2015-4-19 三焦と脾と甘味の関係~人類史編~ 加藤秀郎


私たち人類は哺乳類という分類ですが、同時に恒温動物でもあります。

恒温とは常に同じ体温という意味ですが、私たちの体は37℃でなければ正常に動作をしません。特にこの恒温状態を内臓と脳や神経が必要とし、そのためにたくさんのカロリーを消費します。


私たちの先祖はアフリカで発祥したので、本来は赤道直下の高い気温の環境が適正と考えられます。暑い気候が適正と考えられる第一の理由が、私たちの身体構造にあります。その構造とは立位という姿勢です。

立ち上がったことで進化したのか、脳が大きくなってきたので立ち上がったのかは解りません。しかし巨大な脳はカロリーを欲し、欲したカロリーは体を加熱するために冷却構造としては立位が必要です。ところで脳か立位かという前に、手という要素も進化には考えられます。手を使うようになったので、立つことになり脳も発達したという考えです。


実は黄帝内経の記載の中には進化という概念が無かったにも関わらず、この脳や手や立位のプロセスが含まれているような考えの箇所があります。

三陰三陽論なのですが、人が四つん這いになった時にしっかりと上から陽が当たる背中が「太陽」、あまり当たらない脇が「少陽」、日陰になる腹が「陽明」です。これらは日に焼ける色の濃さの違いです。

しかし腕と脚は別です。腕は立位で前に突き出して、掌を下に向けた状態で「太陽」「少陽」「陽明」となります。

脚の場合は日焼け箇所の分類が不明瞭です。立つと下部に位置し日がうまく当たらず「太陽」「少陽」「陽明」の特徴区分が明確ではないのです。


ちなみに陽明の「明」は日と月だから明るいではありません。日は太陽ではなく窓枠を表しています。窓からの月明かりが闇の中に差し込んで初めて明るいが分かると言う意味です。

体表でありながら最も日光の干渉を受けないので、腹部を陽明としたのだと思います。残りの三陰は腕と脚と体幹の日焼けのしにくい部分ですが、体内要素を意味しています。ですから経絡は腕や脚から体幹までで終わっていて、体内要素と腕や脚や臓器との在り方を論理的に意味しています。


我々は人になった時からすでに恒温動物でした。

人になったところがアフリカでしたから、恒温状態をキープする適正は赤道直下のアフリカの大地です。しかし食糧事情や環境状態などの生存状況の変化に追われて、氷河期が終わった頃の暮らしの場所は温帯域でした。

温帯は、年間を通じて雨季と乾季、1日のうちの昼と夜の寒暖の変化しかなかった赤道直下と比べて、四季という大きな変化がありました。


そもそも人体は冷えやすい構造になっています。

立っているだけで、

風を受けると四つん這いの何倍もの受風面積となります。

降り注ぐ日光は、頭と肩にしか当たりません。四つん這いでは背中全体に当たります。

体毛の無い体と細長い手足は、風を受けなくても放熱します。

構造だけではなく発汗という放熱機構があります。


これらの放熱の仕組みは赤道直下の炎天下で狩りなどをしたときに起こる、全身運動の過熱のためだけではありません。巨大な脳を栄養するのに必要なカロリーからの放熱があります。人間の脳は大量のカロリーを欲するが故に常に必要量を超える食物を求め、人間の活動時の消費エネルギーは象の基礎代謝と変わらないほどと言われています。こういった余剰カロリ-も赤道直下の炎天下で排熱し続けなければなりません。

そのために人体の排熱機構は発達したのですが、それは赤道直下が適正なので温帯で暮らすと体は冷えてしまい、更にカロリーを求めます。

原始の時代には、食餌の獲得で余剰カロリーが消費できました。現代は温帯域で暮らすので、特に冬場の消費エネルギーは体温の産熱で増えますが、それでも摂取カロリーに見合った消費をしていないので生活習慣病となります。この病は巨大な脳が引き起こした人類の宿命です。


人の体を理解するにあたり、

私達は生物として適正地ではないところで暮らしている。

不適正な条件を文明で補っている。

文明を運営するなど巨大な脳の持ち主である。

不適正地での暮らしな上に過剰なカロリーを必要としている。

このような特徴を持つ恒温動物である。

三焦が東洋医学の中核です。

現代人には馴染みにくい三焦論ですが、恒温動物である私たちの体内で行われているホメオスアシスの仕組みを表しています。つまり体内環境をどのように維持し続けているのかで、三焦論が理解できます。

三焦論の普遍的な柱は

上焦 心、肺

中焦 脾

下焦 腎、肝

です。

これは解剖的な位置になぞられていますが、五臓が持つ機能を位置関係に置いたものです。この機能は相生相克の五行ではありません。季節や方角と同じ四角形の五行で考えます。四角形の五行とは陰陽五行です。

木である肝は夏に向かう春や日が上昇する東と同じ「陽へ向かう」もの

火である心は暑くて日当たりの多い夏や南と同じ「陽」なもの

土である脾は各季節の土用や観測者の居る中央地という「基軸と変化」

金である肺は冬に向かう秋や日が沈む西と同じ「陰へ向かう」もの

水である腎は寒くて日当たりの少ない冬や北と同じ「陰」なもの

これを当てはめると上は陽で下は陰ですから

上焦には陽の心、下焦には陰の腎、中焦には中央の脾が入ります。

そして

中焦の脾が基軸となって上焦に下へ向かう肺を、下焦に上へ向かう肝を置いて、木→火→金→水の陰陽五行の回転を仮定しました。

この機能の位置関係がそのまま季節との適合となり、木は肝で春などの組み合わせとなります。

では何が季節と適合しているのかというと、

体内水分の位置と動きと量です。だから古くは三焦水道と言いました。

上焦は陽で体表を意味します。夏は体表まで水分が満ち満ちて、飲んでは発汗するという流動性に富んでいます。暑さに対処するため常に水分を摂って蓄えていますが、発汗の必要がなければ排尿されます。

下焦は陰で体の奥を意味します。冬の水分は量を減らして体の奥へと留め、水をごくごく飲むような喉の乾きや発汗はなく、排尿も減り流動性の低下で色は濃くなります。

夏は体表まで水分が満ちて熱伝導が高まり冷えやすくなり、冬は水分を減らして冷えにくくなります。

夏場は27度ですと涼しく感じますが、冬の20度は暑く感じます。

これは単なる感覚的な慣れだけではなく、肉体の伝熱性の変化です。

一年間の季節の変化に体内水分が量や動作で適応してるために、五臓と季節を組み合わせたり脈が季節で変化したりするのです。この体内水分を流動させている五臓の働きを、東洋医学は中核としています。

季節と体内水分の適応とは、三焦での陰陽五行の一番大きな回転です。この季節への大きな回転の中に、小さな瞬間瞬間の回転があります。

天候や気候は季節に合わせてゆったりとは変わりません。特に春と秋は昨日の最高気温が今日の最低気温という様な、何度も寒暖を行き来しながら次の季節へと進んでいきます。日毎だけではなく1日の中でも急な気温や湿度や気圧の変化はあります。その変化を最初に感じ取るのは皮膚です。

皮膚が毛穴の開閉量を変えて放熱や蒸散量を変えて、気温や湿度の変化に対処します。つまり体温は暑ければ放熱、寒ければ蓄熱されるのです。

それでも変化の対応に間に合わない場合、寒ければ筋肉が体温を作って恒温を守ります。

この皮膚と筋肉の働きが人類がアフリカにいた頃の生理でした。雨季と乾期しかなくまた昼夜の寒暖差しかない環境ではこの生理だけで充分ですし、その補助は簡単な衣類や寝具だけでした。

しかし私たちの祖先は、生物として適正地ではないところに来て暮らしてしまったのです。


温帯域には冬がありました。

それまで培った衣類や寝具などでは、とても対抗できない寒さでした。

しかも温帯域での文明開闢前には氷河期がありました。

現存する人類は我々だけですが、氷河期以前にはネアンデルタール人やクロマニョン人など数種類の人類がいました。ところが氷河期を経由して生き残ったのは我々だけですが、私たちの体には寒さに弱い特徴がありました。他の人類に比べて私たちは手足が長く胴が短かかったのです。それなのに氷河期を唯一生き延びられたのは、寒さに弱いが故に体内水分を減らし体の奥へと留めるという働きが発達したのではないかと考えられます。

恒温動物である私たちにはホメオスタシスがあります。その強力に体内環境を守る生理能力を、古典医学の著者たちは三焦という名で理論化し、三層構造の仕組みを仮定して医学の基礎としたのです。

氷河期が開けて温帯域で暮らす頃には、赤道直下のアフリカにいた頃の体表にまで水分を満たす能力と、氷河期で身につけた水分を減らして体の奥に小さく留める能力の、両方を獲得したのです。

この能力が人類を世界中に分布させることとなりました。

ところがこの三焦いう機能は野生ではなく文明あってのものです。三焦に文明の補助が加わって地球のどこにでも人は住めるのですが、安定した衣食住の供給という条件があって初めて三焦は円滑に働きます。

なぜ氷河期に体の奥へと水分が留まったのかというと、それは寒さに抱いた恐怖でした。恐怖は極度の筋緊張をもたらします。体内の水分量を減らして体表の熱伝導率を減らし、筋緊張で過熱した筋肉の産熱を内臓へ伝えにくくします。

夏になると体内水分が体表へと満ちるのは、安息感です。安らいだ伸びやかさが水分バランスを人類発祥の地と同じにして体表付近の熱伝導率を上げて、産熱しなくても外気温を体内へと伝達しやすくします。

これら感情で体内水分が移動するのは元々あった人体機能ですが、氷河期経由で極端になった体内水分の移動を温帯域の四季の変化に順応させたのが文明でした。

文明は温帯域に降って湧いたものではなく、人の知恵で獲得したものです。頻繁に変化する気候環境に順応しその多彩な自然の恵みを利用するべく、私たちの先祖は不適正な地と格闘し続けました。この知恵による順化は状況と飲食の結びつきを敏感にしました。急な気温の上昇には直ぐに喉の渇きを感じさせて、発祥の地に居たときの体内水分に戻りやすくします。氷河期を経由したために過熱しやすく早めに水分量を上げないと、恒温の維持が難しいのです。そのため水の確保は常でした。

気温の低下には空腹感を起こして、体温産熱に必要なカロリーを早めに摂取する必要がありました。ですから食物の確保も常です。早めを必要とするのは巨大な脳へのエネルギー供給が、体温生産の燃焼に取られて不足するのを防ぐためです。この脳への供給不足の危機感は元々のものですが、充分以上のカロリーを要求する巨大な脳の性質は温帯域に適しました。

適したために私たちの体は鋭敏に外環境の変化を感知し、感知した情報を整理統合して適正手段を判断して、気候や季節の変化の先に立って行動する能力を身につけたのです。

その能力の名前を‘脾’といいます。

外環境の感知は‘肺’で、情報や滋養の入力をするという機能です。

判断を行動や体内活動へとつなげる出力の機能呼称が‘肝’です。

判断や行動した経験を身につけ、さらには環境適合能として次世代へと伝えるのが‘腎’という機能です。

感知した情報の取捨選択と、それらを統合し判断した後の活動設定の適正を体外表現する働きが‘心’です。心は温帯環境での文明という共同体の中で、個々の内部情報を言葉や動作や表情を通じて共有し秩序を維持し合う働きです。

こういった体内機能の総合を三焦という仮想構造にして、最も重要な整理統合や判断を行う‘脾’が中心軸となり、文明や温帯域で暮らすという条件付きで三焦回転という生理学が成り立ちます。

三焦というのは六腑の代表です。嚥下から排出までの道筋も表しています。六腑は飲食のための器官群ですが、必要と適切のもとに統治する中枢が脾です。つまり脾とは三焦と飲食の中心なのです。

そして脾は身体維持として‘甘’という味覚を元に各味覚のバランスを取り、摂食行動とします。

なぜ‘甘’が味覚の中心かというと、最も脳が要求する味覚だからです。

脳は常に血糖値100が必要です。血糖値が1割下がると適正な動作を失います。逆に1割を上回ると供給管である動脈内壁の破損が始まります。この100をキープしているのは実は蛋白質です。体内にふんだんにある蛋白質を糖に変えて血中に安定供給しています。

アフリカ生まれの人類が不適合地の温帯で四季と格闘し、その恩恵を獲得しながら文明という人工環境の中で健やかに過ごすための生理、それが三焦と脾です。


氷河期が開けて文明が起こる前に発見した炭水化物は、人類が初めて明確な甘さを感じた食物でした。脳は常に血糖値が下がるのではないかというリスクに晒されていました。そのため人には過食が宿命となって欲望が肥大する業があります。それが我々の祖先がアフリカの大地を追われた原因とも言われています。その脳が持つリスクを一瞬で解消するのが炭水化物でした。その解消とは食べると急激に起こる血糖値の上昇です。特に文明が進んで穀物の精製技術が高まれば、その上昇はより顕著です。

そして何よりもありがたかったのが、急に変わる温帯気候に即時的な体温燃焼を起こさせる性質です。ですから四季を通じてこの炭水化物をどのようにとっていくかが、温帯での暮らしの中心なったのです。

しかし炭水化物は必須ではありません。必須脂肪酸や必須アミノ酸はありますが、必須グリコーゲンとかはありません。何よりも火を使わなければ食べられない炭水化物は、進化の段階では食べていなかったものです。

人の歯と消化器官の特徴として、犬と同じタイプの雑食性肉食獣です。だから最初の家畜が犬だったと言われていますが、そもそも人の主食は肉なのです。

人は赤道直下で生きる肉食の恒温動物だったのですが、巨大な脳を滋養する危機感が欲望を肥大化して争いを起こし、追われた我々の祖先は新天地を北に求め、同じ頃に氷河期も始まって寒さという新たな脅威に遭遇し、その恐怖からの筋緊張の発熱量は脳が欲求し続けた過剰栄養のために強大で、体内水分を減らして体の奥に留めるという生理を起こしました。

氷河期も開けてどうにか安住した温帯域は不適合地でしたが、炭水化物の発見で脳の糖への過剰欲求を満たした上に、気候変化の激しい環境に順応できたのです。

順応は炭水化物だけではなく、衣類や住居も必要です。そして四季に準じた暮らしを形成し安定的に穀物を生産する営みで、体内には三焦回転という気候と体内水分の等号という生理を作り上げ後世に遺伝しました。

その三焦回転の中核が、‘脾’という思考と飲食と消化器官の中枢という機能です。


「三焦と脾と甘味の関係」とは、私たちは文明もしくは文化的社会で生きていることを前提とした、四季の変化に順応しようとした人工的な生理機能の維持手段の一つと言えます。

私たちが古典医学を解りづらいと感じるのは理由があります。

現代医学は人体そのもののみを細分化し解読したものです。ですから人体のことだけを考えれば、医療に繋げられると思ってしまっているのです。

古典医学は医療を構築するにあたり

「人体の機能と構造」+「社会や文明の干渉」+「四季や気候の変化」

をひとまとめにして論説展開をしています。だから記述の中に感情や味や音や暦や星の運行まで出てくるのです。特に五行分類というのを人体のみで考えたら、ただのお呪いにしか見えません。社会や気候の干渉にまで広げて、はじめて意味が見えてきます。

私たちは温帯域で文明と炭水化物で必死に生きてきました。必死だからこそ三焦の働きが少しでも狂うと病気になるのです。東洋医学とはその病気に対しての医療です。