[花粉症の漢方医学による考察] 相原黄蟹

臨床講座 平成一二年四月一六日 
             
はじめに
当然の事ながら古典には、「花粉症」という言葉は存在しません。
ご存知のように我々が行う漢方鍼では、対症療法では無く、生態を相対的に分析をして、自然治癒力を回復させる治療法ですから「花粉症治療」というような病名治療は行いません。
では、どのような思考方法に従がって診断治療を行えば良いかといえば、生態が現す反応を、陰陽・五行理論に基づいて分析し、気血の虚実に収斂する事によって始めて可能となります。
それでは、先ず陰陽五行論を用いて「花粉症」について整理してみましょう。

一、時間  発症時期が限られているということは・・・?

最もポピュラーな杉花粉を例に取ると、立春を過ぎてから清明の頃までに発症していますが、このことが何を示唆しているかといえば、春夏秋冬の四季の陰陽論を用いて考察する必要があることを意味しています。
春季は、形あるものが温暖の気を得て、空間に出現する季節であり、人体でいえば、冬季の間沈静していた血が活動的になる季節です。
したがって時間論から診ると、形ある陰が活動的な陽の現象を現す過程において何かのトラブルが発生しているのではないかと考えられます。
次に、陰陽理論では、原因と結果が対立していると考えるので、対立する夏季から秋季の時機に原因となる事象を探し出す必要があります。

二、生態内では、何が起きているのか?・・・

自覚症状としては、鼻水・眼のかゆみ・集中力の減退など「津液」に関る症状が特徴として上げられます。
したがって病体を分析把握するためには、「津液」の生理学の知識が必要となります。
ここで注意しなければならない事は、人体を構成する液体としての生理機能について理解しておくのは勿論の事、「津液」が精神活動の源泉と成っていることを常に念頭に置く必要があります。
生体が本来病院とはならない花粉に対して異常反応をを現すのは、防衛システムに何かの齟齬(食違い)がおきていると考えられます。
防衛機能が千変万化する外部環境に適切に対応する能力は、過去の経験の蓄積である「後天の精」と両親から受け継いだ「先天の精」に依拠しています。
したがってこの「後天の精」と「先天の精」が傷つけられたり必要な栄養素が欠損したりすると正常な防衛機能を位地する事が出来なくなり、この様な症状を現すように成るのです。
この精(神)の損傷の経緯を前項に述べた時間論の考え方を加え植物を例に挙説明すると、春季は前年の活動状況成果を凝集させた種が、水と熱の作用を得て発芽発根するわけですが、ところが精の損傷した不良な種は同じ環境下におかれても正常には生育出来ません。
これは種が形成される夏季から秋季にかけての時期に、日照時間・気温地温・降水量・栄養分などが適量より多すぎたり少なすぎたりしたことを意味しています。これを人体に当てはめて考えて見ると、十分夏季の陽射しや熱さに身を曝したか?
そして十分発汗したか?必要以上に体を冷やす飲食物を摂取しなかったか?などの点について調べなくてはなりません。
この様な結果から導き出されるのは、夏季の陽気の感受発揚が十分に行われなかったことにより、陽気が動き出す時期である春季に正常な機能を発揮出来なくなったということです。
これはつまり、陰の気が、寒によって傷つけられた事であり、血の働きの部分が侵されていることを意味しています。

三、治療の方向性は・・・

前述したように生態にとって必要な要素が欠損しているわけですからその要素を補充しない限りこの「花粉症」という症状は消失しません。そしてその必要な要素が季節という時間が関与しているので一年二年といった長期的治療計画をたてなければなら無くなります。
症状が現れている時期は、全身の水分代謝を調節するため三焦の生理機能を整えることを目的に治療します。
当然の事ながら、症状は一時的には消失あるいは軽減しますが、決して治癒する事はありません。
病の本体を治療するためには、症状が出ていない夏季から秋季にかけて治療しなければなりません。
基本的には、陰の気が冷えているので体を温める治療を行います。
当然普段口にする飲食物についても、体を冷やす働きを持つものは避なくてはならないのですが、なかには特定の飲食物にアレルギー様反応を表す人がいルのでその点についても注意をする事が必要です。

四、まとめ

*個別の治療は、患者さんの症状を四診法によって総合的に判断して治療の証を立てる事。
*特に皮膚・気息・眼望の状態には注意を要する事。
*症状に振り回されることなく、時間をかけて生体を暖めるのを目的に治療する事。
この様なことを考慮しながら普段その他の患者さんと同じように治療することが大切です。

補完資料 

1,「後天の精」と「先天の精」

「後天の精」と「先天の精」について論述する前に、いくつか押さえておかなければならないポイントがありますので、先ず基礎的なことから準じ述べて行くことにします。

「構成要素」

我々が行う漢方医学のベースである古代中国哲学における自然観はこの世界を作用/時間的要素と物質/空間要素の二の意味を持つ宇宙という言葉で表現し、そしてそれらはすべて「気」というものによって構成されていると解釈しています。
更に、その「気」は、「気」というエネルギー的な要素・「形」という物体的な要素・「質」という性質的な要素の三つの異なった面を内在していると解釈しています。
この考え方は、当然人体という生命を扱う医学の分野においても同様な理論展開を適用することができ、また同じ法則性に準拠する事から人体を「小宇宙」と称し、「天人合一理論」として有用されています。

「気」と「血」

人体の構成要素による分類方法のなかで最もポピュラーなのが、「気」と「血」による分類法です。
それでは「気」と「血」による分類法は、どのようなコンセプトに基づいて行われているのでしょうか?
それは生体を構成している「気」を陰陽理論にしたがって二のタイプに分類する数種の方法のなかから、形の有無と性質という点に主眼がおかれた分類法です。
この「気」と「血」による分類法は、極めて広範囲にわたって使用する事ができるという利点とは裏腹に、言葉の持つ具象的印象から受ける普遍性が、関係する事象によりその立場を転々とする相対的思考方法を阻害し、柔軟な発想を鈍磨させ、意思を固着させてしまう可能性が極めて高いという欠点をも併せ持っています。
この様な思考の落とし穴に足を踏み入れないようにするためには、先ず現在自分自身が何に着眼しているのかを明確にし、その事象に関係した要素を列挙し、階層別に整理をするという習慣を身につける必要があります。

具体的な要素としては、
時間(太陽の昼夜・月の満ち欠け・地球の四季)、自然界の陰陽リズムに人体がシンクロナイズドしているか?
位置(臓腑・経絡・組織・器官)、
物体としての空間位置を意味する方向(外フ内・上フ下・左フ右・前フ後・エネルギー⇒働き⇒物)、
時間の経過と共に移ろうエネルギー・性質・形などの変化を意味する性質(動か静か・寒か熱か・興奮か鎮静か・盛か衰か・満か虚か)、
顕在化している現象(形態を当して機能を表現する)、
と潜在する能力と振る舞いを意味するなどがあげられ、更にこれらの組み合わせによって現象を性格に分析し把握することが可能となります。

「精・気・神」

先に述べた「気」の三つの要素を人体に当てはめてみると、
すべての生命現象を生み出すエネルギーの要素を持つのが「気」(ここでいう気は前述の気とは意味合いを異にする)といい、生命現象を育む器としてまた表現媒体としての要素を持つのが「精」といい、すべての生命現象の根幹となる作業内容に関する情報(現在でいう遺伝子のゲノムに近いもの)の要素を持つのが「神」という。
上記のごとく説明上三分してはいるものの、実際は三身一体であり単独では存出来ず、お互いに補完しつつ、状況に応じてその姿を垣間見せるのである。
なぜこのような考え方が必要になるかといえば、状況に応じて異なる現象をすべて「気」で表現すると誤りではないものの、それでは収集がつかなくなるので、目的別に名称を変え、そこに内容をも意味付けることにより理解の助けとしたのでしょう。
ややもすると現代の我々にとっては、つい名詞の数だけ「気」があるような認識に陥りやすいのですが、この様に陰陽理論に基づいて正確に整理をする事によって使いやすくしかも論理矛盾を引き起こさない分析法として有用となるはずです。
それでは具体的にどのような形で用いられているかを例をあげて説明してみる事にしましょう。
個々の内容については前述の通ですが、漢方医学書や研究会などでは、「精気」・「神気」・「精神」というように
二の要素を組み合わせて用いられている事が多く、またその包含する意味合いも微妙に変質していることに気づかされます。

*「精気」(精という作用を実行する能力)は

腎臓の正気として用いられますが、どのような意味合いを包含しているかは、腎臓の生理機能を理解する事で理解していただくことが出来るでしょう。
その生理機能の概略を述べると、全身各所{臓腑・組織・器官}の活動内容を能力のエッセンスとして腎臓に貯蔵し、一旦事ある時は緊急事態に対応すべく蓄積していた、本人や祖先が獲得していた問題解決能力を発揮します。
またこの厳しい自然界において種が生存をし続けるために、その問題解決能力を「精子」や「卵子」という次代への「先天の精」として収蔵し継承されて行くのです。

*「精神」は、

一般に感情のような心の動きのことだけを意味する事が多いのですが、漢方医学で用いられるときはもう少し発展拡張させ次のような要素を包含していると解釈しています。
全身の感覚器から得た種々の情報→オペレーティングシステム→データベース→オペレーティングシステム→情動などの種々の反応という一連の情報処理過程のすべてを「精神活動」と総称しています。
つまり個々の情報を認識し、過去の事例と照らし合わせ、現在置かれた環境条件下で最善の判断を下し、その方針に基づいた反応を現出させるための命令を下すということです。
ここで「個々の」とあえて限定しているのは、前述したように「気」はすべての生命活動の源泉となるエネルギーであり、特定の個としての要素の意味合いを保持していないのに対し、「精」は構造体における部位とその機能や性質を結合させて具体的な名称を獲得する事で空間的な要素を保持する事になります。
つまり「精」という要素が加味されることによって実際の個別の情報処理活動が行われているということを意味しているからです。
またこれらの個々の情報処理を行うために必要な基となる基本的な処理規則となるのが「神」であり、単純素朴な性質と機能を保持しています。
個の「精」「神」の二の要素が結合されて発揮される生命活動がすなわち「精神」ということです。

*「神気」は、

五臓が内包する基本法則となる「七神」の中の心臓に宿る「神」のことであり、その機能を表す「気」と結合させ心臓の生理機能全般を意味すると共に、それぞれの臓が内包する「七神」全体の機能をも意味しています。
ここでは、個々の臓が内包する「神」の性質や機能についての説明は別項に譲ることとし、総論的な内容の説明のみに留めておきます。

「後天の精」と「先天の精」

ここでいう「後天」と「先天」という言葉の意味は、一般的に流布されている意味ど同じであり、両親から受け継いだのか、出生後成長と共に獲得した、体や性格や能力のことです。
つまり「精」には、本人の日々の様様な生命活動によって獲得した生命維持する能力を「後天」といい、両親それぞれの獲得した「後天の精」とそのまたそれぞれの両親:つまり本人から見ると祖父母にあたる人から受け継いだ「先天の精」・・・というように、面々と過去の祖先が獲得してきた記録(遺伝情報)を継承する形態を含む生命活動能力を「先天」というのです。
したがって獲得した要素の違いによって各々個人によってその能力は少しづつ異なり、同じ環境下に置かれても受ける影響や現す反応は個々であり、であるからこそ患者さん個々に対応した医療方針を採る漢方医学が必要となり発展してきたのでしょう。
この考え方に前述の「精」に考え方を結合させたのが「先天の精」と「後天の精」というわけです。
またここで理解をしておかなければならない重要なポイントとして、「獲得した、体や性格や能力」「問題解決能力」に対する認識があげられます。
生命現象を簡略に説明するとすれば、外部環境から「気」を吸いこみ、生理機能という経過を経てその作用として体外に放出される一連の均衡の取れた「気」の呼吸出入のことであると言っても良いでしょう。
この「吸→化→呼」というサイクルを幾度も繰り返すことによって、言語などの知識や情緒・体温調節などの内部環境の平行・免疫機能などの防衛作用・運動機能などの集大成を「精」として蓄積されます。
つまり精とは、空気や食物のように直接滋養するのではなく、筋肉や頭脳白血球などたとえダメージを受けつつも経験を積み重ねることによって、初めて獲得できる能力であることを意味しています。

2,「津液」

漢方医学では、人体内を満たしている水分を総称して「津液」といい、すべての生命現象に関り重要な役割を果たしています。
始めに「津液」の働きについて、物理的・化学的・精神的の三要素に分けて説明しみましょう。

1.「津液」の物理的な働きとしては、栄養物質や老廃物の輸送・体温調整・各臓腑・組織・器官の幇助(ホウジョ:わきから手を出してたすける)と保護などがあげられます。
2.「津液」の化学的働きとして、「気・血・栄・衛」のそれぞれの要素に分けられますが、詳細は別項に譲りここでは省かせていただきます。
3.「津液」の精神的働きとは、感情と神を主る心臓の生理機能と・知能と水分を主る腎臓の生理機能を統合して現されます。

例えば病状からその働きを伺ってみると、感情の乱れによって落涙したり・加齢や恐怖によって失禁したり・
精が損傷を受けると難聴や味覚異常など五幹の異常が現れ・神が傷つけられると涙腺や眼望の異常など、臨床上決して見過ごすことが出来ない症状ばかりです。
また存在する部位とその性質によって「津」と「液」に二分し、前者を希薄で可動性に富み、体内外を出入するためこれを「陽津」といい、後者の濃密で体内の空隙に安定してそんざいするためこれを「陰液」いいます。
また「津液」の生成と循環を理解するためには、時々刻々と変化する外部環境に即応し、各臓腑器官が正常に機能するように内部環境を統御しているのが「三焦」の陽の作用であることを理解することが必要です。
詳細については別項で譲ることとし、個々では省略させていただきます。