万円。
七月七日    詩吟の稽古。この後八月二十五日、九月一、八、二十九日、十月十三
日、十一月三十日。
  十日    安子を乗せて長伝寺へ墓参。参議院選挙。
  十三日〜  JOA北欧旅行。安子も一緒。コペンハーゲン、ストックホルム、オ
スロ、
   二十五日 スタールハイム、ベルゲン、オスロ、アムステルダム。
 この旅行には安子も一緒に行った。若い頃はあんまり一緒には行かなかったが、この
頃から夫婦そろって旅に出るようになった。
 苦労をかけた妻に多少なりとも「罪滅ぼし」をしようかという心境になったのかもし
れない。風光明媚な北欧だけに、安子もずいぶんと喜んでくれた。その時の笑顔も忘れ
られない。

  二十八日  沼賀貢氏の奥さんの告別式。
八月三日    セーラー万年筆の全国会長会議。パレスホテル。
  四日    皇太子の運転の車と会う。軽井沢。
 軽井沢で皇太子殿下が運転する乗用車に出会った。車の運転練習でもしておられたの
だろうか。
 プリンスだけに、車もプリンスにお乗りになっていた。

  八日    宮元町自宅上棟式
  十四日   ふるさと祭。山車をひっぱる。
  三十一日  巨人軍、王貞治が世界記録タイの七五五号ホームランを打つ。
九月一日    上大類診療所、血圧一五〇―一〇〇とまあまあ。心電図異常なし。
  三日    王、世界記録となる七五六号ホームラン。五日に国民栄誉賞。
  十一日   キヤノン全国有力店会議。東京会館であり御手洗会長、滝川社長も挨
拶。御手洗会長の主催、晩餐会。
  十六日   JOA静岡例会。本日オープン新築の店鋪サトウさんは立派だ。
  十七日   アサヒ商会慰安旅行。河口湖で一泊。富士五合目。
  十八日   横田基地経由で帰高。天気に恵まれ大成功。
  二十七日  日航機、マレーシアで墜落。三十三人死亡。
  二十八日  日本赤軍がインド上空で日航機をハイジャック。
  二十九日  キヤノンNPコンテスト。Cコース優勝。
十月一〜五日  山三エコール、シンガポール旅行出発。
  三日    シンガポールよりパレンバン。通訳のシチブンを連れて、ガルーダー
空港のカウンターへ。ガイドはビザでは出来ないので、一人旅で、パママンバル経由で
パレンバンへ。運よく空港の税関員は日本語ができて親切。伊東氏を紹介してくれたが
、忙しいのでつきあえないが、運転手付きの車を借りた。昔懐かしい。三十三年前の第
二十二航空地区司令部、また当時の将校宿舎などが見られて、そのあと板垣氏と一緒に
サンジャホテルへ入り一休み。市長訪問。一泊。
 太平洋戦争で赴いたパレンバンには戦後何回も足を運んだ。日本陸軍落下傘部隊で名
を馳せたパレンバンだが、技術将校(中尉)だった私はいい部下に恵まれ、戦地ではあ
ったが人殺しとも無縁だった。現地人とも仲良くやっていたほどだ。
 それでも、この地の土を踏むたびに感慨にふける。最後に行った時には眼鏡を忘れて
きてしまった。思い出の地に、自分の愛用品があるのも悪くないことかと思って、ホテ
ルに問い合わせもしなかったが。

  四日    朝はコーヒーを頼んで、タクシーで空港へ。あまり変わってしまって
昔の面影がない。昔の兵舎跡を見て、昨日の税関員にお礼を言った。記念写真をとり、
一時間おくれのジェット機でシンガポールへ帰る。七時よりサヨナラパーティー。十一
時、日航機で日本に帰る。
  八日    タクシーで少林山へ。玉翠先生の詩吟の会に参加。独吟がうまくでき
た。般若湯に普茶料理で満腹。九時に帰る。
  十日    神保幸男氏の父上が亡くなったので告別式。そのあとお清め。
  十一日   帝国ホテルでの東京北RCへ。メーキャップ。そのあと全国文具小売
組合の十五周年記念式典祝会に出席。盛大だった。
  十二日   ホテルオークラでパイロット全国会長会議に出席。
  十三日   上大類診療所で血圧を測る。一四六―九六とよかったと一安心。
  十九日   内田友の会総会。パレスホテル。
  二十日   東日本キヤノン会ゴルフ大会。大宮まで馬場社長の車で送って貰う。
  二十三日  文具組合の運動会。塚沢小学校、三百名集まって盛大。戦友小串君が
来高。昔話をして面白かった。
  二十六日  山三エコール役員会。東京事務機器協同組合、TOMDAの会長。地
区代表。オカモトヤであり。
  二十八日  コクヨジュリーメンバーズ大会。
        洋一と荒川を連れて、品川のパシフィックホテルのキヤノン事務機の
表彰式。三回も壇上に上がる。
  三十日   鼻高町の国峰春二叔父、亡くなった。
十一月三日   山三政木社長の長男、結婚式。名古屋観光ホテル。
   六日   群馬キヤノン会、優勝記念祝賀会。老神温泉。太陽ホテルで。
   二十日  えびす講。外売り、五十四万円。店内、四十二万円。アイス、二十四
万円。大入袋を出す。
   二十二日 キヤノン優勝記念。忘年会を兼ねて伊香保、福一。
   二十七日 鼻高の国峰さんの三十五日。納骨式。長伝寺。お清めに出る。一成君
のお誕生日。賑やか。
   二十八日 福田新内閣誕生。
十二月六日   JOA例会。熱海八芳園一泊。
   七日   JOAゴルフ会。昭和カントリー。三位。四十六、五十。
   九日   山三エコール役員会。高崎へ集合。二十数人、出迎え。東武飯店で昼
食をとり、歩いて高島屋からアサヒ商会へ寄って、アイスクリームを食べてもらい、山
三の問屋町を見て、アサヒ商会を見て、バスで一路伊香保、福一へ。すぐに会議をやっ
た。七時過ぎより宴会。皆よろこんでくれて、何より嬉しかった。
   二十二日 江原君と中之条高校へ出かけて、土木の先生と会った。ムトーとキヤ
ノンSX製図用具五百三十万円、売り込み成功。


英文雑誌に紹介

昭和五十三年 

一月九日    内田友の会幹事会。パレスホテル。
  十二日   レストランローズ、詩吟の練習。この後一月十九日、二月二十二日、
三月十三日、四月六、二十日。錦山荘五月十一、十八、二十三日、六月八、十五日、六
月二十二日。
  十七日   ホテルジャパンのロビーへ。小池梯四郎氏とパレンバン時代の話をす
る。
二月一日    永和見本市。伊香保グランドホテル。義理で顔を出す。
  七日    昭和町を貸す事に決定。六万円で二年間。
  十三日   前橋の飯野氏の通夜。
  二十四日  山三エコールの役員会。京王プラザホテル。能勢会長がおくれたので
、挨拶。司会までやらされた。中華料理の夕食会。一旦三十二階の部屋へ入ってから、
長谷川専務と里見、田中氏と一緒に三十五階で飲んで、一泊。
  二十七日  高工へ三十万円寄付をする。
三月一日    五人組を呼んで、宮元町の新築祝い。神保、桜井、本家、吉田、片岡
。
 五人組というのは、仲良くしていた悪友たちで、一緒に飲むことが多かった。体を悪
くしてしまった者もいるが、本当に気のおけない、肩の力を抜いてつき合える仲間なの
である。

  五日    ディッパーダン改装オープン。
        高中三十四回同窓会。伊香保。木暮金太夫。宴半ばで帰る。
  七日    キヤノン岡田部長がキヤノンの米人女性を連れて、二時間にわたりア
サヒ商会と群馬キヤノンについての取材。英文雑誌「キヤノンクロニイクル」に掲載す
るのだという。洋一、荒川も出て、昼食は群馬ロイヤルホテルの九Fで中華料理のフル
コース。三時頃、連雀町のディッパーダンアイスクリームを食べて、観音山を見て、駅
へ送り込む。
 翌月発行された「キヤノンクロニイクル」誌を見て驚いた。二ページにわたって、私
とアサヒ商会が紹介されているではないか。私や社屋の写真も載っている。アサヒ商会
の歴史から、なぜ私がキヤノンを選んだのかという理由、販売のための組織作りまでが
詳細につづられているのであった。
「アサヒ商会も、国際的企業になってきたか」
 そんな感慨にふけったものだった。
 
  八日    JOA例会。名古屋観光ホテル。一泊。
  十八日   お彼岸、墓参。安子、姉を連れて長伝寺へ。
  二十五日  原一雄氏の高橋元吉翁の文化賞受賞記念パーティー。岡源。
  二十六日  宮元町近所の挨拶廻りをする。安子と共に。
  二十八日  NOMDA発起人会。鈴木会長を迎えて九人で打ち合わせ。
四月二日    信沢輝男さんの長女の結婚式。高崎神社。披露宴で少々飲んで、近松
さんと信沢雄一さんを誘って、アイスを食べてしゃべる。
  六〜八日  税務調査。
  七日    キヤノンオフィスコンピューターの発表会出席。
  九日    日曜だったので、文具、六十五万、アイス、十四万。よく売れた。
  十三日   税務調査。四日目。五日目。
  十四日   喜美候部、片岡、梅山、桜井氏を呼んで新築祝いをする。
  二十九日  川上さんの葬儀に出席。
五月四日    キヤノン販売滝川社長来社。会議室で話をしてから、暢神荘へ。洋一
、荒川も一緒に昼食会をする。
  八日    アサヒ商会花見。カッパピア。マイクロバス出迎え。
  二十一日  亡母の三年忌。長伝寺。終わって暢神荘でお清め。二十名。
六月一日    全国プラチナ万年筆会長会議。ホテルニューオータニ。
  十七日   昨日焼けた大塚カラー、火事見舞い。
  二十八日  内田友の会の役員会。パレスホテルにて。
七月一〜十五日 三和ヨーロッパツアーに出発。十九名。
  十八日   セーラー万年筆全国会長会議。パレスホテル。
  十九日   ボーナスを出す。
  二十三日  中曽根康弘氏の二万円パーティー。前橋商工会議所。
八月四日    中南米旅行(二十二日まで)。
  二十五日  根岸電気の告別式。
  二十六日〜 アサヒ商会の社員旅行。勿来海水浴場。水戸昼食。五浦海岸。五浦観
光ホテ
   二十七日 ル宿泊。刺身の食べ放題。岡倉天心の墓。横山大観の記念館。あぶく
ま洞。
  三十日   王、八百号ホームラン。
九月二日    キヤノン計算機、本日は関東甲信越代理店会議。ロイヤルホテル。
  六日    マルチョウ倒産。
  十二日   安子、ハワイ旅行出発(十七日まで)。
  二十二日  お彼岸で安子を乗せて長伝寺墓参。
十月五日    永和清友会で奄美大島旅行。
  七日    群馬キヤノン会、熱海招待旅行。表彰式と宴会。
  十二日   山三エコール、香港旅行(十五日まで)。
  十六日   キヤノン事務機販売全国代理店会議。高輪プリンスホテル。全国ゴー
ルデンコース二位。
  十七日   グランドパレスホテルで内田友の会役員会。ニューオータニでパイロ
ット万年筆全国ウキワ会総会。
  二十二日  JOA例会。福山ニュー錦水国際ホテル一泊。
  二十三日〜 五時に東京駅で馬場社長のアウディに便乗させてもらって、一路キヤ
ノンゴ
   二十四日 ルフ大会に参加する。富士レイクサイドゴルフ場。一泊。翌日のスコ
アはメタメタ。四時のパーティー後、馬場社長から大宮で降りて、特急で帰る。
  二十五日  BS会総会。高崎駅前に集合して一行三十五人。アサヒ商会のディッ
パーダンアイスクリームをサービスしてよい気分。バスは草津温泉桜井旅館へ。昼食を
とって、志賀高原ルート。白根紅葉は素晴らしい。湯田中、水明館で一泊。
十一月三日   問屋町野球大会。Bクラス優勝。

高崎南ロータリークラブ

昭和五十四年 

一月十二日   パレスホテルで内田友の会の幹事会に出席。
  十三日   アサヒ商会の新年会。五十一名でレストランミヤマ。
  十五日   成人の日。NHK青年の主張、毎年見る。
  二十五日  日本法令。熱海大観荘で新年会。
二月六日    JOA鬼怒川例会。鬼怒川温泉ホテル。翌日は東照宮へ。何時も立派
な陽明門他。二時間くらい見物。鈴木ホテルで昼食。解散。
  十〜十七日 腰痛。
  二十六日  音楽センターで石田想吉翁の告別式。トヨタの稲川氏と二、三軒飲む
。
三月十六日   キヤノン計算機の関東甲信越静地区の会議が高輪プリンスホテル。
  十八日   お彼岸。安子を連れて長伝寺へ墓参。
  三十一日  安子、健次、TBSの「巨泉のクイズダービー」に出演。七時三十分
。
 全国放送の人気番組に安子と健次が出たのである。家族や親戚が大騒ぎとなったこと
も楽しい思い出だ。

四月一日    長伝寺で先祖供養の法事に出る。三十六万円+十三万円。
  五日    洋一と一緒にキヤノン取手工場へ工場見学。そのあとオフコンの全国
販売店会議に出席。
  八日    藤岡の竹市文成氏、県会議員辞任。
  二十二日  松沢睦氏、高崎市長選落選。梅山氏、市会議員当選。
  二十二日  鼻高の叔母さん、告別式。武井ナベヤ、宮元町へ寄った。
五月十一日   山三事務機香港旅行(十五日まで)。安子も一緒。マカオ。
  十八日   キヤノンNP有力販売店会議出席。新商品は優秀。
  二十四日  安子と姉を乗せて長伝寺へ。母の命日。
六月二日    アサヒ商会社員旅行。会津若松。四十五名。
  七日    プラチナ万年筆全国会長会議。翌日ゴルフ、優勝。
  二十四日  カーター米大統領来日。
  二十九日  高崎南ロータリークラブ会長として最後の例会。
 高崎南ロータリークラブの会長を退いた。就任以来いろいろ忙しかったがやりがいの
ある仕事であった。
 その後もロータリーの例会には欠席知らずの皆勤賞。各国のロータリークラブ訪問も
積極的に続けているのである。

七月二日    美枝子転勤。富山へ。
  三日    ユニーク会総会。横浜工場見学。熱海。
  十七日   セーラー万年筆全国会長会議。パレスホテル。
八月六日    JOA例会。仙台。
  十一日   ふるさと祭。山車を引いて町内から市内。
  十二日   ふるさと祭。山車を引いて町内から市内。
  十九日   藤塚の広瀬家、落成式。二階建て。大きい。いかにも本家だ。
  二十一日〜 サンスター文具。コマ劇場。百恵ちゃん祭。開演前に舞台へあがり、
紹介さ
   二十四日 れ、群馬県連の名前が出て嬉しかった。
九月六日    キヤノンオフコン全国代理店オーナーの会。御手洗会長の話。そのあ
と洋食のフルコース。乾杯を仰せつかる。
  三十日   エコールチェーン米国旅行(十月十三日まで)。DA空いていたので
、三人のところ、一人でOK。寝られた。ロスでキヤノン西金氏、キヤノン招待宴。日
本食。
十月一日    ロス見物。イーストマン。米国人家庭訪問。夜はキヤノン西金氏夕食
会。
  四日    シカゴへ。キヤノンの森川所長。NOPA見学。
  五日    バトルクリーク訪問。飛行機ダメ。車、四時間。
  六日    シカゴ終日、NOPA見学。
  七、八日  マイアミ、ディズニーワールド。
  九日    ニューヨーク。雪が降る。
  十一日   ボストン。
  十三日   帰国。健次の出迎え。タクシーで四時間。二万八千円。
  十七日   内田友の会総会に出席。昼食後、十三時より総会。そのあと講演、二
時間。夕食会。
  二十七日  韓国、朴大統領射殺。
十一月一〜三日 永和清友会の九州旅行。国東半島。仏の里。的山荘。城下カレイ。
   八日   JOA例会。浜松グランドホテル。一泊。山賀一郎氏急逝。
   十五日  米とイラン状勢、悪い。
   二十一日 上大類診療所。血圧一五〇―九六とまあまあだった。
   二十二日 本島会計と相談して、本年の決算利益、六千二百五十万円と昨年の三
・五倍。役員賞与、配当五十%。
十二月七日   コクヨジュリーメンバーズ大会北関東地区大会。東京店落成披露。群
馬県代表に紹介をもらい、懇親会。プリンスホテル。一泊。
   九日   キヤノン販売、百ポイント。百店会、浜松ホテル。御手洗会長も出席
。一泊。
   十五日  関口事務機、新築祝い。いそだや、でっかくオープン。アサヒ商会忘
年会。五十二名参加。伊香保関屋旅館。
   二十二日 五社連合忘年会。ゼブラ、ぺんてる、マックス、ヤマト、キング。


群馬キヤノン事務機販売

昭和五十五年 

一月二日    初売り。四十三万円+九万円。
  十日    内田友の会。パレスホテル。
  十二日   永和、共栄会、清友会、充満会、合同新年会。有賀さんに呼ばれて、
安子の病気の件で涙を出し、話をしてくれて感謝する。
  十四日   アサヒ商会新年会。カッパピア、五十七名。
二月十五日   安子、慶応病院へ入院。
 体調の不調を口にしていた安子が慶応病院に腎臓で入院。検査に次ぐ検査で入院が長
引き、結核の疑いもあるということで、結局四カ月も入院してしまった。安子も私も大
変だったが、最終的には異常なしとのことで、胸をなでおろした。

  十九日   慶応病院へ安子を見舞う。結構元気なので一安心。
  二十一日  JOA京都例会。東寺、葵亭で昼食。先斗町。嵐亭で一人部屋一泊。
  二十二日  台湾、西北RC訪問。日本アジア航空。
  二十三日  訪台二日目。バスで羅漢へ。我々の努力が実ってできた衛生室の落成
オープンセレモニー。副総理他、高官多数集まってテープカット。夜は西北RC。家族
会に招待され、賑やかな夕食会。
  二十四日  淡水ゴルフ場でプレイしてまた一泊。三泊。
  二十五日  桃園飛行場からEG202便で帰国。安子の入院先の慶応病院へ見舞
う。またまた検査、検査で大変らしい。
三月十一日   NOMDA群馬事務機器流通協会。設立の日。
  十三日   上大類診療所、診察。血圧一四七・八八と好調。スポーツプラザで運
動。
  二十日   お彼岸なので姉を同乗させ、長伝寺へ墓参。
  二十九日  昼は美枝子一家と一緒に昼食をとり、スポーツプラザで写真を撮る。
四月十二日   武井家消防葬。
  十九日   九時三十八分、特急で上京。慶応病院へ安子を見舞う。大分元気がよ
い。全文連総会に顔を出す。
  二十二日  群馬コクヨのコンペで優勝。五十、四十一。
  二十八日  アサヒ商会花見会。カッパピア。六十名。
  二十九日  吉田文子女史死去。
  三十日   葬儀。
五月三日    関根兄が会長をしている肥後玉翠さんの詩吟会が、群馬県民会館であ
るので出席。
  十二日   JOA例会。大阪。宝塚の松風閣へ。会議をやり夕食。一泊。
  二十日   富士文具、死亡。葬儀出席。
  二十二日  本日東日本キヤノン会コンテストで優勝。福島工場見学。(コピーラ
イト、マルイ、第一測器)同行。飯坂温泉へ一泊。
六月十二日   太平首相急死。
  二十二日  安子、慶応病院退院。四カ月もの入院生活となってしまった。
        衆議院と参議院の同日選挙の日。自民党圧勝。
  二十八日  アサヒ商会社員旅行。
七月三日    真木病院会長葬儀。
  四〜七日  永和清友会、北海道旅行。
  九日    群馬プラチナ会、温海温泉で総会。一泊。
  十四日   バトルクリーク一行来高。片中の英語の時間を見せて、十一時に市役
所。市長以下表敬訪問。観音山のロビーで昼食。松浦パン工場見学。
  十七日   JOAアラスカ旅行。前泊、東急ホテル、一泊。
  十八日〜  JL006便でアンカレッジ、マッキンレー国立公園観光。アンカレ
ッジ、
   二十三日 ゴルフプレイ。
  十九日   モスクワオリンピック開幕。前年のソ連軍のアフガニスタン侵攻に抗
議して、米・日・独など西側諸国がボイコット。
  二十六日  セーラー万年筆の全国会長会議。パレスホテル。
八月一〜三日  市制八十周年記念ふるさと祭。山車を引く。三日間。
  二十七日  福田一郎氏死去。翌日葬儀。
  三十日   安中の小板橋正次氏、亡くなる。
九月一日    小板橋正次氏葬儀、告別式。
  二日    プラチナ万年筆全国会長会議。ホテルオークラへ一泊。
  六日    山三エコール見本市。帝劇へ。近松夫婦を呼んでサービス。
  十二日   キヤノン百ポイント店会。伊東の川奈ホテル一泊。
  二十一日  藤塚広瀬、本家法事。
  二十五日  内田友の会総会。パレスホテル。
十月一日    群馬キヤノン事務機販売(株)総会
 計算機を扱い始めてキヤノンとのつきあいが始まった。キヤノンの技術力を高く評価
していた私は、アサヒ商会の名前よりもキヤノンの名前をもらった方が有効だと考え、
群馬キヤノンを設立した。
 特定企業に我が社の命運を預けることにもなったわけなので、社内には不安を指摘す
る声もあった。しかし、他社の二倍の研究スタッフを備えて、新商品を次々に開発する
キヤノンの技術力に惚れ込んで、将来を託したのだった。
 私の狙いにOAブームという追い風が吹いた結果、予想した以上に業績が伸びていっ
た。五十九年には、アサヒ商会が東京中小企業投資育成会社からの出資を受けられるよ
うになった。これは我が社の経営の安定にお墨付きがもらえたことだと思っている。

  六〜九日  エコール連合の韓国旅行。ソウル。慶州。古墳塚公園。
  十五日   パイロット万年筆全国会長会。サンシャインプリンスホテル。
        百恵さん、引退。
  十八日   第九回群馬県連総会。暢神荘。
  十九日   キヤノン事務機販売。浜松町プリンスホテル。全国代理店会議。
十一月十三日  JOA例会。熱海奥湯河原。海石榴(つばき)一泊。
   十六日  一成君、七五三祝。安子と高崎神社へお参りをしてから、美枝子一家
と合同祝賀会。
   二十二日 宮元町の自宅に泥棒が入った。被害は缶詰五個とバラ銭だけ。交番へ
届ける。
 自宅に泥棒に入られた。私たちの留守中に缶詰五個食べてバラ銭を持ち去るとは、け
ちな泥棒もいたものである。皆で呆れてしまった。もっとも被害がわずかだったから言
えるのではあるが。

十二月一日   山三事務機チェーン役員会。熱海大観荘一泊。
   八日   パイロット万年筆北関東ウキワ会役員会。タカラホテル。
   十四日  アサヒ商会三十五年、群馬キヤノン事務機設立。
   十九日  高崎南RC、クリスマス家族会。
   三十一日 三和商会、全焼する。



安子と俳句

昭和五十六年 

一月二日    初売り。三十四万円+十六万円。昨年より少なかった。
  九日    プラチナ万年筆より、一千万円の保険が三和に出る。
  十三日   キヤノン計算機。全国代理店役員会。ホテルニューオータニ。
  十七日   アサヒ商会と群馬キヤノン、合同新年会。カッパピア。
  二十五日  キヤノン百P店会、川奈ホテル。
二月七日    全国文具小売団体連合会の会長副会長会議。浅草の文具会舘。
  八日    高中三十四回の同窓会。魚仲で二十五名。先生二名。
  九〜十二日 台北、西北RC訪問。二十数名で成田空港より台湾へ。日月潭、淡水
ゴルフ。
  十七日   パイロット万年筆ウキワ会、群馬栃木合同ウキワ会を伊勢崎のパイロ
ット工場見学後、伊香保福一へ。積雪三十センチ。
  十九日   JOA例会。川奈ホテル。翌日ゴルフプレイ。
三月二十日   お彼岸なので、安子を連れて長伝寺、墓参。
  二十三日  健次発病する。
四月十五日   スペースシャトル・コロンビアが宇宙飛行をして無事帰還。地球を三
十五回まわる。
  十八日   アサヒグループ花見会。暢神荘。六十二名参加。
  二十四日  小山長四郎氏死去。
五月一日    藤塚の広瀬家の祖先の調べをやり、大分わかった。
  十二日   JOA例会。神戸ポートピアホテル。一泊。
  十五日〜  群馬キヤノン会台湾旅行。十七名参加。キャセイ航空、成田発。キャ
セイ航
   十七日  空で台北へ。迎えのバス。台中のキヤノン工場を見る。そのあと、キ
ヤノン接待で台中大飯店夕食。全国大飯店で一泊。
  二十六日  頼政神社のお祭り。
六月二日    シャチハタGS会。ホテルオークラ。
  十一日   梅雨入り。
  十六日   ぎっくり腰。
  十七日   柳こうさん死亡。葬儀。
  二十七日  美枝子の新築家屋完成。引越。
  三十日〜  アメリカ、バトルクリークへ出発。沼賀市長以下十八名。途中シカゴ
で乗り
  七月七日  換え。ノースウエスト。バトルクリークで多数の出迎えを受ける。ホ
リデイイン泊。
七月一日    姉妹クラブ。市長、市役所訪問。
  三日    ナイヤガラの滝、見物。ニューヨーク。
  八日    帰国。
  十一日   社員旅行。熱海温泉(十二日まで)。五十七名。
  十六日   健次、退院。
  二十日   セーラー全国互助会。パレスホテル。
  二十一日  キヤノンNP一〇〇ポイント店会。北海道。
  二十二日  札幌CC。ゴルフプレイ。JALで東京へ(二階席)。
  二十六日  健次の快気祝。
  二十七日  JOA。高山例会。会議二時間。翌日は山車会館。古川の町並みを見
て帰宅。
八月六日    安子、俳句の会。草津温泉で一泊旅行。
 安子は俳句に情熱を注いだ。村上占魚師の「みそさざい」同人として、熱心な作句活
動を続けていた。
「客観写生を踏まえた作句態度に主観をも加え、格調高い作品を生みだしていった」と
は俳句仲間の評である。多分にお世辞が入ってはいるだろうが、安子の熱意を理解して
くれての言葉だと思う。

  十日    BS会。椿山荘。
  十二日   軽井沢72ゴルフコースで関根夫婦と長谷川氏。
  十四日   安子と姉を乗せて長伝寺墓参。安中の新盆。
  三十日   安中の小板橋正次氏、一年忌。
九月十六日   内田友の会。パレスホテル。
  十七日   全国総連合正副会長会。新宿のセンチュリーハイアット。一泊。
  二十一日  BS会。長野。二日目、石和温泉。
  二十九日  全国文具事務用品団体総連合。東京駅ホテル。
十月二十一日  東日本キヤノン会表彰式。
十一月三日   バトルクリーク姉妹都市答礼使節団(六日まで)。
   十三日  群馬OAフェア(十五日まで)。
   十九日  JOA例会。台湾旅行(二十二日まで)。花蓮、淡水ゴルフ。
十二月十二日  北関東ウキワ会役員会。たからホテル。
   十九日  群馬キヤノン総会。前橋県民会館。
        アサヒ商会社員忘年会。カッパピア。伊香保観光ホテル一泊。

CDプレーヤー登場

昭和五十七年 

一月十一日   キヤノン計算機全国代理店会議。ホテルハイアット。
  二十三日  アサヒ商会新年会。七十四名。カッパピア。
二月四日    内田友の会幹事会。パレスホテル。
  七日    キヤノン一〇〇P店会。川奈ホテル。
  八日    ホテルニュージャパン火災。死者三十三名。
  九日    日航機、羽田空港着陸直前に墜落。二十四名死亡。
  十日    中田屋、横倉氏死亡。
  十三日   十日町雪まつり見物。高崎南RCメンバー、十名。一泊。
  十五日   エコールVC役員会。新宿の京王プラザ。一泊。
  二十五日  全国文具小売団体会長副会長会議。健保会館。
  二十七日〜 熟年旅行。神保夫妻。全行程グリーン車。岡山城。後楽園。大原美術
館。水
   二十九日 明荘一泊。京都。城崎。
三月四日    渋川新亀堂会長、並木氏、死亡。
  九日    キヤノン販売、カメラ前橋営業所開店披露。
  十五日   上大類病院。血圧一五六―八〇。
  十八日   お彼岸で安子を連れて長伝寺墓参。
  二十二日  富田義鷹氏逝去。翌日葬儀。弔辞を読む。
四月四日    長伝寺書院落成。祖先供養。
  十三日   高崎駅ビル完成。
  二十五日  関根政巳氏逝去。
  二十六日  密葬。通夜。
  二十九日  訪中国旅行出発(五月七日まで)。永和主催。博物館。天安門広場。
故宮。
五月十三日   故関根政巳氏、群馬テレビ葬。問屋町センター。
  十五日   高中三十四回同窓会。磯部ガーデン。十七名参加。
  十八日   コピア松井社長、来高。旧キヤノン販売社長。
  二十三日  亡母の七年忌。長伝寺へ。卒塔婆を作って法事。墓参。
  二十九日  アサヒ商会社員旅行(三十日まで)。四十一名。上山田温泉。
六月一日    上大類診療所。血圧一四六―八六。良好。
  十三日   故関根政巳氏、七七忌。安国寺。
七月一〜四日  山三事務機チェーン、韓国総会。ソウル。慶州。古墳公園。
  七日    ゼブラの招待会。浅草より東武特急で日光へ。
  八日    日光カントリークラブでコンペ。
  十八日   山三エコールECKセミナー。セブンシティー。
  二十日   セーラー万年筆全国会長会議。パレスホテル。
  二十五日  北関東プラス会総会。水上。水上館一泊。
八月七日    NOMDA役員会。静岡。鈴木連合会長の話があり、終って帰宅。
  八、九日  高崎ふるさと祭り。山車を引く。
  十一日   三時三十八分、信越線で軽井沢へ。長谷川専務とサンスターの仲村さ
んと一緒になった。サンスターの社長の家で夕食を御馳走になり、社員寮へ泊めてもら
う。
  十二日   72ゴルフ場で関根夫妻もまぜて、2Rプレイのあと、コテージに泊
めてもらう。
  十四日   お盆で長伝寺と安中、小板橋家墓参。
  二十二日  台風十五号来る。北関東プラス会。
  二十三日  キヤノン一〇〇P店会。奥湯河原、つばきで行う。
  二十七日  群馬県ユニーク会総会。水上聚楽。
  二十九日  三十一日まで、軽井沢二泊休暇。
  三十一日  電気メーカー九社、CDプレーヤーを一斉発表。
九月八日    安子と有賀さんを連れて軽井沢へ。
  十日    内田友の会総会。パレスホテル。
  十四日   エコールVCの沖縄旅行(十七日まで)。
  十八日   上越新幹線試乗。
  二十二日  北関東キヤノンゴルフ大会。大宮ゴルフ場で優勝する。
  二十四日  BS会総会。長良川ホテル。翌日石和ホテル。
  二十九日  全文連総会。
十月六日    大阪ビジネスOAフェア。NOMDA。全国大会。東洋ホテル。
  十日    キヤノン全国販売店会。帝国ホテル。
  十五日   パイロット万年筆の全国会長会議。帝国ホテル。
十一月五日   バトルクリーク市の助役。Mr.エーガン、私家ホームステイ。
   三日   日本美術会館へ梅山氏と出かけて、重要刀剣来倫国求める。
   十一日  北関東OAフェア(十二日まで)。
   十九日  JOA例会。台湾旅行(二十二日まで)。台北。花蓮。淡水ゴルフ。
   二十七日 中曽根康弘内閣成立。
   二十八日 武井歯科の奥さん亡くなる。
十二月三日   宮元町、泥棒に入られた。被害なし。
   十二日  花見堂の叔母さん死亡。告別式。
   二十二日 小林芳雄氏、叙勲祝。

ディズニーランド開園

昭和五十八年 

一月十一日   上大類病院。血圧一六五―九六。良好。
  十四日   アサヒグループ新年会。錦山荘。
  十六日   パイロットSP会総会。プリンスホテル一泊。
  十七日   馬場商事、山三エコール見本市。
  二十四日  税務調査(二十五日まで)。
  二十六日  ロッキード裁判で田中元首相に五年求刑。
二月六日    長島父親の葬儀。委員長をつとめる。
  十八日   JOA東京例会。
  二十二日  全文連会長副会長会議。共和会館。
四月三日    長伝寺、先祖供養。
  十四日   プラス、今泉社長の告別式。社葬。永平寺。
  十五日   東京ディズニーランド開園。
  十六日   高中三十四回同窓会。ホテルグランドパレス。
  十八日   白山特急で長野へ。信濃美術館。源清麿展。善光寺。
  二十日   洋一、真理子さんの四人目の子供誕生。
  二十四日  梅山大二郎、市会議員辛勝当選。
五月十五日   故関根政巳氏、一年忌。岡源。
  十六日   故プラス今泉氏の四十九日忌。ホテルニューオータニ。
  二十六日  日本海中部大地震。
六月十日    JOA例会。名古屋一泊。
  十八日   アサヒグループ社員旅行。新潟、佐渡。
  二十六日  参議院選挙。山本富雄氏、最上進氏、当選。
七月一〜五日  山三事務機、台湾旅行。
  三十一日  中曽根総理、音楽センター。高高生徒千名集合。講演会。
八月六、七日  高崎ふるさと祭。山車を引く。
  十一日   軽井沢山荘入り。用事を済ませて、鰻弁慶(うなぎべんけい)。サン
スター社長。西友の高中氏。エコール長谷川専務と一緒。一泊。
  十三日   お盆で長伝寺墓参。
  二十四日  関根夫妻と軽井沢。72ゴルフ場。
九月一日    防災の日。大韓航空B747。樺太付近で行方不明。乗員二百四十人
、日本人二十七人。
  四日    安子、有賀さん、軽井沢一泊。
  八〜十八日 黄金のツアー(エジプト)武井氏と一緒。
  二十八日  内田友の会。パレスホテル。一泊。
  二十九日  全文連の総会に出席。ヤシマ機器と一緒。
十月六日    健次の入院先、斉藤病院をすすめた。東文連の三十周年記念祝賀会へ
出席。
  十二日   田中元首相、懲役四年。追徴金五億円。
  十五日   アカギ国体。二万人集めて開会式。
  十九日   KOMAのビジネスショー。大阪城。本陣ホテル一泊。
  二十日   NOMDA理事会。
  二十三日  極東会。新潟総会。月岡ホテル一泊。
  二十七日  コクヨジュリーメンバーズ大会。
十一月三〜五日 永和清友会種子島旅行。九州方面。
   十一日  JOA京都例会。
   十九日  県文連総会。ターミナルホテル。
   二十二日 セーラー万年筆新製品発表会。パレスホテル。
        パレンバン時代の臼井氏と四十年振りに対面。昭和十七、十八年一緒
。
   二十六日 中西泰氏逝去。十一月二十八日告別式。
   二十八日 キヤノン全国販売店会議。帝国ホテル。
十二月十日   健次退院。
   二十二日 アサヒ商会忘年会。


健次との別れ

昭和五十九年 

一月三日    肥後玉翠先生、NHKで吟詠する。よかった。
  二十五日  アサヒ商会新年会。カッパピア。
  二十七日  品川東武ホテルNOMDA役員会。山三エコール見本市。一泊。
  三十一日  上大類病院、血圧一五〇―八〇。血圧大丈夫
二月二日    内田友の会役員会。パレスホテル。
  八日    中小企業投資育成会社、千四百万円、パスする。
  十七日   大雪、二十二センチ積雪。
三月二十二日  JOA旅行。マレーシア。ペナン。シンガポール(二十六日まで)。
  十一日   キヤノン一〇〇P店会。総会(十二日)。川奈ホテル。ゴルフ。
  十六日   NOMDA常任理事会。大阪発帰宅。
  二十日   お彼岸中日。長伝寺へ墓参。
四月二十九日  故関根政巳氏、三年忌。
五月十一日   JOA例会。鴨川方面。
  十三日   39会。京都例会。夫婦で参加。
  二十四日  遠藤良平氏死亡。二十六日、葬儀。
六月八日    キヤノン東京地区大会、シニア部で優勝。
  十一日   ウチダトップセミ。バスで箱根プリンスホテル。宮沢喜一氏、富士通
の小林会長。田原総一朗氏の話を聞く。竹村健一氏は素晴らしかった。
七月八日    前橋の大気堂、降旗氏の葬儀に出る。
  十八日   梅雨明け。
  二十四日〜 キヤノン3000クラブ、アメリカ旅行。二十八日にはロサンゼルス
のオリ
   三十一日 ンピック開会式見学。
八月四、五日  ふるさと祭。店売三十三万円。
九月六日    JOA高崎例会。バスでアサヒ商会、群馬キヤノンを見学して、水沢
うどんの昼食。福一へ一泊。
  七日    ゴルフ組と観光組と分かれて、ゴルフ好調で四十、四十六優勝。
十月十二日   パイロット万年筆全国会長会議。帝国ホテル。シングルルーム一泊。
  十三日   エコール連合旅行(十七日まで)。バリへ出発。ボロブドール。
  二十二日  全文連名古屋大会。
十一月六日   キヤノン御手洗会長葬儀。青山斎場。
十二月五日   健次死亡。
   六日   密葬。
 次男の健次が他界した。親として、我が子の死をみとることがあろうとは、考えもし
なかった。
 病のせいとはいえ、将来ある青年なのだ。私の命と引き替えになるなら、喜んで差し
だそうではないか。
 それが当時の私の偽らざる心境であった。










  さらなる飛躍へ
            (昭和六十年以降)

お茶の稽古

昭和六十年 

一月十三日   日本法令常任理事会。新国技館。マス席。天皇陛下もみえていた。
  十七日   健次の死亡広告、上毛新聞。
  二十日   健次の葬儀告別式。
  三十一日  健次の供養、長伝寺、五十万円。連雀町二十五万円寄付。
二月十三日   市役所へ二百万円寄贈。健次の供養。
三月六日    啓蟄。
  二十八日  JOA熱海例会。石亭。一泊。
  二十九日  高速艇でシーガルで大島見物。
四月十三日   アサヒグループ社員旅行。七十名。伊香保古久家。
  十四日   キヤノン3000クラス会合。川奈ホテル。翌日ゴルフ。七十七名。
  二十四日  高中三十四回同窓会。榛名湖畔ゆうすげ。三十四名。前日に田島正平
君と佐鳥君の三人で植樹をする。母校高々。
五月十二日   高崎南RC主催の家族会の旅行で科学万博をみた。
  十四日   下仁田・鍋谷の奥さん、告別式。
  二十五日  母の十年忌。安子と共に。
六月二日    城山団地の洋一の自宅新築祝。
  四、五日  北関東OAフェア。前橋建設会館。
  六日    三田三昭堂社長の告別式。渋川。
  八日    アサヒグループの社員旅行。四十五名。バスで京都方面。
  十二日   安子と小林さんでお茶の稽古。
 茶道は奥が深い。私も安子も茶道の稽古に励んだものだった。後に自宅にお茶室を作
ったほどであった。
 また私は刀剣の収集・鑑賞にも熱中した。こちらも茶道に負けず劣らず奥の深いもの
である。

七月三〜七日  山三事務機、シンガポール旅行出発。
  八日    JOA仙台例会。夫婦で参加。松島一の坊ホテル。
  十五日   梅雨明け。
  十八日   セーラー万年筆全国会長会議。プリンスホテル。
八月一日    小野里仙平氏の告別式。
  三日    石田和光堂の葬儀、告別式。
  十一日   故健次の新盆。長伝寺も来て法事。
  十二日   日航ジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落。五百二十名死
亡、四名助かる。五千名の救助隊が入る。
九月九〜十四日 エコール中国旅行出発。香港へ。広州、桂林。
  四、五日  キヤノンクインズカップアマプロ大会。
  二十一日  関根夫妻と長谷川専務とともに72ゴルフ場でプレイ。
十月二日    関越高速道路、新潟まで開通。
  十六日   安子とお茶の稽古。上大類病院診療。血圧一七〇―一〇三。良好。
  十九日   近松家結婚式。東條会館。安子一緒。
  二十一日  プラチナ会会長会議。浅草ビューホテル。
  二十六日  全文連、大阪総会。
  二十七日  市川孝一氏告別式。
  三十一日  日本赤十字金色有功賞を伊勢崎文化会館で、秩父宮妃殿下より賜る。
十一月二日   阪神が日本シリーズ優勝。トラフィーバーに。
   四日   洋一一家の七五三祝い。
   五日   BS会。信州旅行。山田温泉。藤井荘。
   六日   北斎の天井絵。
   十五日  コクヨジュリーメンバーズ大会。大阪。都ホテル一泊。
   十八日  キヤノン販売全国販売店会議。
十二月一日   故健次一周忌。長伝寺。岡源。


昭五会

昭和六十一年 

二月六日    柳川町で九軒焼けた大火あり。
  十一日   熱川温泉。大東館火災。二十四名死亡。
  十五日   群馬県連総会。ターミナルホテル。四十名。
  十六日   中央小同窓会。昭五会。
 昭五会とは、昭和五年高崎市立中央小学校卒業生の同窓会。同窓会を開いても十人来
るか来ないかとなってしまったが、毎年集まっては当時を懐かしんでいるのである。

  二十一日  伊香保さつき亭。投資育成会社の友の会。
  二十三日  井出もとさんの葬儀。
  二十四日  JOA例会。淡路島一泊。
三月一日    十時三十三分、新幹線で上京。流通商会(御徒町)でロレックスを二
十万三千五百で求める。
  五日    安子とお茶の稽古。
  十七日   理想科学社長に新橋まで出て面接。パス。
  二十二日  有賀充恵さん死去。二十九日に葬儀、告別式。
四月五日    高中三十四回の同窓会。東京水交社。二十五名出席。
  七日    群馬八幡駅前の藤井さん、更生保護制度へ十万円の寄付をする。
  十四日   NOMDA大阪役員会。科学技術センター。
五月一〜三日  七カ国サミット開始。
  十一日   下仁田・鍋谷平吉さんの奥さんの一年忌。上信電車利用。
  二十一日  帝国ホテルでキヤノン販売の滝川社長の春季チャレコンの会議。
六月一日    品川のおばあさんの葬儀。告別式。
  七日    アサヒ商会社員旅行。上信バス三十二名。常磐ハワイアンセンター。
  十二日   羽田一時半までに集合して、二時のフライトで札幌へ。グランドホテ
ル。札幌市内を見て翌日帰る。
七月一日    広瀬和夫氏死去。
  二〜六日  バリ島ツアーに出発。ガルーダ航空。一路ジャカルタ経由、デンパサ
ール。またサドアのホテル。中川紀子さんがみえてアーヤンにも会う。
  九日    セーラー万年筆の会長会議で羽田より広島空港で昼食。バスで宮島グ
ランドホテル。天応工場をみる。
  十日    厳島神社。十六時三十分のフライトで帰る。
  二十二日  第三次中曽根内閣誕生。
  二十七日  梅雨明け。
八月二〜十日  日通航空のシルクロード九日間の旅、出発。武井、中村氏と三人で参
加。香港、西安、蘭州、三州、敦煌、莫高窟。
  三十一日  関根夫婦、長谷川氏と夕食会。
九月一日    72西コース。一・五ラウンドプレイする。
  三日    プラチナ全国火災互助会の役員会。銀座東急ホテル。
  六〜十三日 三菱鉛筆TOP旅行会ヨーロッパツアー。アンカレッジ、ロンドン経
由、オスロへ。
  八日    ベルゲンロータリークラブ訪問。
  十日    ベルゲン―コペンハーゲン・チボリ公園―パリ。昼は日本食。ノート
ルダム、シャンゼリゼ、モンマルトルの丘。シャンソンを聞く。
  十二日   ルーブル美術館。
  十四日   正味十一日の旅だった。
  二十七日  国立歴史博物館で国宝展をみる。エコールの見本市をみて、帝劇をみ
て、ダイヤモンドホテル一泊。
十月四日    洋一、J・J例会でアメリカへ。
  十日    柳こうさんの葬儀。クラウンで美枝子、安子を乗せて関越高速道路で
案外速い。
  十四日   全文連総会。工業クラブ。
  十八日   藤塚の本家の和夫氏の百日忌とお墓の新築も合わせての法事に出席。
十一月一日   自動車運転者と助手席同乗者のシートベルト義務づけ。
   二〜五日 エコール連合。北京旅行出発。安子一緒。万里の長城。明の十三陵。
紫禁城。北京ダック。
   七日   コクヨジュリーメンバーズ大会。全日空ANAホテル。
   二十日  JOA例会。銀座東急ホテル一泊。加登屋見学。
   二十二日 三原山大爆発。
   二十五日 シャチハタGS会。ホテルオークラ。
   二十七日 三菱鉛筆百年祭。帝国ホテル一泊。森繁久彌の講話。細川たかしの歌
。
   二十九日 問屋町増改築工事完成。引越。
十二月六日   エコール取締役会。
   十三日  お茶室の工事開始。
   十六日  水原先生をお連れして町屋の宝塔。広瀬家本家の家の墓参して、大島
の墓を見てから、里見の常仙寺へ。いろいろ利休の話やら新田義貞の話やらを聞く。
   十八日  お茶室を作る勉強会で遠山記念館、お茶室をよく見てから、多磨植木
屋で利休型燈籠を買う。
   三十日  井上工業の樋口さんの奥さん、律子さん(昔の山崎さん)が急逝した
ので、葬儀で竜光寺。


お茶室開き

昭和六十二年 

一月二十二日  キヤノンOAフェア。マーキュリーホテル。
  三十日   NOMDAの会合。名古屋名鉄グランドホテル。
二月四日    安子とお茶の稽古。濃茶を始める。ずっと一週間毎。
  七日    関谷正峯氏(人間国宝)の短刀を入手する。中島甲貢堂。
  十一日   茶室の上棟式。
  十五日   昭五会同窓会。たかなり。二十名。
  十九日   関東文具事務用品組合、健康保険の会合。共和会館。総連合。全文連
会長副会長会議。コクヨ、売上税問題。
  二十二日  桐生高専同窓生。真藤、荒井、高野、四名で同窓会。
  二十四日  JOA例会。志摩石亭。料理がうまい。一泊。
  二十五日  伊勢神宮参拝。
三月一日    売上税に反対する国民集会が全国で開催。
  四日    同窓生、高草木泰平君死亡。葬儀。
  六日    啓蟄。
  九日    トンボ鉛筆、小川社長密葬。大井駅近く。
  十三日   護国神社での松浦幸雄氏の市長選の激励会。
  十八日   お彼岸の入りなので、安子を連れて墓参。そのあとお茶の稽古。
  二十二日  国光の笹川氏の葬儀。ビューホテルでお清め。
四月一日    国鉄が分割・民営化されJRになる。
  十二日   松沢睦氏、県議選でトップ当選。 
  二十六日  松浦市長誕生。
          松浦氏 四万千六十六票
          佐藤氏 三万二千二百九十七票
          越谷氏 三万三百六十四票
          吉田氏 二万四千百八十七票
五月一日    群馬県総合表彰。安子と一緒。県民会館。
  二日    松浦市長、初登庁。
  二十日   ブリジストン美術館見学。ホテルニューオータニでキング六十周年記
念招待会。一泊。
  二十一日  高中三十四回同窓会。四万温泉一泊。三十二名。
  二十三日  アサヒ商会社員旅行。高山方面(二十四日まで)。
六月一〜十二日 コクヨスペイン旅行出発。六月十二日帰国。
  二十四日  文具組合関係で県総合表彰受賞パーティーをやってもらう。四十名以
上集まって感激する。
七月五日    広瀬和夫氏一年忌。藤塚の墓参をして、昼食会あり。
  十七日   石原裕次郎死亡。
  二十四日  セーラー万年筆全国会長会議。パレスホテル。
八月五日    問屋町、泥棒にやられる。被害は少ない。
  七日    お茶室開き。ロータリアン十二名。
  十日    お茶室開き。第二回目。松浦市長も来た。
  十二日〜  キヤノンBOMツアー。一行二十六名。結団式後エグゼクティブクラ
ス。玉
   十七日  木さんと並んで話をする。キヤノンUSA本社到着。ウオルドフ、ア
ストリアという、天皇陛下が泊まった立派なホテル。ロサンゼルス、シカゴ、ハワイで
ゴルフ。
  二十二日  片岡さんの奥さんが亡くなる。
  二十四日  片岡夫人告別式。葬儀、手伝う。
  二十七日  第一病院へ姉を見舞う。
九月一〜八日  山三エコールソ連旅行出発。
  八日    昨夜、モスクワを出た。日航442便。およそ九時間かかった。成田
、無事着陸。空いていたので楽だった。酒類は関根夫人に頼んで楽だった。
  十二日   七十歳誕生日。安子が松茸ごはんをたくさん。
  十八日   コクヨVIP。福一。
  二十日   関根夫妻、長谷川専務一行が十一時過ぎ、到着。問屋町を見てもらっ
てから、公園亭で昼食。お茶室を見せて、軽井沢へ。夕食は軽井沢飯店で宴会。
  二十一日  72西コースで一・五ラウンドプレイする。
  二十三日  金環食。
十月十三日   三十四回高中同級生、須藤清君死亡。お通夜。
  二十日   株式暴落。
  二十四日  全文連工業クラブ総会。
  二十五日  RC年次大会。二六二地区。音楽センター。
  二十八日  JOA京都例会。大原の三千院。その他たくさん見て帰る。
十一月四日   クラウン入れ替え。
   十一日  デサノン振興会のお茶室見学。五十名を三回に分ける。
   二十日  広瀬好一氏葬儀。告別式。
   十九日  えびす講。十九万円+十一万円。
   二十五日 投資育成群馬の集まり。福一一泊。
十二月二日   永和清友会。ホテル天坊。総会。
   三日   小家敏男氏死亡。葬儀深川一乗院。
   七日   エコール役員会。熱海大観荘。一泊。
   十六日  安子と一緒にお茶の稽古。濃茶をする。
   三十一日 ドル暴落。東京為替市場で一ドル一二二円の最高値。



孫三人の運動会

昭和六十三年

一月十六日   アサヒ商会新年会。カッパピア。五十名。
  十七日   中曽根康弘・弘文氏の新年会。音楽センター。
  二十八日  パイロットのSP会の三県合同役員会。
二月三日    十時よりお茶の稽古。座るのに足が痛い。
  十三日   桐生組合新年会に招待される。
  十五日   柴山大五郎氏、勲三等お祝い。
  二十一日  昭五会。昭和五年中央小同窓会。
  二十四日  台湾へ。台北。西北RC訪問。堤氏と二人。ソウル経由、二十七日帰
る。
三月四日    トンボ小川社長、一周忌。東京会館。
  五日    問屋町センター二十周年記念会。
  十三日   世界最長(五三・八五キロ)の青函トンネルで本州と北海道を結ぶJ
R津軽海峡線開通。
  二十六日  同級生田島辰次君死亡。
四月三日    長伝寺。先祖供養会。ずーっと体調が悪い。
        体調が悪いので、原内科から大手前病院でビタミン注射を打ち続け、
もう三十本近いだろう。
  十六日   洋一の車で藤岡の光徳寺での観音堂落成祝いに出る。立派に出来た。
        夜、小野屋の花見に呼ばれたので、安子と一緒に出席。
  二十四日  クラウンで慈眼寺のしだれ桜をみる。大宝ずしの回るすしを食べる。
  二十七日  高中三十四回同窓会。老神温泉。ニュー老神ホテル。
  二十八日  故小林正六氏、葬儀。護国寺。
五月三日    高崎文具組合長を森平氏よりトミタ商会へ。
  二十三日  税務調査(二十四日まで)。
  二十五日  沼賀元市長の葬儀。市民葬儀。
六月二日    群馬キヤノン会。台湾旅行。三十一名。
  三〜五日  台中キヤノン工場見学。歓迎パーティー。
  十一日   社員旅行。山梨方面。
七月四〜十二日 コクヨ招待旅行。副団長一行二十八名。JAL066便。十六時五分
発。メリダ、マヤ遺跡。カユノンビーチ、ゴルフ。
  十日    添乗員ちょっと油断。カバンなし。パスポート盗まれる。メキシコシ
ティ。ロスアサンゼルス。
  二十二日  信沢朗氏死亡(叔父)。お通夜。告別式。葬儀。
  二十五日  アークプラザ起工式。アサヒ商会四十周年記念祝賀会。
  三十日   梅雨明け。お茶の稽古。
八月六、七日  高崎まつり。山車をひく。
  十日    お茶の稽古。名取り。宗太。宗保。
  三十一日  関根夫妻と長谷川氏、軽井沢。軽井沢銀座で夕食。
九月一日    72ゴルフ場でプレイ。長谷川氏が先に帰ったので、ジャスコでショ
ッピングをした。夕食は山荘で。泊まる。
  八〜十一日 JOA韓国四日間の旅。慶州、済州島、ピストル十発打つ。五千円。
写真付き。
  十三日   NOMDA常任理事会。体調悪い。
  二十二日  天皇陛下危篤。
  二十六日  シャチハタ飛翔会。ニューオークラ。
十月二日    安子と一緒に城山小学校の孫三人の運動会を見る。
 小学校のグラウンドをトコトコかけていた孫たちも、現在では、みな成長してそれぞ
れの道を歩んでいる。
 海外留学している子もいるが、みんな祖父母も気にかけてくれる優しい子ばかりであ
り、私は子にも孫にも恵まれた幸せ者だと痛感している。

  五日    お茶の稽古。原内科治療。
  七日    県文連の総会。
  十三日   プラチナ会。火災互助会の役員会。銀座東武ホテル。夕食は竹葉亭。
一泊。
  二十六日  全文連総会。工業クラブ。 
  二十九日  山口高音氏葬儀。
十一月五日   永和見本市。横山君を連れて一回り。
   八日   原内科で腸の検査。異常なし。
   二十四日 表千家不審庵より広瀬宗太、宗保。免許。
十二月一日   同窓生、内海貞一君死亡。
   四日   健次の五年忌だったので、長伝寺で墓参。
   九日   井上健太郎氏の結婚式。新生会館。
   十二日  元キリンビール専務、黒岩博士、逝去。
   二十六日 山田辰雄、急死。翌日密葬。

アークビル落成

昭和六十四年
  (平成元年)

一月七日    裕仁天皇陛下崩御、八十七歳。皇太子明仁親王が皇位を継承。
        新元号は「平成」。昭和が終わる。
  十四日   アサヒ商会新年会。カッパピア。
  十九日   キヤノンフェア。
  二十一日  全文連会長副会長会議。工業クラブ。
  二十六日  群馬キヤノンまで往復。徒歩。
二月七日    近松言次氏死亡。九日に葬儀。
  十九日   昭五会同窓会。十七名参加。 
  二十四日  昭和天皇ご葬儀。大喪の礼。テレビ放送あり。
  二十七日  宮坂正男死亡。翌日告別式。
三月二日    三菱鉛筆ユニーク会。福一。
  六日    アークコンピューター専門学校、中止と決める。
  八日    アーク学校中止、謝り。大変。
  十二日   神保おばあちゃん、卒寿祝い。
  十四日   上毛新聞掲載。専門学校の開設断念。
  二十日   内田洋行陳謝。
  二十三日  富士通訪問。学校中止、了解。
四月一日    桜満開。
  十八日   荒井てる子さん送別会。
  二十五日  内田洋行の社長の葬儀。築地本願寺。
  二十八日  日本法令常任理事会。神田、大江戸。
五月六日    三和西脇社長死亡。葬儀、告別式、五月十日。
  二十一日  亡母の命日。長伝寺へ墓参。
  二十二日  大手前医院で連日ビタミン注射を打つ。
  二十三日  内田洋行の森本氏と山田氏と三人で、岡源で一杯やる。
  二十六日  頼政神社のお祭に出る。
六月十四日   高中三十四回の同窓会。錦山荘。二十三名。
  十六日   堤克敏氏死去。二十日葬儀。
  二十一日  お茶の稽古。
  二十四日  美空ひばりさん死去。
  二十七日  日赤の役員会。
  二十八日  岡源でグルメの会に安子と一緒に出席。
七月一日    近松友子さんが来たので、安子と三人で公園亭、夕食。
  二日    故信沢朗氏一周忌。九時五十分までに向雲寺。バスで八幡霊園。墓参
して錦山荘でお清め。
  四日    安中へ中元。
  五日    十時よりお茶の稽古。川上医院に姉を見舞い。
  六日    大手前医院、血圧一二七―七八。ビタミン注射。
  八日    軽井沢清掃。専務の車で和田、高橋、柴さんと五人で。四時までに帰
る。
        体調がずーっと悪い。
  二十日   日赤群馬県創立十周年記念。天坊。
        十一時三十分、安子と小林芳雄さんを乗せて伊香保へ。途中田丸屋で
うどん、昼食。夢二記念館を見て天坊へ。十周年記念式典に出て、ケントギルバートの
話が面白かった。懇親会後、一泊。
  二十九日  大雨。問屋町では店に浸水間際。
八月三日    全文連会長副会長会議。東京駅。十二階のルビーホール。
  五、六日  高崎まつり。
  七日    糖尿病検査。異状なし。
  八日    自民党総裁に海部俊樹氏が選出される。
  十二日   軽井沢へ。安子と一緒(十三日まで)。
  十七日   安子、俳句の会。草津。
  二十三日  安子と岡源。グルメの会に出る。
  二十八日  群馬キヤノンまで歩いて行き、帰りに転倒する。
九月二十日   やっと秋になり、涼しくなる。お彼岸なので長伝寺へ墓参する。
  二十一日  大手前医院でビタミンの注射。
  二十二日  占魚先生の展示会。エコール見本市。帝劇。野八ずし。ダイヤモンド
ホテル。
十月五日    プラチナ万年筆火災互助会役員会。銀座の東武ホテル。一泊。
  二十日   アークビルの落成式で四十周年記念の会。二百名のお客様がみえて賑
やか。ターミナルホテル。
 城下町、宿場町として栄えた商都の中心街に建てた九階建てのアークビル。アサヒ商
会の小売部が、近代ビルに生まれ変わった。一・三階がテナント用、四・九階が賃貸住
宅で、近代商業都市を象徴するような仕上がりとなった。
  二十六日  お茶の稽古。濃茶をする。東宝映画、利休の映画を見る。
  二十九日  日本シリーズ。巨人優勝。
十一月五日   高崎市文化祭、名刀展へ。元平の重要刀剣出品。
   七日   小林源助氏死亡。翌日葬儀。
   九日   キヤノンゼロワンショップオープン。
   十日   全文連総会。工業クラブ。
   十一日  ツルゲン告別式。
   二十二日 吉田宗夫氏、県功労賞表彰お祝い。やかた。
   二十三日 アサヒ社員韓国旅行。三十八名。
十二月一日   JOA長崎例会。羽田より全日空。石丸文行党店を見る。
   五日   日赤の表彰式。ロイヤルホテル。安子も一緒。
        故健次の命日なので、長伝寺でお経をあげてもらい墓参。
   十一日  山三エコール役員会。理事会。熱海大観荘。一泊。
   十三日  山三エコール宮島所長、亡くなる。お茶の稽古。
   十四日  佐鳥全次君の叙勲祝い。二百名。
   十五日  帝劇の春日局を、安子を連れて出かける。長谷川さんの好意。
   二十二日 育成会社二名。本島経理二名。当方より三名で、決算(案)をする。

車の運転を引退

平成二年 

一月一日    松浦福三郎氏死去。
  九日    連雀町新年会。
  十日    お茶の稽古。
  十二日   アサヒ商会新年会。錦山荘。
  十三日   群響ニューイヤーコンサート。
  十六日   山口由紀さん、葬儀。
  十七日   安子、雪の中で自転車で転んで骨折。第一病院。
 安子が腕を骨折した。雪の日に自転車に乗っていて、転んでしまったのだ。足とか腰
でなかったことは不幸中の幸いだったが。

  十八日   キヤノンOAフェア。
  二十六日  昔の文栄社、佐藤能活氏死去。
  二十九日  松浦福三郎葬儀。音楽センター。
二月一日    二十一センチの大雪。
  三日    節分、豆まき。
  四日    泰文堂、中西あつし氏葬儀。
  八日    お茶の稽古。
三月七日    政木藤吉氏死去。
  八日    お茶の稽古、大手前内科、血圧一四八―九〇。
  十一日   松浦市長役員新年会。新生会館。
  十五日   ソ連、ゴルバチョフ大統領誕生。
  十八日   安子、俳句の会。
  十九日   長伝寺墓参。
  二十日   長伝寺住職。お彼岸出張お経。
  二十一日  小林家の墓参。
  二十六日  大手前内科、血圧一四六―八五。ビタミン注射。このところ一日おき
。
  三十日   桜満開。星野歯科。八幡庵で鴨なんばん。
  三十一日  故山三正木藤吉氏の社葬。青山斎場。
四月三日    内田洋行、久田社長の一周忌。
  十一日   星野歯科、金歯を入れる。四・五万円。
  十四日   歴史博物館見学。古墳が面白い。
  二十五日  上野歴史博物館で国宝展を見る。
        全文連会長副会長会議。ルビーホール。
  二十九日  みどりの日。昔の天長節。
五月十七日   お茶の稽古。
  二十日   故関根政巳氏の法事。安国寺法事、お清めは岡源。
六月十五日   田島正平氏亡くなる。三十四回同窓会。錦山荘。二十四名。
  二十二日  エコール事務機チェーン、アメリカ南部の旅へ出発(二十九日まで)
。
七月七日    アサヒ商会慰安旅行。
        吉田家新築披露。ビューホテル。
  二十日   川上さんの紹介状で群馬中央脳神経外科でCT検査などをやってもら
い、薬をもらったが飲む気にならなかった。
  二十四日  キリンビール望月工場長の卓話が面白かった。
  二十五日  軽井沢へ。安子と一緒(二十六日まで)。
  二十六日  高崎市政九十周年記念式典に出席。
  二十八日  安子、俳句の会。草津行き。
  二十九日  八幡の藤井さんの奥さんが訪問あり。
  三十一日  音楽センターを作ったレーモンドフォーラム参加。
八月一日    お茶の稽古。岡源のグルメの会、安子と一緒に出席。
  三、四日  高崎まつり参加。
  七日    高崎南RC、ガバナー公式訪問。
  九日    碁の練習を数回やったが、駄目だった。
  十三日   軽井沢へ。美枝子夫婦、合計四人で軽井沢へ。十五日、帰る。
  十九日   昼食は藍屋でうなぎ味楽膳。
  二十五日  軽井沢へ。クラウンで安子を乗せて出かける。
  二十九日  お茶の稽古。
  三十一日  横田喜好氏、八十四歳で死去された。
九月七日    藤田見本市。横山君と一緒に出かけて、都丸長作氏に会う。
  八日    巨人、優勝する。 
  十五日   軽井沢へ。安子を乗せてクラウンで出発。
  二十一日  お彼岸で墓参。松浦市長後援会。
  二十五日  ターミナルホテルで県連の総会をする。
  三十日   台風十九号通過。千葉、関根夫妻、長谷川氏、軽井沢飯店で紹興酒で
宴会。
十月一日    72ゴルフ場で四人でプレイをする。
  三日    洋一、問屋町センターの米国視察旅行に出発。
  九日    埼玉、群馬、栃木、パイロット合同SP会役員会。
  二十一日  亡母、十七年忌。健次の七年忌の合同法事。近松さんが来て泊ったの
で賑やか。暢神荘。
  二十五日  全文連総会。東京商工会議所。
十一月二十八日 牛込接骨院へ。
十二月四日   群大神経科診察。三時間もかかった。
   十三日  高玉病院で甘利先生にかかる。
   十七日  米山地郎氏、死去。
   十九日  いそだや、高橋伊三寿、死亡。
   二十三日 天皇誕生日。休日。
   二十七日 高玉病院。車は当分の間、運転は駄目。
 この頃までは、自分で車を運転して軽井沢に行く元気があった。しかし、結構あちこ
ちに車をぶつけていたのである。
 高玉病院の先生からは「車の運転をやめた方がいいですよ」ときつく言われた。それ
からは、関根専務の車に乗って会社に行くようになった。

アメリカへ社員旅行

平成三年 

一月九日    お茶の稽古。
        洋一はアメリカ旅行出発。
  十日    美枝子の車で、安子も一緒に高玉病院へ。
  十二日   アサヒ商会新年会。錦山荘。安子も一緒。五十名。
  十四日   専務の車で団地へ。今日からずっと専務の車に乗る。
  十九日   安子を連れてエコール見本市を見てから、日比谷の芸術座で芝居を見
て、ダイヤモンドホテル宿泊。
  二十四日  美枝子の車で、安子と一緒に高玉病院へ。帰りはタクシーで。甘利先
生。
  三十日   故米山地郎氏の七七回忌。大雲寺、岡源、お清め。
二月八日    公園亭で新年会。神保二人。吉田、桜井、片岡、六人。
  七日    高玉病院へ。
  十二日   暢神荘で日赤の役員会に出席。
  十三日   専務の車で牛込院、アークで安子と落ち合ってお茶の稽古。三時過ぎ
、三菱鉛筆の車で伊香保福一へ。
  十五日   浅草ビューホテル。パイロットSP会の群馬、埼玉の合同役員会。
  十七日   昭五会の例会。敦さんの車で伊香保のかのうや。同窓会。
  二十一日  美枝子の車で高玉病院へ。帰りはタクシーで団地へ。
  二十八日  湾岸戦争。米大統領が勝利宣言。終了。
  二十九日  エコール政木藤吉氏の一周忌。東京会館。
三月七日    高玉病院へ。美枝子、車で、帰りは永和の社長の車。
  二十日   高玉病院へ。美枝子、車で。お茶の稽古。
  二十一日  お彼岸の中日。洋一の車で、安子も連れて墓参する。
四月六日    前の鈴木さん宅、火事で大さわぎ。
  七日    福田家長男、結婚式。ホテルオークラで。
  十一日   深堀市会議員、陣中見舞。信沢房子さん、亡くなる。
  十三日   信沢房子さん、葬儀。告別式。
  十四日   宮元町第三区総会。
  十七日   前橋のマーキュリーホテルで日赤の有功会の総会に、安子と一緒に出
席。
  十八日   高玉病院へ。本日は順調で十時三十分には帰る。
        小林乙一氏、死亡。心臓病。
  二十二日  密葬。本法寺。
  二十七日  大正会例会。魚仲。
  二十九日  みどりの日。真木病院へ小林芳雄氏を見舞い。胃ガンの手術。経過は
よい。
五月二日    高玉病院へ。
  七日    柴山大五郎氏、死去。
  八日    マルイチの田口治郎兵衛、死亡。
  九日    軽井沢の山荘の工事現場、洋一と一緒に見る。
  十二日   近松家法事。桧物町。寄合町。一緒にお寺へ。終わってから吉祥寺の
東急インで食事。
  十五日   安部晋太郎氏死亡。
  十六日   高玉病院へ。安子も診てもらう。
  十八日   日赤有功会の役員会。ターミナルホテル。
  十九日   塚越晴夫氏と松村ゆかりさんの結婚式。平安閣。洋一仲人。
  二十三日  牛込治療院。お茶の稽古。
  二十四日  亡母の命日。墓参する。
  二十六日  頼政神社大祭
  三十日   高玉病院。
六月二日    中山幸次郎、通夜。
  三日    雲仙岳大噴火。死傷者あり、三十五名。
  五日    高中三十四回同窓会。猿ヶ京ホテルシャトー。
  十日    星野歯科。
  十二日   アサヒ商会米国旅行。第一陣出発。洋一、美枝子他三名。
 アサヒ商会の社員旅行として、いくつかのグループに分けてロサンゼルスに旅した。
 これまでにも国内旅行は毎年していたが、社員を海外に連れて行けるまでになったか
と思うと、感無量である。

  十三日   高玉病院へ。
  十八日   柴山大五郎、社葬。音楽センター。
  二十日   お茶の稽古。牛込治療院。
  二十七日  高玉病院。
七月三日    平成三年度群馬日本赤十字大会。三笠宮寛仁親王妃殿下をお迎えする
。
  七日    粉川貴子さんの結婚式。
  二十四日  猛暑。三十七・四度。新記録。
  二十五日  高玉病院。
        同級の真藤達太郎君、死亡。
  二十六日  経済懇話会。経大の高階先生の話、面白かった。
  三十日   高崎南RC例会。夜の会。小紋、十六名。
八月三、四日  高崎まつり。花火大会協賛。
  八日    稲川氏夫妻、軽井沢へ招待。
  十三日   美枝子の車で長伝寺墓参。お盆。
  十四日   JRで軽井沢行き。第一日目。
  十七日   洋一の車で帰高。
  二十日   ゴルバチョフ大統領、失脚する。
  二十一日  井上房一郎氏、九十二歳のお祝いに。芸術短大で坂東玉三郎さん等。
賑やか。
  二十二日  高玉病院へ。美枝子の車で安子も一緒。
  二十三日  大正会の例会。上州梁で。
  二十八日  牛込治療院。お茶の稽古。
九月一日    幕張メッセへ。
  五日    高玉病院へ。
  十日    プラス北関東大会。伊香保、天坊。
  十一日   軽井沢、神保夫妻を招く。
  十二日   日赤有功会、高崎設立。
  十五日   町内の大竹さんの葬儀。
  十九日   高玉病院へ。
  二十二日  長伝寺、お彼岸の墓参。
  二十七日  関根夫妻、長谷川氏とのゴルフ会。
        旧軽井沢ゴルフ場でプレイ。
十月二日    牛込接骨院。お茶の稽古。
  三日    高玉病院。
  八日    プラチナ会、全国会長会議。静岡ターミナルホテル。
  十七日   高玉病院へ。
  二十日   信沢つね子さん、亡くなる。
  二十日   山三エコールのベルリン、ロマンチック街道観光旅行出発(二十七日
まで)。
  二十八日  浜尻の倉庫建設の地鎮祭。
  三十日   JOAの例会。鎌倉一泊。
  三十一日  三浦半島をまわり、帰高する。
十一月一日   松浦市長の幸濤会の総会。
   五日   ゼブラ会のゴルフ大会。
   六日   お茶の稽古。
   七日   高玉病院。血圧は一六〇―九六。
   十三日  牛込接骨院。お茶の稽古。
   十四日  文具の日のキャンペーンの反省会。共和会館。泰山で三十五万円、輪
島塗の食器を十五万円で買う。
   二十日  日赤高崎支部役員会。暢神荘。
   二十一日 高玉病院へ。美枝子の車で安子と一緒に行く。本日はCTの検査。珍
しく病院の食堂で済ませる。四百円。
   二十三日 軽井沢へ洋一の車で。中軽のかぎもと屋でそばの昼食。
   二十六日 山三事務機役員会。熱海の大観荘。
        MOA美術館。尾形光琳の梅の国宝は二月のみ展示。
十二月一日   信沢つね子さんの四十九日。長仙寺。安子を連れてタクシーで飯塚の
長松寺で法事。お清めは暢神荘。
   二日   永和清友会。伊香保、天坊。個室をとってくれたので一泊する。
   四日   日赤有功会の表彰式。前橋のロイヤルホテルで銀指三本入りをもらう
。エコールブロック会。。
   五日   美枝子の車で高玉病院。安子も一緒。帰りはタクシー。
   七日   軽井沢へ専務の車で。途中、妙義美術館で一休み。二時頃には帰り、
大正会に出席。
   十一日  牛込接骨院とお茶の稽古。
   二十六日 アサヒ商会取締役会。


一日だけの入院

平成四年 

一月四日    アサヒ商会社員旅行。第二陣十二名、米国へ出発。
  十一日   アサヒ商会、ロス旅行隊、無事帰国。
  十四日   アサヒ商会新年会。錦山荘。
  十六日   高玉病院。美枝子の車。お茶の稽古。
  十七日   エコール連合の見本市。終了後、帝国劇場、森繁久彌。
  十八日   関口喜助氏、死去。
  二十一日  春木堂社長、死去。二十四日葬儀、告別式。
  二十三日  群馬キヤノン事務機OAフェア。
  二十九日  故関口喜助氏葬儀、告別式。アルス葬。熊谷報恩寺。
  三十日   高玉病院。安子も一緒。
二月一日    横山君の車で藤田の見本市へ出る。
  八日    高崎文具組合の新年会。
  九日    洋一の車で軽井沢へ。安子も一緒。
  十三日   高玉病院。帰ってから宮元町の長寿会の新年宴会に出る。みやまレス
トラン。
        NTTの講演会。塩田丸男氏の話は面白く、そのあと立川談志。
  十五日   専務の車で、川上医院へ姉を見舞い。
  十六日   小板橋の亮君。八千代国際大学合格。
  二十日   群馬ユニーク会役員会。伊香保、福一へ一泊。
  二十一日  関東文具健保役員会。上野精養軒。
  二十二日  安藤震四郎氏、死去。
  二十七日  高玉病院へ。
  二十八日  中曽根弘文氏の会。新生活会館。出席。
三月二日    元群響、丸山勝広氏、告別式。
  五日    肥後玉翠先生の詩吟を十五年振りで始める。本島会計会議室。
  十一日   お茶の稽古
  十二日   高玉病院。肥後玉翠先生、詩吟。
  十四日   故安藤賢一氏、社葬。問屋町センター。
  十五日   昭五会同窓会。伊香保かのうや旅館。
  十七日   日赤有功会研修会。横浜美術館でミロ展。
        萬珍楼で中華の料理。帰る。
  十九日   肥後玉翠、詩吟の稽古。
  二十日   彼岸の中日。長伝寺墓参。
  二十一日  音楽センターで群響の演奏会。
  二十三日  前橋の清水商会、清水社長、死亡。
  二十五日  全文連会長副会長会議。共和会館。
  二十六日  高玉病院。美枝子の車で藤岡の竹市夫妻に会う。
  二十九日  身体不調。嘔吐する。
  三十一日  故丸山勝広氏の群馬交響楽団葬。音楽センター。小沢征爾、山本直純
、有名人で盛大。
四月一日    関口整形外科。お茶の稽古。
  二日    詩吟の稽古。
  三日    公園の桜、満開。花見の予定。陣取り合戦。
  五日    小板橋家四人。合同夕食会。
  七日    一成君、高々第四代目入校。真理子さんより赤飯。
  八日    お茶の稽古。五時三十分より公園亭で花見。片岡、神保、桜井、吉田
、五人。
  九日    美枝子の車で高玉病院へ。
  十〜十二日 安子と一緒。南紀、根来寺参拝の旅。
  十五日   高玉病院、泌尿器を診てもらい、前立腺肥大の検査。
  十八日   片野一雄氏葬儀。ニュー岡源のお清め。
  十九日   安子と一緒に市美術館の中村節也展をみる。
  二十二日  高玉病院。前立腺は大丈夫。一安心。
  二十三日  お茶の稽古、中止。詩吟の稽古。
  三十日   詩吟の稽古。
五月二日    藤岡の光徳寺、竹市文成氏引退。文光氏交代。安子と一緒に出席。充
分飲んで真理子さんの車で帰る。
  四日    群馬の森、見学。安子と上信バスで、中村節也展を見てから、井上さ
んの戸方庵のコレクションを見て、バスで帰り、栄寿亭でうまいカツ丼を食べる。
  五日    お茶室、炉から風炉にする。
  六日    高玉病院。治療中に目が回る。甘利先生から「どうしても一日入院せ
よ」と言われ、一日だけ点滴の大きいのをしてもらう。
 高玉病院から「一日だけでも入院して下さい」と言われた。しぶしぶ従ったが、私が
入院するということで、会社が大騒ぎになった。自分の存在がそんな形で認められたわ
けで、複雑な心境であった。

  八日    洋一、台湾旅行へ出発。
  十四日   詩吟の稽古。
  十五日   小板橋勲、美枝子夫妻、キヤノン販売。パリ旅行出発。
  十六日   太田のカワムラさん、三十周年、流通団地社屋完成。洋一と一緒に出
席。
  十七日   中西さとさん、葬儀。弔辞を読む。
  二十日   日赤有功会総会。ロイヤルホテル。安子も一緒。講演、日本銀行前橋
支店長、金融の話。懇親会。中華料理で一杯飲む。
  二十四日  母の命日。美枝子の車で安子と長伝寺。墓参。
  二十六日  頼政神社のお祭り。
  二十九日  ロスアンゼルスへ出発。ビジネスクラスで安子と一緒。ヒルトンホテ
ル。
  三十日   洋一の運転、レンタカーで見学。
六月一日    ぺんてるオブアメリカ、篠田取締役が車を持ってきてくれたので、イ
ーストマンを訪問。その他いろいろの店を見る。夕食はだるま。
  三日    ロスより無事帰国。
  十二日   大正会に古川雅子さんを呼んで、少し話をしてもらって、一杯飲む。
  十四日   洋一、コクヨの北欧旅行へ参加。
        中曽根弘文参議院議員の激励会。
  十八日   詩吟の稽古。
  十九日   ミヤギ新築祝い。六F洋食。五F和食。素晴らしい会。
  二十二日  シャチハタ飛翔会。名古屋キャッスル。ヒルトンホテル。一泊。
  二十三日  明治村から国宝犬山城。如庵茶室を見る。
  二十四日  日赤高崎支部の会合。安子も出て賑やか。
  二十五日  関口整形外科。詩吟の稽古。
  二十八日  神保幸男家、法事。ビューホテル。
        藤塚広瀬本家の法事。
七月四日    軽井沢。専務の車で安子も一緒。
  八日    高玉病院。
        高中の三十四回同窓会。信州上山田温泉。正明館。出迎えのバスで二
十三名、よく乗った。
  十一日   専務の車で小諸のヤマダ電気。冷蔵庫を求めた。星野山荘へ。
  十七日   洋一一家、米国旅行へ出発。
  二十日   セーラー万年筆全国会長会議。パレスホテル。
  三十日   詩吟の稽古。
八月五日    高玉病院。
  七日    文具の日のキャンペーンの反省会。浅草ビューホテル。
  二十一日  経済懇話会納涼例会。暢神荘。
        ずっと専務の車で団地へ。
  二十六日  高玉病院。
九月二〜九日  エコール連合のカナダ旅行出発。団長を仰せつかる。
        バンクーバー泊まり。バンフ、コロンビア大氷原。
  五日    太田屋、都丸社長死亡。
  十一日   仲秋の名月。
  十二日   ISOT見学。
  十六日   高玉病院。
  二十日   美枝子の車で長伝寺、墓参。
  二十八日  宮元町長寿会旅行。宮城村のぐんまフラワーパーク。
十月一日    武井おじさんに会う。唯一人の叔父。 
  四日    柳家の法事。吹上の竜光寺。
        安子と一緒に柳正男さん主催の法事。
  五日    イスラエル航空、アムステルダム、マンションへ墜落。死者多数。
  八日    プラチナ万年筆全国会長会議。会議終了後、屋形船で天ぷら、日本酒
を飲む。東武ホテル。一人部屋に一泊。
  十日    体育の日。軽井沢へ。洋一の車で安子も一緒。帰りは中軽発の臨時電
車で帰る。
  十一日   信沢つね叔母、一周忌法事。三万円。お清めは岡源。
  十四日   老研病院(高玉病院)。
  十五日   詩吟の稽古。
  十八日   関根夫妻、長谷川氏。四人で旧軽井沢ゴルフ場でプレイ。
  二十一日  JOA例会。十和田湖。
十一月二日   歴史を語る日本名刀展。大泉町文化会館。
   四日   米国の大統領にクリントン氏。
   五、六日 山三エコール創立二十五周年。鬼怒川温泉。ニュー岡部。観光とゴル
フ。
   十一日  高玉病院。安子も一緒。
        午後は県文連の総会をする。中林さんに司会。ターミナルホテル。
   十八日  エコール群馬エリアマーケット部会。
   二十日  日赤高崎支部の役員会。暢神荘。
   二十六日 埼群パイロットSP会役員会。大宮駅ビル。
十二月二日   永和会。天坊。
   五日   健次の七周忌。長伝寺。安子、美枝子、集まって法事。
   七日   塩沢氏が来て、昭和二十二、二十三年ころの話をする(職業補導所時
代)。
 塩沢氏は私が職業訓練所の教官をしていた時の仲のよかった友人。私より少し若いの
だが、なかなか酒が強かった。

   九日   高玉病院。神経内科。血圧一四六―八六。血圧はよい。
        泌尿器科では前立腺は大丈夫。向かいの五十嵐家、火事騒ぎ。
   十三日  火事見舞、さわぎ。
        第九合唱団。素晴らしかった。三千五百円、入場料。
十二月十四日  五十嵐家の葬儀に出る。
   十五日  問屋町の隣の川口社長、死亡。
        詩吟の稽古。
   十八日  アサヒ商会取締役会。投資育成会社から二名。本島会計事務所二名。
三十分位で終了して、大内の弁当(千五百円)。旨かった。
   二十九日 神保氏、石塚氏、三人で忘年会。


記念写真

平成五年 

一月四日    仕事始め。
  五日    清水秀夫氏、死亡。
  六日    皇太子妃、小和田雅子さん決まる。
        少林山、お参り。
  七日    4RC合同新年会。グランドパティオ。
  十日    故清水秀夫氏葬儀。弔辞を読む。
  十一日   映画、寅さんの青春を見る。
  十二日   連雀町新年会。一万円包んで出席。
  十四日   アサヒ商会新年会。ターミナルホテル。
  十七日   安子、俳句の会で伊香保。
  二十一日  三菱鉛筆のユニーク会役員会。福一。
二月三日    高玉病院。安子も一緒。
  四日    藤田の見本市。詩吟の稽古。
  八日    日赤有功会研修会。静岡方面。
  九日    日赤研修会で安子と二人で別行動。熱海で下車してMOA美術館、国
宝、尾形光琳の紅白梅図屏風を見られた。
  十二日   市デザイン振興会年賀状審査をする。
  十四日   田中写真館で安子と一緒の写真を撮る。
 久しぶりに二人そろってきちんとした写真を撮ろうと思い立った。安子も穏やかな笑
顔で、私もいつになくにこやかな表情に撮れていた。
 しかし、この時の写真を三年後に安子の遺影として使うことになるなどとは、夢にも
思わなかった。

  十六日   パイロット埼玉、群馬合同ウキワ会。SP会総会。
        伊勢崎工場を見て、総会。バスで一路、伊香保、木暮旅館。
  二十一日  マリーローランサン展、県立美術館で見る。
  二十三日  宮元町の長寿会。みやま中央店であった。
三月二日    町内の丸山元区長、死亡。
  三日    高玉病院、甘利先生と相談して、四週間一回とする。
 病院に通う頻度が「二週間に一度」から「四週間に一度」になった。体調が良くなっ
てきたことは自分でも感じていたが、医者の診断もその通りだったわけだ。

  十五日   高崎南RCの元会長会議。岡源。
  十八日   お彼岸なので、浦野さんの車で安子と一緒に墓参。
  十九日   千葉君、定年退職、送別会。ワシントンホテル。
  二十一日  昭五会同窓会。そばよし新前橋。十六名。
  二十五日  全文連会長副会長会議。東京ステーションホテル。
        昼食をすませて、四時、帰る。詩吟の稽古。
  二十六日  経済懇話会。市の佐々木助役の話。
  二十七日  上信越自動車道開通。初乗り。素晴らしい。専務の車で、横川のサー
ビスエリアで休憩。アサヒ山荘と帰りは専務の山荘を見て、レストランで食事をして帰
る。
  二十九日  高中三十四回役員会。佐鳥、米桝、金森、四人でターミナルホテルで
、磯部温泉のカンポ会館に決める。
  三十一日  高玉病院。
四月四日    長伝寺檀徒後援会と先祖供養の会。安子と出る。
  十一日   宮元町、第三区の総会に出席。
  二十一日  関東文具健康保険組合の役員会。目黒雅叙園。
  二十八日  高玉病院。高松郵便局の同窓生、三井田さん、死亡。
五月六日    安子、同窓会で大島へ行く。
  十二日   県文連の役員会。ターミナルホテル。
  二十二日  亡母の十八年忌。長伝寺。美枝子の車で、安子も一緒。
  二十五日  日赤有功会総会。前橋ロイヤルホテル。帰りは善如寺さんの車で送っ
てもらう。
六月九日    高中三十四回同窓会。磯部の簡保会舘。
  九日    皇太子さま、小和田雅子さまの結婚の儀式。
  十四日   重要刀剣「来倫国」を県立博物館に寄贈。中島甲冑堂、一緒。
  十七日   安子、三菱鉛筆、椿山荘一泊旅行。
  十八日   宮沢内閣、解散。
        美枝子と一緒にゴルフ練習場。
  二十二日  稲川庫太郎氏と金沢子卿氏の合作展。すずらん、一枚購入。
  二十三日  美枝子の車で、安子と一緒に高玉病院へ。
  二十四日  欧州旅行。トランクを出す。
  二十五日  日赤高崎地区有功会役員会。暢神荘。
  二十九日〜 エコール欧州旅行出発(七月四日まで)。パリ。安子一緒。
        ドモア、ウィーン、ロータリークラブ、メーキャップ。ウィーンの森
。中央墓地。ザルツブルグ。
 私は外国に行くと、必ず現地のロータリークラブを訪問してくる。
 初めて訪れたウィーンは、さすがに音楽の都だけに、芸術の雰囲気にあふれていた。
著名な音楽家の墓などもあり、ひときわ印象に残る旅となった。

七月六日    帰国報告。公園亭。片岡、神保、桜井、吉田。
        詩吟の稽古。
  十二日   中曽根弘文会に出る。
  十三日   北海道南西部で強震。M七・八。死者百三十名。奥尻島全滅。
  十八日   衆議院総選挙の日。
  十九日   パリ祭。県民会館へ。芦野弘、石井好子出演。
  二十日   セーラー万年筆全国会長会議。パレスホテル。
  二十一日  高玉病院。ユニーク会総会。ターミナルホテル。
  二十三日  マックス会ボイスクラブ。水上高原プリンスゴルフ場。(玉村、高崎
工場見学)。
  二十七日  井上房一郎氏、九十五歳死去。
 高崎の文化の向上に大きく貢献した井上氏とは、水原徳言氏を通してのおつ合いであ
った。「文化とはいかなるものか」といったテーマについて、多くのお知恵をいただい
たのであった。

  二十九日  故井上房一郎氏通夜、密葬。 
  三十日   吉田宗夫さん藍綬褒章。祝いの会。ターミナルホテル。
  三十一日  洋一、オランダ、ドイツ旅行に出発。
八月五日    専務の車で、安子を乗せて県立歴史博物館で、先日寄贈した来倫国の
刀が飾ってあるのを見た。寄贈者の名前が出ており、寄贈してよかったと思う。
        詩吟の稽古。
  六日    高崎まつり。事務所開き、そのあと群響のコンサート。音楽センター
。
  七日    山車について回る。
  八日    高崎まつり、花火大会。
  十日    安子と東京へ。江戸博物館。デパート、やぶそば、そのあとドーム。
  十二日   真理子さんの車で安子を連れて軽井沢へ。広い部屋は洋一の関係で、
画廊となっていた。
  十三日   軽井沢、二日目。浦野さん一家で賑やか。
        千ヶ滝。ショッピングセンターで買い物をして夕食。
  十四日   軽井沢より帰る。JRの臨時列車で帰る。
  十五日   お盆で長伝寺の住職に拝んでもらう。
  十六日   小林芳雄夫婦、遊びにくる。
  十八日   高玉病院。泌尿器科と神経科をすませて、十一時三十分頃までに帰る
。
  十九日   詩吟の稽古。一ドル百五円となる。
  二十一日  JRで松本へ。長野経由。信州博へ。タクシーで松本城へ。城の中へ
入ってみる。駅前のうまいそばやでざると松茸入り。九時四十分頃帰る。
  二十三日  太郎、喜寿祝い。77歳。ターミナルホテル。
        安子。洋一夫妻、勲夫妻、孫六人。
  二十七日  台風十一号上陸。東京方面はJR新幹線ストップ。岡源のグルメの会
。
  二十九日  高崎南RC家族納涼会。安子と片岡さん、湯沢へ。
  三十一日  大正会。六時よりワシントンホテルの地下の東武飯店で参加。
九月四日    台風十三号。九州、中部地方、日本海。死者三十四人。不明二十四人
  五日    安子、俳句の会で草津へ。
  八日    高玉病院。十二時前に帰り、東京へ。日本酒センター、三百円で一杯
飲んで、デパートを見て、帝国ホテルへ。ぺんてるのISOTの前夜祭のパーティー。
帝国ホテルのサロンドテでの、ナタデココ、ハロハロ、旨かった。
 この時、全国で大流行した「ナタデココ」を初めて食べてみた。帝国ホテルのラウン
ジ。多少の気恥ずかしさはあったが。

  九日    井上工業、房一郎氏の社葬。音楽センター。
  十日    ターミナルホテル。片岡さんを誘い、肥後玉翠先生の催しを見る。
  十七日   三菱鉛筆の新製品発表会。厚生年金会館。
  二十日   彼岸入り。長伝寺墓参。
  二十三日  お彼岸の中日。長伝寺の住職、来る。
  二十六日  大相撲。曙優勝。
  二十七日  内田洋行宮崎専務。定年なので相談役となる。
  二十九日  高玉病院。内田洋行友の会に出席。パレスホテル。
十月三日    関根夫妻、長谷川専務、公園亭で昼食をすませて、夕食は軽井沢飯店
で、紹興酒二本を飲む。旧軽でゴルフ。
  五日    JOA例会。全日空、山口宇部空港。湯本温泉一泊。
  六日    青海島へ行ったり、観光して帰る。
  七日    NOMDA二十周年記念総会。ロイヤルパークホテル。
  九日    小板橋家とりんご狩り、松茸狩り。松井りんご園。
  十日    中村菊次氏、死亡。
  十三日   プラチナ万年筆火災互助会。前泊、羽田東急ホテル。
  十四日   七時五十五分。ANAで熊本空港へ。九重レイクサイドホテルへ。個
室へ入る。二十八名。
  十五日   別府温泉、地獄めぐり。的山荘。城下カレイ。帰る。
  十七日   国際ロータリー二五六地区大会。前橋県民会館。
  二十日   全文連総会。工業クラブ。
  二十一日  パイロット万年筆全国ウキワ会。仙石原パレスホテル一泊。
  二十二日  箱根カントリークラブでプレイ。五十九、七十。
  二十四日  高崎南RC東京湾グルメとクルージング船内へ。石坂ピンガさんのシ
ャンソンを聞いて宴会。
 私はシャンソンが好きで、いろいろなステージを楽しんできた。渋川にできたシャン
ソン館にもなんども行ったものだが、やはりシャンソンは心に染みる。そんな魅力を感
じる。

  二十七日  高玉病院。泌尿器科、前立腺を手でさわってみて貰う。
十一月四日   桜井、神保、吉田、四人で旧軽井沢ゴルフ場でプレイ。夜、詩吟の稽
古。
   九日   群馬コクヨ、清水社長夫人、死亡。
   十日   福島の草野さん、死亡。
   十九日  経済懇話会。副知事三津間弘氏。
   二十四日 高玉病院。高々同窓会。魚仲。
   二十五日 組合の大崎氏、葬儀。法華寺。
   二十七日 文具の日キャンペーン打ち合わせ会。共和会館。
   二十八日 宮元町の長寿会旅行。帝劇。浜離宮。
   二十九日 デザイン振興会年賀状展の打ち合わせ。
十二月一日   ぶどうや寄席。歌丸。
   二日   日赤有功会表彰式。有功賞をもらう。
   三日   水戸、藤田社長、死亡。
   四日   洋一、英国へ出発。
   五日   葬儀。水戸斎場。藤田社長。
   七日   高玉病院。本日、胃カメラ飲む。
   十二日  竹市文成さんの叙勲祝い。
   十八日  同級生、植松豊秋氏、死亡。
   二十一日 高崎南RCクリスマス家族会。安子を連れて出席。
   二十二日 小室氏、死亡。通夜に出る。
   二十三日 高崎南RCインターアクトの街頭募金。日興証券前と高島屋前。二千
円入れて満足。
   二十五日 土屋植木屋、二日で四万五千円、支払い。
   三十日  川上整形外科へ姉の見舞い。


西洋人の親切心

平成六年 

一月十一日   安子と落ち合って映画「釣りバカ日誌」と、寅さんの映画を見て、あ
づまでの新年会で飲む。  
  十三日   連雀町の新年会。一万円包む。
  十四日   紀文ずし、天田君を連れて一杯飲む。
  十五日   岩崎君の車で軽井沢へ。坂部先生と話。そのあと上信越自動車道を利
用して帰る。
  十九日   高玉病院。甘利先生がよく診療してくれた。
  二十一日  経済懇話会で真木先生の話がよかった。専務と須藤氏と三人で日高病
院へ小林君を見舞う。
  二十二日  安子を連れて江戸博物館で、古代エジプト展を見てから、エコール見
本市を見て、新橋演舞場で五木ひろしショー。
二月四日    三越へ。そのあと関東文具健康保険の役員会に出て、二次会、有文堂
の赤鬼へ行く。よい店だ。
  七日    キヤノン販売全国販売店会議。幕張の新しい建物で滝川会長、武本社
長の話。
  十三日   中部名店街のみやまで宮元町長寿会。そのあと松浦市長の新年会。
  十五日   神保氏の車で、榛東村の田島氏のハルナクリスタル工場見学。福沢一
郎氏の美術館。
  二十一日  日赤有功会役員会。暢神荘で一杯飲んで帰る。
  二十五日  岡源のグルメの会。安子と一緒。
        このところ帰りは二時五十分の中央バスを使う。
三月四日    十時三十分、中島甲冑堂の車で岩鼻の歴史博物館へ。昨年寄贈した来
倫国の短刀に対して、知事感謝状贈呈式に出席。
  五日    前橋テルサ寄席。楽太郎。
  六日    佐鳥夫婦の車に便乗して、安子を連れて本郷の土岐医院へ。中をよく
見せてくれたが、なかなか立派。うらやましい。
  十一日   全文連会長副会長会議。東京駅のステーションホテル。
  十九日   お彼岸で、美枝子の車で長伝寺墓参する。帰りに剣崎の市川で玉子焼
きとざるそば。
  二十日   昭五会同窓会。ホワイトイン。十三名。
  二十三日  酒井氏を訪ねてパレンバンの話をする。
  二十四日  日赤有功会、観劇会。帝劇。安子と一緒。
  二十五日  伊東屋、義孝会長、百歳お祝い。JOAの会、二万円。
四月三日    長伝寺、先祖供養の会へ。安子とタクシーで。
  四日    相生町武井さんへ近火見舞い。ラメーゾン三千円のケーキ。
  五日    四時に金子さんが見えたので、文箱代五十八万円支払い。
  六日    洋一一家、美枝子一家、合同で花見の会。
  十二日   関東文具健保理事会。第一ホテル。フルコースで会食。
  十三日   高玉病院検査。CT異常なし。
  十六日   宮元町第三区総会。片岡区長。
  十八日   八木昭氏、死亡。
  二十四日  松風流盛花、三世家元継承招待。
        桜井さんを誘って、バスでニューオータニ。一時よりセレモニー。塚
越氏は優秀だ。祝賀宴。
  二十六日  中華航空A300。名古屋空港で着陸失敗、炎上。
五月三日    軽井沢。佐鳥君夫妻を招待する。一泊。
  八日    群バスで日光と塩原温泉。安子と一緒。東武ワールドスクエアー見学
。
  十四日   県連役員会。
  十八日   平成六年全国赤十字大会。明治神宮会館。皇后陛下以下各妃殿下ご臨
場。余興は水前寺清子。
  二十日   専務とプラスランド見学。高橋社長の案内で見学。昼食を御馳走にな
り帰る。      
  二十一日  二時過ぎ、美枝子の車で安子と一緒に高島屋でショッピング。そのあ
ともりやで一杯飲んで、とりそばで夕食。
  二十二日  岩崎君の車で安子と一緒に長伝寺へ亡母の墓参する。八幡庵でそばを
食べて帰り、安子は俳句の会へ出る。相撲は貴乃花優勝。
  二十六日  頼政神社お祭り。八木昭氏合同社葬。問屋町センター。詩吟の稽古。
  三十日   日赤群馬友好会総会。厚生年金会館。安子一緒。
六月一日    本日より翼システムのPOSレジスターが入る。
  二日    シャンソン館へ岩崎君の車で。石坂ビンガ、栗原道子、真帆しぶき、
芦野宏。とてもよかった。
  七日    山三エコール取締会。東京会館。
  八日    高崎南RC。肥後玉翠詩吟、合吟をする。
  十日    日赤高崎地区役員会。暢神荘。
  十一日   台湾へ。国際ロータリー世界大会(十四日まで)。安子も一緒。  
   
  十六日   関東文具健康保険組合役員会。花巻ホテル紅葉館。一泊。一人部屋。
  十七日   花巻温泉。よく寝られてマイクロバスで中尊寺。もう三回目だ。金色
堂を見て、毛越寺を見て帰る。
  十八日   池袋のセゾン美術館でタウト展を見て、山三事務機の役員会で東天紅
で夕食。
  十九日   渡辺敦さんの奥さん、順子さん、亡くなる。
  二十日   渡辺順子さん、葬儀、告別式。岡源で直会。
  二十一日  JR資材協力会会長になる。
  二十五日  高中三十四回同窓会。暢神荘。二十一名。
  二十七日  日赤高崎支部総会。安子と一緒に暢神荘。
七月六日    高玉病院。泌尿器、前立腺、大丈夫。甘利先生。脳の方も大丈夫。
  七日    北関東セーラー万年筆会長会議。九時五十六分のぞみで広島駅。天応
工場。そのあと呉の阪急ホテル。タクシーで昔懐かし住居跡へ。二河川と高台の昔の住
家付近を見て一泊。
 海軍中佐で海軍大学の教授だった父親の仕事の関係で、私たちは一時呉に住んでいた
。何十年かぶりに訪れたが、思い出の川も残っており、小学生時代の自分の姿が浮かん
でくるかのような思いに包まれた。この地も、まぎれもなく私の故郷のひとつなのだろ
う。そう実感した。

  八日    海軍兵学校見物。昔亡父がここの学校の教官。のぞみで帰高。
  九日    岩崎さんの車で軽井沢へ。途中妙義美術館へ。トイレ休憩。坂田先生
のゼミナールを一寸みる。
  十一日   梅雨明け。
  二十一日  詩吟の稽古。
  二十三日  スペースシャトル、コロンビア。向井千秋さん、無事帰還。
  二十八日  水原徳言氏のブルーノタウトの講演会。三百名。
八月三日    サンパレスで大正会に出る。
  六日    高崎まつり、一日目。
  七日    高崎まつり、二日目。猛暑。三十八度。花火大会。
  九日    洋一、世界一周旅行に出発。
  十日    日赤高崎支部役員会。暢神荘。高橋市議の車で帰る。
  十四日   九時三十分、岩崎君の車で長伝寺へ墓参。そのあと浅野パンで買い物
をして、二階のレストランで昼食。二千八百円のランチ。山荘で勲さんの車で一路松本
へ。松本城を見て、小林そば屋の旨いそば。
  二十日   ターミナルホテルでの横田初英氏の叙勲を祝い、瑞宝章受章記念祝賀
会に出る。二百五十名。
  二十五日  資材協力会研修旅行。中尊寺、藤原の里。五十名。安子も一緒。初め
ての会長なので、ちょっと挨拶をする。充分飲んで、安子と一泊。
  二十六日  盛岡のわんこそば。二十八杯食べた。小岩井農場。土産物は宅配便。
  二十七日  美枝子の車でマツヤ。バーバリーのポリエステルが入ったスーツが気
に入った。九万六千円と五万五千円以下。
 私はバーバリーの洋服が好きで、コートなどをよく買う。仲良くしていた洋服屋が安
くしてくれたので、気軽に買った。私の好みを知っている子供たちがプレゼントしてく
れたこともあった。

  二十九日  問屋町センターの権田事務局長、死亡。武内まで焼香。
九月一日    国光さんが始めた「お元気ですか」オープン。
  七日    安子、俳句の会で草津へ。
  八日    勲さんがキヤノンの北海道大会でゴルフ優勝。
  十一日   柳の政男さん、道子、かずこさんが来て、お茶室で接待する。
  十二日   誕生日。三菱鉛筆よりお花が来て嬉しい。
  十四日   八百屋、水友で松茸を買う。
  十九日   岡源グルメの会。
  二十日   岩崎さんが来てくれて、お彼岸の墓参。
  二十二日  高中三十四回同窓会。米桝君死亡。翌日葬儀に出る。
  二十六日〜 プラスのバリ島招待会出発(十月一日まで)。四十名。ビジネスクラ
ス。安子も一緒。帰りはファーストクラスに乗せてもらい、素晴らしい。
十月五日    高玉病院。三菱鉛筆の新製品発表会。安子と一緒に出席し。昼食旨か
った。タクシーで帰る。
  八〜十五日 エコール連合のスペイン旅行。ビジネスクラス。
        ガウディのグエル公園で一時間待って、両陛下お出迎え。
 九月のバリ島旅行では、安子と二人でファーストクラスに移った。安子も満足そうだ
った。
 翌月にはスペイン旅行に行った。この時に旅先で天皇皇后両陛下にお会いした。ご公
務でみえていたのであろう。私たちは予定をキャンセルしてお二人を待つこと一時間。
陛下にお目にかかることができた。信じてはもらえないかもしれないが、握手できたの
だ。国内では考えられないことだが、旅先のハプニングと言うべきか。
 この旅で、バスの中にカメラを置き忘れてしまったのだが、一カ月後に帰ってきた。
西洋人の人情、親切心も捨てたものではないと思ったことだった。

  十九日   全文連総会。渡辺氏からミヤギさんに交代。日本工業クラブ。
  二十日   パイロット万年筆常任理事会。東京ベイヒルトンホテル。一人部屋で
一泊。田中仙次様と会えた。
  二十一日  ディズニーランド見物。詩吟の稽古。
  二十九日  群馬県連総会。
  三十日   関根夫妻、長谷川氏と安子をつれて昼食。公園亭。二万円。公園亭、
安くはない。
  三十一日  旧軽でプレイをする。
十一月二日   高玉病院。
   三日   文化の日は文具の日。
   七日   海老原英吉氏、死亡。
   十日   松沢睦後援会。グランドパティオで。
        詩吟の会、本島経理事務所。
        高島屋へショッピング。スペイン旅行でバスの中へ置き忘れたペンタ
ック スのカメラ、帰る。
   十三日  ピアノ発表会に孫の大地くんと琢磨(たくま)くん。
   十七日  帰宅したら、鍵がかかっていたので苦労をして、何とかなった。片岡
さんの所でムスビを食べて、町内の葬儀の受付をする。詩吟の稽古。
   十九日  えびす講。農業祭。 
   二十二日 群馬コクヨのゴルフ会。伊香保カントリークラブへ。勲さんにゆずっ
てしまったのでメンバーでなく、ビジターとなる。
   二十三日 肥後玉翠先生、三十年記念大会で、速い新幹線のぞみで一路広島へ。
広瀬、久保田、豊泉、桜井氏等と合吟。寒梅を歌ったが、マイクの位置が悪いので、う
まくできなかった。
   二十四日 厳島神社へお参りをして、原爆塔を見たり、資料館をみて、のぞみで
帰る。もみじまんじゅう、みやげ。
   二十九日 高崎南RC夜間例会。音楽センター、ボニージャックス歌う。
   三十日  高玉病院。甘利先生のところ。血圧一七二―一〇二と高い。
十二月四日   健次の墓参。そのあと美枝子夫婦と四人で長伝寺。八幡庵で食事。
   五日   日赤有功会役員会。小関会長の挨拶。
        高橋市議の車で送ってもらう。
   七日   エコールステイショナリーチェーンの役員会に出て、一人部屋がとれ
たので、大観荘へ一泊(熱海)。
   十日   第九合唱団、ベートーベン交響曲。素晴らしかった。音楽センター。
   十一日  宮元町長寿会。森光子の放浪記。芸術座。とても分かりやすく、十一
時三十分開演。三時終了。
   十三日  高崎南RC例会。キヤノン優勝記念。ターミナルホテル。
   十五日  資材協力会役員会。勝よし。
   十七日  三菱鉛筆ユニーク会役員会。ターミナルホテル。六時、別室で懇談会
をやり、充分飲んで食べて、七時前に帰る。
   十九日  前橋保護観察所、十万円寄贈して法務大臣表彰。群テレに出る。
   二十三日 高崎南RCインターアクト街頭募金。
   二十四日 クリスマスパーティー。御馳走ある。
   二十六日 マッキントッシュのコンピューターを買う。
   二十七日 乾正典医師、お通夜。


二度目の紺綬褒章

平成七年

一月十三日   アサヒ商会新年会。仙水。
  十四日   JR益子焼と笠間神社、初詣の旅。
  十七日   兵庫県南部大地震。死者八百〜千百人位。M7直下型。
  十八日   兵庫県南部大地震。死者千五百九十〜二千人位。
        JR資材協力会新年会。ターミナルホテル。
  十九日   地震の死者は二千五百八十九〜三千五百人に。なお六百人行方不明。
        詩吟の稽古。
  二十日   地震の死者が四千四百十二人に。六百五十六人不明。
  二十一日  地震の死者が四千六百九人に。六百二十七人不明。
        小串君宅、中野、つきない話をして、そのあと帝劇へ。
  二十二日  安子、俳句の会。福一へ。
  二十五日  高玉病院。小便の近いのは脳梗塞の疑いあり。
  二十七日  日赤の会で暢神荘。
        町内の会で公園亭。
  二十八日  阪神大震災、どんどん復興する。 
        洋一はヨーロッパと米国へ出かける。
        夕食は安子と藍屋で二千八百八十円。
 藍屋で安子と夕食。自宅に近いし、ファミリーレストランだから安いのだが、豪華な
雰囲気の食事ができるので、たまに利用している。いつも大賑わいなのには驚かされる
。

        大震災の死者は五千九十二人。まだ十二人不明。
  二十九日  松浦市長、幸濤会。ホワイトイン。
  三十一日  年賀状展審査会。市会議室。
二月一日    永和見本市。森平氏、カワムラ氏、太田屋と会う。
  五日    安子、高女の同窓会。
  七日    洋一、欧米旅行から無事帰国。
  十日    希望館病院へ姉・関根一枝を見舞う。
        この前後ずっとおばさん、柴ちゃんが来て夕食を作る。
  十五日   関根一枝、死去。
  十六日   関根一枝、お通夜。
  十七日   関根一枝、告別式、葬儀。
 姉は関根家に嫁いでからも、ずっとアサヒ商会で仕事をしてくれた。母親似でなかな
か強情なのだが、そんなしっかりした姉にどれだけ助けてもらったことか。いくら感謝
してもし切れない。姉の夫の関根氏は群馬銀行専務から群馬テレビ社長を務めた。この
夫婦の息子が、現在のアサヒ商会専務として頑張ってくれているのである。

  二十日   プラチナ万年筆全国会長会議。東武ホテル。
  二十一日  関根一枝のひと七日。
  二十二日  高玉病院。
  二十三日  パイロット万年筆の埼玉群馬合同総会が五反田の本社で行う。そのあ
と横浜へ出て、日本で一番背の高い、スカイガーデン。六十九階を四十五秒であがる。
中華街で夕食。
  二十四日  二回目の紺綬褒章をもらう。詩吟の稽古。
 紺綬褒章とは、多額の寄付など、公益への貢献に対するもの。五十二年三月に続いて
の受章だ。
 企業のトップとして、自社だけではなく地域社会への貢献が第一と考えていた私は高
崎市をはじめ日赤へも毎年寄付を続けてきた。それが市民一人ひとりの幸福につながる
ことを念じてのことだ。
 それだけに、この受章は私にとって最高の「勲章」と言える。

  二十五日  一成君、慶応大学合格。安子とビールで乾杯。
        小串君に連絡。
  二十八日  岩出常三郎、一周忌。ロイヤルパークホテル。
三月七日    高崎南RC連続出席。四十年のお祝い。メンバー全員に名入りボール
ペンを差し上げる。六時よりあづまで祝賀会、出席。
  八日    パレンバン慰霊祭に出発。シンガポールでバスに乗り換えて、ジョホ
ールで飛行機、故障。さんざ待ってサンジャホテル、十二時過ぎ。
  十日    慰霊祭会場はよくできて立派。
        参加者七十名。十時三十分、開会。慰霊祭は靖国神社の神官が二名参
加。儀式があって献吟。海ゆかばの合唱。懇親会があり、日本酒が一杯飲めた。アトラ
クション。タクシーでホテル。少し町を見て、パレンバンRC、メーキャップ、面白か
った。
  十一日   シンガポール観光。ショッピング。
  十三日   JALで帰る。
  十七日   経済懇話会。自衛隊第十二師団長阿部陸将(中将)の話がよかった。
  十八日   お彼岸なので美枝子の車で、安子も一緒、墓参。
  十九日   昭五会同窓会。公園亭。十五名。
  二十日   地下鉄サリン事件。死者六名。三千二百名、被害。
  二十一日  お彼岸なので長伝寺住職が来る。
  二十二日  高玉病院。コンピューターが動き出してない。早く帰る。
  二十二日  一成、慶応大学合格の挨拶。
四月二日    関根一枝、姉、三十五日の法事。
        安国寺、七十名集まる。法要後、お清め、岡源。献杯をする。
  三日    田胡吉一氏、死亡。
  四日    田胡吉一氏、葬儀。田中屋、お清め。
  六日    丸山さんの葬儀。プリエッセ武内。受付をする。
        詩吟の稽古。
  七日    松沢県議の事務所へ。応援をする。
  八日    公園の桜、満開。
  十日    東京都知事、青島幸男氏。大阪府知事、横山ノック氏。
  十四日   アサヒ商会花見会。
  十五日   佐鳥夫婦、広瀬夫婦、公園亭、花見食事会。
  十六日   松浦市長が三選。
  十九日   高玉病院。
  二十二日  深堀市会議員、陣中見舞。
  二十九日  連雀町の佐藤クリーニングの奥さん、法事。
五月九日    安子、同窓会で京都。
        大正会、暢神荘。出席。
  十日    日赤高崎地区会長副会長会議。暢神荘。
  十二日   JR資材協力会役員会。須藤氏の車ですし勝。JR側は桜井課長他二
名がみえた。詩吟の稽古。
  十三日   軽井沢へ。岩崎くんの車。坂部先生の勉強会をみる。
  十四日   帰りは旧道を走って、古い坂本の看板を見たり、アプト式、めがね橋
も見る。
  十六日   日赤群馬地区有功会総会。厚生年金会館。
  十六日   オウム真理教、麻原逮捕。
  十七日   高玉病院。甘利先生休み。詩吟の稽古。
  十九日   経済懇話会。市の第一助役。面白かった。
  二十一日  大相撲、貴乃花優勝。
  二十六日  頼政神社例大祭。
  二十九日  高々三十四回同窓会。十二人。出迎えのバスで関越高速で湯沢へ。人
員が少ないので佐鳥、広瀬はダブルで参加。
六月七日    高玉病院。
  十一日   高崎南RC主催の「日帰り満喫アジサイ鑑賞と北鎌倉散歩の旅」、
「ホリデー北足鎌倉」に参加。九時二十二分、北鎌倉駅へ。円覚寺を見て、懐石料理を
食べて、明月院、建長寺、鶴ヶ岡八幡宮を見て帰る。
  十三日   NOMDA全国大会。札幌大会に参加。安子も一緒。ロータリークラ
ブ訪問。とてもよいクラブ。三時よりのロイヤルホテル大会に出て、表彰される。その
あとワシントンホテル一泊。
  十四日   パレンバン行きで知り合った鈴木さん、案内してもらって三時のフラ
イトで帰る。
  十七日   山三エコール取締役会。上野精養軒。詩吟の稽古。
  二十日   父の日プレゼント。バーバリーコートとダックスシャツ。大正会。魚
仲。
  二十二日  資材協力会総会に出席。桜井課長以下三名出る。
  二十四日  宮元町長寿会旅行。湯沢東映ホテル。
  二十六日  高崎南RC最後の例会。岡源。
  二十八日  日赤の役員会。暢神荘で行う。
  二十八日  関東文具健康保険組合役員会。名古屋で乗り換えをして岐阜へ。タク
シーでホテルへ入り、会議終了後、鵜飼いを見る。
  二十九日  犬山城を見学して帰る。
七月三日    岩崎さんの車で熊谷リケン。何年も昔、作った工場もあったが、大体
新築されて、大きな自動車部品工場になっていた。ピストンリングはもう作らない。
  五日    高玉病院。泌尿器科も神経、甘利先生のところも早く終わったが、や
はり会計に手間がかかる。
  八〜十五日 コクヨ、ハワイ旅行招待会に出発。安子も一緒。ホノルル、ヒルトン
ホテル。
  十七日   シャープのクーラー取り付け。
  二十一日  土用うしの日。ウナギ高弁、岡源。
  二十三日  知事、参議院の選挙。安子と一緒に投票する。
  二十四日  全国セーラー会総会。パレスホテル。
  二十五日  高崎南RC最終例会。岡源。
八月二日    高玉病院。
  五、六日  高崎まつり。花火大会。
  八日    大正会。多胡のやな。
  十二日   会社休業入り。
        洋一と墓参。八幡庵でそば。
  十四日   関根一枝さんの新盆。
        軽井沢行き。
  二十二日  真夏日、連続三十一日。
  二十五日  交通センターで免許証更新。
  二十六日  専務の車で軽井沢、一泊。
  三十日   高玉病院。
  三十一日  キヤノン御手洗会長急死される。
九月七日    ISOTぺんてる前夜祭。
        安子と一緒で帝国ホテルへぺんてるの前夜祭。ISOT名物の大パー
ティーに参加。酒も料理も豊富で、老人座席もよかった。ツインの部屋で一泊。
  八日    一成君と大地君が来たので、安子と一緒に鷹の羽ずしで一万円で一成
君の帰国祝い。
  十二日   高崎資材協力会の旅行。十和田湖畔。桜井課長以下六名も同部屋で、
いびきをかいてねる。
  十三日   高玉病院へ行くので、一人で先に帰る。高玉病院で診察を受ける。
  十四日   藤田の見本市。前橋文化会館で竹村健一の講演。
  十六日   洋一の車で安子も乗せて、長伝寺へ墓参。
  十九日   日本アジア航空で台北へ。台北RCの三十五周年のお祝い(二十一日
まで)。
  二十四日  渋川文化会館に群馬県吟創詩舞大会に合吟する。
  二十五日  六時より台北旅行の一行でスッポン料理で万払い。
十月四日    高玉病院。
  六日    JOAの例会。信州上林温泉。
  七〜十四日 エコールのVIP旅行会に参加。
        JALビジネスクラスでメキシコシティ。
        太陽のピラミッド、月のピラミッド。
 同じ形のピラミッドでも、エジプトのピラミッドと違って、墓ではないのだという。
同じ為政者でも、国によって考え方は違うものだ。

  十七日   パイロット万年筆会長会議。箱根パークホテル。一人部屋一泊。十国
峠ドライブ。富士山がよかった。熱海MOA博物館見学。
  二十日   高崎南RC島方氏急逝。通夜に行く。
  二十二日  宮元町長寿会で芝居見物。雪国。
  二十四日  プラチナ万年筆全国会議。軽井沢72ゴルフ場。
  二十五日  プラス今泉喜久社長のお母さん、七十六歳で亡くなる。巣鴨とげぬき
地蔵、高岩寺、告別式。
  二十六日  桜井さん、渋川の北関東循環器病院。見舞って帰りにシャンソン館を
見る。
  二十七日  永和見本市。
        三菱鉛筆新製品発表会。新前橋厚生年金会館。
        日赤高崎支部。暢神荘。
  二十九日  千葉の関根夫妻が来たので、公園亭で昼食。四千円×三。そのあと一
路軽井沢へ。長谷川部長も来て、軽井沢飯店で中華料理。紹興酒で宴会。
  三十日   旧軽ゴルフ場でプレイする。
十一月一日   高玉病院。安子、心電図をとってもらう。
   三日   公認会計士で、長伝寺の副総代の勅使河原氏が亡くなり、葬儀に出る
。
   四日   洋一夫婦と安子と四人で、キリンビール見学。
   六日   エイコウ電気で叩いたりもんだりできる医療用椅子を買う。
   七日   インターネットをアサヒ商会がするので、井上工業の福田さんも参加
。
   十一日  天田君、結婚式。
   二十四日 プラスランド見学。安子を連れて工場見学後、音羽クラブでフランス
料理。ワインを飲んで一泊。
   二十八日 高玉病院。甘利先生にメキシコ土産品。一ノ瀬先生はボールペン。
   三十日  群馬県日赤有功会の表彰式。マーキュリーホテル。
十二月一日   群馬インターネットオープン。
 これからの時代はコンピューターが主役。インターネットの世界になることは確実と
考えて、アサヒ商会としていち早く取り組んだわけだ。
 洋一がコンピューターにたけていたことは心強かった。五十六年には問屋町にマイコ
ンルームを開設。スタッフも揃っていったから、マイコンルームは連日大にぎわいだっ
た。
 その後のインターネットの広がりを見ていると、私たちの考えが間違っていなかった
と感じる。洋一は県内のパソコンの世界を開拓してきた第一人者。「親子そろって新し
いもの好き」といったところだろうか。

   二日   永和会感謝の集い。ホテル天坊。
   三日   長伝寺で健次の墓参をした。
   六日   エコールステイショナルチェーンの会で、熱海の大観荘一泊。
   九日   千葉、関根家の長男、結婚式に出席。ホテルマンハッタン。
   十四日  資材協力会の役員会。桜井課長以下九人出席。
        詩吟の稽古。
   十七日  ベートーベン、第九交響楽団。音楽センターでよかった。
   十八日  アサヒ商会取締会。本島さんも出席。
   十九日  高崎南RCクリスマスパーティー。ターミナルホテル。安子も一緒に
出席。
   二十日  埼群パイロットはパイロット関越販売に改める。
   二十二日 美枝子と一緒に、渋川のシャンソン館へ。芦野宏のシャンソンがよか
った。
   二十三日 インターアクト募金に協力。
   二十九日 土屋ガーデン、植木の手入れ。四万円。


安子との別れ

平成八年 

一月四日    橘内科。真木外科。
  六日    マツヤ、バーバリースーツ。九万二千円のところバーゲン五万五千円
。
        刀剣展。シティギャラリー。
  八日    関口整形外科。
  九日    連雀町内新年会。一万円包む。長谷川ホテル。
  十日    五RCの合同新年会。ビューホテル。
        高玉病院。横山君の車。
  十一日   詩吟の会。人数が少ない。
  十二日   アサヒ商会の新年会。「しま」。
        松浦市長の会がホワイトイン。
  十六日   桜井、片岡、吉田、神保、阿久沢氏、あづまで新年会。
  十八日   JR、資材協力会の新年会。新年の挨拶。ターミナルホテル。
  十九日   安子と阿部へ行った。オーダーメードのスーツ、二着。八万円。
  二十日   エコールの見本市。安子も一緒。帝国劇場を見る。
  二十二日  橘医院へ。
  二十二日  今月入社の若者、関野君と一緒に宮元町のマックでインターネットの
ため線をはったり、四時頃までにだいたいできる。
  二十四日  美枝子の車で高玉病院へ。泌尿器は大丈夫。永和の見本市へ。
        三菱鉛筆ユニーク会の役員会。東天紅。
  二十五日  デザイン振興会の年賀状展審査会に出る。
 毎年、市内の小中学生の年賀状コンクールがあり、審査員を務めている。いろいろ面
白いものがある。子供らしいノビノビした発想のもの、流行を取り入れたものなど、見
ている私たちも楽しくなってくるものばかりだ。

  二十八日  美枝子の車ですかやのそばを食べる。
  二十九日  関野君のマックのインターネット指導。
  三十日   高崎南RC、重田ガバナーの公式訪問。
二月三日    専務、ニュージーランドへ出発。
  八日    日赤有功会研修会。バスで出発。老人ホーム。桐生和紙の工房を見て
、織物工場を見て、大川美術館を見て、きのこ会館で一泊。
  十一日   高中三十四回同窓会。十八人。ホワイトイン。
  十二日   十時三十分、美枝子夫、姉が来てくれたので、骨董市。芦野宏、シャ
ンソン館。
  十三日   専務、ニュージーランドより帰る。
  十四日   関東文具健康保険組合役員会。東京会館である。大正会。魚仲。ゲス
ト金子医博「酒と健康」。
  二十一日  高玉病院。全部大丈夫と言われた。
  二十四日  吉野錦子さんの告別式。
  二十五日  一成くん、インドの南より電話あり。
        マツオカでバーバリーのハーフコートを七万円で買う。
三月十四日   琢磨くん、高々合格。広瀬家で五人目。
  十五日   経済懇話会。松沢県議の南極の話。
  十六日   お彼岸なので、長伝寺まで墓参する。
        八幡庵でうまいそばを食べる。
  十七日   昭五会。萬年屋。清水先生へプレゼント。十九名。
 小学校の同窓会には百歳近い恩師の清水先生が元気に出席して下さる。私はいつもプ
レゼントを持っていくのだが、先生が「広瀬君からのプレゼントを楽しみにしているん
だ」とおっしゃるので、私としても張り合いがある。

  二十三日  高崎シンフォニーロータリークラブ認証状伝達式。チャーターナイト
。
  二十六日  全文連会長副会長会議。ホテルオークラのレストラン。
  二十七日  星野歯科。六万五千円×四で二十六万円。
        洋一がアメリカ、ラスベガスとサンフランシスコへ出発。
四月五日    真木外科で痔の治療。
  七日    長伝寺先祖供養の法要。
  十四日   高崎南RC観音山清掃。ボーイスカウト他。
  十五日   日赤有功会の役員会に出席。東急イン。
  十六日   米クリントン大統領訪日。
  二十二日  マニラロータリクラブ訪問(二十五日まで)。
        マニラホリデイインホテル。安子が階段を踏み外してケガ。
五月四日    天田君と軽井沢へ。
  六日    同窓生土岐家へ佐鳥夫婦、広瀬夫婦、土岐夫婦で集まる。庭を見たり
、竹の子を見たり、楽しい時間だ。
  八日    高玉病院。
  九日    文具小売商報四十周年記念祝賀会。ホテルオークラ。三百名。
  十二日   関根兄姉の法事。安国寺。
  十三日   日赤有功会の役員会。厚生年金会館。
  十五日   全国赤十字会。明治神宮会館。皇后陛下。
  二十一日  エコール連合。バリ島旅行(二十六日まで)。安子も一緒。
  二十七日  JR資材協力会役員会。
  二十八日  高崎南RC。早朝例会。竜光寺
  三十一日  日赤有功会。高崎北区役員会。
六月二日    長伝寺へ線香立て寄贈。二十万円。
  九日    松山武郎氏、死亡。
  十二日   パイロット四県合同の会議。
  二十八日  美枝子の車で安子も一緒。渋川市民会館でパリ祭を見る。石井好子、
芦野宏がよかった。

七月二日    高崎南RC。プラスの引き出し、オフィス家具、なかなかよい。ニコ
ニコボックスに五千円入れる。
  九日    安子が突然亡くなる。悲しい。橘医院で点滴中、心臓が止まったので
、井上病院へ救急車で運んだがダメ。
 私には愛妻の突然の死が信じられなかった。その前月まで一緒にシャンソンを聞きに
行ったりしていたのだ。
 亡くなる前の日に、疲れ気味だというので、医者で点滴を受けたところ調子がよかっ
た。ところが、その夜中に安子が目をさまして
「ちょっと苦しい。背中をさすってほしい」
 と言い出した。しばらくさすってやると気分がよくなったようで、寝入ってしまった
。その翌日も同じように点滴を受けたのだが、その途中体調がおかしくなり、別の救急
病院に運ばれたが、息を引き取ってしまったのだ。
 あまりにも突然の、あっけない別れであった。

  十日    安子の通夜。プリエッセ武内。泊まり。
  十一日   安子の葬儀、告別式。お清め、暢神荘。
  十五日   初七日。専務夫婦、安中のおばあさん。内田洋行。桜井夫婦。
  十六日   高崎南RC、ニコニコボックス。三万円入れる。
  二十四日  札幌の鈴木さんより香典をもらう。
  二十七日  榑松、紫檀仏壇、二百十万円。
  二十九日  東鉄工業の新支店長へ挨拶。
  三十日   高崎南RC吉田ガバナー公式訪問。
  三十一日  高玉病院。二時。甘利先生。
八月八日    内田洋行の久田社長、わざわざ、故安子にお線香とお花をくれた。感
謝する。
  十三日   お盆なので、いろいろな人が来てくれた。
        美枝子夫婦、真理子さん夫婦、長伝寺墓参。
  十四日   高玉病院。
  十六日   美枝子の車で浦野で買い物をする。
  二十五日  故安子の七七回忌の法要。長伝寺。親戚、同級生等四十三名集まって
法要後、近くの古久家でお清め。手料理も酒もよかった。
  二十六日  四十九日の法事が無事終了したので、梅玉堂のまんじゅうを、アサヒ
商会と群馬キヤノンの社員全部配布。
  二十七日  故安子の七七回忌も無事終了したので、洋一と一緒に市役所、市長へ
二百万円寄贈する。
  二十七日  片岡、宮川さんにいろいろ世話になったので、公園亭で一杯飲んでも
らう。一万五千円。
  二十八日  昨日、市へ二百万円寄贈したことが上毛新聞に掲載される。渋川RC
の市川医学博士が、洋一にインターネットの講演依頼にみえた。
  三十日   元内田洋行の部長が森本君平氏が、故安子にお線香をあげに来てくれ
て、暢神荘で一杯御馳走になる。
九月二日    日赤高崎有功会へ百万円出す。
  三日    JR高崎支社長、菱沼氏、高崎南RCへ入会。
  六日    ネット茶屋へ入会する。インターネットの勉強。
  十日    あさを社の木部さんと稲川画伯と三人で広瀬家の系譜と故安子の遺句
集を出す打ち合わせをする。
  十一日   ぺんてる五十周年お祝い。帝国ホテル。石井さんに大分世話になった
。一人で一泊。
  十二日   バスでISOT会場で見学。
  十三日   全文連会議。東京会館。
  十四日   軽井沢へ。美枝子夫婦と順君と雨の中、スタート。かぎもと屋でそば
を食べる。一泊。
  十五日   メルシャン博物館。シャガール展。ウイスキーの試飲。浅野屋のパン
、昼食。
  十九日   洋一の車で、渋川RCメーキャップ。堀口大先輩、電気化学時代の須
田さん等、知人がたくさんいて、楽しかった。洋一の卓話が、市川先生に頼られただけ
あって、驚くほどよくできた。おやじの顔がよかった。ニコニコボックスへ一万円。
        詩吟の稽古。
  二十二日  お彼岸の入り。長伝寺墓参り。洋一の車。美枝子一家も顔をそろえた
ので、亡き安子も喜んでいるだろう。帰りは八幡庵。
  二十三日  長伝寺の住職が来る。お経をあげて、一万円と菓子。コジマ電気でビ
デオ付きのテレビを買う。(軽井沢用)
  二十七日  高崎資材協力会旅行。
        トロッコ電車とアルペンルート、小川温泉泊。
  二十八日  立山、黒部アルペンルートバス旅行。
十月一日    三菱鉛筆代表幹事会。帝国ホテル一泊。
  二日    森光子の放浪記を見る。
  六日    アピタへ美枝子夫婦とショッピング。オイルヒーターの予約をする。
  九日    美枝子の車で高玉病院へ。
        三菱鉛筆の新製品発表会で昼食を食べる。
  十日    故安子の百ヶ日法事。洋一の車で藤塚の本家へ寄って、安子の形見分
け。ネックレスをあげて、長伝寺へ。十一時よりお経をあげてもらう。
  十一日   エコール連合のVIP研修旅行でギリシャ、エジプトへ。洋一と一緒
。英国航空のファーストクラス。
 この航空会社のファーストクラスには驚いた。各座席が個室と言ってもいい雰囲気な
のだ。しかもシートはフルリクライニング、つまり完全に水平な格好で眠ることができ
る。乗務員のサービスも素晴らしく、食事も洋食だけでなく本格的な和食も出てきた。
ワインなど飲み物の品揃えも完璧。快適に過ぎる旅が出来たのだった。

  十五日   カイロRC出席。ヒルトンホテル内。
  十九日   帰国。
  二十二日  プラチナ会会長会議。熱海から船で初島のホテル。一人部屋で一泊。
  二十四日  大正会。魚仲。帰りに詩吟の会、出席。
  二十五日  日赤高崎支部の会合が暢神荘である。

十一月三日   軽井沢。三時、天田君の車で出発。
   四日   民生委員、植原幾子さん宅へ。片岡さんと一緒に行き、独り暮しの七
十歳以上の人が呼ばれたわけだ。
   七日   ネット茶屋で勉強。
        岡源グルメの会。安子がいなくなったので美枝子を連れて。
   八日   コムロで一杯飲んで五時迄には帰る。
   十一日  幸濤会。ビューホテル。
        ヒロ子さんに安子の形見分け、ハンドバッグを渡す。
   十二日  あさを社の社長と遺句集の打ち合わせ。
   十四日  稲川氏の車で群馬トヨタの新築落成式に出る。
   十七日  美枝子の車で「お元気ですか」で、少し買い物をしてから、サービス
のうどんで満腹。帰りに安中の家へ。
   十九日  高崎南RCへ出席。夜家族会で岡源へ。
   二十日  ネット茶屋へ。
        荻野芳信氏、県より表彰。そのお祝いに出る。
   二十二日 高崎南RC歴代会長会議。岡源。
   二十五日 高玉病院へ、くすり。
   二十六日 山三事務機の役員会。熱海の大観荘で。風呂も入らず新幹線で帰る。
   二十七日 安子の遺句集と広瀬氏の系譜の本の製作費用として、あさを社の社長
に内金百万円払う。
   二十八日 木暮ジョージの話を聞く会に出席。終わって美枝子の車で浦野で買い
物をする。詩吟の会。

十二月二日   永和会、感謝の集い。伊香保、天坊。上信タクシーで帰る。
   三日   高崎南RCへ出席。本日の会報にエジプト旅行記が載ったので、ニコ
ニコボックスへ一万円入れる。
        日赤高崎支部会で暢神荘。婦人部会ができる。善如寺さん会長。
   四日   高玉病院。会計が三十分くらいで、早くできたので気分がよい。
   五日   美枝子、真理子さん等と健次の墓参。帰りは美枝子の車で北駅の前に
できた魚屋へ行く。詩吟の稽古。
   七日   エコール役員会。熱海の大観荘。一泊する。
   九日   広瀬氏の源流を追って山梨県へ。石和広瀬と塩山市。八時に稲川氏と
木部氏と三人で高速道路を利用して、甲府経由石和町へ。途中、旨いそばを食べる。途
中、富士山、アルプス、よい。石和町役場でいろいろ話を聞き、塩山市も訪れ、関越高
速回りで帰る。八百キロ走った。
   十四日  プラネタリウムで高崎少年科学館で、ピラミッドのミステリーを見る
。
   十七日  高崎南RC例会に出席。六時三十分よりクリスマス家族会に出る。安
子がいないので可哀相。
   十八日  ペルーで一大事故。
   十九日  アサヒ商会決算取締役会。十人足らずで真理子さんの監査報告がある
。
   二十日  JR資材協力会役員会。
   二十二日 水原徳言氏訪問。お見舞い、二万円持参し、全部了解。
   二十三日 美枝子の手料理でクリスマス。七面鳥も食べて、ワインも飲んで大満
足。
   二十五日 高玉病院。新しい所に移る。
   三十一日 真理子さんの年越しそばはうまい。



妻の句集

平成九年 

一月一日    新年会。十一名。寿司二万円。
  四日    テレビで世界不思議発見を見る。
  五日    神保氏、石塚氏と三人であづまで新年会。
  九日    高崎五RC合同新年会。グランドパティオ。
  十六日   初の詩吟の稽古。
  十七日   アサヒ商会新年会。仙水。エコール連合見本市。
  十九日   松浦市長の幸濤会に出席。
  二十二日  高玉病院。雪が降ってタクシーもなく苦労した。
  二十三日  武井末吉氏、たった一人の叔父さん、訪問。
  二十四日  JR資材協力会の新年会。メトロポリタン。
  二十七日  全文連総会。浅草橋。共和会館。
二月六日    藤田見本市。詩吟の稽古。
  八日    「広瀬氏の系譜」、五百冊。あさを社より入る。
  九日    Mrビルドの堀口さん、吉川工業、長井水道が来て、お湯の件でうち
合わせ。
  十一日   美枝子と渋川のシャンソン館へ。一人三千五百円。
  十二日   宮坂和志さん、死亡連絡。
        宮坂和志さん葬儀に出る。プリエッセ武内。
        ネット茶屋へ。夜は詩吟の稽古。
  十四日   大正会。レストラン「くわた」。
  十五日   川倉君と桑風庵へ。一杯飲んで鴨汁そばが旨い。
  十九日   高玉病院。
        西村和子さん、十数年振りに会って、広瀬家の本を進呈。
  二十日   義兄の小林芳雄氏、死亡。
  二十一日  小林芳雄氏、通夜。一杯飲んで八時頃帰る。
  二十二日  小林芳雄氏、葬儀、告別式。
  二十三日  「妻の願いを果たす遺句集と広瀬氏の系譜」の記事が上毛新聞に掲載
。
「広瀬氏の系譜」と安子の遺句集「翠苑」の出版が、上毛新聞に大きく掲載された。系
譜については茶室の設計で大変お世話になった水原徳言さんの力に負うところが大きい
。長年俳句に精進していた安子の句集の完成は、よい供養になったことと思う。

  二十四日  横山秀子さんの母親の通夜。
  二十五日  関東文具健康保険組合の役員会。東京会館。
三月一日    デザイン振興会年賀状展出席。
  四日    高崎南RC連続四十二年出席。
  十一日   JOA例会。グアム、サイパン旅行。美枝子を連れて参加。
  十二日   グアムRCメーキャップ(十五日まで)。
  十六日   昭五会。中央小学校の同窓会。ワシントンホテル。
  十九日   高玉病院。
  二十日   お彼岸の中日。長伝寺で法事。
  二十三日  キヤノン新型カメラ。APS1×YGE型。六万九千円、購入。
  二十四日  日赤有功会高崎支部。暢神荘総会。
        土屋氏の卓話が面白かった。
  二十五日  全文連の会長副会長会議。大阪のプラザホテル。帰りは「のぞみ」で
帰れた。
  二十七日  詩吟肥後玉翠先生より「翠安」の名称を貰う。
  三十日   ヘールボップ彗星、見える。
        竹内英人君、結婚式。ホワイトイン。
四月一日    消費税五%。ラジオ高崎オープン。
  三日    高崎神社。崇敬会出席。
  六日    故小林芳雄氏、四十九日。岡源。石原秀子夫婦。
  七日    マニラRC一行の出迎え。ワシントンホテル。
  八日    マニラRC安子お焼香。お茶室でお茶を出して、渡辺夫妻。李さん夫
妻。写真も写して、そのあと市役所訪問。キリンビール工場。二十八名、乾杯。メトロ
ポリタンホテルで高崎南RC歓迎会。
  九日    大正会。なごみ。
  十二日   宮元町第三区総会。音楽センター会議室。
  十三日   刀剣の手入れ。
  十六日   高玉病院。
        日赤有功会役員会。厚生年金会館。
  十七日   第一家庭電気で食器洗浄器を買う。
        詩吟の稽古。
  二十日   スマトラ時代の御代田さんと斉藤氏が来たので、公園亭でパレンバン
の話をする。
  二十二日  岡源のグルメの会に出席。
  二十三日  マニラ旅行。高崎南RCの一行十名。一人部屋で飛行機はビジネスク
ラス。二十六日帰る。
  二十七日  高崎南RC、観音山清掃。
五月二日    松浦市長後援会代表者会議、平安閣で行う。
  三日    軽井沢行き。天田君の車で出かける。一泊。
  四日    軽井沢飯店で、紹興酒で夕食。
  六日    高崎南RC出席。群銀の田町支店長の秋葉さんを入会手続き、紹介。
  七日    高玉病院へ。
  十日    美枝子の車で軽井沢で使うビデオ付きテレビ、コジマ電気で買う。
  十三日   デザイン振興会の総会。岡源。
  十四日   高玉病院。
        日赤有功会総会。厚生年金会館。
  十五日   資材協力会役員会。魚勝。桜井課長出席。
  二十日   高々百年記念式典。上利君と一緒に出席。中曽根康弘氏の講演。その
あとビューホテルの懇親会。上利君をタクシーで駅まで送る。
  二十一日  福田アヤ子叔母、死亡。足利へ洋一の車で。信沢雄一さん、輝夫さん
を乗せて、通夜に出る。
  二十二日  福田あや子さんの葬儀に輝夫さんの車で出席。
  二十五日  故小林芳雄氏、百ヶ日法事。
        三十六年勤めた渋谷さんが本日をもってやめる。病気。
 渋谷さんは長い間まじめに働いてくれた。
 アサヒ商会の女性社員は結婚後も長く勤めて、しっかり仕事をしてくれる人が多い。
結婚・出産でいったん退職しても、子供の手がかからなくなると、復職してずっと働く
。そんな女性も目立つ。彼女たちは「会社の雰囲気がいいから」と言ってくれるが、女
性社員の戦力化に成功しているという意味で、経営者の私にとって何よりうれしいこと
だ。

  二十七日  高崎南RC夫人同伴例会。富士カントリー富岡コースへ。
  二十八日  三菱鉛筆群馬ユニーク会総会。水上旅館谷川。赤城ゴルフクラブでコ
ンペ。Sヤードという名のドライバーがよい。
        一人部屋で夜中トイレへ行き、柱に顔をぶつけてケガをした。
  三十日   日赤有功会高崎支部総会。暢神荘。
六月一日    群馬県歴史博物館で、藤原道直公の国宝展へ。
  四日    高玉病院へ治療。竹市文成氏夫婦で新館の五階へ入院。
  七日    大正会。藤岡市上日野、宇垣陶房、実際に作る。
  九日    梅雨入り宣言。
  十日    群馬県連の役員会。メトロポリタン七階。
  十二日   プラスハワイ旅行(十九日まで)。洋一も一緒。
  二十一日  福田レイ子さん、息子の車でお焼香に来る。
  二十三日  山三エコール取締役会。東京会館。
        日赤高崎地区の婦人部会総会。暢神荘。
  二十五日  山三事務機の取締会。吉兆。
  二十六日  関東文具健康保険組合組合会。東京会館。
  二十七日  経済懇話会。当番、県警代田正二警部の話。
  二十九日  故安子の一周忌法要。長伝寺よりメトロポリタンホテル。四十四名出
席。
七月一日    高崎南RC第一例会(田島会長)に出席。
  二日    高玉病院。真理子さんに会ったので、竹市文成夫婦を見舞う。
  四日    パレンバン慰霊祭参加の旅へ出発。
        十一時のガルーダ航空のビジネスクラス。サンジャホテル。
  五〜八日  村上さんと知り合いになって、一緒に十時からの慰霊祭に参加。百名
集まって賑やか。天気は良し。懇親会で一杯飲んで、パレンバンを観光する。
  八日    パレンバン慰霊祭より帰る。
  八日    天田すず子さん、急死。
  九日    故安子の命日。供花。高崎南RCの久保田氏、内田洋行の小林氏、関
根専務・ヒロ子夫婦。
  十五日   高崎南RCの例会に出席。安子の命日、お花をいただいた。またパレ
ンバン無事帰国。ニコニコボックスへそれぞれ一万円ずつ入れる。
  十七日   資材協力会、臨時役員会。
  十九日   民生委員植原さんの本年二回目の昼食会に、片岡さんと一緒。梅雨明
け宣言。
  二十日   軽井沢へ、小板橋夫婦と順君、四人で出発。
  二十一日  早朝、帰る。
  二十三日  高玉病院。甘利先生のところは、血圧一五〇―九〇で良好。
  二十五日  高崎市合同表彰式で寄附者の部で表彰される。音楽センター。
  二十六日  伊香保、玉樹旅館。池下さんの紹介。詩吟の会。
  二十八日  バスで前橋オリオン座へ行き、失楽園の映画を見たが、大したことは
なかった。
  二十九日  うなぎの日。昼弁当に一つ食べて、もう一つは順君にやる。三百円で
は安い。
  三十一日  三時、美枝子の車でセキチューでタイガーの炊飯ジャー、八千七百円
で求める。
八月一日    ネット茶屋で、インターネットの勉強。
  一〜三日  高崎まつり。
  六日    洋一が大地を連れて中国旅行。
  八日    ネット茶屋でインターネットの勉強。
  十日    盆棚を飾って、そのあと美枝子夫婦と順君と四人で正屋、夕食。
  十一日   新盆なので、桜井ハル子さん、杉浦ユリ子さん、肥留川さん来る。
  十三日   長伝寺の住職、来る。お布施とお菓子。
  十四日   安中の小板橋市長代理、荒井さん、税所さん、渡辺敦さん等線香。
  十六日   軽井沢。美枝子の車。夕食は軽井沢飯店。
  二十一日  全国高校野球。智弁和歌山が平安を破り優勝する。
  二十五日  JOA大島一郎氏、死去。
  二十六日  高崎南RCの例会でサンコーカントリー行き。
  二十七日  高玉病院へ。
  二十七日  岡源グルメの会。
  三十日   第五土曜日は全員出席。
  三十一日  ダイアナ妃、パリで事故死。

九月五日    資材協力会の旅行。新幹線で新潟へ。特急「いなほ」とバスを乗り継
ぎ酒田市を通って象潟。温泉一泊。シーサイドホテル。
  六日    田沢湖。新幹線こまちで帰る。
  八日    水戸のゴルフ場で雷により二人死亡。重傷二人。こわい。
  十一日   日赤有功会、長野オリンピック施設を見学して、信州山田温泉一泊。
  十二日   帰りにりんご狩りをして帰る。
  十二日   上毛クラブ、三菱鉛筆の浅井氏から誕生祝いの生花をもらう。
  十三日   洋一夫婦、美枝子夫婦、政弘さん夫婦一同で暢神荘で傘寿祝いをやっ
てもらう。お土産に五千円商品券。
  十四日   天田君の車で軽井沢へ一泊。
  十五日   天田君の車で帰り、九時半より市の敬老会に出席して祝金六千円をも
らう。
        町内で赤飯をもらう。
  十六日   セーラー万年筆全国会長会議、横浜インターコンチネンタルホテル。
  十七日   長野行き新幹線あさま試乗会。素晴らしい。
  十九日   パレンバン慰霊祭のビデオ。六千円送金する。
  二十日   お彼岸。長伝寺へ真理子さんの車で墓参。
  二十一日  美枝子夫婦と順君と四人で上田城を見学。うまい三色そばを食べる。
浅野屋でパンを買う。
  二十一日  貴乃花、優勝。
  二十三日  お彼岸の中日で長伝寺住職がみえる。
  二十七日  インドネシア、ガルーダ航空機がスマトラ、メダン地区へ墜落。二百
三十名死亡。
        詩吟の稽古。
  二十八日  群馬県の詩吟の大会に出演。
十月一日    決算棚卸。メーカー十名以上応援に来る。
  七日    阿久沢真二氏受章祝賀会。ビューホテル。
  十日    キヤノン前田会長の告別式。
  十一日   天田君と一緒。マツヤでYシャツとブレザーを買う。
  十四日   全文連総会。ロイヤルパークホテル。
  十六日   パイロットウキワ会会長会議。ヨコハマインターコンチネンタルホテ
ル。立派なホテル。部屋に一人。一泊。
  十七日   パイロット観光。鎌倉付近。
  十九日   高崎神社の崇敬会、出席。
  二十一日  藤田喬平氏、文化功労者となる。氏のガラス作品をふたつ持っている
。
  二十二日  プラチナ万年筆火災互助会全国役員会。
        伊豆山桃李境(とうりきょう)一泊。
  二十四日  上毛新聞の飯島記者来訪。
        群馬県の文具業界のいろいろな話をして、マンデートークに掲載する
。ネット茶屋でインターネットの勉強。そのあと大正会でさんぷくで夕食会。
  二十八日  JOA例会、九州旅行。宮崎のシーガイヤ、オーシャンドーム。ホテ
ルオーシャン45に一泊。
  二十九日  天降川温泉、鹿児島経由で三十日に帰る。
十一月一日   天田君一家と軽井沢へ。ナイキのショッピング。気に入らぬ。
   二日   美枝子夫婦と順君が軽井沢へ来てくれたので一緒になる。
        山梨のサントリー工場見学。お祭りで賑やか。ショッピングをして帰
る。
   五日   戦没者追悼式。順君に代理出席。音楽センター。
        高崎市長の幸濤会。ビューホテル。市長の話を聞く。
   八日   岩崎くんと伊香保温泉の湯元温泉に入る。よくない。
   十日   群馬県連の役員会。
        宮城全文連の会長さんが来てくれた。
        もちろん挨拶もやってくれて、そのあとセディアバンの話を担当の荒
川氏にやってもらった。懇親会、駅まで送る。
   十四日  日赤有功会役員会。光ヶ丘本社。池下さんに会う。
   十五日  婦人科館出張佐藤病院の落成式に出る。高崎南RC、二十名位呼ばれ
て一杯飲む。
   十七日  エジプト観光テロで、小銃乱射。邦人を含め六十人死者。
   十八日  エコール群馬エリアマーケティングの部会があり、司会や挨拶をやっ
た。最後に政木社長のオフィスデポの話を聞いて、懇親会で一杯飲んで解散。
   十九日  高玉病院。泌尿器の一ノ瀬先生は、前立腺の検査をして、大丈夫。
   二十二日 高崎南RC元会長会議。
   二十三日 藤塚の本家のまんさんを訪問。タクシー二千四百五十円。
        横山大観の話、ビールを飲んで煮物を食べる。車で送ってくれた。
   二十四日 山一証券倒産。
        岩崎くんと八幡庵で天ぷらそばを食べてから妙義の稲川庫太郎美術館
を見学。北橘村の風来堂スパゲッティレストラン、ワインを飲んで定食を食べる。
   二十五日 前橋のロイヤルホテルでアカギ商会の会長、和田氏の米寿のお祝いに
出る。六十名。
   二十七日 美枝子とオノヤへ行って、小さい洋服ダンスを求める。
   二十九日 第五土曜日全員出勤。一人五万円のボーナスを出す。勉強会にも出、
美枝子の車でうらのでショッピングをして帰る。

十二月二日   高崎南RCガバナー公式訪問。
        永和の感謝の集い、タクシーで参加。いろいろ行事を済ませて、懇親
会をやって永和持ちのタクシーで帰る。
   三日   日赤有功会。新前橋厚生年金会館で表彰される。厚生大臣賞。日赤感
謝状をもらった。松浦市長のブロック会長会に出て、ワインを飲む。
   四日   日赤有功会高崎支部役員会。暢神荘。八木会長が病気なので代理をす
る。
   八日   井上卯一郎氏、死去。通夜は九日六時。告別式は十日正午。
   十日   大正会。クレタレストラン。
   十二日  岡源。経済懇話会。少林山広瀬住職ゲスト。
   十三日  岩崎君の車で前橋の利根川沿いの道路をドライブして、渋川の少し手
前を赤城の南面道路、風来堂で旨いワインを飲んで定食を食べてから、とんとん林牧場
へ。女社長がいて、関根義兄が群テレの社長をやっているときに務めた由、買い物をし
てから大胡の田村さんへ。新店舗がよくなった。
   十五日  パイロットウキワ会。大宮のホワイトルームで行う。夕食会を済ませ
て早く帰る。
   十六日  アサヒ商会の株主総会。十一時より洋一の司会で議事が終わり、昼食
弁当で終了。高崎南RCの忘年会。
   十七日  高玉病院へ。星野歯科へ。金冠を二つ入れる。五万五百円。
        上信タクシーで家まで帰る。
   十九日  資材協力会の役員会。JR側は課長の前さんも出席。
   二十日  植木屋二人、四万円。きれいになった。
   二十六日 信沢輝夫さん、綿貫病院に入院中。何も持たずに見舞い。




    ピラミッドに魅了されて

            2度目のエジプト旅行


 平成八年十月十一日から十九日まで、洋一とともにエジプトを旅する機会に恵まれま
した。昭和五十八年以来のことです。久々に見るあの巨大なピラミッドを思い浮かべる
と、旅立つ前から子供時代に返ったような心のたかぶりに見舞われたのでした。そんな
エジプト旅行、とりわけピラミッドについての感想をつづってみたいと思います。
 今回の旅行は、ロンドン経由でギリシアのアテネに入り遺跡や名所を見て回った後、
空路二時間ほどでエジプトの首都カイロに着きました。高層ビルが建ち並ぶ人口一千二
百万人の大都市ですが、そこは広い砂漠の小さなオアシスに過ぎず、車で三〇分も走れ
ば、ピラミッドが並ぶギザ地区に着きます。
 エジプトと言えば、何をおいてもピラミッド。歴代のファラオ(王)の墓であるこの
建造物の名前を知らない人はいないでしょう。ギザ地区には、三つのピラミッドが並ん
でいました。クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドです。現存する中では
最大のクフ王のピラミッドは高さ一四六・五メートル(現在は頂上部がなくなっている
ので一三七メートル)、底辺二三〇メートルです。これを紀元前二五五〇年頃、一〇万
人の民衆が二〇年間もかけて、平均二・五トンの石を二三〇万個も積み重ねて作り上げ
たのです。遠くから見るとさほどでもない感じなのですが、近づいてみると、大変な迫
力です。初めての人は一様に「おーすごい、これは大きいなぁ」と歓声をあげていまし
た。何しろ高さは高崎の白衣観音の三倍もあるのですから当然でしょう。それに一つひ
とつの石は人間よりも大きいのですから、外側を登ってみると「よくこんな大きな石を
大量に積み上げたものだ」と改めて驚かされました。私たち日本人にとって、石を積み
上げた建物といえば小さなレンガ造りのイメージしかわきませんから。
 いくら古代文明発祥の地とはいえ、約四三〇〇年も前の世界。これだけ壮大な建築が
どのようにして行われたのだろうか、という疑問が頭を離れませんでした。
 地元の人の説明では、ピラミッドの側面に傾斜路を作り、二・五トンもある石をそり
で引き上げたとのことです。一定の高さずつ核材・内装用の順番に積んでいったようで
す。外装の仕上げは丁寧で、石と石の間には紙一枚入る隙間もないほど、この高度技術
のお陰で、何千年も後の世界の私たちがその変わらぬ姿を見ることが出来た訳です。
 ピラミッドには北面の入り口から入ります。最初はちょっと頭を上げると天井にぶつ
かってしまうような通路が続いていました。かがんだ姿勢を強いられるうえに蒸し風呂
のような暑さですから、見学も楽ではありません。「下降通路」「上昇通路」を進むと
「王妃の間」、続いて高さ八・五メートル・長さ五〇メートルの石段の「大回廊」があ
り、さらに水平の通路を行くと「王の間」に出ます。王の間は奥行き一〇・五メートル
・幅五メートル・高さ五・八メートル。中にはかこう岩の石棺が置かれていました。石
を積み上げた建造物の中に、こうした回廊や部屋があるのを自分の目で見ると、古代文
明の高度さを痛感します。
 さらに面白いのは「ピラミッドの謎」でした。
「底辺の長さ二三〇メートルを古代エジプトの単位『ピラミッドキュービット』に直す
と、三六四・二四二となり地球の一年の日数と一致する」
「底辺の四辺をその高さの二倍で割ると円周率(三・一四)になる」
「ピラミッドは古代の天文台だった」
「ピラミッドは宇宙人が作り、地球への着陸基地にしていた」
 などおもしろい説がありますが、中でも「ピラミッドパワー」は有名でしょう。クフ
王の玄室には不思議な力があるというもので、実際、物が腐りにくかったり、植物の成
長が早いなどのことが実証されているとのことでした。宇宙からくるX線やガンマ線な
どにピラミッドがプリズムの役割を果たして、不思議な力が生じるらしいのです。その
力を求めて、暑さをこらえて長時間座り続けるヨーロッパの青年がいました。残念なこ
とに私はピラミッドパワーらしきものを感じることは出来ませんでしたが。
 もうひとつ、ピラミッドとともに誰でも知っているのがスフィンクスです。ピラミッ
ドの前にある人面獣身の守護神で、アラビア語では「アブル・ホール」(畏怖の父)と
言うのだそうです。巨大なピラミッドのせいでそう大きくないかと思ったら高さ二〇メ
ートル・全長五七メートルというから、とてつもなく大きな石像です。しかもひとつの
岩で作ったというのですから。顔はカフラー王に似せて作られたといわれますが、現在
は鼻が削られヒゲもとられているので、「畏怖」というよりは、愛嬌のある顔といった
印象でした。
 夜になると、ピラミッドやスフィンクスがライトアップされ、一日三回、古代エジプ
トの歴史を語る音と光のショーが開かれます。説明は曜日や回によって英語やフランス
語、さらに日本語の場合もあります。それだけ日本人観光客が多いのでしょう。説明も
さることなから、暗闇に浮かんだ姿は幻想的で魅力いっぱいでした。日本でも京都や奈
良で古い寺のライトアップにお目にかかりますが、せいぜい千数百年前の世界。こちら
は数千年前のロマンに浸ることが出来るのだから、その分感動も二倍三倍というところ
でしょうか。
 カイロからナイル川上空を飛行機で一時間ほどさかのぼった古都・エクソールにも足
を伸ばしました。ここは遺跡の町で「カルナック神殿」、そして歴代ファラオを葬った
「王家の谷」などが有名です。
 新王国時代のファラオたちは、死後盗掘を防ぐためにルクソールのナイル西岸の奥深
い谷間に埋葬されたのです。それでもほとんど盗掘されましたが、例外的に盗掘を免れ
、副葬品である金銀財宝が見つかった「ツタンカーメン王」の名は一躍有名になりまし
た。今回の旅行でも、カイロのエジプト考古学博物館の二階の半分を占めるような規模
の財宝を見学し、その素晴しさにため息の出る思いがしました。年若くして死んだため
墓が比較的質素で盗掘を免れたツタンカーメン王でそうなのだから、もっと強大なファ
ラオの墓にどれほどの財宝が埋められたのか、谷を目の前にしても想像さえつきません
。
 ピラミッド、スフィンクス、そして王家の谷と、どれもが古代エジプト文明のスケー
ルの大きさをそのまま今に伝えるもので、二度目の訪問とはいえ、改めてそれに圧倒さ
れ通しの日々でした。
 最後になりましたが、旅行中にカイロロータリークラブを訪問しました。事務所はエ
ジプト考古学博物館の隣のヒルトンホテル内です。副会長とバナーを交換してきたので
すが、副会長をはじめ周りの人は皆背広にネクタイ姿。私の方といえば観光客気分でシ
ャツスタイルだったので、何となく恥ずかしい思いがしました。これも旅の思い出のひ
とつです。
                           


 あとがき

 本書におさめた日記文は、平成九年の暮れで一応終わっている。もちろん、その後も
私は毎日出社し、仕事に傾倒してきたことに変わりはない。さらに、同業組合や、群馬
県赤十字有功会副会長、日赤群馬県支部参与としての仕事も忙しかった。
 平成十年、十一年の二年間にも、ずいぶんいろいろなことがあった。私の自宅の近く
には、二十一階建ての高崎市役所新庁舎がそびえ、街並みも一段と変わってきている。
福田・中曽根両氏に続き、小渕恵三氏が群馬から三人目の総理大臣の座をつかんだ。
 経済に目を向けると、日本の景気は戦後最悪ではないかと思うほど冷え込み、人に会
っても
「不景気ですな。いつになったら、上向くことやら」
 といった挨拶ばかりの毎日であった。キリンビール工場が高崎から撤退することも大
きなニュースであった。
 そんな中で我がアサヒ商会は、全社員の努力の甲斐あって、堅実な実績をあげ続けて
いる。インターネットの急速な広がりで、群馬インターネットの仕事も大忙しである。
さらに数年前から論議されていたコンピューターの「二〇〇〇年問題」に対しても、多
くの社員が対策に追われてきた。

 企業というものは、時代の変化に応じて内容が変わってくるのは当然だ。
 戦後の「ゼロからのスタート」時代には、文具販売に飛び回った。経済成長期とオフ
ィスオートメーションの時代を迎えてからは、事務機器販売に力を入れていった。そし
て、近年はインターネットの比重が高まった。そうやってアサヒ商会は時代に即応して
「進化の歴史」をたどってきたのである。
 一年後の二〇〇一年は二十一世紀である。二十世紀を走り抜いてきた私に代わって、
若い世代がアサヒ商会をいかなる形に進化させていくか。その行く末を見守るのも、ま
た楽しいことに違いない。
 とはいえ、扱う商品や企業の形態に変化があっても、「いかにしてお客様に満足して
もらえるか」という商売の基本は、未来永劫にわたって不変だと思う。その基本に忠実
に生きてきた私の「人生の行動記録」とも言うべき本書が、今後会社の柱になっていく
者たちの役に立つことがあれば、出版を思い立ってから今日まで、三年もの期間を要し
た作業の疲れなど吹き飛んでしまおうというものである。

                                     著 
者
 



 一期一会
    日記で綴ったアサヒ商会半世紀

平成十二年(二〇〇〇年)
        一月三十日発行


   著 者  広瀬 太郎
      〒370・0828 高崎市宮元町一二一
      電話 〇二七・三二六・七三七四

   編 集  あさを社
      〒370・0867 高崎市乗附町
              一八五四・五九
      電話 〇二七・三二七・一一六一

   印 刷  信毎書籍印刷
   製 本  渋谷文泉閣