2010-9-17 杉山三部書 <後天のこと、三焦のこと> 口語訳 B斑
  - 後天のこと
  
  後天の元気とは胃の気のことである。
  右に論じた先天に対して易道の上では、天地がすでに開け五行が生じて東西南北の四方が定まった後のことを論じて後天と言うのである。
  人身における中焦胃の気は五行における土であり、五臓六腑はもとより身体全体から爪の先や髪の毛一筋にいたるまで、この胃の気の養いによって成長するのである。
  これは、天地の間の万物が土地の気に養われるということと同じことであるため、医道ではまさに胃の気をもって後天というのである。
  《素問・太陰陽明論篇》に、胃土の性は万物を生じ天地に法る、とあるのはこの意味である。
  ゆえに人が生まれるということは先天の元気により、今日この身があるということは後天の元気によっているのである。
  人における生死吉凶の全てはこの二つの元気によっているのである。 
  人が生まれてよりこのかた食べてきた水穀は、胃の腑が受け中焦において腐熟されこなされる。
  この中焦は臍と鳩尾との間を八寸にとった中央にあたる。これは胃の気の発する根本であり、営衛もまたここに始まる。
  この腐熟しこなされた水穀のうち、濁って穢らわしいものは下に大腸や小腸に運ばれ大小便となる。
  この水穀のうち清浄な気は中焦において化せられて営衛となる。この営衛はまだ一体としてあり、胸郭を升って肺の臓に至る。
  《霊枢》に、上焦において開き発せられる衛気、とあるのはこのことである。これをまた宗気ともいう。
  宗気と名付けるときは、中焦から
中(だんちゅう)に積まれている気をさして言っているのである。
  この宗気が集い発するところは左の乳の下の動脉が踊るところである。
  これは虚裏の動と名付けられている。
  《内経》に、虚裏の動衣に旺ずるものは三年にして死す、とあるのはこのことを言っているのである。 
  このように営衛は一体となって肺の臓に升り、肺の臓に至ってから営と衛の二つに分かれて陰となり陽となる。これが気血ということである。
  たとえば、風呂場の中の湯煙が風呂場一杯に満ちるまでは湯気として一体であるが、これは営衛が一体として肺の臓に升るようなものである。
  営は陰であり血であり、衛は陽であり気である。
  先の湯煙は風呂場一杯に充満すると天井で露となり滴り落ちてくるが、この場合の湯煙は形がなく陽であり人における気であり、滴り落ちる露は形があり陰であ
  り人における血を表わしている。
  また、営は脉中を行き衛は脉外を行くと言われているが、この脉中とは経絡の内のことであり脉外とは経絡の外のことである。 
  思うに、腎間の動気も、営気・衛気・宗気の三気もこれを総合すれば一体である。しかし日常的に考えれば、人が生まれてから今日に至るまでいかに安泰で丈夫であるとはいっても、水穀を摂取しなければ胃の気は乏しくなっていき、全身が痩せてきて二十一日も保たずに死んでいくことになる。
  これに比べれば、腎間の動気は人の性命十二経の根本であるとはいっても、水穀を摂取していれば色欲に溺れていてもすぐには死ぬことはない。
  このように考えていけば、人の元気の大本は胃の気であると言うことができよう。
   
 
三焦のこと
三焦は水穀の道路を主り食物を消化する。上焦・中焦・下焦の三を合して三焦という。
このように上焦・中焦・下焦の三に分けるということは、天地人の三才と同じ意味である。
これから考えれば、腎間の動気は天に日月があるようなものである。日月があるようなものであるということは、たとえば草木が育まれ物を日に干すと乾くということであり、これらが皆な日月の恵なのであるということである。
前には、灯火を腎間の動気にたとえて語ったが、ここでは三焦を中心にして語ろうとしているので日月をもってそのたとえとしているのである。
しかし、灯火があるから座敷が明るくなるということと、日月の恵によって草木が育まれ物を日に干すと乾くということとは、同じ意味である。
思うに、三焦と腎間の動気とはもともとは一体であるが、なぜ分けて考えるのかというと、灯火があるから座敷が明るくなるということと、日月の恵によって草木が育まれ物を日に干すと乾くということは、実は三焦の作用であるため、三焦を遍満する気と言うからである。
《難経》に、三焦は名ありて形なし泡のごとく霧のごとし、とあるのは、この意味なのである。
三焦はそもそも医道の第一の口伝である。その理は非常に広く限りがないものである。ここにはただその根底となる部分のみを記した。《霊枢・十八篇》や《難経・三十一難》を読めば、よく理解することができるであろう。
この三焦は結局のところ下焦が根本である。下焦とはすなわち腎間の部である。