2010-3/21 標本とは? 〜意見交換会〜

古典にはどの様に書いてあるのか?

素問◆標本病傳論篇第六十五.
黄帝問曰.病有標本.刺有逆從.奈何.
黄帝が問いて曰く、病に標本が有り刺すに逆従が有るとは何か。
岐伯對曰.凡刺之方.必別陰陽.前後相應.逆從得施.標本相移.
岐伯が對(=対)して曰く、凡(一般)に刺の方は、必ず陰陽の別、相応の前後。逆従を得て施すは標本の相移。
故曰.有其在標而求之於標.有其在本而求之於本.有其在本而求之於標.有其在標而求之於本.
故に曰く、
其れ標に在れば標に於いて之れ求めるを有し、
其れ本に在れば本に於いて之れ求めるを有す。
其れ本に在れば標に於いて之れ求めるを有し、
其れ標に在れば本に於いて之れ求めるを有す。
故治有取標而得者.有取本而得者.有逆取而得者.有從取而得者.故知逆與從.正行無問.知標本者.萬擧萬當.不知標本.是謂妄行.
故に
治は標を取って得るが有れば、本を取って得るが有り、
逆を取って得るが有れば、従を取って得るも有る。
故に逆與(と=&)従を知り、正行すれば無問。
標本を知るは、萬擧萬當(=百発百中).標本を知らぬは、是れを妄行(=出鱈目)と謂う。
夫陰陽逆從.標本之爲道也.小而大.言一而知百病之害.少而多.淺而博.可以言一而知百也.以淺而知深.察近而知遠.言標與本.易而勿及.治反爲逆.治得爲從.
夫れ陰陽、逆従、標本の道を爲すなり。小にして大。一にして百病の害を知ると言える。少にして多。浅にして博。以って一で百を知ると言うが可なり。以って浅くして深く知り、近いもので遠くを知るを察する。標與(と=&)本と言う。易にして及ばず。
治が反せば逆を爲し、治を得れば従を爲す。
先病而後逆者.治其本.先逆而後病者.治其本.先寒而後生病者.治其本.先病而後生寒者.治其本.先熱而後生病者.治其本.先熱而後生中滿者.治其標.先病而後泄者.治其本.先泄而後生他病者.治其本.必且調之.乃治其他病.先病而後先中滿者.治其標.先中滿而後煩心者.治其本.人有客氣.有同氣.小大不利.治其標.小大利.治其本.先病にして後逆なるは其の本を治し、先逆にして後病なるは其の本を治す。
先に寒して後に病が生ずれば其の本を治し、先に病みて後に寒が生ずれば其の本を治す。
先に熱して後に病が生ずれば其の本を治し、先に熱して後に中満が生ずれば其の本を治す。
先に病みて後に泄するは其の本を治し、先に泄して後に他病を生じれば其の本を治す。必ず之れを調し乃(=そうして)其の他病を治す。
先に病みて後に先の中満は其の標を治す。
先に中満して後に煩心するは其の本を治す。人に客気が有り同気が有る。小大(便)の不利は其の標を治す。小大(便)の利は其の本を治す。
病發而有餘.本而標之.先治其本.後治其標.病發而不足.標而本之.先治其標.後治其本.謹察間甚.以意調之.間者并行.甚者獨行.先小大不利而後生病者.治其本.夫病傳者.
病発にして有余、本にして之れ標。先に其の本を治し後に其の標を治す。
病発にして不足、標にして之れ本。先に其の標を治し後に其の本を治す。謹みつつ間甚を察すれば以って之の調を意するは、間は并(へい=二つ)行、甚は独行。先に小大(便)の不利にして後に病を生むは其の本を治す。

霊枢◆病本第二十五.
先病而後逆者, 治其本, 先逆而後病者, 治其本, 先寒而後生病者, 治其本. 先病而後生寒者, 治其本. 先熱而後生病者, 治其本. 先泄而後生他病者, 治其本. 必且調之, 乃治其他病. 先病而後中滿者, 治其標. 先病後泄者, 治其本. 先中滿而後煩心者, 治其本. 有客氣有同氣, 大小便不利, 治其標. 大小便利, 治其本.
先に病みて後に逆するは其の本を治し、先に逆して後に病むは其の本を治し、
先に寒して後に病が生ずるは其の本を治し、先に病みて後に寒が生ずるは其の本を治し、
先に熱して後に病が生ずるは其の本を治し、先に泄して後に他病の生ずるは其の本を治し、必ず之れを調し乃(=そうして)其の他病を治す。
先に病みて後の中満は其の標を治し、先に病みて後に泄するは其の本を治し、
先に中満して後に煩心するは其の本を治し、客気が有り、同気が有り、大小便が不利するは其の標を治し.大小便が利するは其の本を治す。
病發而有餘, 本而標之, 先治其本, 後治其標. 病發而不足, 標而本之, 先治其標, 後治其本. 謹詳察間甚, 以意調之, 間者并行, 甚為獨行. 先小大便不利而後生他病者, 治其本也.
病発にして有余、本にして之の標。先に其の本を治し後に其の標を治す。病発にして不足、標にして之の本。先に其の標を治し、後に其の本を治す。謹んで詳しく間甚を察すれば、以って之の調を意するは、間は并(へい=二つ)行、甚は独行。先に小大(便)の不利にして後に病を生むは其の本を治すなり。

我々が行ういわゆる“本治”“標治”とは、示す物が違う感じがします。どちらかというと一回の治療に対するその方針の、種類のようです。
素問では他に移精變氣論篇第十三、湯液醪醴論篇第十四、運気篇の天元紀大論篇第六十六、六微旨大論篇第六十八、六元正紀大論篇第七十一、至眞要大論篇第七十四。
霊枢では減って、他に師傳第二十九、衞氣第五十二に、標と本の組み合わせが見られますが、難経では“標”と言う文字はありません。

字源的に“標”と“本”は何なのか?

標は、
という象形からなり、木の抄末(しょうまつ;表面で端の意)を差し梢が揺れる事を意味しています。
動く事で目を引く事から、高い木に布告を貼って表示という意味になりました。この表示から目的や規範が生まれ“標準”が発生しました。
本は、
元は木の下に‘肥点’を加えた物で、基本や正統の意に用いそこから後に書物を示す様になる。
木と言う文字の下に線を入れて根を強調した物ではない。
木を育てるために肥料を注ぐ場所を意味した記号が展成した。本末や本支など対象に用いる。

本治は陰経の五兪を使う
ただし井木穴を使わない。
これは七十三難の、
諸井者.肌肉淺薄.氣少不足使也.刺之奈何.
諸の井は肌肉が淺薄して気が少く使うに不足也。刺すはどうするのか。
然.諸井者木也.者火也.火者木之子.當刺井者.以瀉之.
然り、諸の井は木也。は火也。火は木の子にて井を刺すに当たる。以ってを瀉する。
故經言.補者不可以爲瀉.瀉者不可以爲補.此之謂也.
故に經に言う。補は以って瀉を爲すを不可とし、瀉は以って補を爲すを不可とするを此れの謂う也。
標治法に督脈経を使う
標治の使用穴は〈木-亜門、金-大椎、土-脊中、水-陽関〉です。
この配当の根拠となる原典は素問の『金匱真言論篇第四 』第一章です。
黄帝問曰: 天有八風, 經有五風, 何謂.
黄帝が問いて曰く、天に八風が有り經に五風が有るとは何を謂うか。
岐伯對曰: 八風發邪, 以為經風, 觸五藏, 邪氣發病.
岐伯が対して曰く、八風が邪発し、以って經の風を為す。五藏に触れ邪氣として発病す。
所謂得四時之勝者,
春勝長夏, 長夏勝冬, 冬勝夏, 夏勝秋, 秋勝春, 所謂四時之勝也.
所にて四時の勝を得ると謂うとは、
春は長夏に勝つ。長夏は冬に勝つ。冬は夏に勝つ。夏は秋に勝つ。秋は春に勝つ。所にて四時の勝と謂う也。
東風生於春, 病在肝兪, 在頸項;
南風生於夏, 病在心兪, 在胸脅;
西風生於秋, 病在肺兪, 在肩背;
北風生於冬, 病在腎兪, 在腰股;
中央為土, 病在脾兪, 在脊.
東風は春に於いて生まれ、病は肝に在りて兪は頸項に在る。
南風は夏に於いて生まれ、病は心に在りて兪は胸脅に在る。
西風は秋に於いて生まれ、病は肺に在りて兪は肩背に在る。
北風は冬に於いて生まれ、病は腎に在りて兪は腰股に在る。
中央は土に於いて、病は脾に在りて兪は脊に在る。
故春氣者病在頭,
夏氣者病在藏,
秋氣者病在肩背,
冬氣者病在四支.
故に春気は病が頭に在り、
夏気は病が藏に在り、
秋気は病が背に在り、
冬気は病が四支に在る。

故春善病衄,
仲夏善病胸脅,
長夏善病洞泄寒中,
秋善病風瘧,
冬善病痺厥.
故に春は善く(鼻づまり)(鼻血)を病み、
仲夏は善く胸脅を病み、
長夏は善く寒中により洞泄を病み、
秋は善く風瘧(おこり;寒け・震えに続いて高熱を発する症状)を病み、
冬は善く痺厥を病む。

故冬不按, 春不鼻衄,
故に冬は按をせねば春は衄をなさず。
春不病頸項, 仲夏不病胸脅, 長夏不病洞泄寒中, 秋不病風瘧, 冬不病痺厥泄, 而汗出也.
春は頸項を病まず、仲夏は胸脅を病まず、長夏は寒中で洞泄を病まず、秋は風瘧を病まず、冬は痺厥にて泄を病まず、そうして汗を出す也。
夫精者身之本也.
故藏於精者春不病温. 夏暑汗不出者, 秋成風瘧. 此平人脈法也.
(その)精は身の本也。
故に蔵に於いて精は、春に温で病まず、夏の暑さで汗を出さぬは、秋に風瘧に成る。此れは平人の脈の法。