2017-5/21

この医学の始まりと応用、加持祈祷から七十五難へ 

加藤秀郎 

現 代 医 療 と 伝統 医 療の 違 い 

現代医療は情報と方法の医学です。 

 「情報と方法を確実に取り扱う」「日々進展する情報と方法に対応し続ける」

現代医療に従事者する人の仕事の内容です。 教育機関で行われる従事者の育成は、細部にわたる緻密なデータと治療方法の記憶です。 

     まずは制度や体制が有って、分類された症状をそれらに割り当てる

方法論で対処する医療。 

伝統医療は創造と技術の医学です。 

「感性による生体把握」「病状確認からの処置法のコントロール」

伝統医療に従事者する人の仕事の内容です。 多くの人の経験と長い時間に蓄積された実績が、その医療的処置の裏付けとなります。 

イメージと雑把な理論で成した医学を従事者の経験と能力で個々の人に対処する 

人が在ったうえで対応する医療。

しかし、法治国家体制下では科学的裏付けが医学や医療行為のベ

だから、現代の鍼灸教育も、知識と手法の記憶の教育となっているのです。 

この医療に対する体制や認識の違いが、東洋医学への本質的な理解を妨げています。 何かを覚えればできるようになる医療ではなく、推察と発想と応用と創造の医療。 つまり東洋医学に必要なものは施術者サイドの人の力なのです。 現代医療はできるだけヒューマンエラーを避けるために、体制や方法論の強化を図りました。個人の力量 が現場に影響しないようにしたのです。結果的には医療過誤による責任の所在性はあやふやとなり、体制や 方法を遂行するための膨大な費用がかかるようになりました。そして記憶力の検査に合格して国家資格を持 てば、誰にでも様々な病気の対応ができるようになりました。ところが情報の記憶だけで得られた業務認 定ですが、従事者としての「人の資質」の熟達を怠った現場担当者がいたならば、計り知れない医療過誤の 発生が起こり得ます。科学では規定できない倫理観という新たなヒューマンエラーを招きました。 それに対して鍼治療の現場は人任せです。治療の成果は施術者の熟達に寄るところとなります。それでは あまりに術者によって差が出てしまうので、局所治療や特効穴治療が主流になりました。そしてその局所療 法に意義を見出すような形で、鍼治療の科学的解明がなされました。解明とは神経域値や伝達物質の変化の 確認ですが、内容的には麻酔の原理と同じです。つまり減痛治療にのみという制限付きの、鍼治療の治効確 認でした。結果的には初期に行われていた入れ墨療法の、効果の裏付けとなりました。 そして鍼灸治療教育が現代医療と同じ内容になったことで、科学的に裏付けられた入れ墨療法を学ぶのと 同じことになってしまっているのです。せっかく数千年かけて発展した鍼治療が元に戻されて、対応できる 可能性が狭まりました。二千年前の最も発達した鍼治療を知るために、陰陽五行論を再考し黄帝内経を再 読する必要があるのです。 

入れ墨療法の発生から黄帝内経までの発展を担っていたのがシャーマンでした 

シャーマンは民衆の生活全体の安定を任されていました。 

その中で各人の健康が コミューンの形成と発展には重要だったので、 医療も行なっていました。

症状の改善が医療の始まりです。 

何かしらの症例に対して処置の方法を 見つけ出し、対応していたかと思います。 

シャーマンも代替わりをしながら多くの症例を重ねていくうちに、病気の原因と傾向を見出すようになりま す。シャーマンが民衆の生活の安定確保に見続けていた自然の移ろいや変化に、病気の原因や傾向が有りまし た。おそらくそこで考えたのが、自然の変化が病気の原因だったとして、なぜ人によってや、年や季節によっ て傾向や症例は違うのか?だったはずです。それでも我々が楽に過ごせる時期が有り、病気に喘ぐ時期が有っ た。例えば夏は楽に過ごせ冬は辛いという傾向があるが、それでも年間を通じて健康な人がいれば、夏でも流 行病が起こることもある。 こんな複雑で雑多な状態を含め、その上で自然から人体を把握できる法則性を見つけて行ったと思います。 

始めは「4」でした 

時間で言えば「朝・昼・夕・夜」、「春・夏・秋・冬」。空間では「東・南・西・北」の「4」です。 これらは自然の在りようからの分類ですが、人体と自然との関わりを考えるにはさらに「1」を加える必 要がありました。なぜ朝昼夕夜、春夏秋冬や東西南北と区別できたのか?それは観測者「1」が在ったから で、「4」を「5」という数字にして始めて人と自然が交流できると考えたからです。 こういった数字そのものに意味を持たせるというのは、とてもシャーマニズムなことです。占いもこういっ た発想から生まれています。 ところが観測者の立場から時間や空間を観たときに、また別の数字が発生します。 時間の進行はどうやって観察しているのかというと、自然界の「明暗」や「寒熱」と肉体の「労健」の 変化であり、空間はというと「前後」と「左右」で東西南北を把握しながら「上下」による全体の遠近の 展望です。つまり時間の「明暗」「寒熱」「労健」、空間の「前後」「左右」「上下」で、人は「3」とい う数字で自然と対峙しているのです。 さらに「明暗」「寒熱」「疲健」も「前後」「左右」「上下」も変化基準である中間を加えると、それ ぞれが「3」になります。この「3」に「5」を組み合わせ、そこに夏と冬では人体の要求がまるで違う「水」 を充てがったとき、漢方生理学の中核である三焦論の原型となります。「3」に「5」を組み合わせ「水」 を充てがうというのは、東洋医学はシャーマミズムが原点とした上での推論です。そこからどうやって三焦 論になったかは解りません。ただ肉体も自然物なので観察対象であり、だとすれば「4」と「1」という分 け方で考えていたはずです。 「5」は五臓、そのうちの「4」は観察対象となる「肝・心・肺・腎」で、観察者の「1」は「脾」。な ぜ「脾」を分けたかというと、飲食と排泄という欲求を自己の意思で対処しているからで、肝心肺腎が肉体 の中の自然側、脾は人側であるために低い名前として「卑」という文字を充てたと考えたからです。 季節は春夏秋冬、太陽は東南西北、体内水分は肝心肺腎の循環。こらの回転に中心軸を置いて五行で考 え、その五行という自然循環のプログラムは相生相剋の五行論という原理が発生させています。 

相生相剋の五行論とは

「朝・昼・夕・夜」「春・夏・秋・冬」「東・南・西・北」

温度や明るさ、太陽の高度などの頂点が、昼・夏・南で「陽」。その逆が、夜・冬・北で「陰」。

 陽に向かう、朝・春・東。陰に向かう、夕・秋・西。

 陽に向かうを「木」、陽を「火」、陰に向かうを「金」、陰を「水」としたとき、人である「1」を頂点からの変化点に起き、木・火・土・金・水と並べて五行としました。そしてただ五つの項目があるのではなく、必ず、木→火→土→金→水→そしてまた木からと、この順で常に回転しています。この順序は木から火が起こるということで「生む」という母子関係で例え「相生(そうせい)」といいます。

相生五行という回転は「相剋」というエネルギー推移の原理運動で生じます。

相剋とは一つ前の項目が抑え付けてくることをいいます。「木」でしたら「金」に抑え付けられます。なぜ「金」が抑え付けたのかというと、この時点ではたまたま「金」の活動量が最大だからです。そして「金」に抑え付けられた「木」は活動量が低下して最小状態になります。

「木」が最小なのでその手前の「水」のエネルギーが「木」に流れ込みます。すると「水」が最小に近くなるので、その手前の「金」の最大活動量のエネルギーが「水」に流れ込むため、今度は「水」が最大活動量となり一つ先の「火」を抑え付け「火」の活動量を最小にして、その手前の「木」のエネルギーが「火」に流れ、「木」には「水」の活動量を最大にしていたエネルギーが流れ込みます。このようにして「木→火→土→金→水」と回ります。

 この相剋の原理運動も相生の回転も、我々は直接認識することができません。五行のそれぞれに陰陽性質を持たせることで、自然の循環として確認できます。それは人体内の生理でも同じで、気温が変化しても同じ体温でいられることが、季節の移ろいに水で順応する三焦を想定させました。しかし夏は上焦だけとか心だけとは考えず、常に三焦や五臓全体は働く重点を変えて、季節に対応しています。その対応している様相が衛気や栄気や宗気です。

 この陰陽で働く五行の循環は乱れれば病気となります。その病気どんな病状でどのような治療をすれば治るのかと気になりますが、三焦も六腑も五臓も経絡も気も血も、自律神経の状態を把握するための仮装モデルでしかありません。人体内がリアルにどうなのかではなく、治療していくのに都合の良い形で自律神経の様相を想定しているのが伝統医療の特徴です。だから現代医学のような具体的な因果関係や結論はなく、現場での把握と対応のみとなります。

 飲食を摂取して体温を作り、外気の変化や肉体の運動や精神状態に対処し続けているのが、六腑や三焦の役割です。これらが疲れやストレスや状況に合致しない飲食をしたことで乱れた生理を、正常化させる方法が相生五行を使った六十九難です。

 それに対して正常化させようにも、体内での相生五行の回転がうまくいかなくなってしまった状態、つまりホメオスタシス自体の動作が正常でなくなってしまった場合の治療が、相剋五行を利用した七十五難です。

 ホメオスタシスを守るために自律神経が起こしている動作が生理です。強力な外的負荷や長期的な疲れやストレスや心理的圧迫や、劣悪な栄養状態などで自律神経がホメオスタシスを守れなくなったのが相剋で対処する病理です。

難経という書物は文字の使用を最小限にとどめようとしますが、七十五難は珍しく五行全部を例に使って、

「木が実を欲っせば金は当然にして平ぎ、火が実を欲っせば水は当然にして平ぎ、土が実を欲っせば木は当然にして平ぎ、金が実を欲っせば火は当然にして平ぎ、水が実を欲っせば土は当然にして平ぐ」と、記します。

七十五難のポイントは最後の一文

経典にある、虚を治すことができなければその余りが何かを考えよというのは、こういったことである。

と、考えています。

相剋論は、盛んになった行が、一つ置いた先を抑えて衰えさせるというのが基本です。

ところが難経のこの五行全部を使った例では、実になった行を一つ置いた前が平らにさせるとあります。

相剋に対しての相侮という関係ですが、しかし行同士の作用の方向は逆です。相侮関係というのは盛んになった行が、一つ置いた前の行にも圧力をかけるというものです。ところがこの例では一つ置いた前の行が、実の行を平らにするという内容です。

 このような例題を掲げながら、さらに七十五難が提示していた医案は木が実で、その木を平らにしなければならない金が虚していて、平らにさせる働きができないというものです。そもそも例題にあげられた内容というはスタンダードなはずであり、その後に説明する特殊な物事の基本となるのですが、この場合は例そのものも特殊です。

 このことから七十五難とは根本から全て創作で、当時の最新の治療理論であったと言えます。

 実というのは一つ置いた前が平らにさせるとしながら、その一つ置いた前が虚していて平らにできない。だから実している木の子である火を瀉し木の実を火に流れ込ませて減らした上で、虚している金を補うのが火瀉水補です。

 本来、金の虚を補うのは母である土への補であるはずですが、すでに火を瀉していて土を補完する流動エネルギーがないのと、木の実に剋されてそもそも衰えた状態に土があるからだと考えられます。

 補瀉論のうち瀉は、膿を切開して絞り出すのと同じように、外的作用で取り除くという働きかけに対して、補は体内の充実を待つという内在性に頼ると考えます。

 なのでこの場合の金の虚への補いは、金のエネルギーが次の水へと流れ込むのを防ぐために、水のへの補となるのです。あくまでも補法は自然循環の中での間接的な施しです。だから瀉法はうまくいっても、補法はなかなか思い通りにならない場合があるというのが「最後の一文」です。

その「其の余を問う」とは何なのか?

 その前に、補法がなぜ思い通りにならなかったのか?ということですが、それは火への瀉法と木の実による相剋が土にあって、金へと流動できるエネルギーが足りなかったからです。しかし火への瀉法がある程度うまく行っていれば、水への補法によって土から金への補いは成立するというのが、七十五難の前提です。火への瀉法により木の実が火へ流れ込んで緩み、土を剋する作用が緩んである程度の衰えが回復して、金を補う力を持てるという想定です。

 ここまで七十五難を読み込んだとして、間違えやすいのが、一回でこの七十五難法則の治療が法則通りの結果を出せると思い込んでしまうことです。この治療法則の目的は、木の実を瀉して円滑な五行循環を取り戻して、金の虚の回復を図ることです。補というのは自然循環の中での結果です。何度も何度も木の実が緩むように施術し、できるだけ金の補が起こるように差し向けて、木実金虚、火瀉水補の達成に対処し続けるのです。

 そしてこの治療を続けて行く際に、重要になってくるのが「其の余を問う」です。「其の余」の一つには実がなぜ発生したのかがあります。また、どれくらいの実だったかというのもあります。それがわかると、火への瀉法によって、木の実がどれくらい瀉されず残っているかもわかります。これらがわかると毎回の治療で木の実の残量を見据えつつ、金の虚を補うというゴールにどこまで近づけたかを推察して、患者の生活指導やアドバイスができます。 

 もう一つの「其の余を問う」は木実金虚火瀉水補にないもの、つまり木火金水にない「土」を問うです。

 水の補が目的である以上、土の状態はどうなのかを主訴の段階から治療経過を踏まえて、把握し続けなければなりません。土にどれくらいの流動エネルギーがあるかで、水への補いが決まるからです。

なぜ木実金虚が起きたのか、それは木の過大な実が土を衰えさせ、金への流動を減らしたからです。

六十九難と七十五難の違いは何か。

 六十九難は相性五行の回転のガタ付きへの人為的補助です。相性五行の回転のガタ付きとは、三焦の季節に対して水の分配が不適切であるとか、気温に対しての毛穴の開閉や筋肉の発熱の極端な不適切さとかで、飲食が状況と合わなかったり、活動と疲労が伴っていなかったりという状態です。全て自律神経の乱れなので、症状は様々です。この場合、相剋五行という原理動作は正常なので、母補子瀉の法則を一つの行に使った処置方法です。

 それに対して七十五難は、相剋五行という人体の動作原理そのものの乱れを、どうにか人為で対処しようとした方法論です。人体の動作原理の乱れとは、ホメオスタシスが正常ではなくなった状態です。いわば死病です。死に至るほどに陥った命のプログラムを、どうにか修復させようという法則です。しかし相剋五行は、言わば神の領域です。人の為でどうにかなるものではありません。


かつてシャーマンが行なっていた伝説の治療の理由を一つ一つ解き明かし、

 最後に残った延命治療の論理的解析が七十五難です。

 それはどうやって延命効果を起こしたのかではなく、どういう理由で延命できたのかです。六十九難も七十五難も相生相剋論の虚実という仮定での、補瀉という修復効果の状況解説です。補瀉は目指した結果を実現できる方法論ではありません。かつて伝説のシャーマンが行なっていた治療への、五行での論理確認なのです。

 なぜ加持祈祷で治癒できたのか?

 大自然の原理を体内に想定し、その原理への直接的なコントロールという仮想の治療構造の理論が七十五難です。

 太古のシャーマンやそれを受け継いだ人たちが、どのような治療をしていたのかわかりません。もしそのような人たちが同じような治療をしていたなら、その方法が伝えられていたはずです。ところが残されたのは五行での構造論です。それぞれが違っていた上で、共通した構造を五行論によって見つけ出せた。

 それが木実金虚への火瀉水補でした。


六十九難も七十五難も同じように、

 肺が虚しているので、その親である脾の経絡に補法をすれば、肺は虚ではなくなるというものではありません。

 あくまで治療法則ではなく治療構造です。肝が実で肺が虚の場合、心が瀉をするように腎が補をするように、何かしらの働きかけが治療なのです。もしかしたらその施しは偶発だったかもしれません。しかし太古のシャーマンたちやその後の伝承者たちは、特定の死病の患者を救ったのでした。その特定というのが2000年前の五行という理論ツールでピックアップされた、相侮関係の已病であれば対応できるという治療論だったのです。

ただし死病ですので延命になっているだけで、死ぬまでこの治療を続けなければならないものと思います。


症例報告

~91才女性、腎盂腎炎による発熱からの心筋梗塞と意識混濁~

グループホームに入居5年目。既往症・高血圧症、空間認知障害により排泄介助必要、普段は車椅子。

職員が朝食のため呼びに行ったところ、不調を訴え起きる気配はなし。

バイタルでは体温は38.5度、脈拍は早め、血圧は高め。朝食ではお茶を飲んだのみ。

たまたまこの日、週一回の医者による回診があったため相談すると、熱があるのに胸部に雑音はなく、下腿にむくみが確認されたため、急遽病院搬送に。

病院で腎盂腎炎が判明し、敗血症防止のため集中治療室に。水分と栄養補充の点滴を受ける。

付添人が痙攣をし始めるのと口から泡が出てくるのを見つけ、心筋梗塞の併発となり意識は混濁。

処置後安静とはなるが危篤状態であり、ストレス軽減で個室へと移送。その夜が峠との告知を受け、親族が付き添いで集まる。

バイタル装置の心電図は安定せず、警報音は鳴っている時間が多い。点滴は続行。

21時過ぎ、上半身を揺するような動き、心電図は子供の殴り書きのような線、警報音は強く鳴る。

看護師がすぐに来て呼びかけと点滴の調節。上半身の痙攣は治るが、息は荒くバイタル装置の表示は乱れたまま。

看護師はナースステーションに戻る。

ふと呼吸の改善を目指し、足少陰腎経復溜に鍼を当ててみようと思い立つ。

鍼には強めの圧迫、切皮後に数ミリ刺入。直後、呼吸は整い始め、心電図の波形が正常波に近くなる。

足音が近づき看護師が来たため抜鍼。容態を確認し看護師は戻る。

以降、朝の5時くらいまでに同じことが4回ほど繰り返される。

8時、担当医により容態の寛解が確認され、意識も回復し食事を要求する。


この症例者は祖母で、付き添いは私と弟でした。

 朝までに施した治療の内容は、最初が21時の右復溜、一穴。次が22時30分で左右の復溜。0時付近で左右の復溜。この頃から、子供の殴り書きのような心電図は出なくなるが、正常波としては不安定。

 しばらく変化がなかったが、3時ごろに心電図が乱れ唸り声をあげだし看護師が来る。点滴を交換し戻る。

 ふと足太陰脾経商丘が使えると思い、右に鍼を当て瞬時に離す。乱れた心電図の振幅幅が狭くなっていき、次第に正常波へと波形が落ち着き始める。

 5時ごろに正常波が乱れたため、手太陰肺経太淵を使ってみようと思い右に軽い接触状態で数秒ほど置鍼。

 離すとすぐに正常波に、そして突然目を開け弟がたまたまその時に食べていた麩菓子を要求。小さくちぎって渡すとそれを何度か要求し、ゆっくり噛んで丁寧に飲み込みまた眠る。

 その後、8時に担当医が来るまでは、特に何の変化もなく安静に眠っていた。

 この治療の特徴は、証は建てず本治も標治も弁証論治などもなく、ただ思い立ったところに鍼を当てただけである。術者の身内であるため通常の精神状態では対応しておらず、なぜ危篤から脱したのかはわからない。その上でこの症例者の回復を最も驚いていたのは、担当医であった。朝までに霊安室の手配をしていたと後に聞かされた。


 この症例の治効構造を記憶を辿りながら推察した。

 まず症例者の病態を老齢による「腎虚」と想定した。先天に対する後天として「脾」の病状を思い巡らせたが、朝からお茶しか飲んでいない以外になく、それよりも心筋梗塞の併発について考えた。衰えた「精」の肉体保持の加担として、「心」の活動量の増加での血流の促進を考えた。その予兆が発熱として、やはり老齢の「心」の過活動での心筋梗塞だとしたら、心実腎虚として七十五難の病症論となる。危篤状態の時の拍動は、脈拍数などという動きの節目が見つけられるような動きではなかった。


 最初の3回の使用穴は復溜なため腎経に対する補法の形をとる。

 補法に即効性がないにもかかわらず心臓の動きが好転したのは、腎への補による心に剋された肺のエネルギー流出の抑えと仮定した。復溜への3回の治療で肺の安定が図れたとする。


4回目の商丘は脾経の瀉法の形となる。

 七十五難の心実腎虚への治療論の脾瀉木補の脾瀉である。この脾瀉で心実が緩んでの正常波かもしれない。


最後の治療が太淵であった。

 肺経への補法の形となる。心実のかつてなかった剋の圧が、肺水腫を起こし泡を吹かせ息を荒くさせていた。その剋の圧が緩み肺への補法が症例者を目覚めさせたのかもしれない。


七十五難を症例結果に当てがって治効構造を解説した。

治効のポイントは実した箇所の内容と、そこから剋される箇所の様相である。これが「其の余り」ではないか。

七十五難の真髄は治療経験からの「勘」である。未だこの理論からの弁証論治で施術したものはいない。