2013-05-19 五行の生体認識とその治療 加藤秀郎


現代医学での人体生理は生化学で識別され、そのまま医学-治療へと繋がります。医学の展開とは治療法を求めることですから、生体認識で生理と病理の差異を知ります。この差異とは正常状態では在ったはずのものが、失われたり減少していた場合で、それを病理といいます。逆に無いはずのものが在ったり増えていても同じです。

だから現代医学の治療セオリーとは、足したり引いたりという考え方がメインになります。


例えば、全身が痛くて動かない場合

ビタミンB群の欠乏ー脚気ービタミンB群の服用ー脚気症状の軽減

この現代医学の治療認識を東洋医学にも当てはめると、

風邪に中るー肝経に瀉法ー風邪の排出と、したいのですが

必ずしも症状の軽減にはなりません。

現代医学の原因排除の認識からは、東洋医学の治療学は成り立たたないのでは?と考えられます。


人体には自然治癒力があって、ケガでも病気でも軽・中程度のものなら自然に治ります。世界中の伝統医学が基本的に、この自然治癒力をいかにサポートするかで発展しました。現代医学は自然治癒力では対応しきれない疾病を治して、さらなる延命を目標にしています。つまり現代医学と伝統医学では治療の目的が違うのです。

ですから東洋医学では、なぜ病気になったのかという疾病原因を考えるのではなく「なぜ治らないのか?」に絞って、治療論の組み立てが必要と考えました。つまりいつまでも病状が改善されないのは「自然治癒力がうまく働かない理由があるから」と言う事です。

ところで生化学の解明で把握された現代医学の認識も、経験と観察で蓄積されてきた伝統医学の人体把握も、観ようとしているのは「ホメオスタシス」です。現代医学はホメオスタシスそのものを分析して、その安定を科学で対応しようとしました。伝統医学はそもそも人体生理とはホメオスタシスを安定させるために働くので、その安定を保つための働きのサポートを目指しました。


その「安定を保つための働きへのサポート」とは人体生理への補助で、

それは生理活動を五行で分け不安定要素への対応を生理反応の過不足で判断します。

現代の我々の言葉の「ホメオスタシス」が、黄帝内経の中では五臓であると仮定しました。

この五臓の安定は、先月のレジュメにあった五行機能の「能動的出力の木」「受動的入力の金」「内部蓄積の水」「外界様相の火」「自己分別の土」が守ります。

五臓についても肝心脾肺腎の構成とは考えず、一括りに「生体中枢ユニット」と捉えてください。一口に「臓」とも言えます。

この五臓と呼ばれる「生体中枢ユニット」は、人の体が人の体であるということの働きと、その管理と各所の指令を行っています。

外界様相の火

能動的出力の木


受動的入力の金


内部蓄積の水

五臓










この「生体中枢ユニット」を安定動作させるために、養分や水分や適切な温度管理、おおむねリラックスで適度の緊張感のある環境が必要です。その環境の崩れが、不安定要素である過不足を生みます。

こういった環境を維持し安定を守るために、五行機能における情報と対応のループがあります。


具体的に何をしているかというと、

まずは外環境への適合ですが、対象は「温度」と「湿度」と「気圧」で植物反射的な働きです。

次に生活環境への適合として、「肉体動作」「精神状態」「休養」という動物反射的な働きがあります。

そしてこれらと肉体の適合として、「滋養と水分の摂取」「養分の分配」「水分の管理」という生体内部の対応があります。

それぞれがそれぞれに五行の動作があり、五行の各一行にも細分化された五行の動作があるので、こういった様相を難経一難では「陰陽各二十五度、合わせて五十度」と言ったのだと思います。


「温度」と「湿度」は、皮膚の毛穴の開閉で対応します。

高温多湿では毛穴を開き、低温低湿では毛穴は閉じるのが基本です。外環境の変化によって毛穴の開閉量を変え蒸散量を調節して対応します。

問題は必ずしも温度と湿度は平行推移しないということです。温度が下がっても湿度が高いと毛穴は適切な閉じ方をしません。そうすると底冷えを感じます。逆に温度はそれほど変わらなくても湿度だけ下がると毛穴が適切よりもと閉じ過ぎてしまい、冷房環境での熱中症となります。

「温度」や「気圧」「肉体動作」「精神状態」「休養」は筋の緊張と弛緩で対応します。

体温は主に筋緊張で発生します。暑ければ発熱量を下げ寒ければ上げます。天候や気候が変わるときに体調に不具合があるのは、気圧の変化への対応がうまく行っていないからです。体内は一定の圧力が必要で、主に気圧に依存しますが下がってくると生体自らが血圧を上げて一定圧をキープします。その時に筋緊張がありますが、必要量より緊張が強いと疲れのある箇所などを締め付け、痛みや怠さを起こします。

人は社会活動によって暮らしますが、その時に必要な動作は筋肉がおこし、動作と同時に疲れを併発しています。精神状態も筋の緊張と弛緩で肉体表現されます。緊張ではやはり疲れが伴いますので、必ず筋弛緩をさせて休養をします。


「ホメオスタシス」の基本は体温の一定です。

皮膚と筋の動作は、五臓という「生体中枢ユニット」に対して、いかに適切な温度環境でいられるかが目的です。そのためには効率のよい産熱と冷却が必要です。産熱には燃料を冷却には排熱システムを使います。それが養分と水分です。肉体を包む外環境と、肉体そのものが動作する状態と、人としての生活様相の在り方などのために「滋養と水分の摂取」をして「養分の分配」と「水分の管理」の現場実践をしているのが、三焦を中心とした六腑です。

このような外部と内部の環境変化への対応と適合は、

皮膚の毛穴の開閉や筋の緊張や弛緩による蓄熱や放熱で行い、さらに三焦の水分移動と六腑における滋養と水分の摂取で備えます。

皮膚の毛穴の開閉や筋の緊張や弛緩はひっくるめて「経」といい、水分移動や滋養と水分の摂取の状態はひっくるめて「腑」といいます。そして「生体中枢ユニット」が「臓」となります。

また体温生産は外気の温度変化だけではなく、

運動や心の緊張などでも筋肉を経由して発生します。また繊維質やカロリーの高いものを食べても発生します。

その都度、人体は皮膚の毛穴の開閉や筋の緊張や弛緩で対応しますが、このような運動や心の緊張などといった動きがあれば疲労しますし、ストレスにも晒されています。また適切に滋養が摂取できない場合もあります。


そんな時に人体生理は過不足を起こす働きをしてしまいます。

どんな事かと言うと毛穴を閉じすぎる開きすぎる。筋を弛緩もしくは緊張させ過ぎた。不適切な養分や水分の摂取をしてしまった。水分移動が不適切な動きをした、などです。こう言ったことが体に不調が生じさせます。

毛穴が開きすぎれば、その分だけ体温が逃げていってしまいます。人体は誤差範囲の体温低下には対応できますが、それでも不調は感じます。休めれば解消できる範囲の不調ですが、なかなか思う様にならない時があります。

これを「経病による気の不調」と呼んでいます。

さらに毛穴からの放熱が進むと誤差範囲では済まなくなり、筋の緊張で産熱が起こります。この緊張が続くために疲労が蓄積し、休んでもなかなか解消できなくなってきます。滋養の摂取も必要です。ここまでが自律神経の乱れと言われる状態です。

これを「経病による血の不調」と呼んでいます。

さらに筋の産熱が疲れなどでおぼつかなくなると、水分移動や滋養と水分の摂取に影響が出ます。せっかく摂った滋養が養分として適切に分配されなかったり、水分の配置が外環境と適合できていなかったりと言った状態で、ホメオスタシスの安定に影響が出てきます。現代医学では自律神経の失調とも言います。

これを「腑病による不調」と呼んでいます。

そして経病腑病と進み、養分と水分の摂取と分配の不適合や体温の生産が乱れ、ついにホメオスタシスそのものが安定を失い始めます。

それが五臓の病「臓病」です。

これら「経病」「腑病」「臓病」による体の状態が自然治癒力低下の原因となります。

なぜ「体は治せないのか」としたときの原因はこの三つに集約され、これら三つが起こる要因は、必ず「疲労」「ストレス」「飲食の不適切」です。

この「臓病」の時に初めて

本質的な虚実補瀉と相生相克五行論が必要となります。


相生相剋五行論のおさらいをします

五行とはただ五つの項目があるのではなく、必ず木→火→土→金→水→そしてまた木からと、この順で常に回転しています。この順序が生むという母子関係を示し「相生(そうせい)」を意味します。五行もただ五つに物事を分けるものではなく、五つの項目の関係性が重要になります。

ところでなぜ相生五行という回転が起こるのかというと、相生以前に「相剋」というエネルギー推移の原理運動があるからです。

相剋とは一つ前の項目が抑え付けてくることをいいます。「木」でしたら「金」に抑え付けられます。なぜ「金」が抑え付けたのかというと、この時点ではたまたま「金」の活動量が最大だからです。そして「金」に抑え付けられた「木」は活動量が低下して最小状態になります。

「木」が最小なのでその手前の「水」のエネルギーが「木」に流れ込みます。すると「水」が最小に近くなるので、その手前の「金」の最大活動量のエネルギーが「水」に流れ込むため、今度は「水」が最大活動量となり一つ先の「火」を抑え付け「火」の活動量を最小にして、その手前の「木」のエネルギーが「火」に流れ、「木」には「水」の活動量を最大にしていたエネルギーが流れ込みます。

このようにして「木→火→土→金→水」と回ります。


この相剋のエネルギー推移が自然現象を起こす原理と考えます.

 

 


 


 

 





 





木が減る

 

 


 


 

 




 

 





水のエネルギーが木へ

 


 


 

 


 



 





金の活動量が水へ

 


 


 

 


 



 





つまり何故「活動量が最大値のエネルギーポイントが存在するんだ」とか、それが「一つ置いた先を剋するんだ」という疑問をいだいても答えは存在しません。「活動量が最大値のエネルギーポイントが一つ置いた先を剋する」のが原理の起点だからです。この原理によって相生の回転が起こり、しかしこの段階は人知の確認ができない推論の範囲です。このように相生の回転が生じた事から陰陽五行という現象を見せ、初めて観察が可能となります。

なぜ春夏秋冬と季節は巡るのか、なぜ太陽は東から南や天上近くに昇り、西へと降りて姿を消すのか。なぜ意識は肉体の外へと向かい情報は内へと向かうのか。これらは全て相生回転がベースになって見せた、現象の五行です。


生理現象の五行は

各五臓が持つ「魂」「神」「意」「魄」「精」が起こさせ、体内では三焦と腑の働きや体外では意識と情報の交流が産まれます。生理と言う陰陽五行と言う現象が起る以上、人体内にも相生相剋の五行があります。それはブラックボックスである「生体中枢ユニット」の内部です。つまり人体にも、大自然の原理である相生相剋の五行がある訳で、それをいわゆる「小宇宙」と言うのです。

この「小宇宙」に病魔が侵攻すれば、五行の相生相剋が乱れて死に至ると想定されました。その乱れた様相を「虚実」と言う言葉で現し、生か死かの状態です。そして生死に施術を試みたのが「補瀉」という治療法則です。黄帝内経や難経は数百年の及んだ論文を集め、その中から大自然の様相と人体の関連を見つけ出し、五臓の「虚実」と言う死病の救済を試みたのでした。


その結論が六十九難、集大成が七十五難です。

六十九難は相剋五行に支えられた相性五行の人為的補助です。相剋五行という原理動作は正常ですが、相生五行が病で動作が順当ではないときの「補瀉」を使った処置方法です。

に、対して七十五難は、相剋五行という人体が人体として動作している原理そのものの乱れを、どうにか人為で対処しようと考え出された物です。

しかし相剋五行は、言わば神の領域です。人の為でどうにかなるものではありません。

相剋五行は木→土→水→火→金と剋して回ります。常にこの回転が保たれていると言う状態も、何かのバランスがあるのではないかという仮定が考え出されます。その仮定とは、例えば土は必ず木に剋されるのですが、しかし剋し過ぎない、もしくは剋され過ぎないという働きがどこかにあって、相剋五行の回転が保たれているのではないかというものです。


この仮定で伺えるのが、

難経という書物は文字の使用を最小限にとどめようとしますが、七十五難は珍しく五行全部を例に使って、

「木が実を欲っせば金は当然にして平ぎ、火が実を欲っせば水は当然にして平ぎ、土が実を欲っせば木は当然にして平ぎ、金が実を欲っせば火は当然にして平ぎ、水が実を欲っせば土は当然にして平ぐ」と、記します。

相剋五行は剋す側が機械的に抑えるのではなく、剋される側が強まればその状態に対して剋す強さを調整しバランスを取って、回転の順当性を保つのです。「そのことから木←土←水←火←金の働きかけがあると考えました。」


これがいわゆる「反剋」や「逆剋」とか「相侮(そうぶ)」です。

具体的には「木実-金虚」や「火実-水虚」などがそれです。

五行回転とはいいますが、矢印の向きを変えれば相生相剋だけでなく逆相生やこの「相侮」などのバリエーションが考えられ、五臓のうちの二つの臓が虚か実になった場合の人為で治療可能なパターンがこの「相侮」関係であるという結論に至ったのが、難経七十五難であるといえます。

臓病はすでに生命が脅かされている状態です。それが五臓の虚実です。その中で一臓のみが虚か実であれば六十九難で対応し、充分に延命治療が果たせますが、二つ以上の臓に病が及べば死病と認識するしかありませんでした。ところが七十五難の「相侮」関係であれば治療可能という考え方によって、一気に鍼治療の可能性が広がったといえます。


そして問題なのが「選経」と「選穴」とです。

例えば六十九難での「瀉」が「子」でしたら、そこに使われる経や穴は土実の瀉法ならば太陰脾経の経金穴である「商丘」なのか、それとも子経の太陰肺経を瀉する合水穴の「尺沢」なのか。

それが二臓に虚実のある七十五難でしたら、もっと複雑に選択肢が存在します。木実への冩を厥陰肝経の栄火穴「行間」でしたとして、瀉された木に水のエネルギーが流れ込み、流れ出た水に向かって元々虚している金のエネルギーが流れ行ってしまい、より金の虚を進めてしまわないのか?

そうなるといったいどの経、どの穴を使えばいいのかということですが、それについて難経では十二難と八十一難という二つの記載が下記にあります。

十二難では、

五藏の脈が已(すで)に内に於いて絶す。鍼を用いるは反してその外を実す。五藏の脈が已に外に於いて絶す。鍼を用いるは反してその内を実す。内外の絶とは何を以って別かつか。

然るに五藏の脈が已に内に於いて絶すは、腎肝の気が已に内に於いて絶す也。しかるに醫は反してその心肺を補う。

五藏の脈が已に外に於いて絶すは、その心肺の脈が已に外に於いて絶す也。しかるに醫は反してその腎肝を補う。

陽は絶えて補うは陰、陰は絶えて補う陽。是れ実を実し虚を虚すと謂い、損を不足させ益を有余させる。如く此の死者は医に殺されるもの。

八十一難では、

実を実し虚を虚すことで((そうすることで))。損を不足させ益を有余させる。是は寸口の脈か將(それとも)病の自らに有る虚実か。其の損益は何か。

然るに是れ病にて寸口の脈を謂わず。謂えば病に自ら有る虚実なり。

仮に令すれば肝実しかるに肺虚。肝は木、肺は金。金は木を当に更(こもごも)相に平ぐ。当に知るは金は木を平ぐ。

仮に令すれば肺実しかるに肝は虚して微少な気。鍼を用いて其の肝を補さず。そうして反し重ねて其の肺を実す。

故に曰うを実し虚を虚すことで損を不足させ益を有余させる。此れは中工の所害なり。

難経七十五難が打ち出した答えは、人の手によるホメオスタシスの直接コントロールです。

これは自然原理に人為が介入する事で、十二難と八十一難はその介入への警告と言えます。

五行の相侮関係と言う自然原理の一部に、人の手が入ることを発見した七十五難は、

七十六難以降を使ってそのことへの向き合い方を丁寧に説明していますが、

しかし選経選穴の具体的な指示はありません。

生体のその時々に、適切な選経選穴を割り出さなければ医療過誤になるというのです。

この様々な場面、様々な体質、様々な状況での「選経選穴の割り出し」の研究が、

本質的な黄帝内経と難経の解読であると言えます。そして、

その研究は、まだ誰も始めていません。

自然原理のコントロールを唱えた七十五難は、現代でいえば iPS細胞理論といえます。