‘補’‘瀉’と言う字

補という文字の‘甫’は苗を育てる平らな畑。または長老と年長の男の尊称で例えば孔子のことを尼甫(ジホ)という。ほかに、はじめ。はじめて。がある。それにころもへんが付いて字源形ではとなり{説文解字}では「衣を完(つくろ)ふなり」とあります。また、学研の辞書には「漢方医学で、体内の気のもれ口を、鍼や灸を当てがってふさぐ。」とあります。空欠の官職を任ずることを‘補任’‘補充’といいます。‘甫’であるは苗木の根かためのさいの根をかこむ形です。じつは‘補’と言う文字の‘甫’はで、これは苗木を敷き詰めるという意味です。
あたらに手を加えて、欠落の補間や補充をしたことのようです。
瀉と言う文字のうち‘寫’の字源形はで、これは廟屋を意味すると、儀礼用の履き物を意味するからなります。(せき)はその廟屋に到着するまで履いていた履き物をぬいで、履き替えるものです。必要に応じて移し替えたことの象徴のようで、のちに‘さんずい’を付けて流すの様な意味へと展開され、瀉出、吐瀉などで使われ始めたようです。