99-7/18・難経研究D班
今回のテーマは難経の邪気病因論の最初なため,
まず四十八難をスタンダードに読むと言う事です。

◆四十八難曰.人有三虚三實.何謂也.
人に三虚三実が有るとはどういうことか?
(これは何と何と何で3つなのかということで,T虚Uが先に来ているので傷害を受けた生体側からの考え。つまり各々の虚実で,どんな反応をするかということ。)

然.有脉之虚實.有病之虚實.有診之虚實也.
脈に虚実があり(1例),病に虚実があり(3例),診察に虚実がある(3例もしくは2と2例)。
(一つは脈で大括りに虚実を別け,次に病の形態としてやぶられ方の虚実,もう一つは診の虚実で他覚や自覚の虚実です。)

脉之虚實者.濡者爲虚.緊牢者爲實.(爲:なす。ある事に手を加えてうまくしあげる。)
脈(寸口)の虚実とは,濡(ぬれて柔らかい)は虚で緊(しっかりとひき締ったさま)牢(堅くて動きがとれないさま)は実である。
(脈により濡は虚,緊牢は実という大括りな虚実に別ける。
濡は虚とは,濡脈とは虚証であると言う事ではなく,生理機能が衰退したときの脈の代表で,
緊牢は実とは,生理機能が抗進している状態を言う。濡は虚,緊牢は実と言う以外に,下記の状態で虚と判別されたときの脈は濡であり,実と判別されたときの脈は緊牢だと言う事も解る。)

病之虚實者.出者爲虚.入者爲實.
病の虚実とは,出(内から外へ向かうタイプ)は虚で入(外から内へ向かうタイプ)は実である。
(病の性質としての虚実の診方で,病の形態の初発段階として,内から外へ向かうタイプは虚で外から内へ向かうタイプは実である。)

言者爲虚.不言者爲實.
また,言(「言言」とは、かどばっていかめしいさま。▽一説にかどがたちすぎて、今にもこわれようとするさま。もしくはT言うUとは心から発っせられるものだから,臓から外へ出る自覚的行動?ただよく喋るが虚とすればそれは診察的断定であり病の特徴ではない。)は虚で不言は実である。
(T言Uとはおそらくは正常な語り口ではないという判断で,虚言を意味し,虚のときにその虚言があり実のときはない。虚言とは五臓の生理の虚損で,七神または正気の状態の一つの診方。)

緩者爲虚.急者爲實.
それから緩(ゆるやか。ゆったり。)は虚で急(せかせかと。ゆるみなく追いたてるように。)は実である。
(これは病に対応した組織の性質または反応内容で,この性質を利用したのが次のT診Uである。)

この後はT診Uの内容を紹介したものという解釈で,出来るだけ額面とおりに捉えるようにしたいと思います。

診之虚實者.濡者爲虚.牢者實.
診察の虚実とは,濡は虚で牢は実である。
(切診上の手触りで術者側からの他覚症状の診方。)

癢者爲虚.痛者爲實.
癢(かゆい。もどかしい。)は虚で痛は実である。
(皮膚上の事からの患者側の自覚症状でT神Uを診る事にもつながる。)

ここからはT実Uが先に来るので,邪気病因側からの考え。

外痛内快.爲外實内虚.
外が痛く内が快い(こころよい:しこりがとれて気持ちよい。さっぱりする。)のは,外が実で内が虚。

内痛外快.爲内實外虚.故曰.虚實也.
内が痛く外が快いのは,内が実で外が虚。ゆえに虚実なり。
(この2行は,術者誘発による自覚症状の発揮。そしてT実Uが前に来ている事から邪気が何処にどんな作用をするかということ。)