08-12/21 「古典を読む意味」 加藤秀郎

素問・陰陽應象大論篇第五・第四章・第四節

故善治者治皮毛, 其次治肌膚, 其次治筋脈, 其次治六府, 其次治五藏. 治五藏者, 半死半生也. 故天之邪氣, 感則害人五藏; 水穀之寒熱, 感則害於六府.
故に善(よろしく)治するは皮毛を治し、其の次に肌膚(きふ)を治し、其の次に筋脈を治し、其の次に六府を治し、其の次に五藏を治す。五藏を治するは、半死半生なり。故に天の邪氣、感じれば則ち人の五藏を害す。水穀の寒熱、感ずれば則ち六腑に於いて害す。
善とは
「じょうずな。巧みな」という意味で、本来は‘譱’と言う字形です。これは裁判を現した文字ですが、公的に誰もが良いという意味になります。
つまり、公的に誰もがよいとする治療とは、皮毛に対して治療行為を施し、その次に肌膚に対して治療行為を施し、その次に筋脈に対して治療行為を施し、その次に六腑に対して治療行為を施し、その次に五臓に対して治療行為を施す。五臓に治療行為を施すときはすでに死ぬか生きるかである。

この下りは‘予防医学’という観点も含まれています。善(よろしく)治する〜公的に良いという治療〜とは、治療を受ける側と施す側の両方の側面を、同時に語っています。

治療を受ける側の場合で例えば、

皮毛を治し
寒さを感じたならまず治療を受け
其の次に
肌膚を治し
悪寒を感じたなら治療を受け
其の次に
筋脈(経絡含む)を治し
だるさや節々の痛さがあったなら治療を受け
‘受け’を‘施し’に
代えると、
治療を施す側に
なります。
五藏を治するは、半死半生なり
五臓を治療するという行為は、すでに死にかけている人への治療であると提言しています。
つまりこの2000年前の時代であっても、何が何でも根元治療を施せば良いんだという発想はあって、その戒めのようだと思います。
其の次に
六府を治し
嘔吐下痢、多汗頻尿、もしくは喘息や発熱などの治療を受け
其の次に
五藏を治す
精神や身体機能が不全に近いための治療を受ける

治療行為そのものの最良パターンを説いているわけですが、ここで認識しておきたいのは、黄帝内径の時代の良い医者は皆この様にやっていたんだなと思うのは間違いだということです。
皆ではなく一部の本当によい医者がそのように考えていたことで、なぜそう言い切れるかというと、わざわざ書いてあるからなんです。

古典全体に言えることは、つまり「特殊なことだから書かれている」ということです。逆に返せば当たり前のことは書いていないと言うことです。

ここが古典を読む上での困難な所です。

何故なら2000年前当時は当たり前だったことが、今では全く知られてもいないことだったりするからです。
その‘当時の常識’を読み解いていくことが古典研究の中核にあります。
上記は、おそらく‘予防医学’という観点が、人の健康維持として非常に効率のいい考え方であって、そのことの提唱が編纂作業の水面下ではあったのだろうと推測できます。それと同時に単なる医療作業の効率性のための根元治療に、その危険性をメッセージしていたのかとも思われます。そのうえで五臓の治療の重要性を説くわけです。
そう考えた上で、
皮毛を治し(寒さを感じたならまず治療を受け)ー具体的な方法は書かれていません
厚着をしてくださいとかの、指導ではなかったのかと考えられます。
肌膚を治し(悪寒を感じたなら治療を受け)ー具体的な方法は書かれていません
さすったりとか、体が温まるものを飲むなどの指導?
筋脈(経絡含む)を治し(だるさや節々の痛さがあったなら治療を受け)ー体表部位の名前としての経穴名
按摩やお灸など。この状態が五臓への損傷にならないための予防認識の促しとして、経絡や経穴の記載がある。
六府を治し(嘔吐下痢、多汗頻尿、もしくは喘息や発熱などの治療を受け)ー発病理由や治療例の記載が多い。
素問の後半の各論的な記載。しかし五行論で紐解く記載が少ない。
五藏を治す(精神や身体機能が不全に近いための治療を受ける)ー基本的にはこの治療のために黄帝内径や難経がある
死にかけている人からデータを得るために、脈や尺膚、腹や顔などを診察し、そこからの情報を分析するため陰陽五行論に基づいて、医学を発展させた。

だから、天がごく当然に起こす作用のうちの、その正常でない場合を感じとっていくうちに、人は五藏に傷害を及ぼす事になる。食物から必要以上の影響を受けた場合は、身体機能が亢進や衰退をしてしまう。そのことが感じとれたときには、六腑が傷害している。

‘天が地表に及ぼす作用’で最も顕著なものが四季の移ろいです。
これが五臓に影響するというのです。水穀と言う‘飲食物’が六腑に影響するのは解りますが、四季と五臓というのは、五行論を展開する上でのこじつけの様な感じすらあります。
しかし考えられることの一つに、冬の寒さも夏の暑さも『体は慣れる』という事を繰り返して、毎年その一年を乗り切ります。寒さや暑さに慣れると言うことは、例えば冬の27度は暑く、夏の27度は涼しく感じますが、これは身体がその季節に常に適応して行っていると言うことです。
この適応している様子を理論化したものが、三焦論です

体表
 水を下げる
季節の終りに次の季節へと
水の方向を変える
弯紊鮠紊欧
体内

夏に暑さに慣れるのは
体表まで水分に満たされて冷えやすい状態になるためで、
冬に寒さに慣れるのは
体の奥へと水分を留めて冷えにくい状態になるためです。
しかし季節は順当に変わっていくわけではないので、三焦の水分移動だけでは急激な気候の変化に間に合いません。その場合、筋脈の体温生産能力や、肌膚の毛穴の開閉に依存します。三焦の水分移動と気候の変化が一致していないことを感じ分けるセンサーが皮毛です。
だから
皮毛が異常を感じたときに治療を施せば、肌膚はむやみな毛穴の開閉をしなくて済み、
肌膚の毛穴の開閉で対応している段階で治療を施せば、筋脈はむやみな体温生産をしなくて済み、
筋脈の体温生産で対応時に治療を施せば、六腑はむやみな口渇や食欲に駆らせることはない。
ただ皮毛が外気を感じ取ることによって、生体は必要範囲内での毛穴の開閉や体温生産量の変化を起こして、季節の移ろいに備えます。涼しくなれば体温生産量が増えるため、つまりカロリー消費が増えるため食欲が増します。暑くなれば水分を体表まで満たし蒸散量が増えるため、喉が渇きます。この様な六腑の働きというのが、五臓が季節と対応する手前にあるわけです。
この六腑の働きで飲食の摂り方を誤ると身体機能の抗進や衰退を招き、嘔吐下痢や多汗頻尿、もしくは喘息や発熱などを発症します。それが

「食物から必要以上の影響を受けた場合は、身体機能が亢進や衰退をし、六腑が傷害する」になります。

しかしこれらは、気候の変化に対しての適応反応です。身体が生きていくと言うことの正常動作として外気と対応し、基本的には五臓の、三焦論による季節適応への水分の移動を、サポートするために起こります。

ところが五臓の傷害というのは
この三焦論による季節適応が起こらなくなってくることを言います。
原文に「天之邪氣」とありますが単に暑い寒いの邪気ではなく、間違いのない正常動作が、出来なくなってきたことからの影響という意味です。天とは太陽の運行から受ける働きを意味します。間違いなく毎朝東から日が昇り、毎年同じ日に春分が来ます。この間違いなく同じ事をすると言うことが‘天’と言う意味になります。
人体が季節の移ろいの中で生きていく、普遍的な適応能力というのが五臓の三焦論による水分の移動です。
精神を患って、真冬なのにほとんど裸で水分を摂り続けている人や、真夏にコートを着て炎天下にいる人。末期のガンを患い、飲食を口にしないで下痢をし続ける状態。これらは三焦機能が壊れてしまった様子の一つです。
普遍的な生体機能の損なわれた状態が、五臓の傷害です。
別の見方をすると、人は体内に‘天’を持っています。外界の天の運行と体内の天の運行が一致していれば健康、ずれてきたならば病気とも言えます。
この‘ずれ’が長い間の外界対応との食違いから生ずることもあれば、何かの拍子に五臓が損傷を受けてずれてしまう場合もあります。少なくとも「長い間の外界対応との食違い」によるズレには、皮毛から治療を施すことで予防が出来るわけです。