2012-07-15 五行論の臨床転用 加藤秀郎

五行論の臨床転用の最大の意義は、どの経絡を使うのかという施術者サイドの都合です。
それは病体状況を五行論で分析できれば、おのずと使用経絡が限定できるという方程式的な治療原理が、あるとされているからです。
これは本質的には医療の五行とは言えません。
東洋医学に五行論が導入された本来の目的は、体感内部というブラックボックスを五臓と言う分類で把握して、命の盛衰を見極めようとしたものでした。人の命が生まれ栄え衰えて死するという在り方を、大自然が五行という原理で回転する営みの中で捉えるのが本来の医療五行です。
とにかくなんでも五臓と関連づけて、どうにか治療ポイントを探し当てるためだけが五行ではないのです。
しかし東洋医学が導入した五行論は、二千年かけて治療ポイントを探すためのものになってしまいました。
ですので「治療ポイント探し出す五行」という考え方を必要最低限に使って、「五行論の臨床転用」の話をします。

病体把握〜どこが病んでいるか?〜
“どこが”とは、解剖学的な位置の話の様ですが、内容は生理学に近いものです。
“どこが”が示すのは、人体を大きく3つに分けた部分で"経"、"腑"、"臓"です。
この3つは組織や器官の名前というより、むしろ働きの名前に近いものです。

そのうえで、まず"経"とは何か?〜"経"とは、"腑"と"臓"意外の全てです。〜
別の言い方をすれば「インフラと発動器官」です。
発動器官は皮膚や筋肉、感覚器です。
インフラはそれ等と"腑"や"臓"との情報と滋養の通行です。血管や神経、リンパ管などが持つ生理機能の集合概念とも言えます。
"経"という考え方の一部に、難経一難にいう“十二経”も含まれます。“十二経”もしくはいわゆる経絡は、インフラ部分の一部を医療に特化して抽出された概念です。ですので“経”=いわゆる経絡ではありません。

筋肉が筋肉の、目や耳は目や耳の働きが在ると言う状態は"臓"に属します。しかし働き方の有り様は、"経"の範囲です。働き方の有り様は情報や滋養の受け止め方で変わります。
この「受け止め方の不具合」が"経"の病み方、つまり「経病」といえます。
経病の原因である「受け止め方の不具合」は2種類あります。
情報の不具合である“気”と、滋養の不具合である“血”です。
この病体は「経病」であり、その原因は“気”か“血”の不具合である、を限定する脈状が“緩急”と“滑渋”です。

脈状での病体区別と治療
“緩急”と“滑渋”が脈状で診られれば、それは「経病」であり“緩急”は気の“滑渋”は血の不具合です。
“緩急”は気ですので生体の反応様相を治療します。
“緩”は脈の突き上がりが緩く、“急”は逆に突き上がりが急激です。この脈の突き上がりから、突き切って引き下がりが始まる所までの頭骨動脈拍動部の手触りを五行で分類して、使用経絡を限定します。
脈の様相 脈状に近い脈名 五行 使用経絡
突き切りの上部に集約する 肝経
突き切りの上部が広がる 心包経
脈状が確定しずらい 脾経
突き切りの上部のみに存在感 肺経
突き切りの上部が不明瞭 腎経

“滑渋”は血ですので生体の状態を治療します。
“滑”は脈の引き下がりが早く逆に“渋”は引き下がりが遅い。脈が突き切る手前から、突き切って引き下がるまでを手足の三陰で分けて使用経絡を限定します。
脈の様相 手足の三陰と使用経絡
脈が太く引き下がりでも太さ感がキープ 足の厥陰
脈感が突き切り前後のみ 手の厥陰
脈の全体が頼りない感じ 足の太陰
突き切り前後が不明瞭 手の太陰
脈そのものが不明瞭 足の少陰

“腑”の場合の脈状と治療
“腑”は生体の外的内的環境に、飲食の供給を対応させます。
外気が暑ければ、もしくは運動などで体温上昇があれば水分を要求し、寒ければ、もしくは運動後の休息時に食物を要求し体内環境の安定に務めます。
“腑”の不具合は難経九難の“数脈”により「腑病」と診ます。
“数脈”が診れたなら次に“寸口”、“関上”、“尺中”のうちの、どこに特徴的な脈動があるかを診ます。
治療法則は難経六十九難です。
脈の部位
三焦
病症と使用穴
寸口
上焦
上がり過ぎた肝を下げるか
肝の瀉-行間穴
下がらない肺を下げるか
肺の補-太淵穴
関上
中焦
脾の補-大都穴
  瀉-商丘穴
尺中
下焦
上がらない肝を上げるか
肝の補-曲泉
下がり過ぎた肺を上げるか
肺の瀉-尺沢

“臓”の場合の脈状と治療
“臓”は生命そのものです。人体が生体を営んでいるという事、五臓や六腑、各組織器官の生理動作が在ると言う事などが“臓”です。
“臓病”は生体運営の根本的な損傷で、その状態は「虚実」で、脈状は“遅脈”で診ます。
治療法則は難経六十九難の発展であり、七十九難を使います。この“臓”を知るために、医療は「大自然が五行という原理で回転する営みの中で生体を捉える」ために五行論を導入しました。
“遅脈”が診れたら次は難経五難の「菽の重」の脈で五臓の区別をします。
菽の重
五臓
三菽
六菽
九菽
十二菽
骨まで押さえて戻す
指を沈めた位置の手触りで虚実を診断し、相生相克の原理で使用経絡を判断します。

五臓のどれか一つが虚か実であれば、治療法則は難経六十九難です。
五臓のうちの二つが虚と実で、二臓の関係が相生であり親が実、子が虚であれば治療法則は難経六十九難の発展です。二臓の関係が相克で祖が虚、孫が実であれば治療法則は七十九難です。
また、三蔵以上の虚実や親が虚、子が実や、祖が実、孫が虚は治療は不可能です。
この時に様々な選経選穴パターンが発生しますが、その選択内容の必要性は難経十二難と八十一難の通りです。
十二難曰.經言.五藏脉已絶於内.用鍼者反實其外.五藏脉已絶於外.用鍼者反實其内.内外之絶.何以別之.
然.五藏脉已絶於内者.腎肝氣已絶於内也.而醫反補其心肺.五藏脉已絶於外者.其心肺脉已絶於外也.而醫反補其腎肝.陽絶補陰.陰絶補陽.是謂實實虚虚.損不足益有餘.如此死者.醫殺之耳.

八十一難曰.經言.無實實虚虚.損不足而益有餘.是寸口脉耶.將病自有虚實耶.其損益奈何.
然.是病非謂寸口脉也.謂病自有虚實也.假令肝實而肺虚.肝者木也.肺者金也.金木當更相平.當知金平木.假令肺實而肝虚微少氣.用鍼不補其肝.而反重實其肺.故曰實實虚虚.損不足而益有餘.此者中工之所害也.