- 「虚証、実証について、まず六十九難経という書物には希なくらい丁寧に、各行一つ一つに渡って「平ぐべし」と書かれているからなんですね。もし通説の通りこの六十九難は七十五難とのカップリングとして書かれたものだとすれば、六十九難では相剋関係で考えることを防ぐようにとの配慮から、七十五難の「平ぐべし」の丁寧さがあるのではないかと考えられるからです。
- ●「先ず補し然る後に瀉す」は
- いわゆる「陰主陽従」の法則から来ているものだと思われますが、原典の中の「陰主陽従」を示す一部が
- 「素問」生氣通天論篇第三 第三章 第一節の
- 伯曰: 陰者, 藏精而起亟也, 陽者, 衛外而為固也.
- 岐伯曰く陰は精を蔵し亟(すみやか)に(その働きを)起す也。陽者は外を衛(まも)り固めるを為す也。
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- 陰不勝其陽, 則脈流薄疾, 并乃狂.
- 陰が其の陽に不勝(勝つことはなくても)陽の方が強ければ、則ち脈は薄く疾(はや)く流れ、狂うことに并(あ)わさり、
- 陽不勝其陰, 則五藏氣爭, 九竅不通.
- 陽が其の陰に不勝(勝つことはなくても)陰の方が強ければ、則ち五蔵の気が争い九竅が通じず。
- 是以聖人陳陰陽, 筋脈和同, 骨髓堅固, 氣血皆從.
- 是れ以って聖人は陰陽が陳(平ら)にて筋脈が和同し、骨髓は堅固として気血は皆從(充実)する。
- 如是, 則内外調和, 邪不能害, 耳目聰明, 氣立如故.
- 是れの如く則ち内外は調和し、邪の害は不能し、耳目は聡明となって気立は故に如し(いつまでもその働きを保つ)。
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- と、
- 「素問」陰陽應象大論篇第五 第三章 の
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- 陰在内, 陽之守也; 陽在外, 陰之使也.
- 陰は内に在って陽の守り也。陽は外に在って陰の使い也。
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です。
- ●「正經自生病」は四十九難の正経自病かどうか?
- ここまで言葉が明確なのに、解釈本ではあまり触れようとはしていません。またそれとは別に、二十二難の〈是動病、所性病〉が正経自生病という解釈は一度もされなかったのでしょうか?難経本義では〈是動病、所性病〉が書かれている霊枢の経脈編第十を引用している箇所があります。
- 二十二難では〈是動病、所性病〉は明確に気血に邪があるとしています。〈是動病、所性病〉の症状は霊枢の経脈編第十に出てきます。四十九難の正経自病の症状と似たような感じがしますが〈是動病、所性病〉自体は、馬王堆漢墓の出土医書「陰陽十一脈灸経」からあってかなり歴史の古いもので、難経の四十九難の記載内容までに一大発展したのかもしれません。
- 「正經自生病」とは何かが明確化することで、この六十九難はどんなことに対して使うものなのかが、解ってくるのではないかと思います。
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