05-07-17 六十九難、七十五難の臨床的考察 澤田 稔

六十九難
虚する者はその母を補い、実する者はその子を瀉す、
当に先づこれを補い、然る後にこれを瀉す。実せず虚せざれば
経を以ってこれを取るとは、これ正経自ら病を生じ、他邪に中らざればなり、
当に自ら其の経を取るべし、故に経を以ってこれを取ると言う。

七十五難
(東方実し)、(西方虚せば)、《南方を》【瀉し】、《北方を》【補う】とは、何の謂いぞや。
東方は肝なり、則ち肝実を知る、西方は肺なり、則ち肺虚を知る。南方の火を瀉し、北方の水を補なう。南方は火、火は、木の子なり、北方は水、水は木の母なり、水は火に勝つ、子能く母をして実せしめ、母能く子をして虚せしむ、故に火を瀉し水を補い、金をして木を平らぐることを得ざらしめんと欲するなり。
注)(   )は病証(東方実し&西方虚せば)
  《   》は治療理論(南方を,&北方を)
  【   】は治療技術(瀉し&補う)

七十九難
七十九難迎えてこれを奪うとは、其の子を瀉するなり、随いてこれを済うとは、
其の母を補うなり。たとえば心病は、手の心主の兪を瀉す、これいわゆる迎えてこれを奪
うものなり。
手の心主の井を補う、これいわゆる随いてこれを済うものなり。いわゆる実と虚とは、牢・濡の意なり、気来ること実・牢なるものを得るとなす、濡・虚なるものを失うとなす。ゆえに得るが若く失うが若しと曰うなり。

七十二難
七十二難いわゆる迎随とは、栄・衛の流行、経脈の往来を知るなり。その逆順に随いてこれを取る、故に迎随と曰う。気を調うるの方は、必ず陰陽に在りとは、その内外表裏を知りて、其の陰陽に随いてこれを調う、ゆえに、調気の方は、必ず陰陽に在りと曰う。
注)難経における迎随の概念

七十八難
七十八難に曰く、針に補瀉ありとは、何の謂ぞや。
然り。補瀉の法は、必ずしも呼吸出内の針にあらざるなり。針をなすことを知る者は、其の左を信じ、針をなすことを知らざる者は、其の右を信ず、刺の時にあたりては、先ず左手を以って針する所の榮・兪の処を厭按して、弾いてこれを努まし、爪してこれを下す、其の気の来たること、動脈の状の如く、針を順にしてこれを刺す、気を得て因って推してこれを内る、これを補という、動じてこれを伸す、是を瀉と謂う。気を得ずんば、乃ちあたうるに男は外にし、女は内にす。気を得ずんば、これを十死不治と謂うなり。
注)補瀉の技術論

七十六難
七十六難に曰く、何をか補瀉と謂う。当に補うべきの時、何れの所より気を取るや。
当に瀉すべきの時、何れの所より気を置くや。
然り。当に補うべきの時は、衛より気を取り、当に瀉するべきの時は、栄より気を置く。其の陽気足らずして、陰気余りあるは、当に先ず其の陽を補いて、しかる後に其の陰を瀉すべし。陰気足らずして、陽気余りあるは、当に先ず其の陰を補いて、然る後に其の陽を瀉すべし。栄・衛をして通行せしむ。これ其の要なり。
注)補瀉の概念