06-1/15 刺さない鍼  ―その成り立ちと使用法―

黄帝内経の時代から単純に数えても2千年以上、それ以前からすでにあったと考えられている歴史の長い鍼灸治療。その黄帝内経の中に九鍼という考え方があり、九つの鍼を使い患者の病に対してこれを使い分けて治療をするという記述があります。 

『霊枢』九鍼十二原篇より

(ざん)、長さ一寸六分
頭は大にして末は鋭く、陽氣を去り寫す。
 (えん)、長さ一寸六分
鍼卵形の如し。分間をし摩し、肌肉を傷るを得ず、以て分氣を寫す。
(てい)、長さ三寸半
鋒は黍粟の鋭の如く、脈を按ずるを主り、陷いらしむることなかれ。以て其の氣を致す。
鍼は、鍼先が、粟の粒のように微かに丸く、経脈を按摩し、気血を流通させます。ただし深く肌肉を窪ませることがあってはなりません。でなければ、正気を害ってしまうのです。)
 (ほう)、長さ一寸六分、刃三隅
以て痼疾を發す。
(ひ)、長さ四寸、廣二分半
末は劔鋒の如く、以て大膿を取る。
員利(えんり)、長さ一寸六分
大なること(り;牛の尾)の如し。且つ員且つ鋭、中身は微かに大にして、以て暴氣を取る。
(ごう)、長さ三寸六分
尖は蚊虻の喙の如く、靜にして以て徐ろに往き、微にして以て久しくこれを留めて養い、以て痛痺を取る。
(ちょう)、長さ七寸
鋒は利く身は薄くして、以て遠痺を取るべし。
(だい)、長さ四寸
尖は挺の如く、其の鋒は微員にして、以て機關の水を寫すなり。

 ただ現在多くの臨床の現場や学校の実技などでは毫鍼による実技がメインであり、それが当然であると漠然と考えていました。しかし先生方の話や書籍などを読むと、この現代でもいろいろな形の鍼を使った治療法があることに気がつきます。
 鋒鍼が元になっている三稜鍼などを使った刺絡療法、長さ三寸以上の長い鍼を使う治療法、先の丸い棒のような鍼(鍼)を皮膚に刺さずに接触するだけで治療する鍼治療、毫鍼を接触または1ミリ程度の刺入で全身を調整する接触鍼などです。
 そんな話を聞いているうちに、あらためて学校で習った古代九鍼の話が思い出されたとともに、鍼治療の幅の広さ、道具の可能性などに興味がわき、今回発表する事にしました。
 しかし時間の関係上、全ての治療法を紹介するのは限界があるので、その中でも刺さないで病を治すという点に興味を引かれ今回は鍼を中心に調べてみました。
上記以外にも黄帝内経には、鍼について以下のような記述があります。

『霊枢』
* 官鍼篇、病脈に在り、気少なく、当にこれを補うべき者は、鍼を以て、井榮分輸に取る。
(病が脈にあり脈気不足の虚証の場合は、それを補うべきで鍼で各経の井榮兪経合の五兪穴を按摩する)

* 九鍼論(第七十八)、三なる者は人なり。人の成生するゆえんの者は、血脉なり。故にこれが治鍼を為すに、必ず其の身を大にして其の末を員くす。令し以て脉を按じ、陥ることなく、以てその気を致すべくんば、邪気をして独り出でしめん。
(三の数は人になぞらえ象っています。人の生命の形成は、血脈の供給する栄養に頼っています。したがって、血脈の病証を治療する目的に適応するために、鍼を採用します。その鍼身を大きくし、鍼尖を円くします。そうすれば穴位を按摩して、血脈を疎通させることができます。正気を導いて充実させることができれば、邪気は独りでに外に出ていきます。深く刺入しすぎて、却って邪気を内に引き入れる事態にはなりません)     
『古今医統』明
* 鍼・・・脈気虚少宜此 (脈気虚少これに宜し) 

       
 上記の記述から、
鍼は経脈や体の働きの弱い人に対して、刺さないで経脈、気血の流れをよくするために用いられてきた鍼なのではないかと考える事ができるのではないでしょうか。」

現代の日本と違い昔、鍼を使っていた人は今で言う医者であり、鍼、灸、薬、すべてを使うことができた。例えば化膿して膿がたまっていれば、それを切開して、取りのぞかなければいけないし、脳充血のような場合には肩や背に瀉血をした方がよいことも知っていた。
 そのような経験の中で体質や疾病の種類によって、体に損傷をあたえずに治療する。
また強い刺激を与える事によって、かえって症状が悪化してしまう患者に対して按じたり、摩したりなどの弱刺激でも症状が改善する事を経験し、その中で鍼や員鍼という刺さない鍼を作り出したのではないか、逆に、鍼灸治療とは経絡、気血の流れをいかに効率良く調整するのかという点でとらえるならば、古代の医者は経脈の流れや陰陽五行の理論を完璧に理解し自由自在に使いこなせていた、だから鍼を体に刺入しなくても刺さない鍼で十分症状を改善させる事ができたのではないか、その中で改善しないものに対して刺激の強い鍼を使用していたのではないか。
 今となっては、どちらが本当かは分かりませんが、患者の症状に対する考え方、鍼に対する基本的な認識をもう一度考え直さなければいけないと感じました。 

 日本では今から千五百年くらい前、仏教の伝来とともに鍼灸が伝えられたとされていますが、黄帝内経に刺さない鍼の既述があるにもかかわらず、杉山流の管鍼術の普及で鍼の刺入が容易になったためか、また明治以降西洋医学の流入とともに筋肉、神経を標的とした鍼治療が多かったのか、昭和の初期くらいまでは刺入鍼が多かったようです。
(しかし関西地方では刺さない鍼として小児鍼が明治・大正時代にはすでに行われていました。その技術は現在の接触鍼、散鍼、に大きな影響をあたえています)
当時の時代背景として、食料事情の悪さ、衛生環境の悪さなどからくる体の抵抗力の低下、それにより肺炎、結核などにかかる人々の数は今よりもはるかに多かったのです。
 現在、結核や肺炎などの疾患で鍼灸院にくる人はまずいません。しかしその当時はけしてめずらしい事ではなかったようです。そのころの話は当時の先生方の回顧録や思い出話として今でも私たちの目にふれることができます。

*二十七歳の女性で肺結核の重症患者が非常に肩がコルと言うので治療した。
痩せ果てており、一見して鍼など刺せるものではない。なにげなく鍼尖を肩甲部に2,3ヵ所軽く接触した。すると患者は「ああ楽になった、こちらも」と言って、反対側に寝返った。反対側にも同様の治療を施した。「これですっかり楽になった」というので、それで終わりにしたのである。(三分間)鍼尖を接触したのは、自然の事で、効果は全く意識もしなかった。しかしわずかの接触で効いたということは、全くの偶然であったが、非常に勉強になり、よい経験であった。  

*胸部疾患のため喀血し病床に伏していたが、
相談した先生に「このように体が虚しているときは鍼の治療がもっとも適している、毎日自分で治療しては」と言われ、早速実行にうつした。当時、私は腎虚症であったので、肺経の尺沢と腎経の復溜に本治法、その他標治法を行ったところ短期間で回復し、今日の健康を得るにいたった。
 それ以来、私は多くの患者に鍼を応用し好成績をあげている。

*弟が肺炎になり医者に治るかどうかわからないと言われ、
飛んで帰ったところ、私がそばに行っても誰だか分からない。時々うわごとを言っている。脾が虚しているので、脾経の商丘に補鍼をしているとあーと声をだした。そのまま補鍼をしていると、「ああ、気持ちいい」と大きな息をした。静かに抜鍼したとたん、「すうっとした」といって意識を取り戻した。その後二ヶ月ほど治療したところ食料事情の最も悪いときであったが八キロも太って元気になった。それ以来三十六年もたった今も元気で農業をやっている。この一例をみても鍼灸による体質改善が可能である事が分かる。

*医者に腎炎と言われたおばあさんが、
肩が凝るから鍼をしてほしいというので、肩にぶすぶす刺した。「ああ、軽くなって気持ちがよくなった。」とおばあさんが言った。
明日また来るからと意気揚々として帰ったのだが、翌朝おばあさんの息子が駆け込んできた。「先生、おばあちゃんが死んでる」というのである。急いで自転車で駆けつけると、おばさんは寝たままの姿で死んでいた。どうしていいものかと肝をひやしながら知り合いの医者に往診してもらったところ心臓麻痺との診断で事なきを得た。
それ以来鍼を打つのが怖くなったが、鍼をやって悪くなることがあるとすれば、逆を考えると鍼という治療はすごいものである。このすごい鍼をマスターすることにより「はり一本で何病も」という念願が叶えられる、と自ら奮起したのである。

以上の話は当時の先生の回顧録を一部簡単にまとめたものですが、他にも深鍼や刺入鍼をしていた頃の色々な失敗談、患者の症状の悪化、高熱がでてしまった話など学生の私たちでも十分身近に感じられる話が沢山ありました。結核や肺炎など体の弱りきった状態では、刺激の強い鍼ができるはずもなく、そうした数多くの経験の中で鍼を刺さないでアプローチする方法を一人一人が工夫していったのではないでしょうか。

現在、鍼の使い方としては、大きく分けて2種類あります。
1、治療する場所を点でとらえる。
(五行穴や五要穴など経穴を使い鍼で按ずる)
2、治療する場所を線や面でとらえる。
(筋肉と筋肉のあいだの溝、皮膚の硬い軟らかい、冷たい温かい、なめらかざらざら、乾いてる湿っている、など反応部位を経絡経穴にとらわれず鍼で擦ったり、叩いたりする)

具体的な使用例

1、
A,
例えば肩の痛みであればその痛みがどの経絡にあるのかをまず考える。その上で経絡の五行穴、五要穴などを使用し一番反応の良い所(痛みの楽になる所)を治療点として選択する。この場合患側にかぎらず、逆側を用いても良い。(症状に対する取穴)
B,
四診により証を立てて経絡・臓腑の調節という角度から五行穴、五要穴など
を使う。脈やお腹、皮膚の色つや、呼吸の変化などを見る。(症状の原因に対する取穴)

2、
A,
母指と示指で鍼体を持ち、鍼尖を刺し手の中指の指腹におき鍼柄の方に鍼を引くように使う、皮膚の表面を軽くこする感じで連続的にに動かす。この時刺手の中指や環指で患者の皮膚の状態を感じるようにする。鍼の皮膚にあたる面積や距離、スピードは患者の状態によって調節し反応部位に変化が出たらやめる。
左手は右手の後を追うような形で、軽擦していく。(小児鍼的な使用法)
B,
押し手(特に一指、二指)を使い、なぜる、こする、ひっぱる、おす、などしながら、患者の皮膚、肌肉の状態を触診する。刺し手はおもに叩皮(鍼尖で施術部位の皮膚をたたく)。また右手の中指頭、環指頭で皮膚、肌肉をトントントンと軽くたたく(鍼尖が皮膚に触れた時の当たる痛みを緩和する。刺し手の安定を保ちながら、リズミカルな感覚を与えることができる)。これら刺し手と押し手の動きを呼応させ、施術部位の移動を連続的に展開させてゆく。Aと同様に反応部位が変化したらやめる。(散鍼的な使用法)

2の手技は、
A、Bともに連続的でリズミカルな刺激がポイントであり、それによって施術部位の変化だけでなく患者は気持ちよさ、爽やかさを感じる。
(注)上記の手技は一つの例であり、術者の考え方、技術、道具の種類、大きさなどによっても様々なアプローチのやり方がでてきます。特に実際の臨床現場では刺入鍼やお灸なども患者や症状によって、うまく使い分けていることの方が多いです。
これらの手技の共通点は、触診(切経)部位、施術部位(経穴や体表の反応部)ともに皮膚の表面の部分であるという事です。皮膚の下の筋肉の凝りや張りを診るのではありません。あくまでも皮膚の表面を診る事が大切です。触診する場合も按摩や指圧のように圧痛、硬結をさがすように触ると当然手の圧力が強くなり、皮膚表面の微妙な反応を見つける事ができません。

実際に鍼で治療する時の力のかけ方も、
患者が気持ちいいと感じる程度の圧で十分です、鍼を押し付けてグリグリやってはいけません。特に小児や敏感な人などは、こちらが軽くやっているつもりでも刺激量が多くドーゼオーバーになってしまい、症状が悪化する可能性もあるので、刺さないからと言って注意が必要です。

今回の発表を通じて色々な事を発見し、きづかされました。
1,
日頃、何気なく使っている鍼のルーツを再確認できたこと。
(毫鍼はあくまで九鍼の中のひとつ)、経絡経穴の持つ力のすごさ。(その理論をはるか昔にすでに確立していた事への驚き)
2,
刺さない鍼でも十分効かせられるということ。
(必ず効くという事ではない)
3,
鍼をしっかりと刺すことができる技術も大切だという事。
(鍼を刺さないのと刺せないのは違う)
4,
皮膚表面を診察点、治療点として診る事のできる触診技術の重要性。
(軽くなめらかな手を作ること、手の感覚を敏感にすること)
即ち体表の反応部位、経穴などを的確に見つけ出せる能力。
(つい皮下の筋肉や骨を診ようとするため、手の圧力が強くなってしまう)
5,
体表面を対象とした、ほかのアプローチへの興味。
(例えばお灸、知熱灸、温灸、透熱灸、大きさやすえる場所、数などを考えるとかなりバリエーションのある治療ができるのではないか)
6,
日本における鍼灸医学の歴史の一部ではあるが学べたこと。
(自分の中で鍼灸というものの定義、動機付けがよりクリアになった)

<参考文献>
黄帝内経・東洋学術出版社
文京鍼研究会・初学者用基礎講座資料
東京九鍼研究会・基礎課資料
医道の日本・昭和27年10月号・鍼の研究・本間祥白
医道の日本・昭和34年8月号・ 鍼の治験例・小里勝之
医道の日本・昭和32年1月号・ 接触鍼(小児鍼)を語る・座談会
医道の日本・昭和63年10月号・椎間関節性腰痛・南谷旺伯
医道の日本・平成元年3月号・  散鍼を尋ねて・南谷旺伯
医道の日本・平成16年11月号・技を見に行く<第3回>・八木素萌
医道の日本・平成17年3月号・ 私はこう思う20・鍼の深浅、どちらがベターか
医道の日本・鍼灸老舗の人々・その二―藤井秀二―G〜I・上地栄
医道の日本・日本鍼灸医事年表(1)〜(7)・南谷旺伯
医道の日本・大師はり流小児鍼(2)(11)(12)・谷岡賢徳
臨床鍼灸古典全書第59巻・オリエント出版社
わかりやすい小児鍼の実際(源草社)・谷岡賢徳
昭和鍼灸の歳月(績文堂)・上地栄
鍼灸臨床五十年・小野文恵
鍼灸臨床入門(医道の日本社)・小野文恵
近代鍼灸界を支える人々―鍼灸の道を拓く―(村松企画篇)
小児針法(医道の日本社)・米山博久、森秀太郎 
鍼灸医学概論(医歯薬出版株式会社)・藤原 知、小野 太郎
鍼灸の挑戦―自然治癒力を生かす―(岩波新書)・松田 博公