自然観と経絡治療についての学術討論会天地人と寒熱虚実04-08-15 加藤秀郎

‘天’‘地’‘人’は、世の森羅万象を3つに分けたもので、これを‘三才’と言います。
’とは
自然が持つ定石的変化を言います。
天の変化の最も特徴的なことは‘規則性が高い’と言うことです。
その定石的変化を‘5’と言う数字で分別します。5は素数です。
’とは
古来より農耕を中心とした中国は、大地をその多大な人民を養う源泉としました。
天の変化によって育まれたいわば‘恵み’の得られ方を言います。
それは天から受けた、定石的変化への反応です。
その定石的変化への反応を‘6’と言う数字で分別します。6は3でも2でも割れる数字です。
‘人’とは
天から受ける環境や、地から受ける滋養供給という影響下に在りながら、その上でまた別の、個人個人が持ついわば心性を中心としたパーソナリティーの差、社会というもう一つの森羅万象を観ることから始まった、向かい合う対象です。
この環境や滋養供給、社会やパーソナリティーの差といった最も複雑な変化の様相を示す人は‘7’と‘9’と言う数字で分別します。7は素数、9は3の2乗したものです。

この3つのうちのいずれか2つを組み合わせて、観察の対象とします。組合わせなかった一つが、標準視観をとります。

天と地

「天が地に作用をし、地が反応をした」という様相を言います。
天の作用を「陽気」といいます。この陽気で地が反応します。この反応の様相とは具体的には、地表の温度が上昇し、伴って湿度が上がり、植物が芽吹き繁茂していきます。この「陽気に対して地が反応する」という地に内在された性質を「陰気」といいます。陽気の作用量が増えれば「陽気に対して地が反応する」という機能も亢進し、減れば衰退します。この亢進が地が持つ「陽」で、衰退が「陰」になります。
そこから夏は陽、冬は陰。昼は陽、夜は陰となります。
天は下へと作用しますが、その作用量は四季や昼夜など規則的に変化していきます。地は上へと反応し、その反応量はおおよそ作用量に対応していますが、この関係性を分析する方法を「上下論」といいます。
この上下論によって、この天からの作用という基準に対しての地の反応という、つまり暖めると機能が亢進し、冷めると衰退するという最もシンプルな自然の中の変化が把握できます。

地と人

「暖めると機能が亢進し、冷めると衰退する」という地の性質とそれに反する、
「暖まると機能が衰退し、冷ますと亢進する」という人の性質の比較になります。人の性質での機能とは「代謝」を示します。
この相反する性質同士の、比較しあう様を分析する方法を「左右論」といいます。
左右論によって「地という空間とそこにある人の肉体」という物的なモノが持つ変化の比較が可能となります。
この場合、自分の右側は相手の左側と向き合うなど、常に基準が入れ替わりますので、陰陽の条件が固定的ではなくなります。

天と人

人が必ず持つ寿命や成長と老化、五臓の機能とこれらの体外環境との相互連絡を言います。一つには感情や意思の突出と情報の収集があり、一つには規律や礼節と言った社会ルールがあります。
個人個人が持つ体質や寿命、社会の中のあり方を天命(天令)と言います。この天命を持ったもの同士が共存する社会環境と、ある一個人との交流を言い、もしくはその社会を形成する組織とそのリーダーがおかれた、揺るぎようのない時代の流動との関わりを言います。
天と人は物量的な捉え方ではない組み合わせで、現象を通じての推察が可能です。
このことを把握しようと言う考え方を「前後論」といいます。人の意志や感情は前方へ向かい、情報は内へ(後方へ)と向かうと考えます。
天と地で構成された大いなる自然を『大宇宙』といい、
人の地の性質を利用し共存しながら、天の絶対性に従い
あるいは抗うあり方を『小宇宙』といいます。

寒熱と虚実

寒熱虚実とは、生体の活動状態の過剰損失を計る言葉です。生体が活動をするとは、一つには肉体が機能をすることであり、その機能のための休息や滋養があります。肉体の機能とは運動系だけではなく、生理活動全体を言います。機能が働けば同時に消費があり、つまり肉体が有す機能は「働きながら消費をし、休息しながら滋養をする」わけです。

論説の整理のため、肉体の機能は外的作用に対して反応するものとします。

肉体は外的作用に対応するため、機能を働かせて反応します。機能が働けばエネルギーは消費され、対応が済めば休息をして次の反応に備えます。この休息のときに摂食を含めて肉体は滋養されます。
この〈働く-消費するフ休息-滋養する〉の循環がスムーズに回っていれば「寒熱虚実」という言葉で計るような状態にはなりません。
例えば消費が激しかった割には、滋養が充分ではなかったりすると「虚」になったり、必要以上に働くの状態だったりすると「熱」になったりします。
つまり外的作用に対し、必要以上に機能が働くと「熱」働けないと「寒」、もしくは休息状態に入りすぎてしまっていると「寒」入り切れていないと「熱」であり、消費に対して滋養が足りていないと「虚」滋養は充分であっても寒熱いずれかの状態があるときには「実」となります。

寒熱という文字は、温度に対応した言葉です。生体機能を最も原始的な所で考えた時、外気温への対応だと考えます。生体機能が働くと「熱」とは体温を作る事であり、「寒」とは作る量を減らす事です。人体は恒温のため外気温が寒ければ体温生産量を増やし、暑ければ減らして体温を同じ温度へと保とうとします。つまり温度が上がると生体機能は低下し、下がると上昇します。ここが天地人で言う所の「地」とは逆になります。

さて人体は大自然の中にあって、昼夜や四季の移ろい、気候の変化と対峙しています。昼夜や四季や気候の変化は天がもたらした地の反応で、それは天からの陽気の量に推移する現象です。その中にいて人は自らが作り出した社会においての都合で、四季や昼夜を問わずの活動を余儀なくされることがあります。そして動植物とは違って活動できてしまうのは、人特有の恒温性の保持能力と、その事から生じてしまう寒熱虚実という状態の、 その寒熱虚実に対する知恵を持っているからです。

その知恵というのは、寒熱虚実の状態を把握する方法、つまり診と、その診に対する方法、つまり治療です。

寒熱虚実いずれかの状態が確認できたとき、生体は正常機能ではないと判断されます。それは正常という状態を知っているからこそ解ることですが、その正常について天地人の観点で考えてみます。

人体における天と地

外的作用の陽に対しては陽の、陰に対しては陰の反応をすると言うことを意味します。
それは皮膚の表面において行われています。陽に対しての陽の反応とは汗をかきやすい、発赤しやすい、体温放熱に伴った体臭が出やすいなどがそうです。このときの皮膚の状態を潤沢といいます。これらのことは体調や体質、肉体の運動量によっても反応量が変わります。夏は生体は興奮状態にあると言いますが、それは生体の全部ではなく、この体表における陽に対する陽の反応を言います。そして生体の、この陽に対する陽の反応を観察する範囲を「表」といいます。
その観察の時に外的作用の陽に対しての、適切な陽の反応量が確認できれば正常といえます。逆に外的作用の陽に対しても陰に対しても、より陽の反応をしていれば「熱」より陰の反応をしていれば「寒」となります。この時の皮膚は、陽ー「潤沢」、陰ー「枯燥」という手触りを示します。

人体における地と人

地表上という外的環境に対して生体内部の恒常性という、内部環境の保持の状態を言います。つまり外的作用の陽に対しては陰の、陰に対しては陽の反応をすることを言い、それは皮下から骨にかけてで行われます。しかしこの部の直接的対応は外的作用にではなく、観察範囲「表」の反応に対応するもので、つまり「表」が陽であれば陰の観察が確認でき、この場合の陰を確認する観察範囲を「裏」といいます。暑ければ皮膚の毛穴や筋を弛緩させ、熱量生産を抑え放熱をしやすくします。生体は季節に準じていて、暑さや寒さに慣れることが出来ます。
夏の27度は適温ですが冬では暑く感じます。
季節や環境に合わせて、体温の生産や放熱を適切にしていくためです。適切に働いている場合を慣れると言われ、このことを「従」とか「順」といい、慣れていないことを「逆」といいます。
この「従」とか「順」のときに観察範囲「表」は適切な反応を示し、それを正常といいます。そのときに皮膚や筋肉は適切な柔らかさ堅さや熱感になっています。
「逆」では体温の生産や放熱に過不足があります。観察範囲「表」の反応も皮膚や筋肉の柔らかさ堅さや熱感も不適切です。堅すぎれば「熱」、柔らかすぎれば「寒」。熱感に関しては必ずしも熱ければ熱というわけではなく、筋肉の熱生産と皮膚の放熱のバランスによって変わります。

人体における天と人

人が人であるという基本的な性質と、大自然が大自然であるという基本的な性質が交流するという現象を、診察と理論を通じて推察していきます。
天が持つ陰陽五行という性質によって大自然が営まれ四季や昼夜が発生し、人体の五臓が天の性質と感応しつつ人という性質を七神という在り方によって、パーソナリティという区別とその集合体である社会を構成させます。社会という物は、人から見れば天に属し、天から見れば人に属します。人から見れば、人は社会から働きや消費や休息や滋養を得て、天から見れば、人は社会に向けて働きや消費や休息や滋養を行っています。

ここでは「肉体の機能は外的作用に対して反応するもの」に限定してあるため
〈人体における天と地〉→〈人体における地と人〉→〈人体における天と人〉

という経路の話になりました。
ほかにも、運動や疲労や栄養状態という作用の
〈人体における天と地〉←〈人体における地と人〉→〈人体における天と人〉

精神や体質と言った物からの作用の
〈人体における天と地〉←〈人体における地と人〉←〈人体における天と人〉

といったパターンの分化があります。

〈人体における天と地〉フ〈人体における地と人〉の仕事量に対応した適切なエネルギー分配が〈人体における天と人〉から指令されます。これは人の意識以前の肉体が持つ生理反射の部分ですが、
指令通りエネルギーが供給されても仕事量に適切ではない状態を「実」
指令通りのエネルギーが供給できていない状態を「虚」
といいます。