2017-4/16 この医学の始まりと応用、加持祈祷から七十五難へ  加藤秀郎


東洋医学の始まりはシャーマンによる施術でした。


 その名残があって、ひとつが経穴の名前です。365穴ある経穴名の由来の説明は殆どありません。名前のタイプの分類や、理由の推察はあります。でも、だれがどんな理由でその名前にしたのかは解りません。

 1991年、アルプスのイタリアとオーストリア国境付近、エッツ渓谷の氷河で見つかった約5300年前の男性のミイラのエッツィ・ジ・アイスマンの体には、現在の経穴の近い箇所に短い筋や十字の入れ墨がありました。その刺青の位置の連なりも経絡と近い筋道だったため、5000年以上前のヨーロッパにすでに鍼灸治療があったのかと騒然となりましたが、実際にはシャーマンの治療的な施しの名残でした。この時代には炭に薬草などを混ぜて痛い箇所に埋め込むという、まじないの様な治療法があって、現代でも辺境地域には残っているようです。

 この入れ墨療法は誰ともなく気が付き、地域的な交流がなかったとしても同時多発的に点在して、様々な地域で行われていたと思われます。そして特に効果的な個所が経験的に認識されます。治療を担っていたシャーマンたちは、それぞれが重要とした個所に名前を付けていたと考えられます。その名前が現行の経穴名になったとしても時代があまりに古過ぎて、いつどこで誰が付けたのか解らないために、由来の伝承がないのだと思います。

 もうひとつが経脈という法則性です。

 当時のこの施しを受けた人たちの入れ墨は、おそらくエッツィと同じようにその個所が法則的に連なっていたと思われます。より効果的な重要箇所には名前を付け、さらにその効果の共通性から連なりの意味を見つけ出し、そこから症状との関連性を導き出したようです。

1972年に発掘された、湖南省長沙市にある紀元前2世紀の墳墓である馬王堆漢墓から出土した『足臂十一脈灸経』『陰陽十一脈灸経』という書物は経絡の原型で、これらの本には経脈と適応症状が示されていました。


足臂十一脈灸経

足の太陽脈。外踝の陥中に出、フクラハギを貫いて上がり、膝窩に出、臀部で枝分かれする。まっすぐ進むものは、×を貫き、背骨を挟み、××、頭に上がる。枝が分かれて額を下がり、耳に行く。まっすぐ進むものは目の内眦を貫いて、鼻に達する。その病は、足の小指の麻痺、フクラハギの痛み、膝窩の痙攣、臀部の痛み、痔、腰痛、背中の痛み、×痛、うなじの痛み、手痛、顔の寒さ、耳聾、目痛、鼻水と鼻血、癲癇。この病のもの、みな太陽脈に久(灸)をすえる。


陰陽十一脈灸経

太陽脈。カカトの外踝の陥中に起こり、膝窩に出、上がって臀部を穿ち、環跳に出て、背骨を挟んで上行し、うなじに出、頭角に上がり、額に下がり、鼻根を挟み、目の内眦につながる。これが動じて起こる病は、腫れ、頭痛、××××、背痛、腰が折れるように痛い、大腿が動かない、膝窩のしこり、フクラハギの裂けるような痛みである。これは踝厥である。これは足の太陽脈が主治する。それによって起こる病は、頭痛、耳聾、後頚部痛、耳のしこり、瘧、背痛、腰痛、尻痛、痔、膝窩痛、フクラハギの痛み、足の小指のしびれ。この十二病である。


 この書物が2200年前に書かれたものというだけで、その内容の成立はいつかは判りません。ただ治療法は入れ墨から灸へと変わっていました。記載の中に痔や耳聾、瘧や癲癇など連なり箇所の関連痛ではない症状があります。特に耳聾や癲癇などは単に病気というより未知の障りという認識ではなかったかと思われ、そういった症状への対処も含めると、加持祈祷の源流が推察できます。しかもこの場合の処置は灸ですが、それは今の様な米粒大ではなく、もっともうもうとした大きさだったかもしれません。

 そしてこれら経穴や経脈と症状との関連が自然観察のデータを取り込んで、人間の栄枯盛衰への対処や予想さえ網羅する、法則性の発見へと展開されます。それが陰陽五行論です。

 さらにもう一つのシャーマン施術の名残が、この陰陽五行論という論法での人体把握と治療展開です。

 しかしその前にエッツィの入れ墨療法に戻って、この療法への現代認識的な考察をします。

 エッツィの時代の入れ墨療法とは、痛みのある箇所に灰に薬草を混ぜたものを埋め込むという治療です。

 なぜ痛みの箇所に施術するのかというと、経験的にそこに刺激療法をすると痛みの減少があると認識されていたからで、これは現代の鍼の局所療法と同じです。入れ墨療法の場合はそこに痛みが軽減する作用の薬草を加えて、痛くない期間を長くさせていたと思われます。

 ただ実際には元の痛さに入れ墨の痛さが加わり痛みは増加します。それは現代の局所鍼も同じで、その後に痛みは緩和されていきます。これは痛みが増すと神経閾値が上昇して感受性が鈍くなり、元の痛みが緩和されたかのようになるという、神経の特性を利用した方法です。

 また局所鍼では鍼を刺したその箇所に、遺物の排除のため血液が集まります。痛みがあれば多少の炎症があって痛みの強さを助長しています。そこに鍼を刺して血液が集まることで炎症が進み、急に血が集まって炎症が進んだためにその振り返しで急速に炎症状態が緩和されます。こういった一連の現象の科学的な理由として、侵害刺激で脳内にβ-エンドルフィンがつくられるため。この物質はモルヒネに似た作用があり痛みを和らげる。とあります。β-エンドルフィンは副腎皮質刺激ホルモンやメラノサイト刺激ホルモンなどとまとめられて「副腎皮質刺激ホルモングループ下垂体ホルモン」といい、痛みや炎症や不安感の調節をしています。

 灰を埋め込んだのも侵害刺激や炎症の一時的な促進という、神経やホルモンの特性利用になっていたと思われます。

 しかしこれは数千年前の入れ墨療法の仕組みをどうにか科学で説明したに過ぎず、施術箇所の連なりの法則性や、十一脈灸経の連なりと症状の関係などの説明にはなりません。体に鍼を刺してβ-エンドルフィンできるのなら、治療箇所はどこでも良いはずです。ところがエッツィの時代以降から治療点の場所やその連なり、連なりの法則性から適応症状へと11本の経脈に分類されて行きます。なぜその経脈に灸という温熱療法を施すと耳聾や癲癇にまで効果が観られたのか?未だ現代科学はその解明には届いていません。


 施術箇所とその関連の連なりとしては、トリガーポイントという施術法則があります。

 トリガーポイントとは、銃の引き金を例えにした疼痛や放散痛の元になっている箇所で、この部分が痛みを起こしているところとも、処置をすれば痛みを軽減させるところとも考えられている箇所です。神経や筋肉の走行に沿っているので解剖学的な関連はありますが、生理学的には不明です。トリガーポイントとされている箇所と痛みの範囲は、経験的認識として使用されているケースが多いようです。実際に病院の現場でも、トリガーポイントに麻酔薬を注射して減痛効果をあげたり生理食塩水や重炭酸リンゲル液などで麻酔薬の代用をして、痛みの軽減を図っています。エビデンスを待たずとも現場有用性があれば医療に活用するという側面が、現代医学にもあるという一例です。

 この現場の経験則で施術をしていくという医療法則の発展例が「十一脈灸経」の記載です。


 そして陰陽五行論ですが、この理論により五行分類された五臓が、生理の中核として書かれた記載として、

素問・六節蔵象論篇第九

蔵象とは何か。

心は生の本、神の変わりなり。その華は顔に在りその充は血脈に在り、陽中の太陽を為し夏期に於いて通ずる。

肺は気の本、魄の処なり。その華は毛に在りその充は皮に在り、陽中の太陰を為し秋期に於いて通ずる。

腎は三蟄封藏の本、精の処なり。その華は髮に在りその充は骨に在り、陰中の少陰を為し冬期に於いて通ずる。

肝は罷極の本、魂の居なり。その華は爪に在りその充は筋に在り、以って生ズルは血気、その味は酸その色は蒼、これ陽中之少陽を為し春期に於いて通ずる。

脾胃大腸小腸三焦膀胱は倉廩之の本、營の居なり。名は曰く器、能く化するは糟粕、転して味入出者なり、その華は唇の四白に在り、その充は肌に在り、その味は甘、その色は黄、これ至陰の類に通じ于いて土気。 凡に十一蔵を取って決するは膽を于いてなり。


 が在ります。

 まともに読んだらさっぱりわからないどころか、祈祷師の「お告げ」のようです。


そのほか素問の霊蘭秘典論篇第八の

心は君主の官、神明が出ずる。肺は相傅の官、治節が出ずる。肝は将軍の官、謀慮が出ずる。

胆は中正の官、決断が出ずる。膻中は臣使の官、喜楽が出ずる。脾胃は倉廩の官、五味が出ずる。

大腸は伝道の官、変化が出ずる。小腸は受盛の官、化物が出ずる。腎は作強の官、伎巧が出ずる。

三焦は決涜の官、水道が出ずる。膀胱は州都の官、津液を蔵す。

 などは、生理学の感じさえしません。


 黄帝内経で書かれている五行論は相生相剋関係ですが,それ以上に分類が多く書かれています。しかし分類理由は書かれていません。理由がなければ各行に分類はされないはずですが、理由については分かっているかのように説明はありません。つまり五行に分ける分類法則は、この書物の成立当時は当たり前のことだったと考えられます。

 その当たり前の法則が、五行のそれぞれを陰陽性質で分類するというものです。そしてこの五行のそれぞれを陰陽性質で分類する法則の、その元になった法則もまた黄帝内経の成立当時は当たり前のことでした。

 それが「天地人」です。陰陽、五行、天地人。全てが言い伝えやまじないの言葉のようです。というよりおそらく全てがシャーマンから発しられた言葉です。なぜそう言えるのかというと、黄帝内経が仙人思想で書かれているからです。


黄帝内経・素問・上古天真論篇第一

その昔、黄帝がおられた。神霊に生き弱年にして言うに能し幼くして早くに整いし、成長して敦敏して天に昇りて成す。

そこで天師に問われて曰く、余が聞くに上古(大昔)の人、春秋皆百度の歳迎えても, その動作衰えず。今時の人, 百の半分の年でもその動作皆衰える。時の異りか、人の失いしか。


岐伯向かいて曰く、上古の人は知るその道、陰陽の法、術數の和、食飲の有節, 起居の有常(寝起きの時間の統一), 不妄し作勞す(みだり無く労働す)。故に能は形(身体)神(精神)伴に与えられ, 天命をつくし百歳を越える。

今時の人はそうにあらず。酒をがぶ飲みし、みだり常にして, 酔って入房す。その精は欲竭しその真(真気、正気)は耗散して満たすことを知らず、神を時におさめずして, その心は快きに務める。生きる樂しみに逆らいて起居無節。故に百の半分にて衰える也。


その上古の聖人の教え下し也。皆賊風を虚邪と謂い、その有りし時を避け。恬淡し虚無くして、真氣従いゆきて精神は内を守り、病あれど安從う。

閑志して欲少なくし、心安かにして懼ず、形(身体)勞しても倦ず、氣は順調に從いて、その欲の從いは支えて止まり、皆おのずと願いを得る。

故にその時々で食は美味しく、服着るがままにし、俗(常識)は楽しみて、(身分の)高下慕い相ず(うらやましがらず)、その民故にして朴(素朴)。

その目嗜欲に勞することなく, その心淫邪に惑わされることなく、愚(人)も智(人)も賢(人)も不肖なものも物事に於いても懼ず、故に道(どうtao)に於いて合い、ゆえにその能は皆百歳にして、その動作は衰えず、その徳全て不危也.


黄帝曰く、余が聞くに上古に真人という者有り。

天地をひっさげ、陰陽を把握し、精氣を呼吸して、 神(心)独りを守り、肌肉若さをたもつ。故に壽(寿命)天地ちおなじに能し、終りの時は有るようで無く、これその道に生きる。

中古(やや古い昔)の時、至人という者有り。

全道にて淳徳し、陰陽、四時に於いて調和し、世俗を離れ去りて、精を積みし神全うし、天地の間を游(=遊)行して、視聴外の八方に達す。これその強き壽(=寿)命の益(ききめ)を蓋(覆う)いし者なり。真人に於いてかえりきたりという。

その次に聖人という者有り。

天地のしかるべきところに和して、八風の理に従い、世俗の間に於いて嗜欲適にして、心恚嗔(憤怒)無くす。世に於いて離ず欲なくして行き、服や章(アクセサリー)をみにつけても、俗みるに於いても不欲をふるまう。外にしては事に於いて形(からだ)つかれさせず、内にして患の思想無く、以ってあっさりとしたたのしみを為って務め、以って自れの得を為って功とし、形體(からだ)不敝(つかれさせず)、精神(こころ)不散(ちらさず)、以って百を數(かぞえる)も可。

その次に賢人なる者有りし。

天地の法に則るは、日月(じつげつ)の象(現象)に似て、星辰の列(つらなり)をわきまえして、陰陽の逆從、四時の分別、上古(太古)の道に於いて合同し從(従)う。時の極が有りて壽(天寿)の益を使うことを可とした。


 原始の頃、まだ文明らしきものはなく、社会に相互扶助などという余裕もなかった時代。

 人々の医療や健康の維持、食料の確保や暮らしの中の危険回避。気候の変動や集団制の維持など、その部族の中のたった一人のより抜きの天才が全てを背負って治めていました。それがシャーマンです。もしシャーマンが一度でも判断を誤れば、その部族は壊滅します。優秀なシャーマンの存在を維持できたなら、その部族は何世代にもわたって発展を続け、ついには文明を起こし国家へと進展します。

 古代から中国人が抱いていた仙人思想。その仙人思想が産んだ「三皇五帝」というヒーロー。その三皇五帝の中の黄帝を問答の中心に置いて二千年以上も前に書かれた「黄帝内経」。これらの全ては、漢民族や中華文明を作り上げた礎にいた、シャーマンたちが元になっています。

 この、およそ人が生きるための全てを背負い続けたシャーマンたちが、自然を観察し人や世界の動向を見抜き、判断して結論を出し、人を動かし治めていた法則。それがこの「天地人」だと考えています。なぜならこの「天地人」の基本理論で黄帝内経を解読すると、お告げのようだった内容に意味が見えてくるからです。

 ですから古代シャーマンたちが医療や部族統治を行っていた思考法は、後に言葉と法則性を当てがって「天地人」となり、素問や霊枢や難経の基本理論となっているのです。


「天地人」の使い方


 天とは太陽のことで、天の作用とはその日差しの強さです。太陽が高く上がるほど日差しは強く日照時間は長くなります。太陽の高度が上がるほどに気温が高くなる、この「気温が高くなる」が天の作用を受けた地の反応です。

地が反応することで、季節が生じます。


 太陽の高度が最も低い位置、地表は寒く草木は枯れています。これが冬。

 次第に高度が上がっていき地表には暖かさが感じられ草木が芽吹く、これが春。

 高度が最頂点に達し気温は熱く草木は生い茂る、これが夏。

 次第に高度が下がり涼しさが増し、花は種をつけ葉は落ちて草は枯れる。これが秋。


このような地の反応に対してなぜ人は逆の反応をするのかというと、それはホメオスタシスを守るためであり、その表れとして「恒温生」という機能があるからです。


 冬の寒い時、体温37度をキープするために最大級にカロリーを燃やし、体温生産する。

 春になりその暖かさに従って、体温生産量を次第に下げて行く。

 夏の暑い時は、外気温が体温と変わらないためにほとんど体温生産がなくなる。

 秋になりその涼しさに従って、体温生産量を次第に上げて行く。


これは温度での地への対応なので’陽’とします。しかし寒さに対して闇雲にカロリーを燃やしていては人体は疲れ果て、まして冬なので食糧供給は見込めません。なのでできるだけカロリーを燃やさないで体温をキープできるようにします。それが水を使った’陰’の反応です。

 つまり夏には体内水分量を増やして体は冷えやすく、冬は水分を減らして温まりやすい体になっている状態。

これは夏に向かって増える草木の保水量や河川の水量の観察が元になっている、地の状態に準拠したものです。

陽の反応は人における動物性反射、陰の反応は植物性反射とも言えます。


 天地人の地は自然界を意味しますが、この水の対応は人における自然の部分を表しています。

 さて天と地、地と人など対立関係を陰陽で分け互いの性質を把握する論法が陰陽論ですが、この関係の中間やそれぞれの変化の分類法が五行です。

 天は太陽の高度の変化で春夏秋冬を示し、地の反応は気象現象となり温度や気圧や湿度を上下させます。


太陽の昇る方向の東、暖かくなって芽吹く季節の春

 生まれるという性質の「木」

太陽が昇って行く方向の南、熱く草木の繁茂する夏

 長じる~太陽の性質が最大限に発揮される「火」

太陽の沈む方向の西、涼しくなって落花落葉の秋

 収まって小さくなる性質の「金」

太陽がない夜、南の逆の北。寒さで地表には何もない冬

 普段は手に届かないところに蔵(しま)われる「水」

 地表という観察点でその変化を認識する「土」


シャーマン時代から区分けされていた自然や生体の性質を、黄帝内経の編纂にあたり明確に区分されました。

 木ー肝、春、東、陽に向かう

 火ー心、夏、南、陽

 土ー脾、土用(季節の変化期)、中央(地上の観察点、基点)

 金ー肺、秋、西、陰に向かう

 水ー腎、冬、北、陰


夏は心のある上焦にまで水が上がり、冬の水は腎のある下焦にのみとなる。

このことが六節蔵象論の「心は夏期に於いて、腎は冬期に於いて通ずる」となります。

この三焦論によって季節と五臓が通じ合った性質を人体の中の天とします。なぜ人が天の作用に従う地の反応と逆になるのかというと、体内に独自の天があると考えたからです。その独自の天によってどんなに外環境が変化しても、体内環境を変えずにいられてホメオスタシスとなります。

心が夏に通じることで上焦にまで満たした水分量で暑さに適応し、その適応に対して筋肉や皮膚の毛穴を弛緩させて暑いながらの温度の変化に対処する。

腎が冬に通じることで下焦にのみの水分量で寒さに適応し、その適応に対して筋肉や毛穴を緊張させて、寒いながらの温度変化に対処する。

 この対処の状態が皮膚の手触り、筋肉の硬さ、脈の拍動、顔色、味覚、体臭、音声、発汗や尿などに現れるので、それらを診察対象として体系化して医療の形になったのです。

 シャーマンから発生した独特の言葉と考え方ですが、それらを拾い上げ医学として一冊の本へと体系化した人たちが居ました。その体系化した理由を知れば、どのように医療として展開できるかがわかります。

それが「この医学の始まりと応用」です。