脈状診で考える六十九難・七十五難
澤田班 平成二十年四月〜六月
4月
<「黄帝八十一難経」の始めの一歩>
松本直美
1問 書かれた年代・著者・書名はいずれが真実か?
1答 諸説はあるが、不明
真意は多くの注釈が大昔からあるが不明。現存する最古の伝本は北宋の王翰林が集注した「難経集注」で、この伝本には、すでに亡失した隋の呂博望の注、唐の楊玄操の往、さらに北宋の丁徳用・虞庶・揚棄侯らの諸注が収められており、古注を知るうえで貴重な史料ともなっている。また、最も有名な難経の注釈書としては、元の滑伯仁が著した「難経本義」がある。
下記3つの本の解説をまとめてみました。
1,成書年代、作者も現在のところ統一した見解はなく、諸説あり。張仲景の「傷寒論」序文に「八十一難」の名称が見えることから、著作年代に関しては、一般に漢代以前と考証されている。作者につては3説あり。
1)黄帝著述説(黄帝が雷公・岐伯に命じて経脈を論じさせ、疑問点をつぶさに問い尋ねて 八十一章にまとめ「難経」とした)
2)「難経」の文章から推測したもの
3)秦越人扁鵲著述説(唐の揚玄操の「難経」序文に記載されており、「渤海の秦越人が著した書で、越人は桑君の秘術を授かった結果、医の道を深く理解し、臓腑を透視し、腸を刳き、心を剔るといったことができるようになった。軒轅(黄帝)のときの扁鵲に似ているため、扁鵲と呼ばれた」との記載がある)。
上記のとおり諸説があったようだが根拠はなく、現代では張山雷(近代の研究者・故)は、おそらく戦国時代、秦漢時代に記されたものであり、各人がそれぞれ専門に述べたもので、一時代の一人の人間の筆によるものでないとし、この見解が歴史的に事実には合致しているとみている。書名については大きく2つの解釈があり、「難」を問い尋ねた説、もう一つは「難易」の「難」で(人間の五臓六腑は内側に隠れており、脈診によってしかだいたいの状況がさぐれないからに違いない。なんとも難しいことではないか(略P4)と宋代の注釈者は言っている)
(難経解説 東洋学術出版社)
2,成書年代不詳。戦国時代の名医、扁鵲(紀元前5世紀頃)が「黄帝内経」の素問・霊枢のハ十一の難解な部分について解説した書といわれているが、「解説ではなく著者独自の見解によって編著されたもの」との見解もある。しかし、著者も成書年代も未詳で、黄帝著述やその文章から非黄帝説もある。また「難経」の書名が最初に現れるのは張仲景の「傷寒論」自序だが、そこには著者名は明記されておらず、秦越人扁鵲著述説にも根拠は見当たらない。そこで「素問」「霊枢」成立以後の後漢に著されたと推定する説が有力で、現存する最古の医書の一つであると記載されている。書名については疑問を解く構成になっている「難経」の内容からみて、「疑問点を問いただす」意味に解釈するのが妥当なようである、としている。(古典ダイジェスト)
3,教科書(東洋医学概論)には前漢に素問・後漢に霊枢・後漢のあとに難経とされ、「黄帝内経」の成立の後、その難解な部分を解説する立場から、鍼による臨床実践の手引きとして作成されたとされています(東洋医学概論より)。編者は扁鵲で紀元前5世紀ころの名医で、中国各地を巡遊し、その地の必要に合わせ、帯下医(産婦人科医)、老人の痺症(難聴・視力・および体力低下などの症状)の治療医、小児科医などとして活躍。望・聞・問・切の四つの診断法を重視し、(へん)石・鍼灸・あん摩・湯液・手術など多種の治療法を用いたという。「史記」扁鵲倉公列伝には死んだとされる太子を仮死状態と診断し、鍼をはじめ様々治療法を駆使して蘇生させたという奇跡治療譚が記載されているという。(医療概論より)
2問 「難経」とはいったいどんな本なのか?
2答 諸説あるが、いわば鍼の専門書
1,難経の内容は、脈診・経絡・臓腑・病理・病態・経穴・刺鍼法について81項目にわたって論じものであり、注釈本によって差異があるが、呉澄の章区分に従えば、
その81項目(1)一〜二十二難が脈学(2)二十三〜二十九難が経絡(3)三十〜四十七難が臓腑(4)四十八〜六十一難が疾病(5)六十ニ〜六十八難が兪穴(6)六十九〜八十一難が鍼法、と分類する。
2,全部で八十一扁。その特色を次のように述べています。
1)診断法:診断法のなかでも脈診を重要視しています。その脈診も寸ロ診を中心としたものです。
2)経絡・経穴:奇経の使い方が、難経によって始めて明らかにされたと思います。
3)臓腑の生理:栄衛・腎・三焦について、独自の考え方を述べています。
4)取穴法:虚を先に補う、と言う考え方は、素問・霊柩に示されている基本です。これに五要穴と五行説を組み合わせ、六十九難型と七十五難型の取穴法を確立しています。
5)刺針法:灸の記述はありません。 (難経ハンドブックより)
<脈診の歴史・難経18難の脈診>
脈診には大きく、比較脈診と脈状診の二つがあり、
「黄帝内経」の時代には、三部九候診、人迎脈口診という比較脈診が基本とされた。
黄帝内経素問・霊枢の歴史、
黄帝内経は、前漢の時代に編纂され鍼経(しんきょう)と素問の合計18巻と伝えられている。一旦は散逸したが、762年、唐の時代に王冰(おうひょう)の表した素問と霊枢が伝えられている。
霊枢は鍼経(しんきょう)の別名とされる。
黄帝内経18巻のうち、1部にあたる9巻を鍼経と呼び、2部の9巻を素問と呼ぶ。鍼経は経脈、経穴、刺鍼、また営衛、気血など系統的で詳細に説明されている。ここで9という数字には意味があり古代中国において、数(かず)は1から始まり9で終わるとされていた。すなわち1巻には1章から9章が記述され、9章の次は2巻となる。1部は9巻×9章で81章で一まとまりとなり、黄帝内経は2部構成であった。
素問は、古くはBC202年の前漢時代ころから編纂され始めたと考えられている。
素問 三部九候篇 第二十から三部九候診
黄帝内経素問にある脈診法で、世界には天人地の三つがあるという考え方から、人体においても天人地を求め、これに対応する脈拍で診断する方法。頭頸部に3箇所、手に3箇所、足に3箇所の拍動部を求め、これの強さなどで、診断を行う。
主として左右を比較し、あるいは上下、すなわち天部であれば天部の上下を比較し、天地人各部の脈の異常は、その部の病であるとする。
霊枢 人迎脈口診
素問 霊枢 終始篇 第九
六節蔵象論 第九 経脈篇 第十
腹中論 第四十 禁服篇 第四十八
人迎脈口診は、霊枢、終始篇、禁服篇にある脈診法で、人迎と寸口、すなわち、頚動脈拍動部と橈骨動脈拍動部を両手で同時に診て、その幅を比較し、その差の倍率によって異常のある経絡を判定する方法である。
難経18難
難経18難は、その内容から大きく3つの内容に分類できる。
1,寸関尺の脈診 2,寸関尺と天地人 3,左右の不整脈の脈診
1,寸関尺の脈診
脈には、三部があって、その各々に4経脈の脈気が現れる。手の太陰肺経と手の陽明大腸経は、上の寸口にあって、足の太陽膀胱経と足の少陰腎経は、下の尺中にあるのは、なぜなのか。手の太陰肺経と陽明大腸経は金に属する。足の少陰腎経と太陽膀胱経は水に属する。金生水で、水は低い方に流れくだるだけで上にのぼることができない。だから、足の少陰腎経と太陽膀胱経は下部にある。足の厥陰肝経と少陽胆経は木に属する。木生火の理によって、木に属する肝経と胆経からは、火に属する心経と小腸経を生じる。元々、火炎は上にたちのぼるだけであって、下にくだることはない。そこで、手の少陰心経と太陽小腸経は上部にある。
手の厥陰心包経と少陽三焦経は火に属する。火生土の理によって、土に属する足の太陰脾経と陽明胃経は土で中部にある。みな五行の母子関係の法則に従って、金から生じ、水が下がって、木が生えて上にのぼり、火が立ち昇って、土を生じ、金を生じる。ここでは陽に傾くか、陰に傾くか(陽が強いか、陰が強いか)ということで、六部定位脈診については書かれていない。
2,寸関尺と天地人
三部は、寸関尺。九候は、それぞれ、浮中沈。
上部:天:胸〜頭 中部:人:横隔膜〜臍 下部:地:臍〜足 詳しく調べ、刺すものなり。
寸関尺を天地人にあてはめる。3×3で9候、これも臓腑配当はしていない。
3,左右の不整脈の脈診
病には、癪病(冷えの邪気が体内に長い間とどまって、冷えの積み重なり)や、聚病(冷えの集まり)もある。
脈経
脈経は、晋代の王叔和による脈診書(280年頃)である。脈診については、脈経より古い医書にも記載があるが、脈診の専門書としては最も古い。日本の鍼灸における脈診といえば、難経を基礎とするといわれているが、これは誤りであり、むしろ脈経の巻一の内容が詳しい。現在、日本では「脈経」(「難経」ではない)を起源とする六部定位脈診がポピュラーである。
5月
<難経の気・血・栄・衛と三焦について>
白子 良明
1.難経十八難には三種類の脈診が書かれています。前回のおさらい。
1,3部4経脈診
生体全体の陰陽バランスの崩れを寸尺の陰陽の崩れとして捉えた脈診法。
2,3部9候脈診
浮・中・沈で三焦いずれの部に病があるかを弁証し、各々に起こる陰陽のバランスの崩れを寸・関・尺のバランスにより診察する脈診法。
上焦(栄衛の循環)中焦(天地人の栄養)下焦(水分代謝)を主る。
3,左右浮伏脈診
臓腑に病気が及んだ場合の脈診法。結脈が起こり腹部には積ができる。
2.今回のテーマ 一難で言う栄衛と漏水とは何か?
難経一難
1,脈診では、ただ手の太陰の寸口を取るだけでよい、という原理を説明している。
また、寸口が栄衛血気の循行する発着点であり、五臓六腑と非常に密接に関係することから、「ひとり寸口にのみ取る」根拠を述べている。
2,栄衛が人体を運行する回数を説明している。日中25回、夜間にも25回、合計50回まわり、その運行の初めと終わりは、共に手の太陰経である。
一難曰く
十二経の皆は脈に動きが有る。ひとり寸口を取り、以って五藏六府の死生や吉凶を決するとは何と謂う也。
然り、寸口は脈の大会にて手太陰の脈動也。
人の一呼で脈は三寸行き一吸で脈は三寸行き、呼吸の定息では脈は六寸行く。
人の一日一夜で凡に一萬三千五百息、脈は五十度行きて身に於いて周る。
漏水が下ること百刻。栄衞は陽を二十五度行き、陰もまた二十五度行く。
一周を為す也。
故に五十度、手の太陰に於いて復会う。
寸口は五藏六府の終であり始である所にて、故に寸口に於いて取る法也。
3.病には感・傷・中の軽重があり、それぞれ気・血・臓腑に病変がある。
1,感
気(栄衛)の循環に異常を現す。
2,傷
栄血の状態に変化が起こる。
感・傷の段階であれば、脈状診でバランスの崩れを診る。
3,中
臓腑実質に変化が起こる。
この段階になると六部定位脈診で病症部位を特定する。
経絡上にのみ病変がある場合は、経病(是動・所生病)として診断する。
現代の鍼灸臨床の現場では、重篤な患者に接する事は稀であり、ほとんどの場合、感・傷の段階であることが多い。このことを踏まえると気・血・栄・衛・水分のバランスや流れを整える事が治療として重要であると考えられる。
4.栄衛の循環と上焦
気・血・栄・衛の循環は、主に上焦(心・肺)に関係し、外界への反応を生命活動(バイタルサイン)である呼吸、脈拍(血圧・血液循環)、体温(寒熱)として捉えることが出来る。病の初期段階において、これらの乱れを整えることにより、病の進行を防ぎ、早期の治癒へと向わせる事ができる。
臨床に於いては気血の寒熱として診ることができる。
難経三十難
1,栄・衛の来源と水穀の精気との密接な関係について説明している。
2,栄・衛の生成と五臓六腑の内の気化の関係について概論している。
3,栄・衛の実体と運行の回数、および循行部位を示している。
三十難曰く
栄気の行、常に衛気と相従えて行くとはどういうことか。
然り、経に言う、人は気を穀に受け、穀は胃に入り、五臓六腑に伝わる。
五臓六腑は皆気を受け、清なる者は栄となり、濁った者は衛となる。
栄は脈中を行き、衛は脈外を行く。
栄は休まず周り、五十にし再び大会す。
陰陽を相貫き、端の無い輪の如し。
故に、栄衛の相従えて行くを知る也。
5.栄衛、水分の流れと三焦
栄衛・水分の流れを見た場合、三焦という働きがある。上焦は呼吸・循環、中焦は消化吸収、下焦は排泄を主る。
中焦で栄気・衛気が作られ、糟糠が下焦に送られ排泄される。上焦の心と肺により栄気・衛気は全身を巡る。下焦には心の陽気が降りた命門の火が存在し、これが良く機能していれば中焦が良く働いて、気血営衛を効率良く製造できる。という三位一体の関係となっている。
上焦の心は陽中の陽、下焦の腎は陰中の陰。心と腎が上手く交流することによって人体の健康が保たれているので、三焦の機能に異常が生じると寒熱の偏りとして表れる。
病は、熱によるものと冷えによるものに大別されるので、これらを改善するには、臓腑の虚実を診る以前に気・血・栄・衛・水分のバランスを整え、三焦の機能を改善する必要があるのではないでしょうか。
臨床に於いては、主に季節への対応として診ることができる。
三十一難
主三焦の位置、機能を論じ、その主治穴を指摘している(上焦は臍中、中焦は臍傍、下焦は臍の下一寸)。
三十一難曰く
三焦とは何を受け何に生じるか。どこで始まりどこで終わるか。
その常に治まる所はどこにあるのか。明らかにすることは可能か。
然り、三焦者は水穀の道路にて気の終始する所也。
上焦は心下下膈に在り、胃の上口在って、入るを主り出さず。
その治は?中に在る。玉堂の下一寸六分。両乳間の陷るに直るところ是也。
中焦は胃の中?に在る。上でも下でもなく、水穀の腐熟を主る。
その治は臍傍に在る。
下焦は膀胱の上口に当たる。清濁の分別を主る。出すを主り入れず。
以って伝導する也。
その治は臍下一寸在る。故に名を三焦と言う。その府は気街に在る。
6.三十二難
心肺が膈上に位置することの原理と気血栄衛の関係の説明。
三十二難曰
五臓倶に等しい。しかるに心肺は独り膈上にあるのは何故か。
然り、心とは血で肺とは気。血は栄を為し気は衛を為す。相従いて上下し栄衛と言う。
経絡を通行し外を周り巡る。故に心肺は膈上に在る也。
<難経の治療法則 前編(六十九難〜七十二難)>
川奈部 佳代
一般的には、六十九難は本治法の治療法則であるといわれています。今回の発表では、六十九難から七十二難までを外因病の経過における各病位の治療法則であると考えてみました。
外因病は衛気→→衛気・榮気→→榮血と病位が進んでいきます。
六十九難は総論であり、七十、七十一、七十二難はその各病位における治療法則であるとしました。
キーワードとその治療
六十九難:虚―補 実―瀉
七十難: 春夏―浅 秋冬―深
「病はまず、体表の衛気から始まります。」
※春、夏、秋、冬の季節ではなく 春・夏=熱 秋・冬=寒ととらえます。
※体表(衛)の部分のみでの異常(気・血のバランスの崩れ〜熱・寒として表現されます)
春夏―温 一陰を致す 先―深 後―浅
秋冬―寒 一陽を致す 先―浅 後―深
※ 次に衛気(陽)と栄気(陰)がともに病む段階に病が進んでいきます。衛気熱ならば栄気寒し、衛気寒ならば栄気熱となります。
※ 衛気・栄気のバランスを整えることにより寒熱の偏りを治します。
七十一難: 衞―臥 榮―摂按し鍼を内す
「病には防衛を中心とした、衛気、衛気栄気の段階と栄養保持を中心とした栄血の段階があるので両者の治療目標を明確に区別しなければならない。」
※ 栄気(陰)に進んだ病を衛(陽)での異常だけで考えてはいけません。
七十二難:榮衞―経脈の逆順―迎随
内外表裏―調気により陰陽を調える。
「栄血―生体内の栄養」
※ 上焦:受納 外からの呼吸 ―循環―迎随
中焦:消化 吸収― 栄養 ―内外表裏―陰陽
下焦:代謝 排泄― 栄養 ―内外表裏―陰陽
※外因病がさらに進むと栄血が病む段階になります。三焦の障害が起こります。
上焦の病は循環障害(逆順)を整えます。これを迎随といいます。中、下焦の栄養代謝障害は、内外表裏での陰陽を調えます。
6月
<脈状診で考える六十九難七十五難>
澤田 和一
六十九難 虚者補其母.實者瀉其子.
難経の一難〜二十一難は、外感病における病の経過と各段階における脈状について述べています。
外感病とは、外界の影響により生体の防衛機能または、栄養状態、季節への順応の各機能に病変が起こることをいいます。
病は、衛気、栄気→栄血→臓腑病(形質の損傷)へと進みます。
各病位における病の基本形とその脈状を本文から抜粋して考察を加えてみます。
1) 総論(外感病の基本形)
三難〜太過不及(陰乗・陽乗脈)〜
三難曰・脉有太過.有不及.有陰陽相乘.有覆.有溢.有關.有格.何謂也.
然.關之前者.陽之動.脉當見九分而浮.過者.法曰太過.減者.法曰不及.
遂上魚爲溢.爲外關内格.此陰乘之脉也.
關以後者.陰之動也.脉當見一寸而沈.過者.法曰太過.減者.法曰不及.
遂入尺爲覆.爲内關外格.此陽乘之脉也.故曰覆溢.是其眞藏之脉.人不病而死也.
六難〜陰盛陽虚 陽盛陰虚〜
六難曰.脉有陰盛陽虚.陽盛陰虚.何謂也.
然.浮之損小.沈之實大.故曰陰盛陽虚.沈之損小.浮之實大.故曰陽盛陰虚.是陰陽虚實之意也.
2) 各論
四難〜衞に病位がある場合〜※衛の寒熱 脈状―祖脈の組み合わせ
四難曰.脉有陰陽之法.何謂也.
然.呼出心與肺.吸入腎與肝.呼吸之間.脾受穀味也.其脉在中.浮者陽也.沈者陰也.故曰陰陽也.
心肺倶浮.何以別之.
然.浮而大散者.心也.浮而短?者.肺也.腎肝倶沈.何以別之.
然.牢而長者.肝也.按之濡.擧指來實者.腎也.脾者中州.故其脉在中.是陰陽之法也.
脉 有一陰一陽.一陰二陽.一陰三陽.有一陽一陰.一陽二陰.一陽三陰.如此之言.寸口有六脉倶動耶.
然.
此言者.非有六脉倶動也.謂浮沈長短滑渋也.浮者陽也.滑者陽也.長者陽也.
沈者陰也.短者陰也.渋者陰也.
所謂 一陰一陽者.謂脉來沈而滑也.一陰二陽者.謂脉來沈滑而長也.一陰三陽者.
謂脉來浮滑而長.時一沈也.
所言 一陽一陰者.謂脉來浮而渋也.一陽二陰者.謂脉來長而沈渋也.
一陽三陰者.謂脉來沈渋而短.時一浮也.各以其經所在.名病逆順也.
九難〜栄血に病意がある場合〜※栄血の寒熱 遅数
九難曰.何以別知藏府之病耶.
然.數者府也.遲者藏也.數則爲熱.遲則爲寒.諸陽爲熱.諸陰爲寒.故以別知藏府之病也.
十難〜性質の変化を起こす場合〜※病脈の出現
十難曰.一脉爲十變者.何謂也.然.五邪剛柔相逢之意也.
假令 心脉急甚者.肝邪干心也.心脉微急者.膽邪干小腸也.
心脉大甚者.心邪自干心也.心脉微大者.小腸邪自干小腸也.
心脉緩甚者.脾邪干心也.心脉微大者.胃邪干小腸也.
心脉渋甚者.肺邪干心也.心脉微渋者.大腸邪干小腸也.
心脉沈甚者.腎邪干心也.心脉微沈者.膀胱邪干小腸也.
五藏各有剛柔邪.故令一輒變爲十也.
形質の損傷
十四難〜脈数と息数の不一致 損至 ※呼吸―心臓と肺のバランスの崩れ
十五難〜四季の平・病・死 ※栄養(胃の気)が失われる。
十六難〜精神積聚 ※精神が乱れ、積聚ができる。