10-5/16 古典の科学性とその臨床応用〜六腑編・生理,各論〜 加藤秀郎

三焦

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小腸
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膀胱
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大腸
六腑は飲食物の輸送機能であると考えた時に、胃と小腸と大腸、それに膀胱という連携以外の‘三焦’や‘胆’はいったい何をするためのものか?
また臓腑は表裏と言うが‘腎と膀胱’‘脾と胃’は機能的つながりで‘肝と胆’は解剖学的な配置でカップリング意図は掴めるが、‘肺と大腸’や‘心と小腸’まして実体のない‘心包と三焦’など、なぜ組み合わさるのか?
各機能と五臓との関係について
素問;靈蘭秘典論篇第八;第一章
膽者, 中正之官, 決斷出焉.
胆は中正の官にて決斷これ(焉)に出ずる。
脾胃者, 倉廩之官, 五味出焉.
脾胃は倉廩の官にて五味これ(焉)に出ずる。
大腸者, 傳道之官, 變化出焉.
大腸は伝道の官にて変化これ(焉)に出ずる。
小腸者, 受盛之官, 化物出焉.
小腸は受盛の官にて化物これ(焉)に出ずる。
三焦者, 決之官, 水道出焉.
三焦は決の官にて水道これ(焉)に出ずる。
膀胱者, 州都之官, 津液藏焉, 氣化則能出矣.
膀胱は州都の官にて津液これ(焉)を蔵し、気化させ則ち出すことを能す。
◆胆は中正であり‘決斷’としている。
中正の決断とはその身体が置かれている状況、その状況に対して五臓が判断した指令、その指令に対して消化器がどの様に対応できるかという様相。そういった条件から適切な六腑の仕事内容を決定する事。
◆脾胃は倉廩であり‘五味’としている。
脾胃はカップリングで考えられる事が多く、穀物倉と例えられながら味覚を感じ分別する能を受け持つ。空満腹や喉渇感、食欲や必要味覚の発生に働く。
◆大腸は伝道であり‘変化’としている。
食べたものにとっての終着であり、便という土と同化しやすい腐物へと形態を変える。
◆小腸は受盛であり‘化物’としている。
飲食物を受けその時の身体に必要な状態の養分、水分、排泄物とに変える。
◆三焦は決であり‘水道’としている。
とは汚濁を浄化する水路を意味するが、胆の決断の純粋実行を示すとも考えられる。その実行は水の動きによって表現される。そして体幹を上下に三分割して各位置に五臓の配当があるが、大きくは生理学そのものを指していると思う。
◆膀胱は州都であり‘津液を蔵し気化させ出す’としている。
単に尿を溜めて排泄するだけではなく、血液以外の体液に関与していると考える。

霊枢;本兪篇第二;第五章
肺合大腸, 大腸者, 傳道之府.
肺が合するは大腸、大腸は伝道の腑。
心合小腸, 小腸者, 受盛之府.
心が合するは小腸、小腸者は受盛の腑。
肝合膽, 膽者, 中精之府.
肝が合するは胆、胆は中精の腑。
脾合胃, 胃者, 五穀之府.
脾が合するは胃、胃は五穀の腑。
腎合膀胱,膀胱者, 津液之府也.
腎が合するは膀胱、膀胱は津液の腑なり。
少陽屬腎, 腎上連肺, 故將兩藏.三焦者, 中涜之府也, 水道出焉,屬膀胱, 是孤之府也,
少陽が屬すは腎、腎は肺へと上連し、故に両臓を将(引き連れる)する。
三焦は中涜(とく=水路)の腑なり。水道に出(いずる)は焉(えん=是&如)して屬すは膀胱、是れ孤の腑なり。
是六府之所與合者.
是れ六腑の所に與(=共)に合す者。
肺は大腸、心は小腸、肝は胆、脾は胃、腎は膀胱とあるが、突然、
「少陽が属すは腎、腎は肺へと上連し、故に両臓を将(引き連れる)する」と‘少陽’という言葉が出てくる。
三焦は中涜で水道とあり‘属すは膀胱’にしながら‘孤の腑’とある。
そうしながら六腑の所に共に合う者としている。

三十五難
三十五難曰.五藏各有所.府皆相近.而心肺獨去大腸小腸遠者.何謂也.
三十五難に曰く、五臓は各所に有りて、府は皆が(臓に)相いて近し。
(しかるに)心と肺は独(ひと)り大腸と小腸より遠く去るとは何を謂うや。
經言.心榮肺衞.通行陽氣.故居在上.大腸小腸.傳陰氣而下.故居在下.所以相去而遠也.又諸府者.皆陽也.清淨之處.
経に言う、心は栄、肺は衞。通りし行くは陽気。故に居て在るは上。大腸と小腸が伝えしは陰気にて下。故に居て在るは下。所以(ゆえに)相いて去り而(しかるに)遠きなり。又諸腑は皆が陽なりて清浄の處。
今大腸小腸.胃與膀胱.皆受不淨.其意何也.
今、大腸、小腸、胃と膀胱、皆が受けるは不浄。其の意は何か。
然.諸府者謂是.非也.經言.小腸者.受盛之府也.大腸者.傳瀉行道之府也.膽者.清淨之府也.胃者.水穀之府也.膀胱者.津液之府也.一府猶無兩名.故知非也.
然るに諸(々;もろもろ)の腑は是と謂うは非なり。経に言う、小腸は受盛の腑なり。大腸は伝瀉行道の腑なり。胆は清浄の腑なり。胃は水穀の腑なり。膀胱は津液の腑なり。一腑に両名は無きを猶(=如く;ゆう)す。故に知るは非なり。
小腸者.心之府.大腸者.肺之府.胃者.脾之府.膽者.肝之府.膀胱者.腎之府.

小腸は心の腑。大腸は肺の腑。胃は脾の腑。胆は肝の腑。膀胱は腎の腑。
小腸.謂赤腸.大腸.謂白腸.膽者.謂青腸.胃者.謂黄腸.膀胱者.謂黒腸.下焦所治也.
小腸は赤腸と謂い、大腸は白腸と謂い、胆は青腸と謂い、胃は黄腸と謂い、膀胱は黒腸と謂う。下焦の治むる所なり。
◆肝と胆、脾と胃、腎と膀胱は近いが、肺と大腸、心と小腸は体の上下に離れているのにカップリングされているのは何故か?と言う問いに対して‘心は栄、肺は衞で、通行して陽気’つまりその五臓の様相をある種の体表現象を通じて観察者側に診せるため、居る所は上に在るとしている。
腑は大腸と小腸が伝えるのは陰気だから下、つまり体内である事とその体内に有って物体として形態変化をしながら下へと降りて行く様を陰の気と言っている。胃は中焦でまだ嘔吐という昇る動きがあるが、小腸大腸に逆流はないため居る所は下に在るとしている。
しかし‘諸腑は皆が陽で清浄の処’と結ぶのは、陽で清浄つまり五臓の指令に純粋動作する器官であり、腑と臓の関係性の再認識を訴えて三十五難の後半に接続させている。

◆その後半の入り口が‘大腸、小腸、胃と膀胱、不浄を受ける意は何か’という問い文で始まる。
文編構成をコンパクトにしながら腑と臓の関係を一つの難だけで伝えるための、演出展開である。
その答えが一派ひと絡げにただ飲食を受けて排泄させるだけの‘腑’とは考えずに、それぞれが五臓の指令からの役割を持ち、しかしその実働は飲食から排泄までの不浄物の扱いである、という訴えである。
それぞれの腑の役割として‘小腸は受盛の腑、大腸は伝瀉行道の腑、胆は清浄の腑、胃は水穀の腑、膀胱は津液の腑’とある。そして‘一つの腑にいくつかの名は無い’つまり腑の働きはそれぞれがカブっていない事を確認している。
そのうえで‘小腸は心、大腸は肺、胃は脾、胆は肝、膀胱は腎の腑’であり、さらに‘小腸は赤腸、大腸は白腸、胆は青腸、胃は黄腸、膀胱は黒腸と謂う’とあって最後に‘下焦が治める所’と閉める。
臓腑のカップリングを確認しながら五色を付け加えている。五行ではなく何故五色なのか?
色は現象の発動が明るみに置かれて認識されるが、腑が働く様はその生体がおおよそ空満腹や便意、尿意、膨満感や働きの状態などで自覚できる。体内の事を他者に訴えられる様子を‘明るみに置いて認識する’に例え、その生体認識とそれぞれの腑の持つ働きから各腑の分担と五臓とのカップリングが決定されたと言える。

三十八難
三十八難曰.藏唯有五.府獨有六者.何也.
三十八難に曰く、臓は唯(ただ)五つ有る。腑は独(ひと)り六つ有るとは何か。
然.所以府有六者.謂三焦也.有原氣之別焉.主持諸氣.有名而無形.其經屬手少陽.此外府也.故言府有六焉.
然るに、所以(ゆえに)腑が六つ有るとは三焦を謂うなり。有るは原気の別。主に持つは諸(々)の気。名は有りて而(しかるに)形は無し。其の経は手の少陽に属す。此れ外府(五臓連携の外)なり。故に腑は六つ有りと言う。

素問
(靈蘭秘典論篇第八)
霊枢
(本兪篇第二)
難経
中正の官 中精の腑 清浄の腑
小腸 受盛の官 受盛の腑 受盛の腑
三焦 の官 中涜の腑
原気の別
外腑
倉廩の官 五穀の腑 水穀の腑
大腸 傳道の官 伝道の腑 伝瀉行道の腑
膀胱 州都の官 津液の腑 津液の腑
三十一難曰.
三焦者.何稟何生.何始何終.其治常在何許.可暁以不.
稟は俸給としてもらう穀物。さずかった食糧。{名}こめぐら。穀物を入れるくら。
暁はあかつき。夜明け。空がしらんでくる明けがた。さとる。さとす。明らかになる。はっきりとわからせる。明白に知らせる。
三焦とは何を受け生じたのか。どこで始まりどこで終わるのか。その常に治まるところはどこなのか、明らかにすることは可能か。
然.三焦者.水穀之道路.氣之所終始也.
三焦者は水穀の道路にて気の終始する所なり。
上焦者.在心下下膈.在胃上口.主内而不出.其治在譫.玉堂下一寸六分.直兩乳間陷者是.
上焦は心下下膈に在り、胃の上口在って、主り内にして出ず。その治は譫中に在る玉堂の下一寸六分。両乳間の陷るに直るところ是也。
中焦者.在胃中.不上不下.主腐熟水穀.其治在齊傍.
中焦は胃中に在る。上でも下でもなく、水穀の腐熟を主る。その治は齊傍に在る。
下焦者.當膀胱上口..主分別清濁.主出而不内.以傳導也.其治在齊下一寸.故名曰三焦.其府在氣街.
氣街は霊枢衛気篇第五十二に出てくる。
下焦は膀胱の上口.に当たる。清濁の分別を主る。主り出るにして内にせず。以って伝導なり。その治は齊下一寸在る。故に名を三焦曰う。その腑は気街に在る。
霊枢;衞氣第五十二
黄帝曰.五藏者.所以藏精神魂魄者也.
黄帝が曰く、五臓は所以(ゆえん)精神魂魄を蔵す者なり。
六府者.所以受水穀而化行物者也.
六腑が所以(ゆえん)するは水穀を受け而(じ;そう)して化した物が行く者なり。
其氣内于五藏.而外絡肢節.
其の気が内に于(=往;う)するは五臓。而(じ;そう)して外に絡すれば肢節。
其浮氣之不循經者.爲衞氣.其精氣之行于經者.爲營氣.
其の浮気が之(=行;ゆ)きて経を不循するは、衞気を為す。其の精気が之(=行;ゆ)きて経を行于(=往行)するは、営気を為す。
陰陽相隨.外内相貫.如環之無端.亭亭淳淳乎.孰能窮之.
陰陽は相随(あいしたがい)し、外内は相貫(あいつらぬく)。環の端の無きが如く。亭亭(ていてい、そのものずばり)にて、淳淳(じゅんじゅん;ありのまま)(か!)、能を熟し窮め之(ゆ)く。
然其分別陰陽.皆有標本虚實所離之處.
然るに其の陰陽の分別は、皆に有るは標本や虚実の所にて離れ之く處。
能別陰陽十二經者.知病之所生.候虚實之所在者.能得病之高下.知六府之氣街者.能知解結契紹于門戸.能知虚石之堅軟者.知補寫之所在.能知六經標本者.可以無惑于天下.
陰陽十二経を別する能の者は、病の所生を知る。虚実の所在を候する者は、病の高下を得るを能す。六腑の気街を知る者は.結を解き門戸を于(=往;う)して契紹を知るを能す。堅軟の虚石を知るを能する者は、之所在の補寫を知る。六経の標本を知るを能する者は、可を以って惑(まどわ)ず天下を于(=往;う)する。
三十五難では出てこなかった‘三焦’は、三十八難と三十一難で説明される。
◆三十八難では‘三焦が有って腑が六つといいそれは原気の別ともいう。主に持つは諸(々)の気。名が有るだけで形は無い。経は手の少陽に属す’とあり、これは‘外腑(五臓連携の外)’といっている。
「原気の別」「主に持つは諸(々)の気」「名が有るだけで形は無い」などから“人体生理そのものが三焦である”と考えている。外府の五臓連携の外とは、五臓機能を包括しているという意味である。
◆三十一難の問い文は、三焦とはなんだかさっぱり解らないが、はっきり言い表せるのか?と言う事である。
その答えが‘水穀の道路’と‘気の終始する所’である。
・水穀の道路とは、飲食から排泄までの連携と、その養水分の分配を言っている。
・気の終始する所とは、様々な生体現象が起こると言う事の源を示すと考えている。つまり人体生理である。
 そして‘上焦は入って出ない。治むるは譫中に在る玉堂の下一寸六分’
‘中焦は水穀の腐熟を主る。治むるは齊傍に在る’
‘下焦は清濁の分別を主り、出るが入らない。それを伝導といい、治むるは齊下一寸在る’とあり
 最後に‘その腑は気街に在る’と結び、やはり‘気街’とは生理現象を担うものと思われる。

素問;六節藏象論篇第九;第五章
黄帝曰: 藏象何如.
黄帝が曰く臓の象とは何の如くか。
岐伯曰: 心者, 生之本, 神之變也, 其華在面, 其充在血脈, 為陽中之太陽, 通於夏氣.

岐伯が曰く心は生の本にて神の変なり。其の華(はなやかに表現されたもの)は面に在りて、其の充(働きの満たされが物的に確認できる場所)は血脈に在り。陽中の太陽を為す。通ずるに於いては夏の気。
肺者, 氣之本, 魄之處也, 其華在毛, 其充在皮, 為陽中之太陰, 通於秋氣.
肺は気の本にて魄の処なり。其の華は毛に在りて其の充は皮に在り。陽中の太陰を為す。通ずるに於いて秋気
腎者, 蟄封藏之本, 精之處也, 其華在髮, 其充在骨, 為陰中之少陰, 通於冬氣.
腎は蟄(動くものが大人しく外へとでない様にしている様子)、封(外へと出られない様にしている様子)、藏(中に入ったまま動かない様子)の本を主る。精之處也, 其の華は髮に在りて、其の充は骨に在り。陰中の少陰を為す。通ずるに於いては冬の気。
肝者, 罷極之本, 魂之居也, 其華在爪, 其充在筋, 以生血氣, 其味酸, 其色蒼, 此為陽中之少陽, 通於春氣.
肝は罷(=疲;はい)(頑張り過ぎの疲れ)の本、魂の居なり。其の華は爪に在りて、其の充は筋に在り。以って生ずるは血気、其の味は酸、其の色は蒼、此れ陽中の少陽を為す。通ずるに於いては春の気。
脾胃大腸小腸三焦膀胱者, 倉廩之本, 營之居也, 名曰器, 能化糟粕, 而轉味入出者也, 其華在唇四白, 其充在肌, 其味甘, 其色黄, 此至陰之類通於土氣. 凡十一藏取決於膽也.
脾胃、大腸、小腸、三焦、膀胱は倉廩(=食物倉庫)の本、栄の居なり。名を器と曰い、能は糟粕を化し、
(そうして)味の入出を轉(=転;てん)ずる者なり。其の華は唇の四白に在り、其の充は肌に在り、其の味は甘、其の色は黄。此れ至陰の類にて通ずるに於いては土の気。凡(全体)が十一臓とは胆が決するに於いて取るなり。
素問の六節藏象論篇で心肺腎肝の各説明をしてから‘脾胃、大腸、小腸、三焦、膀胱’をまとめた説明へと入り、最後に‘全体で十一臓とは胆が決する’で結ぶ。胆の働きが五臓指令を受け六腑全体の動作を取り仕切るからである。その六腑が働いて発せられた生理現象が三焦である。
先の五臓の説明は心肺腎肝であったが、これは三焦の配当である。そのうえでの説明内容に、
‘心は陽中の太陽’‘肺は陽中の太陰’‘腎は陰中の少陰’‘肝は陽中の少陽’がある。
・心は陽中の太陽とは、心は上焦にあるので‘陽中’、上焦の主体であり人体生理の発動の主導性から‘太陽’
・肺は陽中の太陰とは、肺も上焦にあるので‘陽中’、上焦から下へと降ろす働きから‘太陰’
・腎は陰中の少陰とは、腎は下焦にあるので‘陰中’、下焦にあって体の奥にあり身体形成の主体から‘少陰’
・肝は陽中の少陽とは、肝の三焦の位置は素問の時代には未定であったが上へと昇らせる働きから‘少陽’
三焦という生理現象と五臓の関連である。

陰陽離合論篇第六;第二章
黄帝曰: 願聞三陰三陽之離合也.
黄帝が曰く願わくば聞きたい、三陰三陽の離合はなにか。
岐伯曰: 聖人南面而立, 前曰廣明, 後曰太衝, 太衝之地, 名曰少陰,
岐伯が曰く、聖人が南面に立つと前が曰く廣明、後が曰く太衝、太衝の地、名は曰く少陰。
少陰之上, 名曰太陽, 太陽根起於至陰, 結於命門, 名曰陰中之陽.
少陰の上、名は曰く太陽、太陽の根が起きるは至陰に於いて、結ぶは命門に於いて、名は曰く陰中の陽。
中身而上, 名曰廣明, 廣明之下, 名曰太陰, 太陰之前, 名曰陽明, 陽明根起於勵兌, 名曰陰中之陽.
身の中より上、名は曰く廣明、廣明の名は曰く太陰、太陰の前、名は曰く陽明。陽明の根が起きるは勵兌に於いて、名は曰く陰中の陽。
厥陰之表, 名曰少陽, 少陽根起於竅陰, 名曰陰中之少陽.
厥陰の表、名は曰く少陽。少陽の根が起きるは竅陰に於いて、名は曰く陰中の少陽。
是故三陽之離合也, 太陽為開, 陽明為闔, 少陽為樞。
是れ故に三陽の離合なりて太陽が為すは開、陽明が為すは闔(こう;閉ざす扉)、少陽が為すは樞(すう;扉の回転軸)
.
廣明は広く明るい。意図的に受光面積を広く取り、外的作用を受け入れその結果、内部様相も明らかに表現される。
太衝とはメインストリート。人体を都市に見立て都市機能の流動様相と例えた。
・太衝の地とはその発祥でありそれが‘少陰’。後面と‘地’とで形成本質を示すと考えられる。
・その少陰の上が太陽。上とは体内側を下とした場合のより表層を示す。
 少陰と太陽の在り方が‘陰中の陽’。
・身の中より上を廣明というのは、最も体内の奥のその手前というニュアンスがである。
 それが‘太陰’。前面と‘身の中’とで、内外交流と考えられる。
・その太陰よりも前側でありその表層が‘陽明’。太陰と陽明の在り方も‘陰中の陽’。
・ところがいきなり‘厥陰の表は少陽’と出てくる。おそらく前と後ろの境、
 つまり横ではないかと思われる。厥陰と少陽の在り方は‘陰中の少陽’
前面は太陰であり、後面は少陰、両側は厥陰。その表層で、
前面-太陰-陽明で閉ざす扉(闔;こう)、後面-少陰-太陽で開く扉、
両側-厥陰-少陽で扉の回転軸(樞;すう)
,

◇三焦は人体生理そのものを意味し、胆はその人体生理を飲食物の供給面からサポートする監視塔と言える。
◇腎と膀胱や脾と胃は機能的つながりで、肝と胆は解剖学的位置関係から当然の様に組み合わさった。
◇肺は呼吸という前方からの外界交流がある。それが太陰となった所以である。
その表層としての組み合わせが陽明。陽明の働きを意味する闔(こう)とは出入り口にあって、入れた物や出入り口付近の物を出ない様にしておく仕組みの扉である。そのため組み合わせが大陰には陽明となった。
◇太衝というメインストリートの始点には宮殿がある。そこは少陰であり君主の心を意味する。
その表層は太陽で働きは開く扉である。開くとは物を受け分配する分岐路を意味している。小腸は飲食物を受け水分と養分と排泄物とに分岐する。分配には上層指令が直接関わる。それが少陰は太陽という組み合わせの所以と思われる。
◇三焦と心包の組み合わせの明記は、難経;二十五難にある。
二十五難曰.有十二經.五藏六府十一耳.其一經者.何等經也.
二十五難に曰く、有るは十二経、五臓と六腑で十一耳(のみ=だけ)。其の一経は.何等(どんな)経か。
然.一經者.手少陰與心主別脉也.心主與三焦爲表裏.倶有名而無形.故言經有十二也.

然るに一経は、手の少陰が與(あた=与)う心主の別脈なり。心主と與(くみ=組)て三焦と表裏を為す。
(とも=供)に名は有りても形は無い。故に言う経が有るは十二なり。
「霊枢;本兪篇」でも「素問;陰陽離合論篇」でも‘少陽’と言う言葉は突然出てくるが、それはそれまでの文章経過で解っているはずと言う前提なのだと思われる。霊枢;本兪篇の少陽は腎と肺の連携を意味していて、その後で三焦の説明をしている。この段階では‘孤の腑’で、まだ組み合わせはない。二十五難で心包-三焦の組み合わせが決定付けられたと思うが、難経の時代に‘心包’という言葉はない。
少陽は扉の回転軸を意味する樞(すう)とあるが、単独機能ではなく連携させている物を示している。前面で外界交流の太陰と後面で生体形成である少陰の間を動作性のある軸でつなぐという‘厥陰’と、連携の様相を言う少陽とが組み合わされた。