2019-3/17 難経の脈、構造と解説-4 加藤秀郎 十八難曰. 脉に三部が有り部に四經が有り、手に太陰と陽明が有り足に太陽と少陰が有る。上下の部と爲す。とは何を謂うか. 橈骨動脈拍動部には三寸の長さがある。指三本を添えた指の場所をそのまま三部に置き換えられる。その三部のそれぞれに四経あるという。3×4=12だからである。 さらに手に太陰と陽明が足に太陽と少陰が有るという。そしてそれが上下を為すというのはどういう事かという問いかけである。 然り、手の太陰と陽明は金也。足の少陰と太陽は水也。 三陰三陽論と五行論の連結の確認である。この時代にはすでに当然のことをあえて確認している。実は手の太陰と陽明は金ですよと言う確認ではなく、現在(難経の時代)医学での五行では金と配当されているものの内容的性質は手(天)の太陰と陽明ですよ、という黄帝内径以前の医学との符合の確認だと思える。水は足(地)の少陰と太陽。 金は水を生み、水は下に流れて行き、而(そう)して上るは不能す。故に下部に在る也。 足の厥陰と少陽は木也。手の太陽と少陰の火を生む。火炎は上行し而(そう)して下るは不能す。故に上部と爲す。 手の心主と少陽は火で、足の太陰と陽明の土を生ず。土は中宮を主る。故に中部に在る也。 此れ皆、五行の子母、更に相生の養者也。 脉に三部九候が有るは各所の主は何か。 然り、三部は寸と關と尺也。九候は浮中沈也。 上部は天に法し胸以上で頭に至るの疾の有るを主る也。 中部は人に法し膈以下で齊に至るの疾の有るを主る也。 下部は地に法し齊以下で足に至るの疾有るを主る也。 審(細かく見きわめる)し而(そう)して刺する者也。 人の病に沈滯(たい)して久しく積(しゃく)聚(しゅう=集)が有る。切脉にて知るは可か。
然り、診して右脇に在りて積氣を有すは、肺を得て脉は結。脉の結が甚(はなは)だしいければ則ち積も甚(はなは)だしい。結が微す れば則ち氣も微。 診して肺の脉を得ずれば右脇に積氣を有するは何也。 然り、肺脉の雖(これ)を見えずれば、右手の脉は沈伏に當(=当;あた)る。 現代の六部定位の左右の配当らしきものが見られるのはこの箇所だけである。 其の外(ほか)に痼疾(こしつ;いつまでも治らない病)も法は同じか。將(それとも)異か。 然り、結は脉の來去で時一止みて常數が無きを名が曰く結也。 伏は脉が筋下を行く也。 浮は脉が肉上に在って行く也。 左右表裏、法は皆が此れの如く。 假に令すれば脉の結伏は内に積(しゃく)聚(しゅう=集)が無き。脉の浮結は外に痼疾(こしつ;いつまでも治らない病)が無き。積聚の有るは脉が結伏 でないものは痼疾(こしつ;いつまでも治らない病)が有る。脉が浮結でないものは脉に爲(お)いて病に應ぜず。病に應ぜぬ脉は是に爲(お)いて死 病也。 素問 三部九候論篇 第二十 三部と九候の部位 上部の天は、両額の動脈なり.頭角の気 上部の地は、両頬の動脈なり.口歯の気 上部の人は、耳前の動脈なり.耳目の気 中部の天は、手の太陰なり.肺 中部の地は、手の陽明なり.胸中の気 中部の人は、手の少陰なり.心 下部の天は、足の厥陰なり.肝 下部の地は、足の少陰なり.腎 下部の人は、足の太陰なり.脾胃の気 三部九候、皆相い失する者は死す. 上下左右の脈、相い応ずること参じ舂が如き者は、病甚だし. 上下左右相い失して数うべからざる者は死す. 中部の候、独り調うも、衆蔵と相い失するは死す. 中部の候、相減は死す、目の内陥る者は死す. 九候を察するに 独り小なる者は病む.独り大なる者は病む.独り疾き者は病む. 独り遅き者は病む.独り熱き者は病む.独り寒き者は病む. 独り陥下する者は病む.
左手を以て足の上、上 踝を去ること五寸にしてこれを按じ、 右手足を庶て(もって)踝に当ててこれを弾く.其の応五寸以上を 過ぎて、蠕蠕(じゅじゅ)然たる者は、病まず.其の応疾く、手に 中りて渾渾然たる者は病む.手に中りて徐徐然たる者は病む. 其の応上五寸に至ること能わず、これを弾きて応ぜざる者は死す. 其の治すべき者を奈何せん?
経の病なるは、其の経を治す.孫絡の病なる者は、其の孫絡の血を治す. 血病にして身に痛みある者は、其の経絡を治す. 其の病なるは、奇邪に在れば、奇邪の脈は、則ち之を繆刺す. 留痩移らざれば、節してこれを刺す. 上実し、下虚するは、切してこれに従う. 其の結絡の脈を索めて(もとめて)、刺して其の血を出だし、以てこれを見わし通す. 瞳子高き者は、太陽不足す.戴眼なる者は、太陽已に絶す. 此れ死生を決するの要、察せざるべからざるなり. 手の指及び手の外踝の上五指に鍼を留む. 天地人の再考 ‘天’‘地’‘人’は、世の森羅万象を3つに分けたもので、これを‘三才’と言います。 ‘天’とは、自然が持つ定石的変化で、あらゆることの基準。 ‘地’とは、天という基準から作用を受けて、自然界の状況や環境を起こす働き。 ‘人’とは、天から作用を受けて反応した地の様相と、逆の反応をして人体はホメオスタシスを起こしている。 これらは単独で考えるものではなく、2つ組み合わせて 天と地 「天が作用し、地が反応をした」という様相。 天からの作用を「陽気」といい、この陽気を受けて地が様々な反応をするという、内在された性質を「陰気」 といいます。日が昇って明るくなり沈んで暗くなる。長く強く当たれば地表の温度は上昇し、植物は芽吹き繁茂 する。この「陽気に対して地の陰気が反応する」は、陽気の作用量が増えれば地の反応は亢進し、減れば衰退 します。この亢進を「陽」、衰退を「陰」として、我々がとらえる最も大きな陰陽の一つ「時間」となります。 夏は陽、冬は陰、昼は陽、夜は陰がそれで、時間の変化で様相が把握できます。 天の作用は下へ、地はその上から受けた作用に従って反応する。この関係性を「上下論」といい、もう一つの 大きな陰陽の「空間」となります。 大きさや移動距離など空間の変化で状況の把握ができます。 地と人 「地が反応し、人が逆の対応をした」という人体の生理 「天の作用が大きいと地の機能が亢進し、小さいと衰退する」という地の性質に対して「暖まると機能が衰退 し、冷ますと亢進する」という人の性質の比較です。人が一年を通じて昼夜を問わず活動できることの原理です。 外の環境がどうであろうと体内は一定であるという状態の把握です。それは生理のうちの「代謝」を示します。 地の反応変化に対して代謝量を変えて逆の対応をする。この対比を分析する方法を「左右論」といいます。 右を基準にして左を、左を基準にして右をという比較が可能です。 天と人 人体が「地の反応と逆の対応ができる原理」 人が必ず持つ成長や老化や寿命。生きて行くという活動をする人体の性質と、体外環境と人体の中核の相互連 絡の関係性です。 体内の五臓を臓器というカテゴリーから拡げて、五行の相生相剋というエネルギーループに当てはめ、生きる という活動様相や成長や老化や寿命といった生理状況の把握をして、人体内部の働きを対外的に言語対応でき るようにする捉え方です。 内と外の交流による考え方、上下、左右に対して「前後論」と言います。人の意志や感情は前方へ向かい、情報 は内へ(後方へ)と向かうと考えます。 実はこの天地人という考え方は「自然界の中での人体」を、 観る方法でした。つまり人体が大自然にあって外から五臓とい うものを想定して、体内生理がどのように動いているかを捉え ていました。 ところがこの考え方をそっくり人体に入れてしまったのが、素 問の三部九候と思われます。 天・地・人という言葉で人体を測ろうとした記載は他にな く、かなり特別な観点であるといえ、難経を遺した人はこの 三部九候にある特別な観点の意味を読み取って、黄帝内経を集 約する書物を作る動機の一つにしたであろうと考えています。 天地人を体に入れるとはどういうことかと言うと、組み合わ せのうちの「天人」の細分化、外から五臓を考えるのではな く、五臓側から外を見ると言うものです。 そのためには人体を物質である肉体と、生理動作する生体とに分ける。 体内に入れた天地人とは、 天;人体のうちの、外的影響を物体として受けている状況 人;人体が物体として影響を受けたことに対して、生体がどのように働いているか 地;人体の状態の、安定を保つために命がどうに動いているか 難経の十八難に 天人地を上中下に分け、天を頭頂から胸郭までの病とし、記載はないが上焦と同位。 人を胸郭から臍までの病とし、中焦と同位。地を臍から足までの病とし下焦と同位。 ただあくまでも記載は“疾”とあり、疾とは急性疾患や医療側が多覚的に認識しやすい病状を意味します。 つまり症状が胸郭より上部にあり、肉体が物質的な意味合いで外環境からの作用に対して、状態破損を起こした 疾病様相を「天」という言葉で限定しています。 また症状が胸郭から臍までで、生理動作が状況対応し切れていない様相が「人」、 臍から足までの症状で、人体が持つ性質そのものがすでに状況対応できないものが「地」です。 この記載は生理か病理かというより、外環境に対しての人体内の様相のピックアップであり、難経以前のそれま での医学であった外からの観察から、五臓を命の動きと想定してその五臓視点から、体外と対峙する医学を発 想したその視点移動を十八難では説明をしているのです。 素問の三分九候では上部を頭とし、額を天、耳前を人、頬を地とし、それぞれの脈動で観察しました。脈から 読み取る対象は頭角、耳目、口歯です。天を精神、人を情報収集、地を飲食の状態としたのです。 中部は腕として、天を太陰(太淵)で肺、人を少陰(神門)で心、地を陽明(合谷)で胸中の気。 下部は足として、天を厥陰(太衝)で肝、人を太陰(太白-公孫)で脾胃の気、地を少陰(太谿-大鐘)で腎。 おそらく素問編纂当時も、天地人を人の体に当てはめたこと、診察ポイントの多さや唐突に五臓と連結されて いることなどから三部九候の意味を理解する人は少なく、この一編に記載されているに過ぎません。 しかしこの記載を読んだ難経の著者は、頭と体に分け、頭には五臓を記さなかったことや、体を腕と脚に分け経 絡に従って配当された中部と下部の五臓に三焦との共通性を見出したことに、黄帝内経までとは違った観点を 見つけました。体を五臓とそうでない箇所に分けるという考え方です。 この場合、上部は頭ですが、それは心の働き、飲食の摂取、情報の獲得といった内外の交流を見立てたものです。 それと五臓に駆動される体を分けたのです。上部が示していた頭部を体表と置き換え、外と交流する器官とし、 さらには物体として外環境の影響をそのまま受け入れる箇所と考え、上部全体を天としました。 ここから十八難の三部九候がスタートします。上部を横隔膜まで範囲を広げ、上昇の要素を取り入れ心と肺を配 当し、外気を直接吸入して外からの干渉を物質的に直接受けると考えます。 呼吸は随意不随意関係なく行えますが、時に吸気は自覚的にも行えることから 本来の働きと自覚性から地と人の臓を配当し、呼気は吸入して膨らんだ体が 縮む力で勝手に吐き出せることから、物質的な範囲と考えました。 吸気は随意、呼気は萎む力で自然にという物質と生理という関係性に呼吸数と脈の拍数なども取り入れて 難経での「五臓から見た生理学」が発展し、その記載は随所にあります。 体の物質的な範囲である、温めればただ温められ冷やせば ただ冷やされる状態。その状況や様子の収集と対応の働き を「衛気」という想定モデルにしました。 霊枢の営衛生会篇で下焦から出るとしたことが、三焦が単 なる三層分類ではないという認識であったあことが判りま す。人に熱が有り,汗を則ち出す。これらが衛氣の不循で あり、物質の範囲に対して生体がただ温められたことに対 して冷やしたり、ただ冷まされることに温めたりを、衛気 が循環しないことで適切にできなくなったということです。 五臓から外を見たとき、まず最初にあるものが三焦です。 霊枢にもしかしたら素問からの引き継ぎで、物質と生体を分ける認識が伝わっていたのかもしれませんが、 冷えたり温まり過ぎれば温めたり冷ましたりする生理が人体の性質としてなければ、衛気が下焦から出る とはならなかったと思います。 衛気は働きでありながら濁とあり、対して栄気は清とありながら血を為すとあり、人体が持つ複雑な要素 にどうにか対応しようとしたことが伺えます。 その複雑さを難経は、肉体を物質と生体とに分離したことで整理したであろうと考えています。 物質である器の肉体の天と、その中に収まる五臓の地。その五臓の働きを器と相互交流させる内容物の人。 その五臓の相互交流の 天へと登る作用のうちの、下から中を木である足の厥陰と少陽、上を火の手の心主と少陽。 内容物の流通内容とした中の下が木の足の厥陰と少陽、中が土の足の太陰と陽明、上が火の手の心主と少陽。 地へと下がる作用の、上と中が金の手の太陰と陽明、下が水の足の少陰と太陽。 本来はただの物体であるはずの肉体に、熱をかけ水で冷ます人の部分の動作。体外環境や肉体の運動量に 合わせて飲食の摂取を変え、季節に合わせて肉体の含水量を変えて外環境に適応する三焦の働き。 三焦は五臓の有能な出先器官であり、難経にあっては生理の中核になりました。 黄帝内経までは五臓が生理の中核でした。しかし単なる想定論にしかならない五行論では具体把握にかけ、 そこで体内水分の変化や熱のかかり具合が触診などでわかる三焦を、生理の中核を置く必要がありました。 最初にそれを目指したのが、素問の三部九候論の著者ではないかと思われます。五行論一辺倒の当時の人 たちに、三焦の有用性を解くために考え出された論説でしたが、その時は試みで終わっています。 素問の三部九候論の形を整理し試みる方法を変えて、難経を成立させる考え方の一つになりました。 この三焦が壊れるかどうかが、五臓の在り方に影響をします。三焦はホメオスタシスそのものといえ、そ の体内環境の維持で守っているものが五臓という命です。五臓は三焦というホメオスタシスを作って自ら を守っているのですが、三焦という働きが成立しなくなったとき、五臓の五行という連結に支障が起きて います。その支障が起こる状態と理由の把握に、物質と生体の区分けが必要でした。そうすることで難経 の著者は、五臓を直接治す方法を伝えようとしたのです。 その発端の一つが素問の三部九候論とその発展の十八難なのです。