2019-2/17 難経の脈、構造と解説-3 加藤秀郎 ◆十三難曰. 経に言う、其の色を見ても其の(色に相当する)脈は得られず、反して(その色に対して)相勝の脈を得るは即ち死。 相生の脈を得るは即ち病は自ら已(や)む。色の脈に与(よ;合わす)するは、当(まさに)相応(お互いに反応し合う)に参(さん;交わる)ずる。為(い;そのあり方、その物の 性質)するは何か。 然るに、五藏に五色が有り、皆面(顔)に於いて見る。亦(また)当(まさに)与(よ;合わす)するは寸口と尺内に相応する。假(かり;仮)に令(れい;例) すると
色は青にして、其の脈は当(まさに)弦で急。
色は赤にして、其の脈は浮大で散。
色は黄にして、其の脈は中緩で大。
色は白にして、其の脈は浮渋で短。 色は黒にして、其の脈は沈濡で滑。此の所に謂う五色の脈に与(よ;合わす)するは、当(まさに)相応(お互いに反応し合う)に参(さん;交わる)ずるなり。 脈の数、尺の皮膚で数。
脈の急、尺の皮膚で急。
脈の緩、尺の皮膚で緩。
脈の渋、尺の皮膚で渋。 脈の滑、尺の皮膚で滑。五藏の各に声色臭味が有り、当(まさに)与(よ;合わす)するは寸口と尺内に相応する。其の不相応が病なり。 假(かり;仮)に令(れい;例)すると色は青にして、其の脈は浮渋で短(色が白の脈=金=肺)。若(わずかに)大で緩(色が黄の脈=土=脾)。相勝を為 す。
浮大で散(色が赤の脈=火=心)。若(わずかに)小で滑(色が黒?の脈・水・腎)。相生を為す。 経に言う、一を知るは下工を為し、二を知るは中工を為し、三を知るは上工を為す。 上工は十のうち九が全(欠けず)して、中工は十のうち八が全(欠けず)して、下工は十のうち六が全(欠けず)する。此れの謂うなり。 この難に出てくる診察要素は、脈と顔色と前腕前側の皮膚の手触り、 つまり動脈と皮膚と顔面の血行様相である。 この三つを診察対象とした仕組みを検証するうえで、 動脈と皮膚のカップリングで考える。 さて、皮膚とは何をするところか? 生体と外環境を隔てる器官であるから、体内にとっての皮膚は外の情報入力を行う。人体 は大気に包まれていて、その大気の変化がホメオスタシスに干渉する。大気そのものが外 環境であり、変化情報を皮膚が感知し生体全体が生理対応をして体内環境の均衡を保つ。 しかし生体というのは、常に同じようにその対処をこなせない。暮らしという状況からコ ンデションが発生し、さらに対応するべき外環境も目まぐるしく変わるからである。暮ら しは人体に疲れとストレスと飲食の不適合を与え、外環境は大気の温度と湿度と気圧の変 化とその度合いから生理対応の状態を変える。 その時の生理対応が妥当であれば「平」であるが、対処の度合いに過不足が生じれば、皮 膚の状態に何らかの観察要素が発生する。 その要素を難経十三難は「数、急、緩、渋、滑」と、分別している。 大気の変化を皮膚が捕らえ情報として体内に入力し、そこから生理対応をおこしてその対 処の様相を皮膚の表面へと表現するに至るプロセスは、どういったものなのか?今回のテー マとしている動脈の解剖学的構造から考える。 動脈の構造 動脈はその中膜の構造から弾性型動脈と筋型動脈に区別される。中膜に弾性繊維が多ければ 弾性型動脈、平滑筋層が多ければ筋型動脈である。心臓に直接繋がっている大型の動脈は弾 性型動脈で、その分枝の特に腕、脚、頭部、体幹の外層はすべて筋型動脈となる。 弾性型動脈 弾性型動脈と筋型動脈の配置の理由 弾性型動脈は胸郭と腹腔内部にのみ存在する。筋型動脈は四肢、頭部、体幹の外層である。この配置の違いの 最も顕著な差は、外環境の影響である。ただし頭蓋骨内部も筋型動脈であるが、外環境の影響は含まれない。 頭骸骨内の全ての動脈が心臓より上にある脳へと、血液を吸い上げるポンプとして中膜の平滑筋を動作させる。 それに対して四肢や頭部と体幹の外層の動脈は大気の変化、それと同時に骨格筋の動作も外環境の影響に含ま れる。そのうえで特に皮下の動脈は大気の変化のみの対処となる。どんな細動脈であっても平滑筋層を持ち、 拡張と収縮によって対応している。 大気の変化への皮膚の具体的な対処 温度 温度にはまずは毛穴の開閉で対処する。人体は恒温性なため常に体温が産熱される。その体温を気温が高いと 毛穴を開いて放熱し、低ければ閉じて蓄熱して体温を一定にする。そしてその毛穴を閉じる動作にエネルギー を使う。エネルギーは血液で賄うので、毛穴を閉じるには皮下の細動脈を拡張させ血流を増やして養う。とこ ろがこれでは問題がある。皮下に血流が集まることで、皮膚から大気に伝導して体温が直接逃げてしまう。そ こで微細な神経受容器の調節で、毛穴の動作を養う細動脈は拡張し、それ以外の皮下の動脈は収縮するという 状態を起こす。同じ交感神経のノルアドレナリンの伝達ながら、各細動脈の受容体のα1とβ2の使い方の違い で、この相反する状態を起こす。 末端手前までの血流と神経伝達は同じなのである。しかし最末端につながる細動脈の受容体の選択で、端末器 官の動作が決定される。 東洋医学でいう養う「栄」と守る「衛」の区分である。 ところで温度への対処は皮膚だけでがない。あまりに寒ければ全身の骨格筋が産熱のために等長性収縮をする。 その筋肉動作への保養として動脈を拡張させ、そのときの産熱を体表に廻して寒気の侵入に対抗する。寒さが 過度であると体表に廻した血流が多く、その多さで赤くなる場合である。この体表が赤くなるのは風邪や運動 などで生理動作が更新してもおこる。 普通に寒ければ皮下動脈は収縮するので体表は白く、暑ければ放熱のために皮下動脈が大きく拡張するので赤 くなる。 湿度 湿度も基本は毛穴の開閉である。湿度とは空気中の水分の割合だが、生体にとって重要なのは湿気である。 つまり人体が大気からの湿りや乾きをどう感知したかで、そのうえで気温との相関が必要となる。湿気があ るもしくは高いとは、毛穴からの蒸散による排熱効率の低下具合である。だから皮膚は大気から湿性を感じ ると、毛穴をより大きく開く。ただしこの毛穴の蒸散量を増やして排熱効率の低下に対処するのは、高温多 湿という条件のみである。人体の皮膚機能は低温多湿には全く対応はできない。低温であっても多湿であれ ば、毛穴を開いて蒸散料を増やしてしまうのである。そのため低温であっても体温は排熱される。この状態 を底冷えという。この底冷えには毛穴を開いて排熱しながら、筋肉は恒温を下げないよう産熱する。窓を開 けたままの暖房と同じなのである。産熱とはカロリーの燃焼だから運動と同様で、底冷えを我々が恐れるの は、何もしていなくても体力が奪われるからである。細動脈の動作は毛穴への血流を減らし筋肉へと集める。 しかしこれで賄えるものではない。低温多湿は人類が進化したアフリカにはない気象なので、人体の耐性は 低い。そこで必要なのが衣類や空調や住居といった文明であるが、産熱で体力が落ちれば不調は免れない。 筋肉の産熱能力は落ち、毛穴は閉じず、寒気の侵入は皮膚を超えて筋肉までにおよぶ。拡張した動脈は排熱 防止で収縮へと転じ、その時に体表は青くなり、排熱防止の収縮でも間に合わない場合は生体としての色が 失われて黒みを帯びる。 気圧 気圧という考え方は古典にはない。中風という考え方の一部にその片鱗が見える。 四十九難には「色は赤。病は身熱で脇下の満痛。脈は浮大で弦」とある。
これらを気圧で考える。 気圧つまり地表の大気圧というのは、100kmの上空まである空気の重さが1m²あたりに10tがかかった状態で ある。 それを1013hPaといい、体にかかる圧力が1hPa変化する と体表面1m²あたり10kgの違いが起こる。980hPaの台風 が来た場合、体表の面積が1.5m²とすると、約500kgの圧 力が減少する。生体はこの1013hPaを標準として血流の 運営をするが、気圧が下がった時に体表や四肢の動脈が 緩んで脳への血液量が減少する。つまり気圧が下がった ことに何もしなければ、脳は虚血となるのである。なの で四肢や体表の動脈を収縮させて容量を減らし、脳内へ の血流量の確保を行う。 動脈は太さを変えて血圧の安定に務めている。血圧は心臓から脳に血液を送り挙げる圧力だから、気圧 の変化を皮膚は敏感に感知してその情報を延髄へと伝え、素早く全身の動脈の太さを変えて血圧数値を 一定に保ち、血流量を確保する。特に先陣を切って脳への血流確保に務めるのが、大動脈弓から上で血 流を共にする腕の動脈である。天候が変わる前に手の痺れや重さや冷えなどが起こるのは、腕の動脈が 急いで収縮したためである。このやや強引な押し縮めが血液の流れを抑え込むので、脈は固くなって手 首の橈骨動脈拍動部が弦脈と言われる様相を示す。また直後に下肢と全身の表層の動脈の径が縮む。そ れでも足りなければ骨格筋が収縮してさらに動脈を圧迫し、足りなくなった大気からの圧力を補う。気 圧の変化に対して人体は、血圧で対応している。 しかし
気圧も単独ではない。 気温と湿気に対応しながらの気圧である。暑くても寒くても、 低湿でも高湿でも気圧は上下する。 高温多湿で毛穴は開き筋肉も弛緩していれば、四肢や体表の動脈は収縮して血流量を減らす。そこに気圧の低下 が起こり、しかもその時の体調では対処しきれないほどの低下の場合、動脈の収縮が急激になってしまい体幹 内や脳へと廻った流量は過剰となる。まずは心臓へもどる静脈の流量が増え、心臓の収縮運動を圧迫する。そ の圧迫に抵抗しながらの収縮運動で吐出された血液は、まだ静脈血のまま肺へと流れ込む。一瞬で肺の許容量 を満たす血流は、パンパンに膨れ上がった肺胞でガス交換をして動脈血となり、過剰状態の血流をこなしてい る心臓へと再度流れ込む。この一連の時に脇下の満痛が知覚され、体幹内部の血流量増加が身熱を起こす。 そして再び圧迫に抵抗した収縮で、動脈血は大動脈弓へと送り出される。しかし下肢や体表は末端の動脈の収 縮によって血流を制限していて、体幹内の血流は増加している。下行大動脈は血流の分配が遅れて詰まったよう になっていて、そこに動脈血が心臓から吐出されれば大動脈弓内の圧力は高まる。大動脈弓内の圧受容器はそ の高さを感知し、同時に頸動脈洞の圧受容器は大動脈弓と頸動脈洞の圧力差を感知する。そしてその差を減ら す生理動作で内外の頸動脈や椎骨動脈は太くなり脳内血流は急激に上がる。増えた血流は脳内温度を上げるた め、頭部の表層動脈を太くして血流を表面に逃がし放熱を促す。このときに顔は赤くなる。同時に頭部と血流 を共にする腕にも動脈血は流れ込むが、低気圧の影響で動脈は収縮傾向にある。狭い管に無理に流れた状態が、 浮や大の脈を診せる。この状態が、熱中症や脳卒中への進展となる。 脈状の区分 置かれている環境に対して人体が、今現在でどの様な生理対 応をしてるか、その状態を知る手立てが脈に現れる。 大気の三大要素は常に変化し、生理活動はホメオスタシスの 安定に終始する。その様相が脈状であり、対応時の人体のコ
ンデションによって、より多彩な脈状を表す。 本来人の体には「平」という状態があったとされている。それは時折見かけるあまりに丈夫な人から推察さ れたものだが、アフリカ発祥の人類が温帯域に住むことで失われた。気候が変化し季節が移ろう不適合な環 境が、未だ原始の色濃い人のホメオスタシスを常に脅かすからである。そのため季節では季節の対応をする。 その対応の様が春の弦、夏の洪、土用の代、秋の毛、冬の石である。脈状で区分を観測できたのだから「平」 ではない。熱帯発祥の生き物が温帯の季節という大きな変化に対処できた、これ以上のない健康状態という ことで古典では正脈とした。旺脈などは健康な肉体が、変化する気候に対処して正脈の状態を維持し続ける 様相を表している。つまり温帯に生きる人間は濃度の差こそあれ、全員が病理の状態にあると言える。 治療家が病態を診察するのは、今どれほどの状態か、まずはそのことを知る手立てがあり、その上で病源を 知る手立てである。そして治療家側の営みとして、経験や学習から病源への対処法を身につけるのである。 特に古典が記された時代は、病の現状以上に予後や展開が重要であった。大したことのない状態が重篤なも のになるケースもあれば、生死の危機が一晩で寛解するケースもあった。症状だけにとらわれず、正確にその 病態を把握する手段として、診察法が発展したでのある。 十三難では脈と尺が同じであれば相応とした。つまり人体 が起こす病理のグラデーションのうち、脈と尺が同じであ ればその病性は薄いものと判断できる。脈状は多彩であり 色の判断も客観視は難しい。十三難の脈状だけでも急や大 や浮は区分が被っている。被っている上での区分をどう扱 うかという説明は、どこにも書かれていない。なのでまず は脈と尺が相応であれば、それは温帯の変化する気候とい う環境に適応している範囲として、特に他の脈状や色など は重視せず、薄い病性への治療で良いものと考える。そこ で脈と尺が織りなす「数、急、緩、渋、滑」とは何か?尺 とは皮膚が対象であることから、大気の三要素に特化して、 その外部情報の入力から人体機構で考えて行く。 大気の三代要素の人体への影響を考える上で、三つの条件を同時に捉えるだけでなく、 常にこの三つが移ろうことも想定しなければならない。 例えば各季節の三要素は違う。 春は三要素の変化が激しい。その上で気温は日ごとに上昇へと移ろい、共なって湿度も上がる。 冬からスタートする春は、低温低湿で気圧は高い状態から気温と湿度の上昇と気圧の低下の対応が起こる。毛穴は開 き皮下動脈は拡張する方向に、しかし筋肉は収縮の動作となる。ただ始めのうちは冬に近い気候に戻るため拡張と収 縮は少ない差で行き来するが、気圧が低めの状態は増えて行く。気圧が下がっていることで筋肉は収縮していること が増える。その上での気温と湿度の上昇となり、筋肉の産熱量の増加をベースに毛穴の開閉で状況対応をして行く。 気温と湿度の上下が共なっているため、温度が上がれば大きく毛穴を開いて蒸散し、下がればできるだけ素早く閉じ ることとなる。この皮膚の感知と対処のループの速さが毛穴の開閉を疲れさせ、開閉量の揃わないキメの乱れた感触 となる。その上で筋肉は固いまま、長く低気圧が続けば疲労する。皮膚の下は固い筋肉が張り、その上にキメの揃わ ない皮膚が乗る。これらを尺膚で診たときに「数」と区別される様子となり、同時に全体では気温と湿度の上下から 飲食に乱れが生じ、気候の変化への対応は慌ただしく、そしてその対応は六腑の負担となり体へと巡らす養分の消化 が間に合わず、脈の拍動は送り出し優位となって、橈骨動脈拍動部の脈状も「数」となる。しかしこれは気候への対 応にやや疲弊した状態のため、病とはならない。脈と尺は相応となっている。 夏は気温と湿度は高くて安定だが、気圧の変化がある。 常に毛穴と皮下動脈は弛緩し、体温は放熱状態にある。そこに高気圧がくれば筋肉は緩み睡眠と同じ生理様相となる。 しかし夏は急な気圧の低下が起こる。高い気温が大気を大きく対流させるためである。気圧が下がれば筋肉は収縮す るが、外気が気温37度、湿度80%であればその収縮時の産熱は余分であり、しかし蒸散されても放熱されず、発汗と なる。こうなると風などで外的に体を冷却するしかなく、そうしなければ恒温を超えた温度の血流が脳へと向かって 過熱となり、脳は温度を下げるために筋肉を弛緩させるが、そうすると血圧は下がり脳への血流量は減少する。その ため全開放されたままの毛穴の下には、緩い硬さをフレキシブルに微調整し続ける筋肉がある。この毛穴を開放しきっ て薄くなった皮膚に微調整で歪な筋肉の手触りの尺膚が「急」である。脈は心臓が脳への送り出しを優先した立ち上 がりの早い脈となる。その心臓の送り出しの影響が現れた脈状も「急」である。 秋は春と同様に三要素の変化が激しいが、逆に気温は徐々に下がり、湿度も下がって行く。 秋は春と逆となる。気温と湿度は下がり気圧は高まる傾向にある。毛穴は閉じることを優先され、閉じた毛穴からの 蒸散量は減り、低い湿度から皮膚の表面は乾き傾向となる。高い気圧が増え筋肉は弛緩する。表面が乾き毛穴を閉じ て厚くなった皮膚が緩い筋肉の上に乗る。尺膚は滑りの渋い手触りの「渋」を現す。まだそれほどの寒さではないこ の時期での高気圧は筋肉の緊張量が少なく、動脈が受ける圧迫も減る。同時に心臓は平穏に拍出し、動脈はそれを受 けて膨らみ自然に任せてしぼむ。そのため脈状は引き下がりの遅い脈「渋」となる。 冬は気温と湿度は低く、気圧は高めで安定している。 毛穴は閉じ、皮下の細動脈は収縮し、筋肉は基本的には産熱としての収縮状態にある。気圧は高いために全身の筋肉 全ての収縮は必要とはせず、冬の低い気温には衣類や暖房で対応するため、急な気圧低下がない限り春のような硬さ はない。むしろ水分量の減った皮下が引き締まった感じにさせる。毛穴はしっかりと閉じ皮下は薄く、筋肉は張りの あるしまった感じで、尺膚はツルっとした「滑」となり、産熱のためにある程度の緊張がキープされた筋肉は、動脈 に軽い圧を加えているので、脈状は引き下がりが早い「滑」を現す。 気候の移ろいへの対処の様相が、 尺と脈の状態に現れる。生体が健 全な上で、多彩で素早いその変化 に対応し続けている。全身を使っ たこの対応は双方が一致していれ ば病ではないということとなる。 尺と脈が違ったとき生体は特殊な 状態であるとみなし、そのとき初めて顔色を見てその意味を伺い、 脈状を細かく分析して病の内容と 度合いを知る。 診察対象の発生の理由まで理解し て「工」と言われる技術者となる。