古典研究
キーワードで読む難経(その2)

澤田和一 

『難経』は優れた鍼の専門書とされているが、その内容に具体的な選経・選穴法はなく、単に治療法則が記されているのみである。したがって、現代における古典鍼灸治療においては、その法則に則っている限り、治療者の解釈や工夫により多種多様な方法が存在することは当然と思われる。当研究会においても、難経の画期的業績とも言える69難及び75難を中心にその治療論を解釈し、その法則を独自にまとめていきたい。

今回は、特に75難の内容を詳しく分析した。

(1)75難(肝実肺虚に補水瀉火法を応用する原理)

「経に言う、東方実し、西方虚せば、南方を瀉し、北方を補うとは何の謂ぞや。」
これは、『素問』・『霊枢』中に類するものが見られない斬新な治療法則である。
肝(東)が実し、肺(西)が虚せば、心(南)を瀉して腎(北)を補うという理論である。

「然り、金水木火土当に更相平らぐべし。」
「平」… 浮草が水面に浮かんだ様、乱を鎮める、穏やかにする = 「剋」
五行は互いに相剋関係にあり、実するものにはこれを剋するものが立って平らげる。

「東方は木なり、西方は金なり。」
五行で東は木、西は金である。

「木実せんと欲せば、金当にこれを平らぐべし。火実せんと…。」
五行の相剋作用:木が実すると相剋関係にある金が抑制する。火が実すると…
(以下同様)

「東方は肝なり、則ち肝実を知る、西方は肺なり、則ち肺虚を知る。」
肝実肺虚の病証である。

「南方の火を瀉し、北方の水を補う。南方は火、火は木の子なり、北方は水、水は木の母なり。」
その治療は、五行で南の心を瀉して、北の腎を補うことになる。南は火であり、火は木の子に当たる。北は水であり、水は木の母に当たる。

「子能く母をして実せしめ、母能く子をして虚せしむ。」
子が母を実にすることができ、母が子を虚にすることができる。
★75難のこの一節は理解に苦しむ。69難の「虚する者はその母を補い、実する者はその子を瀉す」、という理論と矛盾するのではないか?

<本間祥白先生の解釈>
(1)致病と治法
1,「子能く母をして実せしめ」を病気の成立過程と考える。すなわち、木の子である
火が実すると、相剋で金が虚し、さらに相侮で木が実する(火実 → 金虚 → 木実)。
2,「母能く子をして虚せしむ。」を病気の治癒過程と考える。すなわち、木の母である水を補うと木が実して、木の子である火が虚する(水の補 → 木実 → 火虚)。

(2)六部定位脈診
同じ木実金虚であっても、
1, 69難では、肝心の実・肺脾の虚であり、土(母)を補い、火(子)を瀉す
2, 75難では、肝心の実・肺腎の虚であり、水(子)を補うことで火(子)を瀉す
と考える。

☆ 本間先生の解釈については、(1)では相生関係と相剋関係を混交して説明し、(2)では『難経』成立より後の時代に確立された脈診法を用いて説明しているところに無理があり、正しい解釈と言えるのか疑問である。
☆ 75難の解釈は非常に難しく、様々な理論を唱えられており、「特殊治療」とする意見もある。

◇会場からの意見
A:75難の解釈が不明確なために「特殊治療」と呼んでいるが、当研究会としての解釈が確立すれば、「特殊治療」という捉え方をする必要はなくなる。

B:75難は、69難では治療困難な疾病に対して、扁鵲(医療集団)が当時実際に必要と考えて確立した治療法則であると思われる。しかしその意図が不明瞭なため、多くの先生方が苦悩してそれぞれの解釈を試みてきた。当研究会としての解釈も、先人の意見を参考にして進めるべきである。

「故に火を瀉し、水を補い、金をして木を平らぐることを得ざらしめんと欲するなり。」
瀉火補水すると、金は木の反侮を受けなくなる。

★ ここで、注目すべきことがある。
75難の中で、「東方は…」という方角に関する説明が2ヵ所見られる。
1, 東方は木なり
2, 東方は肝なり
なぜ、2回に分けて提起するのか?1と2で東方の意味するものが異なるのか?

「方」… 左右の柄が張り出た鋤を描いた様、四方に直線状に伸びて行く様

1, の「方」は時間的な広がりを意味し、邪気の伝変についての説明
2, の「方」は空間的な広がりを意味し、気血の変化についての説明
と解釈できないか?

次回は、こうした疑問点と「虚実」の概念について、69難と75難の相違点に注目しながら議論を展開していく。

以上