2017/05/21 sun
『漢方医学における生命活動の認識について』
相原黄蟹
生命活動の本質は、環境順応能力の防衛力と、それを維持するための兵站能力に集約できる。(defenseprotection and impedimentasupply)
これを漢方医学上<衛><栄>と解釈整理している。
以下に要諦・構造について概略を論ずる。
防衛・栄養
リアルタイムでの元凶順応に当たるのが<衛>であり、
飲食店にたとえればフロアーにおける接客と裏方の調理や食器洗浄・廃棄物処理などのフロントとバックに大別できる。
ここでは、客の注文に対して適切かつ速やかに飲食物を調理・提供することが求められる。
つまり個別の事象に対し適切な物質的供給が求められるステージといえる。(フロントを外衛・バックを内衛)
それに対し、靱帯という総合生命システムを円滑に運営管理するためのシステムが<栄>であり、
国歌における経済活動にたとえられる。
経済の要諦は、生産・分配・交換・消費一連の行為であり、
生命活動に必要な機能や構造を維持するために必要な栄養物質の安定供給のプロセスもまた同様である。
簡保医学では、
身体の各目的部位に必要な栄養を選択的に直行移送する仕組みを<経営>とし
全身各部位に適切に分配由布する周行管理システムを<栄養>として区別している。
この様な仕組みは我が国における物流・ライフライン・などのシステムとフラクタルでありまたトポロジカルでもあるといえる。
全社は、ヤマト運輸・佐川急便・日本郵船・三井商船などであり、
後者は国土交通省・農林水産省・経済産業省・法務省などがこれに該当する。
このように生命活動は経済活動同様に様々な構成要素・構造によって構築されて運用管理されている。
それら個別の役割分担の目的によって五臓六腑・十二経絡・三焦・気血津液・宗栄衛・先天後天などに分類整理され、
更にこれらを説明理解するために気・陰陽・五行・三陰三陽などの理論が用いられる。
このようなことから、点滴や外科手術などができない我々鍼師にとって病態把握の要諦は、原発部位の特定などではなく、
歪みを生じている各種システムの状況分析に基づく
各ステージ別アプローチの選択に特化することが必要となる。
現況認識にのみ着目するのであれば、極端な話し現病歴や履病歴など過去の情報などに意味が無くなる。
今眼前にする病態を率直にシステムの管理状況を把握できるように努め、
その内容に基づいて改善変化を追求すれば良いと愚考する。
重ねて愚見を開陳させてもらえれば
「動き変化するものには対応可能であるが、動かない沈黙のものには対応法はない。」
と常ずね痛感している。
治乱の差異。
六十九難は治世の論であるのに対して七十五難は乱世の論ととらえる。
治世の論とは、秩序に基づく因果律が担保され、種々の現象に既存のシステムで対応することが可能となっている事を意味しており、
それに対して乱世の論とは、あたかも軍部主導の無政府状態の陽を呈している不測事態に適応できず緊急避難的対応の措置となっている事を意味している。
前者は、一対一対応の一時間数的、
「虚スレばその母を補い、実スレばその子を瀉す。虚せず実せずんば正に経を取る。」
と、単純な関係性を述べている。
それに対して後者は、
「東方実して西方虚せば、南方瀉し北方補す。」
と、状況と対応いずれも複数の二次関数的複雑な関係性を述べている。
このような複数の要素の関係性を理解するために
黄帝内経祖門の靈蘭祕典論に十二内藏の古代中国における官職名を用いてその性質・役割を象徴的に説明している視点から考察してみる。
「心者。君主之官也。神明出焉。
肺者。相傅之官。治節出焉。
肝者。將軍之官。謀慮出焉。
脾胃者。倉廩之官。五味出焉。
腎者。作強之官。伎巧出焉。」(一部抜粋)
これらを現代の国家運営の仕組み・構造に置き換えてみると、(括弧内は日本国の場合)、
東方の肝は将軍官=軍隊(自衛隊)
西方の肺は相傅之官=司法・行政・立法の三権(内閣総理大臣)
南方の心は君主之官=国家元首(天皇陛下)
北方の腎は作強之官=種族国民性(伝統文化)
と概括できる。
これらの状況に基づいて七十五難をを解釈すると、
軍部の勢力が増強暴走して行政機能は弱体化してその機能を失い麻のように乱れる。
その結果現況打開を図るため国家元首は失脚・亡命・暗殺始祖の権限を失う。
国民は、民族的・宗教的伝統文化の生命保護・種の保存本能に基づいた共通認識を導き出して対応する。
このように国家存亡の非常時には緊急避難的法を逸脱した対応が求められると言うことになる。
国家を運営する上で日々の様々な事象が円滑に行われ、種々の問題を解決するために定められているのが、現行成文法中の、憲法・刑法・民法・商法・刑事訴訟法・民事訴訟法の六大法典である。
その中で、国家そのものの有り様を歌い上げているのが憲法( the constitution )であり、これが損なわれ機能しなくなるような状態に対しようとするのが七十何的な視点である。
それに対して、各分野別・各個別事象に対応するための法律が、刑法・民法・商法・刑事訴訟法・民事訴訟法の五法であり、これは六十九難適視点といえる。
このように現実社会の中での出来事を通じて古典という世界を垣間見てみるのも一興ではないであろうか?