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干支の発祥は、紀元前15世紀頃の中国の殷(いん)の時代でした。既にこの頃から殷暦という暦が有り、毎日を十干と十二支を組み合わせて数え、1ヶ月を30日、1年を12ヶ月としていました。
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十二支の場合動物の名前が付いているため、誤解を招きやすいのですが実際はその動物とは全く関係が有りません。植物が季節に応じて盛衰する様子を象形文字としての漢字に充てはめたものです。その漢字も現代では簡略されたものになっています。 |
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この天があたえる陽の作用は、規則性を持って地に降り注ぎます。例えば一日は、必ず東の空から太陽が出て朝になります。そして太陽は西へと向かって昼ー夕となり沈んで夜になります。一年では夏に向かうほど昼が長くなり、太陽の位置が高くなります。昼の長さと太陽の高さがピークとなると逆転して冬へと向かい、夜が長くなっていき、太陽の位置が低くなっていきます。
天とは太陽の運行と、その変化を地が感受するまでを言います。その変化の様が‘十干’です。
しかし実際に変化するのは天ではなく、地の受け止め方です。「天の変化を地が感受する」とは「天の作用を、地の受け止め方が変化する」と言う意味で、太陽の運行とそれに対する地の受け止め方の変化まで含めて‘天’と言います。
それに対して‘地’は、天の作用を受け止めた以降、反応として自然界の様相を表現するまでを言います。その自然界の様相を現すための、反応の変化内容が‘十二支’です。
そこで陰陽と言いますが、天の作用を全く受けず、そのため何の反応も示していないためそれを‘陰’と言います。天の作用を少しでも受ければ、その受けたなりの反応を示すので‘陽’となります。また天の作用を受けると言っても、受ける量に差があって、より多ければ‘陽’となり、少ない方を‘陰’と言います。さらに同じ作用を受けても、反応の出方に差があった場合、反応が大きい方を‘陽’と言います。
つまり陰陽とは、天の作用を受けた地が示す反応の中から観察しているわけです。