文京鍼研究会 2016年7月 古典研究 難経六十一難  六十一難 四診(望・聞・問・切)を論じている 書き下し 六十一難に曰く、経に言う、望んで之を知る、これを神と謂い、 聞きてこれを知る、これを聖と謂い、問いてこれを知る、これを工と謂い、脈を切してこれを知る、これを巧と謂う、とは何の謂ぞや。 然り。望んでこれを知る者は、その五色を望み見て、以ってその病を知る。聞きてこれを知る者は、その五音を聞きて、以ってその病を別つ。 問いてこれを知る者は、その欲する所の五味を問いて、以ってその病の起こる所・在る所を知るなり。脈を切してこれを知る者は、その寸口を診、その虚実を視、以ってその病、病みて何れの蔵府に在るかを知るなり。経に、外を以ってこれを知るを聖と曰い、内を以ってこれを知るを神と曰うと言えるは、これをこれ謂うなり。 現代語訳 医学経典では、望診を通じて疾病を知るものを神と称し、聞診を通じて疾病を知るものを聖と称し、問診を通じて疾病を知るものを工と称し、切脈を通じて疾病を知るものを巧と称している。これはどういう意味なのか。 答え。望んでこれを知るとは、体の外面に現れた青・赤・黄・白・黒の五色を望み見ることによって、疾病の状況を知ることである。 聞いてこれを知るとは、その呼・言・歌・哭・呻の五音を聞いて、疾病を弁別することである。訊ねてこれを知るとは、その嗜好する酸・苦・甘・辛・鹹の五味を訊ねて、疾病の起始と所在部位を知ることである。また脈を切してこれを知るとは、寸口の脈を按じてその虚実を弁別し、その疾病がどの臓腑にあるかを知ることである。 医学経典ではまた、証状の外に現れたものから、その疾病を察知するものを聖人と称し、内に病があるが証状がまだ外に現れてときに、その疾病を診断できるものを神明と称しているが、これも前述の意味と同じことを述べたものである。 六十一難は四十八難から始まる疾病の章のまとめであり、軽度から重度に至るまでの前難の説明を四診を用いて弁証せよとのことであり、結論である。  現代医学では総論から各論に話を展開することが一般的であるが、古典においては、総論的まとめが最後にくることが珍しくない。  望・聞は患者が表わすものを受動的に観察する情報収集であり、問・切は術者が能動的に診察を進める情報収集である。  それらの材料によって病態像を構築して治療法を考えることが弁証論治である。後段では聖・神との名称で、アプローチの違いを指摘している。  診断とは病因を知り、病症の経過と現状を知ることであり、望で五色(有形)、聞で五音(無形)、問で五味(無形)、切で寸口脈診(有形)によって知るところのものを提示している。 望診 1神 @得神 A失神 B仮神    2栄養状態と体型    3皮膚の色(五色)    4顔面の状態     5姿勢    6虎口三関の脈    7舌診    8その他 爪・毛髪・大小便 五根 五主 聞診 1患者の声(五音・五声)    2呼吸の状態    3その他の音    4体臭や口臭など 問診 1寒熱    2発汗    3食欲・味の変化    4口渇    5排便    6小便    7出血    8月経    9疼痛    10睡眠    11症状    12その他 切診 1脈診 @脈状診 A比較脈診    2腹診 @上下診法 A五臓診法 B特定腹証    3候背診    4切経 尺膚診 六十二難 ・『霊枢』 『難経』 『甲乙経』 ・経穴治療と非経穴治療 ・病態治療と症状治療 ・難経の五臓診断 ・『霊枢』と『難経』で異なる原穴治療