06-02/19 六十九難からひろがるもの-1 加藤秀郎

經言虚者補之.實者瀉之.不虚不實以經取之.何謂也
六十九難に曰く、經に言う虚は補し実は瀉す。不虚不実では以って經を取るは、何を謂うか?
然.虚者補其母.實者瀉其子.
然るに、虚は其の母を補し、実は其の子を瀉す。
當先補之.然後瀉之.
当に先ず補し然る後に瀉す。
不虚不實.以經取之者.是正經自生病.不中他邪也.當自取其經.故言以經取之.
不虚不実では以って經を取るとは、是れ正經自生病。他の邪に中たらざるなり。
當に自ら其の經を取る。故に以って經を取ると言う。

キーワードとしては「虚実」「補瀉」「不虚不実」「母子」「正経自生病」「他邪」等があります。

「虚実」
六難に
「脈に陰盛陽虚、陽盛陰虚が有る、何か。然るに浮かせて損小、沈めて実大は故に曰く陰盛陽虚。沈めて損小、浮かせて実大は故に曰く陽盛陰虚。是れ陰陽虚実の意なり。」
十二難(補瀉含む)に
「陽が絶えたのに陰を補し陰が絶えているのに陽を補す。是れに謂うは実を実し虚を虚す。不足を損じ有余を益す。如く此の死者は醫が殺す。」
十五難に
「其の気が来ること実して強い、是れに謂う太過。病は外に在る。気が来ること虚して微。是れに謂う不及。病は内に在る」
四十八難に
「人に三虚三実が有り、何か。然るに脈に有る虚実、病に有る虚実、診に有る虚実。」
四十九難に
「何を以って飮食勞倦を得たと知るか。然るに当たるは苦味を喜ぶなり。虚は食を欲さず、実は食を欲す。
五十難に
「病に虚邪が有り、実邪が有り、賊邪が有り、微邪が有り、正邪が有る。何を以って別するか。然るに從いて後より来るは虚邪、從いて前から来るは実邪、從いて勝たざる所から来るは賊邪、從いて勝つ所から来るは微邪、自病は正邪.仮に心病で例えるなら中風に得るは虚邪、傷暑に得るは正邪、飮食勞倦に得るは実邪、傷寒に得るは微邪、中湿に得るは賊邪。」
六十一難に
「切脈にて知るは其の寸口を診て其の虚実を視る。以って知るは其の病が何の藏府に在るかなり。」
八十一難(補瀉含む)に
「経に言う、無くこと実を実し虚を虚す。不足を損ない有余を益す。是れは寸口の脈かまたは病が自ずから有する虚実か。其の損益は何か。然るに是れ病にて寸口の脈を謂わず。謂うに病が自ずから虚実を有すなり。仮に肝実で肺虚、肝は木なり。肺は金なり。金木は相い平らぐ。金は木を平らぐを知る。仮に肺実で肝虚は微少の気。鍼を用いて其の肝を補さず。しかし反して其の肺を重実す。故に曰う実を実し虚を虚すは不足を損ない有余を益す。此れは中工の害する所なり。」

「補瀉」
十二難(虚実含む)に
「陽が絶えたのに陰を補し陰が絶えているのに陽を補す。是れに謂うは実を実し虚を虚す。不足を損じ有余を益す。如く此の死者は醫が殺す。」
七十三難に
「諸たる井は肌肉が浅く薄く気が少なく使うは不足なり。刺すには何か。然るに諸たる井は木なり。は火なり。火は木の子。井を刺すにはにて瀉す。故に経に言う、補は瀉するを不可、瀉は補するを不可。此れに謂うなり。」
七十六難に
「何に謂う補瀉。補の時には何の所に気を取り、瀉の時には何の所に気を置くのか。然るに補の時は從いて衞の気を取り、瀉の時は從いて榮の気を置く。其の陽の気は不足にて陰の気は有余するは、先に其の陽を補してしかる後に其の陰を瀉す。陰気が不足して陽の氣気が有余するは先に其の陰を補してしかる後に其の陽を瀉す。榮衞の通行は此れ其の要なり。」
七十八難に
鍼に補瀉が有りとは何を謂うか。然るに補瀉の法は必ずしも呼吸出内の鍼に非ず。 然るに鍼を知る者は其の左を信じ、鍼を知らぬ者は其の右を信ずる。當に刺する時、必ず先に左手に以って厭(圧)按する所は鍼にて兪の處。彈じて努し爪にて下し其の気の来る所は動脉の状の如く。順に鍼にて刺すは気を得て因って推し内にする。是れに謂うは補。動いて伸びる。是れに謂うは瀉。気を得なければすなわち男は外に女は内に当たる。気を得なければ是れに謂う十死不治なり。」
七十九難(母子含む)に
「経に言う、迎えて奪うは安を得て虚を無くす。随えて救うは安を得て実を無くす。虚の実は得るがごとく失うがごとし。実の虚は有るがごとく無いがごとしとは何を謂うか。然るに迎えて奪うは其の子の瀉なり。随えて救うは其の母の補なり。仮に心病を例にとると手の心主の兪を瀉す。是れに謂う迎えて奪うなり。補は手の心主の井。是れに謂う随えて救うなり。所に謂う実の虚は、牢濡の意なり。気が来たりて実し牢たるは得るとなり、濡して虚たるは失となる。故に曰く得るがごとく失うがごとしなり。」
八十一難(虚実含む)に
「経に言う、無くこと実を実し虚を虚す。不足を損ない有余を益す。是れは寸口の脈かまたは病が自ずから有する虚実か。其の損益は何か。然るに是れ病にて寸口の脈を謂わず。謂うに病が自ずから虚実を有すなり。仮に肝実で肺虚、肝は木なり。肺は金なり。金木は相い平らぐ。金は木を平らぐを知る。仮に肺実で肝虚は微少の気。鍼を用いて其の肝を補さず。しかし反して其の肺を重実す。故に曰う実を実し虚を虚すは不足を損ない有余を益す。此れは中工害する所なり。」

「不虚不実」
この言葉は六十九難独自のものですが、似た言葉で
十四難に「脉が来ること一呼に再び至り一吸に再びる。不大不小を曰く平」
十五難に「秋の毛脈〜不上不下にて(宙に舞う)鶏羽を循うが如き、曰く病。」
などで、どっちでもないの意。同じような意味では
霊枢、經脉第十に「所生病〜不盛不虚は以って経を取る。盛は寸口が大きく人迎の三倍、虚は則ち寸口が人迎よ小さい。」
禁服篇第四十八に「不盛不虚は以て経を取る。寸口が四倍は名を曰く内關(かん、かんぬき=関)。内關は大きく且(しゃ、そのうえ)数は死して不治。」
通天篇第七十二に「不盛不虚は以て経を取る。此の所を以って陰陽を調する。五態の人なるを別する。」
素問、厥論編第四十五に「盛は則ち寫し虚は則ち補す。不盛不虚は以て経を取る。」

「母子」
十八難に
「手の太陰と陽明は金なり。足の少陰と太陽は水なり。金が生むは水。水流は下行し上がらず。故に下部に在るなり。足の厥陰と少陽は木なり。手の太陽と少陰である火を生ずる。火炎は上行し下がらず。故に上部を為す。手の心主と少陽は火、足の太陰と陽明の土を生ずる。土は中宮を主る。故に中部に在るなり。此れ皆、五行の子母、更に相生じて養うものなり。」
五十三難に「経に言う、七伝は死、間臓は生とは何を謂うか。然るに七伝は其の勝つ所に伝わるなり。間臓は其の子に伝わるなり。何を以って言うか。仮に心病が肺に伝わり、肺から肝に伝わり、肝から脾に伝わり、脾から腎に伝わり、腎から心に伝われば一蔵が再び傷れることはない。故に言う七伝は死なり。 仮に心病が脾に伝わり、脾が肺に伝わり、肺が腎に伝わり、腎が肝に伝わり、肝が心に伝わり、是れ母子相伝。竟もまた復始、環の端の無きが如く。故れに言う生なり。」
七十九難(補瀉含む)に
「経に言う、迎えて奪うは安を得て虚を無くす。随えて救うは安を得て実を無くす。虚の実は得るがごとく失うがごとし。実の虚は有るがごとく無いがごとしとは何を謂うか。然るに迎えて奪うは其の子の瀉なり。随えて救うは其の母の補なり。仮に心病を例にとると手の心主の兪を瀉す。是れに謂う迎えて奪うなり。補は手の心主の井。是れに謂う随えて救うなり。所に謂う実の虚は、牢濡の意なり。気が来たりて実し牢たるは得るとなり、濡して虚たるは失となる。故に曰く得るがごとく失うがごとしなり。」

と七十五難です。

「正経自生病」
四十九難に「正経に自病が有り、五邪の所傷が有る。何を以って別っするか。然り経に言う、憂愁思慮は則ち心が傷る、形寒飮冷は則ち肺が傷る、恚(い=恨む)怒気逆して上りて下がらずば則ち肝が傷る、飮食勞倦は則ち脾が傷る、久しく湿地に坐り強力して入水るれば則ち腎が傷る。是れ正経の自病なり。」

「他邪」
この言葉は六十九難独自のものですが、四十九難の五邪の所傷の症状が他経の損傷から発生した場合が考えられる。