06-03/19  六十九難からひろがるもの-2 加藤秀郎

前回では『虚実』『盛虚』『五臓』などが上がりました。
それに関するものを古典からいくつか抜粋してみました。

素問・上古天眞論篇第一
丈夫八歳.腎氣實.髮長齒更.
二八腎氣盛.天癸至.精氣溢寫.陰陽和.故能有子.
丈夫(男子の別称)八歳にて腎気は実し、髮は長くなり歯は更(いれかわる、更新の意)
二八(2×8で16才)腎気は盛んにて天癸(てんき;生殖能力の意)に至る。精の気は溢(いつ;あふれる)瀉し陰陽は和み故に子を有す能。

四氣調神大論篇第二
夏三月.此謂蕃秀.天地氣交.萬物華實.夜臥早起.無厭於日.使志無怒.使華英成秀.使氣得泄.若所愛在外.此夏氣之應.養長之道也.逆之則傷心.秋爲&4553h;瘧.奉收者少.冬至重病.
逆春氣.則少陽不生.肝氣内變.
逆夏氣.則太陽不長.心氣内洞.
逆秋氣.則太陰不收.肺氣焦滿.
逆冬氣.則少陰不藏.腎氣獨沈.
夏の三ヶ月は此れ蕃秀(植物が生い茂るの意)と謂う。天地の気が交わり、万物は華やぐこと実し、夜は臥して早く起きる。日(太陽)に於いては無厭(=圧)。志を使いて無怒し、華英を使いて成秀し、気を使いて泄を得る。所愛は外に在るが若(ごとく)。此に夏気に応ずるは養長の道なり。逆の則ちは心を傷し、秋には咳瘧を爲して奉收は少なく、冬に重病に至る。
春気が逆すれば則ち少陽は生れず、肝の気は内変。
夏気が逆すれば則ち太陽は長びず、心の気は内洞。
秋気が逆すれば則ち太陰は收まらず肺の気は焦満。
冬気が逆すれば則ち少陰は藏せず、腎の気は独沈。

(天)
四時
毛穴・開
体温下降
飲食 水分上
(人)
六淫
三陽
六腑
三陰
五臓
(地)
六気
毛穴・閉
体温上昇
排泄 水分下

陰陽應象大論篇第五
清陽發.濁陰走五藏.清陽實四支.濁陰歸六府.水爲陰.日爲陽.
清陽はに発し、濁陰は五蔵に走る。清陽は四支を実し、濁陰は六府に歸(=帰)す。水は陰を為し、火は陽を為す。


霊枢・九鍼十二原第一
凡用鍼者.虚則實之.滿則泄之.宛陳則除之.邪勝則虚之.大要曰.徐而疾則實.疾而徐則虚.言實與虚.若有若無.察後與先.若存若亡.爲虚爲實.若得若失.虚實之要.九鍼最妙.補寫之時.以鍼爲之.
(一般的に)鍼を用いるには虚は則ち実し、満つる則ち泄する。宛陳(いらないものが集まった状態)は則ち除き、邪が勝れば則ち虚す。大要を曰く、徐(おそく)(してしかるに)(はやく)則ち実。疾(はやく)(してしかるに)(おそく)則ち虚。実と虚を與(ともに)言えば有るような無いような、後と先を與(ともに)察すれば存るような亡いような、虚を為し実を為せば得るような失うような。虚実の要は九鍼の最妙にて補寫の時は以って鍼を為す。

故曰.皮肉筋脉.各有所處.病各有所宜.各不同形.各以任其所宜.無實無虚.損不足而益有餘.是謂甚病.
故に曰く、皮肉筋脈、それぞれに処する所が有る。病はそれぞれの所に有るのが宜しく、それぞれに形は同じくせず、それぞれを以って其の宜しき所を任す。無実無虚。不足を損じてしかるに有余を益。是れに謂う甚しき病。

本輸第二
入絡膀胱.約下焦.實則閉.虚則遺溺.遺溺則補之.閉則寫之.
膀胱に入絡すれば下焦を約(コントロールの様な意)する。実は則ち閉(尿が出ない)。虚は則ち遺溺(尿が出てしまう)。遺溺(尿が出てしまう)は則ち補。閉(尿が出ない)則ち寫。

小鍼解第三
迎而奪之者.寫也.追而濟之者.補也.
所謂虚則實之者.氣口虚而當補之也.滿則泄之者.氣口盛而當寫之也.
宛陳則除之者去血脉也.邪勝則虚之者.言諸經有盛者.皆寫其邪也.
徐而疾則實者.言徐内而疾出也.疾而徐則虚者.言疾内而徐出也.
言實與虚若有若無者.言實者有氣.虚者無氣也.
察後與先若亡若存者.言氣之虚實.補寫之先後也.察其氣之已下與常存也.
爲虚與實若得若失者.言補者祕然若有得也.寫則悦然若有失也.夫氣之在脉也.
迎えて而(しかるに)奪うとは、寫なり。
追いて而(しかるに)済うとは、補なり。
所に謂う虚して則ち実とは、気口が虚して而(しかるに)補を当てることなり。
満して則ち泄するとは、気口が盛にして而(しかるに)寫を当てることなり。
宛陳(いらないものが集まった状態)は則ち除きとは、血脈を去るなり。
邪が勝る則ち虚とは、言うところ諸の経に盛を有すは皆、其の邪を瀉るなり。
(おそく)(してしかるに)(はやく)則ち実とは、言うところ内に(入る)を徐(おそく)(してしかるに)外に出すを疾(はやく)するなり。
(はやく)(してしかるに)(おそく)則ち虚とは、言うところ内に(入る)を疾(はやく)(してしかるに)外に出すを(おそく)するなり。
実と虚を與(ともに)言えば有るような無いようなとは、言うところ実は気が有り、虚は気が無いことなり。
後と先を與(ともに)察すれば存るような亡いようなとは、言うところ気の虚実、補寫の先後なり。其の気の下がりて已(やむ)は與(ともに)常存を察するなり。
虚を為し実を為せば得るような失うようなとは、言うに補とは祕(内に溜める)にて然るに有得の若(ごとく)なり。寫とは則ち悦(外に発散する)にて然るに有失の若(ごとく)なり。夫れ気の在脈なり。

難経・四十八難曰
人有三虚三實.何謂也
然.有脉之虚實.有病之虚實.有診之虚實也.脉之虚實者.濡者爲虚.緊牢者爲實.病之虚實者.出者爲虚.入者爲實.言者爲虚.不言者爲實.緩者爲虚.急者爲實.診之虚實者.濡者爲虚.牢者實.癢者爲虚.痛者爲實.外痛内快.爲外實内虚.内痛外快.爲内實外虚.故曰.虚實也.
脈に虚実があり、病に虚実があり、診察に虚実がある。
脈の虚実とは,濡は虚を為し緊牢は実を為す。
病の虚実とは,出(内から外へ向かうタイプ)は虚を為し入(外から内へ向かうタイプ)は実を為す。
言うは虚を為し不言は実を為す。
緩は虚を為し急は実を為す。
診察の虚実とは,濡は虚を為し牢は実を為す。
(かゆい。もどかしい。)は虚を為し痛は実を為す。
外が痛く内が快いのは,外が実で内が虚を為す。内が痛く外が快いのは,内が実で外が虚を為す。故に曰く虚実なり。
脈法の違い
脈法 寸口 人迎ー脈口(気口、寸口) 三部九候
素問
巻第二;陰陽応象大論篇第五
    陰陽別論篇第七(?)
巻第五;脈要精微論篇第十七
    平人気象論篇第十八
巻第六;玉気真臓論篇第十九
巻第七;経脈別論篇第二十一
巻第八;通評虚實論篇第二十八
巻第十三;大奇論篇第四十八
巻第十九;五運行大論篇第六十七
巻第三;六節臓象論篇第九
巻第十一;腹中論篇第四十
巻第十三;病態論篇第四十六
     奇病論篇第四十七
巻第二十二;至眞要大論篇第七十四
巻第六;三部九侯論篇第二十
巻第八;宝命全形論篇第二十五
    八正神明論篇第二十六
    離合真都論篇第二十七
巻第十四;鍼解篇第五十四
巻第十七;調経論篇第六十二
巻第十八;繆刺論篇第六十三(?)
  四時刺逆従論篇第六十四
巻第二十三;疏五過論篇第七十七(?)
霊枢
根結篇第五 第三章 第二節
五十めぐると謂うのは、五藏の氣を皆な受け其の脈口が持ち
しばしば其れに至るなり。
終始第九 第一章
其の脈口人迎が持つは陰陽の有餘や不足を知るを以て、
平與不平となり天道の畢となす。
禁服篇第四十八 第四章 第一節
黄帝曰く、
寸口は中を人迎は外を主り
兩者は相應し往来する。
繩を引くように大小が等しくととのう。
春夏は人迎が微大、秋冬は寸口が微大、是れの如を曰く平人。
難経
一難曰く、
寸口は五藏六府が終始する所。
故に寸口に於いて取るが法なり。

補瀉の違い
素問
離合真邪論篇第二十七 第二章
黄帝曰く、補寫とは何か。
岐伯曰く、此れ邪への攻なりて血の盛を去り以て疾を出し其の真氣を復す。
此のとき邪が新たに客し未だ處を定めること溶溶とし則ちその前にて推し、則ち止めること引きし、刺が逆すれば温血なり。其の血を刺して出し其の病は立す。
調經論篇第六十二 第二章 第一節
黄帝曰く、補寫とは何か。
岐伯曰く、神の有餘、則ち其の小絡の血を寫しても深く切り開き出血をさせず、其の大經には中てぬよう神氣を平する。神の不足は其の虚絡を視、按じて致らせ刺すを利するは無出其の血を出さず其の氣を泄らさず、以て其の經を通し神氣を平す。
霊枢
九鍼十二原第一 第三章
寫曰く必ず内を持って出し放つ。鍼を得て陽を排し邪氣を得て泄す。按じて鍼を引くは是れに謂う内温。血を得られずして散らし、氣を得られずして出すなり。
補曰くしたがいてゆきしたがいてゆく。意にしたがい妄の行くがごとく按ずるがごとく。蚊虻の如く止りその如く留り還する。
絃が絶する如く去り、右につづいて左を令し、其の氣は故に止どめ外門を閉じて已み、實の中氣は必ず血に留まざり急ぎて誅の取す。
難経
七十二難曰く
經に言う、迎隨の氣を知れば令調を可し調氣の方は必ず陰陽に在るとは何か。
然るにいわゆる迎隨と謂うは、榮衞の流行を知り經脉の往來なり。隨の其の逆順を取ることで故に迎隨と曰う。調氣の方が必ず陰陽に在るとは其の内外表裏を知り、隨の其の陰陽を調す。故に曰く調氣の方は必ず陰陽に在る。
七十六難曰く、
何を補瀉と謂うか。補の時はどのように氣を取り瀉の時はどのように氣を置くのか。
然るに補の時は衞に從いて氣を取り、瀉の時は榮に從いて氣を置く。其の陽氣の不足、陰氣の有餘は先づ其の陽を補し後に其の陰を瀉す。陰氣が不足し陽氣の有餘は先ず其の陰を補し後に其の陽を瀉す。榮衞の通行が此れ其の要なり。
七十九難曰く、
經に言う、迎は奪にいたり無虚を得安く、隨は濟にいたり無實を得安い。實より興る虚は得るがごとく失うがごとし。虚より興る實は有がごとく無くがごとし。何のことか。
然るに、迎は奪にいたるは其の子を瀉すなり。隨は濟にいたるは其の母を補すなり。假に心病として、手の心主の兪を瀉すは是れに謂う迎は奪にいたるなり。手の心主の井を補すは是れに謂う隨は濟にいたるなり。虚より興る實とは牢濡の意なり。氣が來たれば實牢を得、濡虚を失う。故に曰く得るがごとく失うがごとしなり。