難経の解説

『難経』という書物は、二世紀の前半に書かれたものだと言われています。
中国は後漢の時代で場所はおそらくは洛陽もしくは西安だと思われます。『難経』は『黄帝内経』の流れを受けて書かれたものだと言われています。『黄帝内経』は一世紀の終わり頃に完成したと思われますので、その後100年と経たない間に書かれたわけです。

『黄帝内経』と『難経』との大きな違いは、特に『黄帝内経』の中の「素問」は数百年に渡って幾人もの人達が綴った論文形式の文章を「黄帝」の名前を掲げた学派の人達が、紀元前四世紀頃から編集し始めたものだと言われています。に対して『難経』はおそらく一人の人間もしくは一個の小集団によって、それほど長い期間をかけずに書かれたのもではないかと言われています。

その人間というのが‘扁鵲’と言われもしくはその本名の‘秦越人’です。

‘扁鵲’は『史記』という中国最初の個人(司馬遷)が書いた歴史書の〈扁鵲倉公列伝〉という項目で紹介されている周の時代の歴史的な名医です。『史記』の記述をそのまま受ければ‘扁鵲’は400年間も活躍し、当時の中国全土の中を神出鬼没に現れます。当然一人の人間ではないわけで、おそらく‘扁鵲’と名乗る医術集団があったと思われます。この『史記』という書物は紀元前の80年代に書かれたものですが、同じ頃『漢書・藝文志』という本が国命で班固と言う人によって書かれます。これは本の名前とそのジャンルを分けた目録書で、医経の項目に医学書の名前が書かれています。

それが
黄帝内経十八巻、 扁鵲内経九巻、 白氏内経三十八巻
黄帝外経三十七巻、扁鵲外経十二巻、白氏外経三十六巻

です。

現存するものは『黄帝内経十八巻』だけですがこの時代、
黄帝、扁鵲、白氏などの名前を持った医術集団があったのであろうと推察できます。おそらくは‘扁鵲’を名乗る集団がポピュラーであったのではないかと思われます。だから『史記』に載ったのだろうと言うことですが、中心医療の座をかけた‘黄帝’を名乗る集団は、邪気や五行、五臓と言った理論をひっさげて後漢の時代までには台頭していき、現存するに至るのではないかと思われます。
扁鵲内経・外経は現存していないため内容を知ることは出来ないのですが、その片鱗は『史記』の〈扁鵲倉公列伝〉と『脈経』という三国時代の魏国(西晋?)の王叔和と言う人が書いた本で、脈法や脈論,診断例などが書かれているのですが、その中に扁鵲陰陽脈法、扁鵲脈法、扁鵲華佗察声色要訣、扁鵲診諸反逆死脈要訣などの言葉があります。

難経の七難に、
三陰三陽
少陽
陽明
太陽
太陰
少陰
厥陰
王(旺)脉
小大短長
浮大短
洪大長
緊大長
緊細微
沈短敦

冬至の後の甲子の日から六十日間

次の甲子から
六十日間
次の甲子から
六十日間
次の甲子から
六十日間
次の甲子から
六十日間
次の甲子から
六十日間
陰陽離合論篇
陰中の少陽 陰中の陽 陰中の陽 陰中の陰 陰中の少陰 陰の絶陰
とあるのですが、これは扁鵲陰陽脈法の部分にほとんどそのまま書かれています。

『黄帝内経』の流れを受けて書かれたものと言われる『難経』ですが、特に五行論が基本になっていることが特徴ではないかと思われます。五行論は『黄帝内経』の「素問」に色濃く出始めて、「霊枢」のほとんどは五行論で書かれるようになり、内容も含めて『難経』へと移行されます。しかし特に「霊枢」と共通性を多く持つ『難経』ですが『黄帝内経』全体とも合致しない部分もあります。その部分が消失された他の医学書の内容を含んでいるのではないかと思われます。

おそらく‘扁鵲’の名前の『難経』の作者は、
当時すでに中心医療となっていた黄帝を名乗る医術集団の理論の中に、伝統ある扁鵲を名乗る医術集団の考えを当てはめることで、独自の完成を志したのではないかと思われます。
“それが『難経』という書物である”と言えます。

つまり、
外的環境との交流を重視した‘邪気論’と、その有り様を分別する手段としての‘五行論’を基本においた『黄帝内経』の流れを受け継ぎながら、生体内部の変容を重視した‘三焦’‘三陰三陽’をよりベースにしていたであろうと思われる‘扁鵲’を名乗る、周の時代以前からの伝統医学を加味した医学書であると言うことです。
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ところで難経の難とは?
甲骨文ではと言う形ですが、これは(かん)(ふるとり)から成る文字です。
は火矢を意味しは小鳥を示す。儀式の呪的な行為として鳥を火矢で撃ったことを意味しています。
その行為が難しかったのか、はばかる、なやむ、などに意味が入り、難し(がたし)となったようです。
隹の字があることから、扁鵲となんらかのつながる意味があるのかもしれません。
霊枢・九鍼十二原第一の第二章に「小鍼の要は陳べるに易く入るに難し(小鍼之要, 易陳而難入)とあります。
この「難」とは単に難しいという意味でもありますが「難入」とあることから、いまでいう「奥義」というような意味もあります。
この「小鍼」を取り扱うことについての「難」奥義について「経」書きましたよと言う意味の書物かと思います。
ところでこの「易陳而難入」についての解説が、同じ霊枢の第三篇・小鍼解の最初に
「この所に謂う陳べる(並べるの意)に易くとは、言う(たんにやり方だけの手順を述べる)は易く也。難入とは、人に於いて著す難し(実際に体得して出来るようになるのは難しい)也。(所謂易陳者, 易言也. 難入者, 難著於人也.)とあります。
また九鍼十二原第一のはじめの部分に
「余は(黄帝の自指)毒や藥や皮膚をる方法を使勿(なかれ)わぬことを欲っする。石を用いること無く、微鍼を以って其の經脈を通じさせることを欲し、其の血氣を調(ととの)え, 其の逆順出入を會す(合わす)(余欲勿使被毒藥, 無用石, 欲以微鍼通其經脈, 調其血氣, 其逆順出入之會)とあります。
微鍼=小鍼ですが、霊枢の導入部に、生体に負担をかけない小さな鍼で最大限の効果を出したいと言うことを宣言しています。例えば我々が使うような八分一番という鍼が、この時代に作れたかどうかは解りません。しかし紗というレースのような薄い絹織物を縫うための針を作る技術と、祭事に使った玉を磨く方法で可能だったかと思われます。
余談ですが、中国古典には「易経」という短絡的な発言をすれば占いの原典があります。それに対する「難経」というだじゃれ的な要素があったかどうか?それはわかりません。

難経と黄帝内経の違い

難経と黄帝内経には大きく分けて「脈法の違い」「兪穴の違い」「補瀉の違い」があります。

脈法の違い
脈法 寸口 人迎ー脈口(気口、寸口) 三部九候
素問
巻第二;陰陽応象大論篇第五
    陰陽別論篇第七(?)
巻第五;脈要精微論篇第十七
    平人気象論篇第十八
巻第六;玉気真臓論篇第十九
巻第七;経脈別論篇第二十一
巻第八;通評虚實論篇第二十八
巻第十三;大奇論篇第四十八
巻第十九;五運行大論篇第六十七
巻第三;六節臓象論篇第九
巻第十一;腹中論篇第四十
巻第十三;病態論篇第四十六
     奇病論篇第四十七
巻第二十二;至眞要大論篇第七十四
巻第六;三部九侯論篇第二十
巻第八;宝命全形論篇第二十五
    八正神明論篇第二十六
    離合真都論篇第二十七
巻第十四;鍼解篇第五十四
巻第十七;調経論篇第六十二
巻第十八;繆刺論篇第六十三(?)
  四時刺逆従論篇第六十四
巻第二十三;疏五過論篇第七十七(?)
霊枢
根結篇第五 第三章 第二節
五十めぐると謂うのは、五藏の氣を皆な受け其の脈口が持ち
しばしば其れに至るなり。
終始第九 第一章
其の脈口人迎が持つは陰陽の有餘や不足を知るを以て、
平與不平となり天道の畢となす。
禁服篇第四十八 第四章 第一節
黄帝曰く、
寸口は中を人迎は外を主り
兩者は相應し往来する。
繩を引くように大小が等しくととのう。
春夏は人迎が微大、秋冬は寸口が微大、是れの如を曰く平人。
難経
一難曰く、
寸口は五藏六府が終始する所。
故に寸口に於いて取るが法なり。
難経では寸口部、つまり橈骨動脈拍動部で脈診する事を限定しています。

兪穴の違い
素問
五藏生成篇第十 第三章
人には大谷が十二分有り、小谿の三百五十四と少十二兪が名される。
此れは皆、衛氣の留まる所、邪氣の客す所なりて鍼石にて去す。
調經論篇第六十二 第七章
黄帝曰く夫子は虚実に十有ると言うが五藏から生ずるに於いて五藏は五脈のみ。
これら十二經脈は皆、病を生じ、しかし今、夫子は五藏に獨りと言う。
十二經脈なるは皆、絡が三百六十五節あって節に病が有り、經脈は必ず經脈の病にこうむられる。
そして皆、虚実が有が何を以て合すか。
岐伯曰く五藏は故に六府を得て表裏をくみて為す。經絡の支節は各に虚実を生じ其の病の所居は隨にて調す。
四失論篇第七十八
經脈の十二、絡脈の三百六十五。此れは皆、人の明知する所にて工の用いて循う所なり。
霊枢
九鍼十二原第一 第六章 第二節
黄帝曰く願わくば聞かせてほしい五藏六府の處の出る所。
岐伯曰く五藏に五兪、五×五で二十五兪。六府は六兪、六×六で三十六兪。
經脈十二、絡脈十五、あわせて二十七氣。以て上下し井は出る所、は溜る所、兪は注ぐ所、經は行く所、合は入る所
二十七氣の行く所は皆、五兪が在るなり。節の交わりに三百六十五が合す。
邪氣藏府病形第四 第一章
十二經脈、三百六十五絡, 其の血氣は皆、面にむかいて上り空竅(口や鼻目など)へ走す。
順氣一日分為四時篇第四十四
けい
長夏
黄帝曰く臓は冬を、時は夏を、音は長夏を、味は秋を、色は春を主るとは何かお聞かせ願いたい。
岐伯曰く病は臓に在る。
 井を取るのは色に於いて病変とし(木-木)、
を取るのは甚しい時を病時とし(火-火) 、
 輸を取るのは、音に於いて病変とし(土-土)、
 經を取るのは、經が血で満ちれば病は胃に在る(金-土?) 。飲食の不節制を以て病を得る。
 合に於いて取るのは故に命曰く味は合を主る(水-金)。 これ五変に謂うなり。
難経
六十四難曰く、
十変に又言う。
陰の井穴は木.陰の穴は火.陰の兪穴は土.陰の經穴は金.陰の合穴は水.
陽の井穴は金.陽の穴は水.陽の經穴は火.陽の兪穴は木.陽の合穴は土.
陰と陽が皆同じではない.其の意味は何か?
是は剛柔の事也。
陰の井穴は乙(きのと-木の陰)木。陽の井穴は庚(かのえ-金の陽)金。陽の井穴は庚(かのえ-金の陽)。庚(かのえ-金の陽)なる者は乙(きのと-木の陰)の剛也。
陰の井穴は乙(きのと-木の陰)(きのと-木の陰)なる者は庚(かのえ-金の陽)の柔也。乙(きのと-木の陰)は木となす。故に陰井は木と言う。
(かのえ-金の陽)は金となす。故に陽井は金と言う。他も皆、此に倣(ならう。並べてみて、同じようにまねる)う。
六十八難曰く、
五臓六腑に、それぞれ井けい兪經合が有る。これらは何を主る所か?
経に言う。出の所を井、流の所をけい、注の所を兪、行の所を經、入の所を合。
井は心下満を、けいは身熱を、兪は体重節痛を、經は喘咳寒熱、合は逆氣して泄を主る。
此れ五臓六腑の井兪經合が主る所の病なり。
五兪穴(五行穴、肘から先、もしくは膝から先にある経穴)陰経のみ
五兪穴
五行
経絡
肝経 大敦 行間 太衝 中封 曲泉
心経 少衝 少府 神門 霊道 少海
心包経 中衝 労宮 大陵 間使 曲沢
脾経 隠白 太都 太白 商丘 陰陵泉
肺経 少商 魚際 太淵 経渠 尺沢
腎経 湧泉 然谷 太谿 復溜 陰谷
難経ではじめて兪穴を腕先脚先に限定し、その穴に五行配当をしました。

補瀉の違い
素問
離合真邪論篇第二十七 第二章
黄帝曰く、補寫とは何か。
岐伯曰く、此れ邪への攻なりて血の盛を去り以て疾を出し其の真氣を復す。
此のとき邪が新たに客し未だ處を定めること溶溶とし則ちその前にて推し、則ち止めること引きし、刺が逆すれば温血なり。其の血を刺して出し其の病は立す。
調經論篇第六十二 第二章 第一節
黄帝曰く、補寫とは何か。
岐伯曰く、神の有餘、則ち其の小絡の血を寫しても深く切り開き出血をさせず、其の大經には中てぬよう神氣を平する。神の不足は其の虚絡を視、按じて致らせ刺すを利するは無出其の血を出さず其の氣を泄らさず、以て其の經を通し神氣を平す。
霊枢
九鍼十二原第一 第三章
寫曰く必ず内を持って出し放つ。鍼を得て陽を排し邪氣を得て泄す。按じて鍼を引くは是れに謂う内温。血を得られずして散らし、氣を得られずして出すなり。
補曰くしたがいてゆきしたがいてゆく。意にしたがい妄の行くがごとく按ずるがごとく。蚊虻の如く止りその如く留り還する。
絃が絶する如く去り、右につづいて左を令し、其の氣は故に止どめ外門を閉じて已み、實の中氣は必ず血に留まざり急ぎて誅の取す。
難経
七十二難曰く
經に言う、迎隨の氣を知れば令調を可し調氣の方は必ず陰陽に在るとは何か。
然るにいわゆる迎隨と謂うは、榮衞の流行を知り經脉の往來なり。隨の其の逆順を取ることで故に迎隨と曰う。調氣の方が必ず陰陽に在るとは其の内外表裏を知り、隨の其の陰陽を調す。故に曰く調氣の方は必ず陰陽に在る。
七十六難曰く、
何を補瀉と謂うか。補の時はどのように氣を取り瀉の時はどのように氣を置くのか。
然るに補の時は衞に從いて氣を取り、瀉の時は榮に從いて氣を置く。其の陽氣の不足、陰氣の有餘は先づ其の陽を補し後に其の陰を瀉す。陰氣が不足し陽氣の有餘は先ず其の陰を補し後に其の陽を瀉す。榮衞の通行が此れ其の要なり。
七十九難曰く、
經に言う、迎は奪にいたり無虚を得安く、隨は濟にいたり無實を得安い。實より興る虚は得るがごとく失うがごとし。虚より興る實は有がごとく無くがごとし。何のことか。
然るに、迎は奪にいたるは其の子を瀉すなり。隨は濟にいたるは其の母を補すなり。假に心病として、手の心主の兪を瀉すは是れに謂う迎は奪にいたるなり。手の心主の井を補すは是れに謂う隨は濟にいたるなり。虚より興る實とは牢濡の意なり。氣が來たれば實牢を得、濡虚を失う。故に曰く得るがごとく失うがごとしなり。

補瀉が素問では概念で書かれ、霊枢では手法で書かれているのに対して、
難経では五行機能によって行うと書かれています。つまり理論上の補瀉が現れたわけです。

難経という書物の最大の意義は、

『六十九難』と『七十五難』という治療法の発表と、それ以外の難によって、この発表された治療法を裏付けした事と言われています。これら二つの治療法を確立した経緯に、「十変」という古代書物からの五兪穴に対する五行配当や、五邪という独特の病理学を必要としました。ただし五行論で考えた場合、『七十五難』は論理的に崩壊しています。
つまり東西南北という空間を表した言葉を使った段階で、相乗相克関係は成り立たなくなっています。
「東方實.西方虚.瀉南方.補北方」この言葉に五臓を経由して三陰三陽を配当した場合「足厥陰實、手太陰虚。瀉手厥陰、補足少陰」となります。なにか論理性が予感できます。
三陰三陽論は黄帝内径以前の伝統的医学理論で扁鵲派が使い、そして橈骨動脈拍動部の脈状診も扁鵲派の流儀でした。五行論は黄帝学派が三陰三陽論からの発展をねらって医学に導入したもので、そのため黄帝学派は「三部九候診」や「人迎気口診」などより詳細に自然科学的データの採れる比較脈診を使っていました。
難経の作者は、この二つの医学理論の共通有用項目を『七十五難』によって抽出しようとしたのではないでしょうか?
当時、何かの都合で、まだ未完成であった『七十五難』の発表を迫られ、この難経が今に至っているのではないかと思います。

『難経』の内容ですが、

全体が81編の問答形式の論文によって構成されています。各編を<難>と呼び一難から八十一難まであります。
歴史的に何度か編纂の手が入ったと言われているようですが、その経過は不明です。
現在は各難の内容によって区分けした形になっています。

脈  学
第一難 寸口の脈と、経脈の営衛の度数
第二難 切脈の部位・気口
第三難 尺寸における「太過」と「不及」の異常脈象
第四難 脈の陰陽
第五難 脈診における指法の軽重
第六難 脈の陰陽虚実
第七難 旺脈について
第八難 寸口の脈が正常なのに、死んでしまう理由
第九難 脈象から臓と腑の疾病を区別する
第十難 一臓の脈に十種の変化がある
第十一難 休止の脈と腎臓の病変との関係
第十二難 虚を虚し、実を実する医療の誤り
第十三難 色と脈、およぴ尺部の皮膚の診断上における運用
第十四難 損脈・至脈の病証と治療法
第十五難 四時(四季)の平脈・病脈・死脈
第十六難 五臓の疾病の脈と証との関係
第十七難 脈象と病証が一致する場合と逆の場合の予後
第十八難 脈法における三部が臓腑に対応する
第十九難 男女における正常と異常の脈象
第二十難 脈には伏(からだをぴったりと地につける)(入れ物や壁を利用してその中に姿をかくす)がある
第二十一難 形に現れた病状と脈の状態の関係
経  絡
第二十二難 是動病と所生病の意味
第二十三難 経脈の長さとその循行
第二十四難 陰経と陽経の気が絶えたときの症状とその予後
第二十五難 十二経脈の数
第二十六難 十五別絡の数
第二十七難 奇経の意義と内容
第二十八難 奇経八脈の循行と起止点
第二十九難 奇経八脈における発病の証候

鍼  法
第六十九難 母を補し子を瀉す治療原則
第七十難 四時によつて刺鍼方法を分けることの原理
第七十一難 榮衛の刺鍼の深浅
第七十二難 迎随補瀉の刺鍼方法
第七十三難 穴を瀉すことによつて井穴を刺すことに代える方法の運用
第七十四難 四季における五臓の刺鍼方法
第七十五難 肝実肺虚に補水瀉火法を応用する原理
第七十六難 補瀉の方法とその手順
第七十七難 上工、中工の治療技術
第七十八難 刺鍼における押手と補瀉方法
第七十九難 迎随補瀉法
第八十難 鍼の出入方法
第八十一難 虚証に瀉法を用い、実証に補法を用いるという医療過誤

臓  腑
第三十難 栄(営)・衛の生成と循行
第三十一難 三焦の位置と機能
第三十二難 心・肺の位置およぴ気血営衛との関係
第三十三難 肝・肺の色、形、浮沈
第三十四難 五臓とその声、色、臭い、味の組み合わせ、および七紳との関係
第三十五難 六腑の機能およぴ臓腑の相互関係
第三十六難 腎と命門
第三十七難 五臓と九窮の関係
第三十八難 臓は五、腑は六であること
第三十九難 腑は五、臓は六であること
第四十難 耳は聞き、鼻は嗅ぐという生理
第四十一難 肝には両葉ある
第四十二難 人体臓腑の解剖
第四十三難 飲食物が七日間入らないと死ぬことの原理
第四十四難 七衝門
第四十五難 八会
第四十六難 老若によ寤(目がさめる)(ねむる)が異なる原因
第四十七難 顔面部だけが寒さに耐えられる原理
疾  病
第四十八難 三虚三実
第四十九難 正経が自ら病む場合と、五邪に犯きれて病む場合との区別
第五十難 五邪の伝変
第五十一難 臓腑の発病には証状のうえで好悪の区別がある
第五十二難 臓病と腑病は根本が同じではない
第五十三難 疾病の伝変と予後
第五十四難 臓病と腑病の治療の難易
第五十五難 積聚(あつめる)の証状と鑑別
第五十六難 五臓の積病
第五十七難 五泄の証状と名称
第五十八難 広義の傷寒
第五十九難 狂病と癲(精神がくるって倒れる)病の鑑別
第六十難 頭痛およぴ心痛における二つの類型
第六十一難 四診(望・聞・問・切)
兪  穴
第六十二難 臓腑の井・の区別
第六十三難 井穴を以って始めとする意義
第六十四難 井・・兪・経・合穴の陰陽五行の属性
第六十五難 井穴・合穴の出入の意義
第六十六難 十二経の原穴
第六十七難 五臓の募穴が陰であり、兪穴が陽である事の意義
第六十八難 兪経合五穴の意義とその主治疾病