榮衛の基本理念は滋養作用と生体現象です。
生体では肉体の形成を“血”といい、肉体から発する活動作用を“気”といいます。治療の対象は気血の虚実であり、その対応は補瀉の誘発ですが、その治療対象である気血の捉え方は最も大括りな考え方として、人体の生理的活動エネルギーの陰は生成と滋養としての“血”陽は輸送と作用の“気”としています。
 この大括りな捉え方の気血のそれぞれに、さらに細分化された気血が階層的にあって病証確認をそのどこに取るかという指標の一つに衛・気・榮・血という段階の考え方があります。また衛気、榮気と言った場合にはそれぞれの生理的機能を、気・血・榮・衛と言った場合はもっと中医学的な分類として分けて使います。
 ちょっと飛びますが、衛は脈外を行き榮は脈中を行くの解釈の確認をしておきます。“脈”をいわゆる血管もしくはその拍動という捉え方が世間一般に浸透していると思われますが、その考え方はかなり後世に来てからならしく、どちらかというと生体反応という捉え方で古典では書かれていて、その生体反応の一つに例えば橈骨動脈拍動部も含まれるとしています。その上で脈外脈中とは反応として出たモノ(衛)と、反応させたモノ(榮)という考えをしています。反応として出たとは、作用として外に向られた表現ですから、気分としての内容が強く、反応させたとは命令もしくは反応のための栄養の供給で内側の働きな訳ですから、血分としての内容が強いとしています。また、行くとは流れるという表現とは明らかに違いがあるわけですが、それは全身各所に作用と滋養という現象が起こり、それも天人合一の精神から常に様々な変化をしているとの双方の観点の裏付けで、行くとしたのだと思います。
 さて、衛と榮ですが、生成と滋養の血とその輸送と作用の気とがありまして、適材適所に滋養を供給し供給される関係を気血がし合い、また部分であり全体を生成し作用し会っているというのが前提で、話に入ります。
 いわゆる<衛は気から榮は血から生じる>というのがありますが、それは広義的な生理作用と捉えた場合において成立します。気を陽、血を陰と分けさらに気と血のそれぞれが陰陽に、またその陰陽のそれぞれが陰陽にと細分化して行くわけですが、この陰陽を陰=血、陽=気と言葉を置き換えてもよろしいかと思います。
 ではその広義からの解釈ですが、例えば血を滋養、気を適材適所への輸送としたとき、気の適所という場所の限定を陰、そこまで行くと言うことを陽と出来ます。また血の滋養という作用を陽、適切な滋養内容(適材)の決定を陰と出来ます。気と血をまだ広義的な意味合いでそれぞれを陰陽に分けた場合、気の中の陽は衛、陰は気、血の中の陽は榮、陰は血となります。気の中の衛は衛気分として防衛のために全身を循環し、その適所で衛気としての作用を気の中の気が促すわけです。血の中の榮は防衛を賄うための滋養として衛と伴い、血の中の血がその防衛状態に応じた滋養内容を促すわけです。これは外環境との対応が前提の陽の考え方として、この考え方自体を大ぐくりな“気”とし、この連係に傷害を受けたときをいわゆる外因としています。
 もう一つの例として血を生成、気をその作用としたとき、血の生成の、肉体組織が成り立つという現象を気であり血の陽とし、成り立たせていると言うことそのものを血であり血の陰としています。気の作用とはその成り立った生体から発せられる生命反応であり、環境変化の状況に応じて適切に反応していると言うことを気であり気の陽とし、状況を分別して反応させていると言うことを血であり気の陰としています。
 この場合は、まず人体が水穀を取り入れ肉体の維持形成を成り立たせているのが血、成り立っているつまり生命活動を営んでいられる事を榮、その営みが環境変化と適切に対応できるように取りはからっているのが気、その取り計らいとしての状況に応じた反応が衛で、内環境の維持生成が前提の陰の考え方として、この考え方自体を大ぐくりな“血”とし、この連係に傷害を受けたときをいわゆる内因としています。
 この両方の例に共通し、その障害がより衛に近いほど外感とし、より血に近いほど内傷としています。
 
榮衛の榮は、營と言う字もあります。

榮も營もその初字は(エイ:ひあかり)という文字でした。字書にない字ですが、卜文・金文にある庭燎(テイリョウ:にわび。燎はかがりび。たえまなくたくかがりび。ずるずると続いて燃える火)の象形で、たいまつを交叉する形です。

(えい)という文字がその音として残ります。卜文・金文では氏族の名に用いていました。また、周礼に司氏があって邦の大事のとき、墳燭(麻燭)(燭はともしび。じっとたってもえる灯火)や庭燎を供することを掌(つかさど)ったそうです。

に従う字は、みなエイの声義を承(う)けています。

と、した上で
榮はで、たいまつの交叉した形であり、もと火光の華やぐ様をいいました。説文解字に「桐木なり」と梧桐のこととし、次条にも「桐は柴なり」と互訓していますが、栄華・栄誉の義に用いる字で、桐の専名ではなく、桐のうち、華咲きて実らぬ華桐とよばれる種類のものがあって、それを栄桐というそうです。また屋上のつまのそりのあるところを東栄・西栄のようにいって、新死のものの魂よばいの復の礼と言うのを行なうとき、そこから魂が升(昇)降するとしていました。

營は

説文解字に宮に従う字とするのは誤り。
また「営は居(さふきょ)なり」と解するそうですが、居とは軍営の形式をいうものならいいです。その周辺には庭燎が設けられるので、字はその形。呂は宮の初文の従うところで、相接する宮室の平面形。宮室を造営することを営といって、穴居には営窟といったそうです。[詩、大雅、霊台]に「これを經しこれを營す」とあり、経は測量、営は造営の意。のちすべて計画造作をなすことを営といいました。

この二字の比較から“營”は形に近く造るという意味合いが強く“榮”は質に近く働きと言う意味合いが強いようで、結論として“榮”は滋養する事の作用を言い“營”は滋養作用を作り出すものを示しているといえます。

衛は

説文解字には衞を正字とし、字は韋と(イ:めぐる)と行に従うて会意であるとするが、韋は城邑の形である口(い)の上下を巡回する形で、それを行の間においた形声字が衛であると、あります。
 卜文・金文の字形に方と言う字に従うものがあって、方は祭梟、首祭りして呪禁とし、防衛する意です。
 また、説文解字に「宿衞なり」とするも字の本義でなく、衛とは城邑を守ること。
金文に口(い)の四辺に止を加えたものがあり、その字が衛の初文。韋・違・衛・圍(囲)はみな韋の声義をとる一系の字です。
防衛という意味合いは、最初からあったようです。
では、とはどんな字かと言いますと、その象形は

    十字路の形。交叉する大道をいいます。
    説文解字に「人の歩趨なり」というのは、字を右歩・左歩を合せて歩行する動作を示すと解したものですが、卜文の字形は十字路の象形。金文に征行・先行・行道・行師のように之往(しおう:ゆく)の意に用います。
    十字路は道の交わるところで、そこにはちまたの神がいるとされ、術・衒・衢など、道路で行なわれる呪法の字は、多く行に従う形です。
    行とはただ動き回るとは別の、目的やその地点との働きを意味したようです。

比較として流はで、正字は(とつ)。これは古代には河川の氾濫が多く、その時の流死体を指し、その元の(とつ)はもしくはで、子の生まれ出る形を表しました。
 
三十難曰.榮氣之行.常與衞氣相隨不
不は疑問の意。
隨は周易の六十四卦(カ)の一つ。震下兌上(シンカダショウ)の形で、勢いのままにしたがう意をあらわす。
栄気は常に衛気と相従えて行くとはどういうことか。

然.經言.人受氣於穀.穀入於胃.乃傳與五藏六府.
經は黄帝内経。
はすなわち,そこでやっと。
経に言われるは,人は気を穀に受け,そのために穀は胃に入り、そこから,五臓六腑に伝わる。
五藏六府皆受於氣.其清者爲榮.濁者爲衞.
五臓六腑は皆気を受け,澄んだものは栄,濁ったものは衛となる。
榮行脉中.衞行脉外.
栄は脈中を行き,衛は脈外を行く。
榮周不息.五十而復大會.
息はソクス,やすむの意、休息,安息。
はフクスで,もとの状態にもどる。
栄は休まず周り,五十にてもとに集まる。
陰陽相貫.如環之無端.故知榮衞相隨也.
陰陽を相貫いて,端の無い輪の如し。故に,栄気と衛気が相従えて行くを知る也。
 
 
 
三十二難曰.五藏倶等.而心肺獨在膈上者.何也.
五臓倶に等しく有,そうするのに心肺は独り膈上にあるのは何故か。
然.心者血.肺者氣.血爲榮.氣爲衞.相隨上下.謂之榮衞.通行經絡.營周於外.故令心肺在膈上也.
者は上の文句を「それは」と、特に提示することば。…は。…とは。▽「説文解字」では「者、別事詞也=者トハ、事ヲ別ツ詞ナリ」という。「仁者人也=仁トハ人ナリ」〔中庸〕
爲はイ,なす,つくる「為此詩者其知道乎=コノ詩ヲ為ル者ハソレ道ヲ知レルカ」〔孟子〕,おさめる。
心とは血で肺とは氣。血は栄を為し氣は衞を為す。相連なりて上下するを栄衛と言う。経絡を通行し外を周り巡る。故に心肺は膈上に在る也。