このページを作った目的は、理論に乗らない部分を書く場所が欲しかったからである。経絡治療家を目指す初学者がまず戸惑い、治療家として独立した以降も終始悩み続けるのがこの証の決定である。一つには治療方法とは症状に対する緩和策という、西洋医学的概念が邪魔をする。もう一つに東方文化の土台に必ず居座る禅に近い精神性という物への無配慮があげられる。
 証を決定する手前の、つまり通常精神の思考に到達する以前の、五感を入力感知器に変え六感付近にまで立ち上げるプロセスを、修得する機会がないのかと思う。むしろ知らずに過ごしているように見える。
 それには理由が一つある。
 宗教との色分けが曖昧だからだ。
 では宗教がいけないことなのか。
 そんなことは絶対にない。近代から見れば古代は社会の仕組みそのものが宗教であった。当時は宗教という言葉さえなかったから、禅と同じく抽出され、そしてその時代はもっと後に来てからだった。ところでなにも、ここで宗教を賛美しようと言うのではない。我々の文明がどんな物の上に乗っているか確認しておきたかった。そこから伝統医療と近代医療を曖昧無く区別できると思ったからだ。
 そこで宗教が抽出された時代と経緯はどんなものだったのか。
 それはかなり近代に来てからの事だと思える。おそらく物理科学という物差しが産まれたときに、その物差しがあたらなかったという理由ではじめて人々の意識下に投げ出された。そして意識下の中でも投げ出されたそのフィールドは、神秘という区分に集約されていたところだったため、こんにちの一般的な宗教観をうんだ。
 では、宗教の発祥をすこし考える。
 いまから5000年くらい前に四大文明が起こるわけだが、それは1万年以上続いた農耕の蓄積による人口増加からだった。そのため自然を尊ぶことから特に太陽を中心にした崇拝が産まれる。自然に対応するための信仰が、王を中心にした社会制度となって、多くの人達の統一された力が文明国家を駆動するにまで高まった。それが文明の起源でありその起源の元として宗教があったと知られている。そして易という技術の介在が、その信仰心をおおいに盛りたてていった。
 しかし古代であっても時代は進む。
 しだいに複雑味を帯びてくる世の中を、もっと効率よく運営するため、新たな原理を説く運動が起こる。例えばそれが後のキリスト教や仏教であった。中国で言えば諸子百家の時代がそれである。この時代に後の道教や儒教へとなるものが起こるが、同時に法律や戦闘術なども新たな社会原理という概念で起こった。
 「自分たちの編み出した原理は社会のために有用である」とは、(社会運営に必要な全ての要素に有用である)と、いう意味である。〜社会運営に必要な要素〜政治、法律、土木、建築、経済、流通、農耕、医療、工芸そして風習、習慣、礼節、教育や他人と分かち合う気分までも含む。その原理が結局はいま見れば宗教と映り、伝達方法が易に見えるのである。
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