06-07/16 五行大義に観る相生論 加藤秀郎

五行大義の巻第二の第一の相生を論ずる(論相生)には
經云、天生一、始於北方水。地生二、始於南方火。人生三、始於東方木。時生四、始於西方金。五行生五、始於中央土。
経に云う、
天は一を生じ、北方の水に於いて始まる。
地は二を生じ、南方の火に於いて始まる。
人は三を生じ、東方の木に於いて始まる。
時は四を生じ、西方の金に於いて始まる。
五行は五を生じ、中央の土に於いて始まる。
(季) 五行
西 中央
「経に云う」の出典は不明。しかし漢書の五行志の上には、「天は一を以って水を生ずる〜」とある。
ここでは天が‘一’を生み、地が‘二’を生むとなっています。
しかし次では‘一’という数字の意味合いに原因があって‘天’を生むとなります。
又曰、天始生一者、因一而生天、非天生一也。故云、一生二、二生三、三生萬物。
又曰く、始めて天は一を生ずるとは、一に因(よ;おこった事のよりどころ)りて天を生ずるで、天が一を生ずるには非ずなり。故に云う、一は二を生み、二は三を生み、三は萬物を生む。(老子、道徳経の四十二章「道生一,一生二,二生三,三生万物」とある。)
地生二者、亦因二而生地、因三生人、因四生時。
地が二を生ずるとは、亦(これもまた)二に因りて地を生じ、三に因りて人を生じ、四に因りて時を生ずる。
五行皆由一而生、數至於五。土最在後。得五而生五行也。
五行は皆が一に由(よ;その事が生じるてだて)りて生じ、数は五に於いて至る。土は最も後に在り、五を得て五行を生ずるなり。
最初の部分では、自然界に存在する森羅万象に対して数字を当てはめたわけですが、ここでは人が作り出した数字から森羅万象を見る考え方に変わります。
‘一’とは絶対基準であってそれは‘天’である。‘二’とは相対現象であってそれは‘地’である。‘三’とは相対現象‘二’に‘一’という絶対基準を使って観察、抽出、論理整理、利用、対応などを行う意識体‘人’である。‘四’とは相対現象‘二’を陰陽とした場合「陰から陽に向かう」と「陽から陰に向かう」のふたつを足した森羅万象の基本把握でありその代表が‘時(季)’である。‘五’とはこの森羅万象の基本把握を空間とした場合、絶対基準‘一’を中央にした分類法で‘五行’となる。
五行は皆が一に由りて生ずるとは、見ることはできないが物事が為す道理となる絶対基準‘一’が水。ここから始まることで、そこから知覚現象として現れた物が相対現象‘二’の火。絶対基準‘一’を利用して相対現象‘二’に対峙する、人の行ないの‘三’の木。相対現象‘二’が拡張した無為の自然現象が‘四’の金。そしてその自然現象の中に立って見わたし把握、分析する方法論が‘五’の土。
五行同出而異時者、出離其親、有所配偶。
五行は同じく出(い)でて時を異にするとは、出(い)でて其の親を離れ、配偶する所を有する。
譬如人生亦同元氣而生、各出一家、配爲夫妻、化生子息。
(たとえば)人が生れまた同じく元気を生じ、各(それぞれ)が一家(ひとつや)を出て、配せられ夫妻を爲し、化して子息を生むが如く。
故五行皆相須而成也。五行同胎而異居、有先後耳。
故に五行は皆が相い須(ま;たよろうとしてまちうける)ちて成るなり。五行は胎を同じく居が異なるとは、先後が有る耳(のみ;断定の意の文末の助詞)
五行分類とは五臓とか五音のように、ある項目を五つに分けてその性質を把握して分類する方法。このある項目のことが「同じく出(い)でて」や「胎を同じく」。しかし五行のそれぞれには独立した性質があってそれを「時を異にする」や「居が異なる」。その独立した働きを「親を離れ、配偶する所を有する」や「配せられ夫妻を爲し」。五行に分けた事による関係性を「化して子息を生む」や「先後が有るのみ」となる。
夫五行皆資陰陽氣而生。故云、濡氣生水、温氣生火、強氣生木、剛氣生金、和氣生土。
(こ)の五行は皆が陰陽の気に資(よ;それによって事をなすための、もとづくところ)りて生ずる。故に云う、濡気は水を生じ、温気は火を生じ、強気は木を生じ、剛気は金を生じ、和気は土を生ずる。
故知五行同時而起、託義相生。
故に五行が時を同じくして起るを知るも、義を託して(五行それぞれの意味合いにお互いが)相い生ずる。
上記のことの性質分類(濡気は水、温気は火、強気は木、剛気は金、和気は土)と
「関係性がある」ということの説明(義を託して相い生ずる)
傳曰、五行竝起、各以名別。然五行既以名別、而更互用事、輪轉休王。故相生也。
傳に曰う(『白虎通徳論』の五行篇)、五行は竝(なら=並)びて起こり、各が以って名を別ける。然るに五行は既に以って名を別け、更に互いに事に用い、輪轉(りんてん;時間が様々に流れ)して休王(休んだり活動したり)する。故に相生なり。
それぞれが順番に働いたり休んだりしているが、その働くという表立ても他の休んでいる所の相生があるから成り立つ。
頴容云、凡五行相生、謂異類相化。如男女異姓能至繁殖。若以水濟水、不生嘉味。
頴容(えいよう;後漢の長平の人で子厳。『春秋釈例』の著者。『隋書』の経籍に「春秋釈例十巻、漢公車徴士頴容撰(かんこうしゃちょうしえいようせん)」とある。『春秋在氏伝』昭公二十五年の注に名がある)が云う、凡(一般に)五行の相生は、類を異にして相い化わるを謂う。男女が姓を異にして繁殖する能に至るが如し。若(も;仮定をあらわす接続語)し水を以って水を濟(す;不足を補って、平等にならす。この場合は水で水を薄めるの意)ませても、嘉き味は生じず。
ではその相生とはという説明が「相生は、類を異にして相い化わるを謂う」
五行のそれぞれは類性が違うからこそ、性別の違う男女が繁殖する様に相じてものの変化を導いていく。

河間獻王、問温城薫君曰、孝者天之經、地之義也何謂也。
河間獻王(かかんのけんおう;漢の劉徳で景帝~紀元前157年漢王朝三代目の皇帝に~の第三子)は、温城(おんじょう)の薫君(とうくん)へと問うに曰く、孝(こう;孝経という書物)は天の経、地の義なりとは何を謂うか。
對曰、天有五行、木火土金水是也。木生火、火生土、土生金、金生水、水生木。木爲春。春主生、夏主長養、秋主收、冬主藏。藏者冬之所成也。
對えて曰く、天に五行有り、是れ木火土金水なり。木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生む。木は春を爲す。春は生を主り、夏は長養を主り、秋は收を主り、冬は藏を主る。藏は冬の成す所なり。
是故父之所生、其子長之、父之所長、其子養之、父之所養、其子成之。
是れ故に父の生ずる所、其の子は之れを長し、父の長する所、其の子は之れを養い、父の養う所、其の子は之れを成す。
不敢不致如父之意、盡爲人之道也。故五行者五常也。
父の意に致(いた)らずが如くを不敢(かん;あえてしないの意)、盡(つ;ありったけを費やす)つくして人の道を爲すなり(父の意向をとげて、人道を尽くすの意)。故に五行は五常なり。(『春秋繁露』五行対篇)
相生とは親子関係であると言う事がここで出てくる。上記の「働くという表立ても他の休んでいる所の相生があるから」の説明で、
父子の仕事の相伝で例えている
白虎通云、木生火者、木性温暖、火伏其中、鑽灼而出。故木生火。
『白虎通徳論』の五行篇に云う(現存の記載とは異なる)、木が火を生むは、木の性(質)は温暖で、其の中に火を伏(ふ;この場合、内包の意)し、鑽(さん;きりで揉む)(しゃく;あぶる)すると出ずる。故に木は火を生む。
火生土者、火熱故能焚木、木焚而成灰。灰即土也。故火生土。
火が土を生むとは、火の熱が故に木を焚くを能し、木は焚かれ灰を成す。灰は即ち土なり。故に火は土を生む。
土生金者、金居石、依山津潤而生。聚土成山、山必生石。故土生金。
土が金を生むとは、金は石に居て、山の津潤に依りて生ずる。聚まりて土は山を成し、山は必ず石を生ずる。故に土は金を生ずる。
金生水者、少陰之氣、潤澤流津、銷金亦爲水。所以山雲而從潤。故金生水。
金が水を生むとは、少陰の気が潤澤して津を流し、銷金(しょうきん;金属を溶かす)して亦(また)水を爲す。山雲がまた潤いを従えるに所以(ゆえん)する。故に金は水を生む。
水生木者、因水潤而能生。故水生木也。
水が木を生むとは、水の潤いを因りとして生ずるを能す。故に水は木を生むなり。

 火   土   金   水 
木は温暖で摩擦
すると火を生む。
木が焼かれ灰に
なったものが土。
金は石の中にあり、
石は山から流れた
雫が集まて出来る。
「少陰の気が潤澤して」
金属に表接した空気が冷やされて結露することで、また金属は熱をかけても液化する。
水を吸い上げて
木が生え伸びること。
上記で例えた「父子の仕事の相伝」を木火土金水の性質を使って説明する。いきなりこの話を出さない所に
有名な所もある話だが、このことは五行論にとって例え話であることが解る。
元命苞云、陽吐陰化。故水生木也。
『春秋元命苞』(しゅんじゅうげんめいほう)に云う、陽は吐き陰は化す。故に水は木を生むなり。
水を吸い上げることで木が伸び枝葉を広げる。これを「陽は吐き」
吸い上げた水が木の内部で何らかの変化をもって木を伸ばす。これを「陰は化す」
春秋繁露云、東方木。木農之本。司農、五穀畜績、司馬食之。故木生火。
『春秋繁露』に云う、東方は木。木は農の本。司農(しのう;漢の九卿(きゅうけい)の一つ。金銭と糧食を掌握する官)は五穀を畜績し、司馬(しば;軍事を掌握する官)は之れを食す。故に木は火を生ずる。
火本朝司馬、當知。天時形兆未萌、照然獨見。天下既寧、以安君臣。故火生土也。土君、當信。
火は本朝(漢王朝)の司馬にて、當(とう;助動}まさに…すべし)に知るべし。天時の形の兆しが未だ萌えずとも、照然(吉凶の状態)を独り見る。天下は既に寧(ねい;やすらか)、以って君臣は安ずる。故に火は土を生むなり。土の君はまさに信(仁義礼智信)である。
因時之威武強御以成。大理司徒。故土生金。
時の威武は強御に因りて以って成する(その時々の武芸の達人が君主の任にあたる)。大理(だいり;刑獄を主る官)は司徒(教育を掌握する官)。故に土は金を生む。
金尚書義。邊境安寧、寇賊不發、邑無獄訟、則安。執法司寇。故金生水。
金は書の義を尚(とおとぶ)。辺境が安寧し、寇賊(こうぞく;外から攻めこんで荒らす賊)が不発で、邑(おう=むら)に獄訟が無ければ、則ち安。執法(しっぽう)は司寇(しこう;警察を掌握する官)。故に金は水を生む。
水執法司寇。尚禮。君臣有位、長幼有序。百工維時、以成歳用。器械既成以給。司農田官。故水生木。
水は執法の司寇。礼を尚(とおとぶ)。君臣には位が有り、長幼には序が有る。百(諸々)の工(匠)は時を維(つな)ぎ、以って歳用を成す。器械は既に成りて以って給する。司農は田官(田畑のことを掌握する官)。故に水は木を生む。
司農
(金銭と糧食を掌握する官)
司馬
(軍事を掌握する官)
大理
(刑獄を主る官)
司徒
(教育を掌握する官)
司寇しこう
(警察を掌握する官)
兩説事義雖別、而相生是同。五行各定形。唯火鑽灼方出者、火是大陽之氣。温故乃生。鑽木出者、還寄託萬物耳。如聖人無名、能理萬物、還以萬物爲名。陽氣至神。故有隱顯。
両説(『白虎通徳論』と『春秋繁露』)の事は義が別と雖(すい;いえども)、相生は是に同じ。五行は各(おのおの)に定形する。唯(ただ)火が鑽灼(さんしゃく)の方(法)にて出ずるは、火は是は大陽の気である。温(木の持つ暖かみ)故に乃れ生ずる。鑽木して出ずるは、還(また)万物に寄託する耳(のみ;文末の断定)。聖人は無名にても万物の理(ことわり;物事のすじみち)を能し、還(また)以って万物の名を爲すが如し。陽気は至神(霊妙(人間の知恵でははかりしれないほどすぐれていること)に至る)。故に隱顯(いんけん;隠れたり現れたり)が有る。