六十三難の「井は万物の始まり」と六十四難の「剛柔という陰陽とは?」と「十変という書物の形跡」

六十三難曰.
十變言.
五藏六府稷合.皆以井爲始者.何也.
然.
井者東方春也.萬物之始生.
諸モス行喘息.゚?セ動.當生之物.莫不以春而生.
故歳數始於春.日數始於甲.故以井爲始也.

六十三難に曰く、
十変に言う、五臓六腑の栄合、皆が井を始と以って為す。とは何か。
然るに、
井は東方で春なりて萬物の始生。
諸々のモス行喘息(ぎこうぜんそく)
(淮南子の天文訓二十二には「モス行喙息(ぎこうかいそく)」とあり‘喙’は‘嘴(し)’とも書き「くちばし」の意。‘喘’と‘嘴’は似ているので、誤植ではないかと思う。この方が意味が通るが、ただどちらであったとしても医学的な影響はない。
「モス行喙息,莫貴于人,孔竅肢體,皆通於天(ぎこうかいそく、もこうくじん、こうきょうぎてい、かいつうおてん)(足で歩くものくちばしで息をするものというあらゆる生き物の意味で、それに置いて人ほどの貴きものはなく、人の体の四肢や全身の穴という穴は、皆が天に通じている)」
とあって「モス行嘴息」と書いて足で歩くものくちばしで息をするものという“あらゆる生き物”という意味。)
゚?セ動(えんひぜんどう)
(「鬼谷子(きこくし)」(中国の戦国時代に鬼谷によって書かれた遊説(ゆうぜい;王を弁舌で動かすための言葉)の方法の書。道教では鬼谷を人間界で100歳あまり生きた「古の真仙」とした。「鬼谷子」は道教の経典「道藏」に保存されている。孫子の師とか民間の伝説では鬼谷子は占い師の開祖としている。)の揣篇(すいへん)第七に「故觀゚?セ動,無不有利害,可以生事美(故に観れば美しく飛ぶ虫もうごめく虫などの気にも留めない小さな生き物どもにも利害がないことはないので、事柄に美が生じるを以って可とする)」
また、淮南子の俶真訓:二には「眸蠕動(えんひぜんどう),モス行颯息(ぎこうそうそく)」
ただ、陸賈(りく か;高祖劉邦に仕えた)の「新語(劉邦の名で書かれた儒学の書)」の道基には“ “モス行喘息、゚?セ動之類”とある。
“喘”は若い巫女の祈りの声という意味もあり、喘息は新しい吐息といいう意味もあるかもしれない。いずれにしても“モス行喘息、゚?セ動”は、大自然の多彩さを現す慣用句の一文だと思われる。)
まさに物の生じ.春を以て不となせばしかるに生をなきとすべし。
故に春に於いて歳数が始まり、甲に於いて日数が始まる。故に井を以って始まりと為す也。

「十変に、五臓六腑の稷合は全て井を始めとしているとあるが、これは何か。
然に井は東方であり春、万物が始生する所。諸々のモスは行き、喘は息し゚?ヘ飛び、蠕は動く。
まさに物の生じるは、春がなければ生じることもない。
故に年の数えは春に始まり、日の数えは甲に始まる。
故に井を以て始めとなす。 」

井は東方で春は、万物の始まりを生むとはどういうことか?
この場合の“井”は東方や春と「木」限定であるため『陰』
「諸モス行喘息.゚?セ動」すべて小さな存在であるが、春による万物の始まりを表すのに用いている。小さな生き物を使った表現対象が、前腕や下腿の井・稷・兪・経・合の五゚}穴という配穴であり、それをそのまま万物の始まりにつなげることで、陰経の五゚}穴が及ぼす全身への影響を伝えていると考えられます。
この全身への影響を持つ陰経の五゚}穴の、起始点である井木穴を「井は東方で春は、万物の始まりを生む」としたのだと考えられます。

六十四難曰.
十變又言.
陰井木.陽井金.
陰稷火.陽稷水.
陰兪土.陽兪木.
陰經金.陽經火.
陰合水.陽合土.
陰陽皆不同.其意何也.
然.
是剛柔之事也.
陰井乙木.陽井庚金.
陽井庚.庚者乙之剛也.
陰井乙.乙者庚之柔也.
乙爲木.故言陰.井木也.
庚爲金.故言陽.井金也.
餘皆倣此.

六十四難に曰く。
《十変》にはまた、
陰井は木で、陽井は金。
陰栄は火で、陽栄は水。
陰兪は土で、陽兪は木。
陰経は金で、陽経は火。
陰合は水で、陽合は土とあります。
陰陽によって皆が不同」、その意は何か。

然に、これは剛柔の事なり。
陰井は乙(きのと;しなやかに伸びていく性質)木で、陽井は庚(かのえ;固く荒々しい攻撃的な性質)金。陽井は庚(金-陽)で、庚は乙(木-陰)の剛。陰井は乙であり、乙は庚の柔。
乙は木を為す。故に陰と言えば、井は木なり。
庚は金を為す。故に陽と言えば、井は金なり。余も皆これに倣(なら)う。
 
剛柔という陰陽とはどういうことか?

穴 陽  → 剛 → 相剋 痢〜衂遏、 柔 ←  陰
井 庚金(こう;固く荒々しい攻撃的な性質)      乙木(おつ;しなやかに伸びていく性質)
稷 壬水(じん;自由に流れる川のような性質)     丁火(てい;暗いところで人を暖める性質)
兪 甲木(こう;まっすぐ上に伸びようとする性質)   己土(き;粘り強く万物を育成していく性質)
経 丙火(へい;分け隔てなく光や熱を与えていく性質) 辛金(しん;洗練されて華やかな性質)
合 戊土(ぼ;どっしりとそびえ立って動かない性質)  癸水(き;大地を潤す雨のような柔軟で優しい性質)

では「十変」とは何か?
十変の十は五行に陰陽をかけた5×2と思われ、難経にとってのこの十変という言葉は、二通りがあるようです。
一つは十難の「一脈為十変者、何謂也」で、これは脈の多彩な変化を示しているようです。それを五行や陰陽で分析して診断をしようという呼びかけとして「故令一脈輒変為十也」の終わりの言葉があるようです。
三十四難、六十三難、六十四難は「十変」と言われていた書物からの引用のようです。

ーーーーー資料ーーーーー

三十四難では、
五臓が各に有る声色臭味、知れずを暁かに知るは可か。
肝色青、其臭?、其味酸、其声呼、其液泣
心色赤、其臭焦、其味苦、其声言、其液汗
脾色黄、其臭香、其味甘、其声歌、其液涎
肺色白、其臭腥、其味辛、其声哭、其液涕
腎色黒、其臭腐、其味鹹、其声呻、其液唾
是れ五臓の声色臭味也。
と、医学的な五行分類とその意味が抜粋されています。

その他の古典での、同じような並びが「十変」の引用かもしれません。
「素門;五藏生成論篇第十」
心之合脉也.其榮色也.其主腎也.
肺之合皮也.其榮毛也.其主心也.
肝之合筋也.其榮爪也.其主肺也.
脾之合肉也.其榮脣也.其主肝也.
腎之合骨也.其榮髮也.其主脾也.
是れ故に
多食鹹.則脉凝泣而變色.
多食苦.則皮槁而毛拔.
多食辛.則筋急而爪枯.
多食酸.則肉胝ソィ而脣掲.
多食甘.則骨痛而髮落.
此れ五味の傷める所なり。
故に
心欲苦.
肺欲辛.
肝欲酸.
脾欲甘.
腎欲鹹.
此れ五味の合う所なり。
五蔵の気、故に色を見せる
青如草茲者死.
黄如枳實者死.
黒如マア者死.
赤如凝血者死.
白如枯骨者死.
此れ五色の見せる死なり。
青如翠羽者生.
赤如ツ・者生.
黄如蟹腹者生.
白如豕膏者生.
黒如烏羽者生.
此れ五色の見せる生なり。
生於心.如以縞(こう;艶のある白骨)裹(か=纏;まとう)朱.
生於肺.如以縞裹紅.
生於肝.如以縞裹紺.
生於脾.如以縞裹ム?齶堰D
生於腎.如以縞裹紫.
此れ五蔵の生きる所の外榮(栄気が外に表現した様子)なり。
色味の五蔵が当たうに
白當肺辛.
赤當心苦.
青當肝酸.
黄當脾甘.
黒當腎鹹.
故に
白當皮.
赤當脉.
青當筋.
黄當肉.
黒當骨.

諸脉者皆屬於目.
諸髓者皆屬於腦.
諸筋者皆屬於節.
諸血者皆屬於心.
諸氣者皆屬於肺.
此れ四支(腕脚)八谿(脇肘膝股)の朝夕(日々の動き)なり。
故に人が臥すれば血は肝に於いて歸(き=帰;元に戻す)す。肝は血を受けそうして能く視、足は血を受けそうして能く歩き、掌は血を受けそうして能く握り、指は血を受けそうして能く攝(せつ=摂;取り込む)
臥して出てそうして風に吹かれれば、血が膚に於いて凝するは痺れを為し、脈に於いて凝するは泣を為し、足に於いて凝するは厥を為す。此の三者、血が行くもそうして其の空に反(=戻る;そ)を得ず。故に痺厥を為すなり。
人に有るは大谷十二分、小谿三百五十四名、少気は十二兪。此れ皆が衞氣の留め止る所。邪気の客する所なり。鍼石に縁(えん;何らかの干渉を施せば)すれば去する。
診病の始まり、五決を紀(しる;十変か何かの原典があるのか?)すと為す。知るを欲するは其の始まり、先ず建つは其の母。
所に謂う五決は五脉なり。

是れを以って頭痛巓疾(=狂気)は下虚上實.過したるが在るは足の少陰巨陽(太陽)、甚だしければ則ち腎に入る。
徇蒙招尤(じゅんもうしょうゆう;徇蒙とは眼球が瞬動して周りが見えなくなること、招尤とはふらついて頭を揺動させること)して目冥耳聾するは下實上虚。過したるが在るは足の少陽厥陰、甚だしければ則ち肝に入る。
腹満稱(しょう=称;〜して)?(しん=腫れる)脹し支鬲ミX脇(しかくきょうきょう)するは下厥上冒(げけつじょうぼう)。過したるが在るは足の太陰陽明。
咳嗽(がいそう)上気は厥在胸中。過したるが在るは手の陽明太陰。
心煩(しんはん)頭痛、病は鬲中に在る。過したるが在るは手の太陽と少陰。

夫れ脉の小大、滑渋、浮沈。指を以て別するが可。
五臓の象、類を以て推するが可。
五臓の相音、意を以て識するが可。
五色の微診、目を以て察するが可
能く脈色を合すれば、万を持って全が可。
赤脈の至るなりは、喘をして堅、診に曰く、積気が中に在ることに有りて、時に食に於いて害す。名を曰く心痺。外疾の得るは思慮にして心虚。故に邪は之に従う。
白脈の至るなりは、喘をして浮。上虚下實.驚けば胸中に積気が在ることに有りて、喘をして虚。名を曰く肺痺。寒熱を得るは(驚きにて)内を使いて之れにて醉(すい=酔う;心を奪われる)う。
青脈の至るなりは、長をして左右彈(だん;弾む)。心下支ミXに積気が在ることに有りて、名を曰く肝痺。之れ寒濕を得る。與(よ;ともに)疝と同じ法とす。腰痛く足清(きよ;温めたり動いたりが上手くいかない)して頭痛し。
黄脈の至るなりは、大をして虚。腹中に積気が在ることに有りて、厥気あり。名を曰く厥疝。女子同じ法。之の疾を得るは四支を使い、風に当たりて汗を出す。
黒脈の至るなりは、上堅をして大。小腹與(よ;ともに)陰に積気が在ることに有りて、名を曰く腎痺。之れ清水に沐浴して臥すれば得る。

凡に五色の奇脈を相すは
面が黄で目が青、赤、白、黒は皆不死なり。
面が青で目が赤、面が赤で目が白、面が青で目が黒、面が黒で目が白、面が赤で目が青は皆死なり。

水熱穴論篇第六十一.
帝曰く春は肉を分けて絡脈を取るとは何か。
岐伯曰く春は木が治めるを始め、肝気が生を始める。肝気は急にて其の風疾、經脈は常に深し。其の気少く不能なるは深入。故に絡脈を取るは分肉の間。
帝曰く、夏ぱsを分けて盛経を取るとは何か。
岐伯曰.夏は火が治めるを始め、心気が長を始める。脈は痩せ気は弱く、陽気は溜まって溢れる。熱ぱsを分けて熏じ、経に於いて内に至る。故に盛経ぱsを分けて取る。膚が絶えて病去るは、邪は居るところ浅きなり。所に謂う盛経は陽脈なり。
帝曰く、秋は経兪を取るとは何か。
岐伯曰く、秋は金が治めるを始め、肺は将に收殺、金は将に火に勝ち、陽気は在合し陰気は勝ち初めて、湿気は体に及ぶ。陰気は未だ盛せずして、未だ深く入れず。故に兪は瀉を以て陰邪を取り、合は虚を以て陽邪を取る。陽気は始めて衰え、故に合に於いて取る。
帝曰く、冬に井榮を取るとは何か。
岐伯曰く、冬は水が治めるを始め、腎は方(まさに)閉じ、陽気は衰少し、陰気は堅盛、巨陽は伏沈して、陽脈は乃(すなわち)去る。故に取井は下がるを以て陰逆を取り、榮は実を以て陽気を取る。
故に曰う、冬は井榮を取り、春に?衄(鼻血鼻づまり)にならず(金匱真言論篇第四に春善病?衄とあるため)。此れは之れに謂うなり。

霊枢
九鍼十二原 第一
黄帝曰く、 願わくば五藏六府の出る所の處を聞かせん。
岐伯曰く、五藏五゚} 、五×五=二十五゚}、六府六゚} 、六×六=三十六゚} 。
脈脈十二、絡脈十五、およそ二十七気。以て上下し出る所は井を為し、溜まる所は稷を為し、注る所ぱ}を為し、行る所は經を為し、入る所は合を為す。二十七の気の行く所、 皆五゚}に在るなり。
節の交まり三百六十五会いし、其の要を知るは一言にして終らせ、其の要を知らぬは流れ散して窮わまらず。
所に言う節とは、神気の遊行出入する所なりて、皮肉筋骨の非なり。

根結 第五
岐伯曰く、
天地は相感し、寒は暖の相移す。陰陽の道は多少のいずれか。
陰の道は偶、陽の道は奇(偶も奇も意味は「思いがけない」だが、数字の奇数偶数に合わせて、測れるという可能性を残す)。
春夏に于いての発するは陰気は少く陽気は多い。陰陽の不調は何かを補し何かを寫す。
秋冬に于いての発するは陽気は少く陰気は多い。陰気は盛んにして陽気は衰える。故に莖葉枯槁(枯れ果て)、濕雨は下へと歸(かえ)す。陰陽は相移し、何かを補し何かを寫す。
奇邪は経を離し、勝數(しばしば勝つこと)は不可にして、根結は知れず、五藏六府は關(かん;かんぬき閂)は折れ樞(すう;蝶番)は敗れ、闔は開いて走る。陰陽は大失して復取は不可。
九鍼の玄の要は終始に在り。故に終始を知ることに能わずは一言にして畢(ひつ=終える)、終始を知らずは鍼道を咸(かん;ことごとく)絶す。

太陽は根に于いては至陰、結に于いては命門。命門(睛明?)は目なり。
陽明は根に于いてはシF兌、結に于いては(そう=額)大。大(頭維)は鉗(かせ;ものを挟む)耳なり。
少陽は根に于いては竅陰、結に于いては窓蘢(そうろう)。窓蘢(聴宮)は耳中なり。

太陽は開を為し、陽明は闔(ごう;とびら)を為し、少陽は樞(すう=枢;とびらの回転軸)を為す。故に開折は則ち肉節を涜(とく=ツpす)しそうして暴病を起す。
故に暴病は之の太陽を取りて有余や不足を視る。涜は皮肉や宛?(えんしょう=三焦;内臓機能)をして弱なり。
闔折(ごうせつ)は則ち気を無して行きの止むる所にして痿疾(いしつ;手足が痺れ不自由な状態)を起す。
故に痿疾(いしつ)は之の陽明を取りて有余や不足を視る。行きの止むる所無きは、真気の稽留(けいりゅう;とどまり)。邪気は之れに居るなり。
樞折は即ち骨が?(よう=揺れる)して地に於いて不安。故に骨が?するは之の少陽を取りて有余や不足を視る。骨が?するは節が緩みて收まらざるなり。
所に謂う骨が?するは搖故(ようこ;古い原因)なりて当に窮わまりしは其の本なり。

太陰は根に于いては隱白 結に于いては大倉
少陰は根に于いては湧泉 結に于いては廉泉
厥陰は根に于いては大敦 結に于いては玉英(玉堂)。絡に于いては?中
太陰は開を為し、厥陰は闔を為し、少陰は樞を為す。
故に開折は則ち倉廩は輸の所に無く膈洞(かくどう;食べたものがダダ漏れに出てしまう下痢)。膈洞なるは之の太陰を取りて有余や不足を視る。
故に開折は気を不足して病生ずるなり。
闔折は即ち気を経ちて喜悲。悲は之の厥陰を取りて有余や不足を視る。
樞折は則ち脈有りて所結して不通。不通なるは之の少陰を取りて有余や不足を視る。結有るは皆、之の不足を取る。

足太陽 根に于いては至陰、溜に于いては京骨、注に于いては崑崙、入に于いては天柱飛揚なり。
足少陽 根に于いては竅陰、溜に于いては丘墟、注に于いては陽輔、入に于いては天容光明なり。
足陽明 根に于いてはシF兌、溜に于いては衝陽、注に于いては下陵、入に于いては人迎豐隆なり。
手太陽 根に于いては少澤、溜に于いては陽谷、注に于いては少海、入に于いては天窓支正なり。
手少陽 根に于いては關衝、溜に于いては陽池、注に于いては支溝、入に于いては天シO關なり。
手陽明 根に于いては商陽、溜に于いては合谷、注に于いては陽谿、入に于いては扶突偏歴なり。
此れ所に謂う十二経は、盛絡を皆、此を取るに当す。

四時気篇 第十九
黄帝問うに于いて岐伯曰く、夫の四時の気、各は不同形、百病の起り皆、生まれる所有り。灸刺の道、何を定めと為すか。
岐伯が答えて曰く、四時の気、各に所在を有す。
灸刺の道、気穴を得て定めと為す。故に春に取る経、血脈、分肉の間、甚だしきは之の刺しを深く、間は之の刺しを浅く。
夏は盛経を取る。孫絡、間を分かちて取り、皮膚は絶える。
秋は経゚}を取る。邪は府の在りて、之の合を取る。
冬は井榮を取りて、必ず深気を以て之れを留める。

順気一日分為四時 第四十四
一日を四時に分割して、春夏秋冬に対応させ、疾病に旦慧・昼安・夕加・夜甚という変化とその法則があることについて論述し、この規則に基づかないで発生変化するいくつかの疾病があることの原因を説明する。蔵・色・時・音・味などの五変の意味と、五変が病を決定することと鍼治療の五輸(井栄兪経合)との相関関係に言及する。

黄帝曰く、夫の百病之の始生する所は、必ず燥湿寒暑風雨が于いて起す。陰陽喜怒、飲食居処。気が合いて形有り、蔵(気が合いて収まりある状態を有した〜この場合は病気と正気のバランス)を得て名を有す。余は其の然を知るなり。夫の百病は、多くは以て旦(たん=朝)は慧(けい;気分晴れ晴れ)とし昼は安らぎ、夕は(病状が)加(増える)して、夜は甚だしい。何か。
岐伯曰く、四時の気の然の使いです。
黄帝曰く、願わくば四時の気を聞かせ。
岐伯曰く、春は生、夏は長、秋は收、冬は蔵。是れ気の常なり、人にして之れに応ず。以て一日を分かち四時を為す。朝は則ち春を為し、日の中は夏を為し、日の入は秋を為し、夜半は冬を為す。朝は則ち人の気が始生し、病気は衰え、故に旦慧。日の中は人の気が長じ、長は則ち勝邪、故に安らぐ。夕は則ち人の気が始衰し、邪気は始生し、故に加(病状が増える)。夜半は人の気が入蔵、邪気が身に于いて独居す、故に甚なり。
黄帝曰く、其の時と反を有するは何か。
岐伯曰く、是れ四時の気に不応するは、蔵を其の病が独り主どる。是れ必ず蔵気の所を以て時に不勝するは甚、以て其の所、時に勝するは起なり。
黄帝曰く、治は之れ何か。
岐伯曰く、順天の時、すなわち病に可の期を与える。順は工を為し、逆は(そ=雑とか荒)を為す。
黄帝曰く、善。余は聞きたい刺が有する五変を、以て五輸を主どる、願わくば其の数を聞かせ。
岐伯曰く、人に五蔵有り、五蔵に五変有り、五変に五輸有り。故に五×五=二十五輸、以て五時に応ずる。
黄帝曰く、願わくは五変を聞かせ。
岐伯曰く、肝は牡の蔵を為す。其の色は青、其の時は春、其の音は角、其の味は酸、其の日は甲乙。
心の牡蔵を為す其の色は赤、其の時は夏、其の日は丙丁、其の音は徴、其の味は苦。
脾の牝蔵を為す。其の色は黄、其の時は長夏、其の日は戊己、其の音は宮、其の味は甘。
肺の牝蔵を為す。其の色は白、其の音は商、其の時は秋、其の日は庚辛、其の味は辛。
腎の牝蔵を為す。其の色は黒、其の時は冬、其の日は壬癸、其の音は羽、其の味は鹹。是れ五変を為す。
黄帝曰く、以て主る五輸とは何か。
岐伯曰く、蔵は主るが冬、冬は井を刺す。色は主るが春、春は栄を刺す。時は主るが夏、夏は輸を刺す。音は主るが長夏、長夏は経を刺す。味は主るが秋、秋は合を刺す。是れに謂う五輸を主る以て五変。
黄帝曰、諸原は安(どうして)合を以て六輸と致すか。
岐伯曰、原は五時に独り応じず、以て之れ経合、以て其の数に応ず。故に六×六=三十六輸。
黄帝曰、何をして謂うか、蔵は主るが冬、時は主るが夏、音は主るが長夏、味は主るが秋、色は主るが春、願わくば其の故を聞かせ。
岐伯曰、病が蔵に在るは、之の井を取る。色に于いて病変するは之の栄を取る。病時に甚しさ間に時すは、之の輸を取る。音に于いて病変するは、之の経を取る。経が結にして満するは、病が胃や及び飲食を以て在り、不節が病を得るは、之の合に於いて取る。故に命に曰く味の主るは合。是れ謂う五変なり。