親父のいる風景(97歳長寿の秘訣を探る)

親父は今97歳。
長寿の中に入るであろう。
その長寿の理由を探ってみようというのがこの企画である。

長寿に理由があるかどうか、それも含めて探ってみよう。

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●2025.6.7
今日の夕食時、右腕をさすりながら親父がしみじみ言った。
「どうしたんだか、腕の皮がしわしわになっちゃったなあ」と。
どうしたもこうしたも、それは老化現象というもので、97歳まで生きられたら皮膚にしわが寄るのは仕方がないというものでしょう。
長生きする人はやはり違うと思った。自分が歳をとったとは思っていないようなのだ。

たまたま私は今日、親戚の家の葬儀に呼ばれて行ってきたところだった。
まだ27歳の若さで本当に特殊な癌で治療の方法がなくて亡くなったのだった。
そんなわけでつい余計なことを言いたくなってしまったのだ。

「親父さあ、年とったらシワぐらいできるだろうよ。そんなにシワが嫌なら長生きなんかしないことだよ。今日は俺は27歳で亡くなった娘さんの葬儀に出てきたんだよ。そのくらい早死にすればシワもない体で死ねるよ」と。

また言っちまったと後悔したがどうにも黙っていられない。
97歳まで長生きできたらもうシワを嘆くのではなく、一日一日感謝して生きていけばいいのではないかと思うのだが、
まだまだそのような境地にはならないようなのだ。

長寿の理由はこのようなところにもあるのだろうか。
つづく。

●2025.6.3
今日の夕飯時、NHKのニュース番組で気象のクイズをやっていた。
ある器具の写真を見せて、これは何を観測する機械でしょうかという問題だった。
一番雨、二番湿度、三番日照、四番温度という選択肢だった。
親父は「何だろうなあ、日照かなあ・・」などとつぶやいていたが、
正解が一番の雨だとわかると、
「何だ、俺はあの写真を見なかった」と呟いた。
写真を見て答える問題に、写真を見ずに解答して、
不正解だと分かると、写真を見ていなかったという。

全く意味がわからない言動である。
長寿の理由はこのようなところにもあるのだろうか。

●2025.5.15
今日は総合病院での定期健診である。
心臓にペースメーカーが入っているので、半年に一度定期健診がある。
午後二時からなので昼食を食べてから出かける予定だ。
昼食にやってきた親父は服のボタンを一番上だけ留めて現れた。
「あれ、どうしたの?下のボタン忘れたの?」と聞くと、
「いや、今日は診察だからすぐ開けるようにボタン一個だけにしておいた」という。
気が早いにも程がある。待合室でボタンをはずす時間はいくらでもあるだろうに、二時間も前にボタンをはずしておくというのはどういう考えなのか。
長寿の理由はこのようなところにもあるのだろうか。

そういえば、二日前にもこんなやりとりがあった。
我が家は一日おきに風呂をわかすことにしている。
風呂代をけちっているというよりも、風呂掃除がとても苦痛になってきていることと、親父が湯船につかる動作がかなり大変になってきているので一日おきでいいということになったのだ。
ところが二日前に、「明日も風呂たててくれ」という。
なぜかと問うと、病院に行くから体をきれいにしたいからだという。
病院で裸を見せるから前日に風呂に入りたいのだという。
一日おきに入っているから清潔だと思うのだが、どうしても前日に入りたいらしい。
長寿の理由はこのようなところにもあるのだろうか。

そういえばこんなやりとりもあった。
帯状疱疹の話題が出たとき、親父は「帯状疱疹というのは健康な人がなる病気だ」と言い張る。
根拠は自分がなったからだという。それ以外の根拠はないようだ。
「それじゃあ、俺(息子の私)はかかったことがないから、俺は健康じゃないんだね」というと、そうだという。
「それじゃあ、(早死にした)〇〇さんも帯状疱疹にかかったから健康だったんだね。健康だったけど早死にしたんだね」というと、
「そういうことじゃない」といって、どういうことか説明しない。
健康不健康ではなく、体が弱って免疫が落ちているときにかかりやすい病気だということをどうしても納得しない。

長寿の理由はこのようなところにもあるのだろうか。

そんなわけで、これからまた長寿の秘訣を探っていこうと思います。

●2025.5.17
今日は老人会最後の総会だということで背広を着ていそいそとしている。
総会といっても会計報告とか一通り終わった後は酒を飲む会だそうだから嫌味の一つも言いたくなる。
「どうせ昼間から酒飲むくらいなんだから背広なんか着ていく必要はないだろう」というと、
「いやみんな正装で行くんだ。ばか言うんじゃない」と反論する。

朝から雨が降っているのでどうするのかと思っていると、ヘルメットと雨合羽を用意している。自転車で会場まで行くという。
確かに二、三分で着く距離だが、97歳が雨の中を自転車で行くというのをそのまま見て見ぬふりをするわけにもいかない。
自動車で送迎することにする。
会場は区民会館で、車一台しか通れない狭い道を五メートルほど入る。
仕方なくその狭い道を入って玄関まで送り、バックして広い道に戻った。

宴会が終わって二時頃、迎えを頼むという電話がきた。
しかし、その電話は私の携帯ではなく、妻の携帯にかかってきた。
意味がわからない。
送迎している私に直接電話をよこさずに妻に電話をよこす意味が分からない。
俺がそんなに怖いのか。
まあいいや。

さて、区民会館に迎えに行き、またあの狭い一方通行の道に入りたくないので、広い道の脇に停めて待つ。
親父は玄関から出て傘をさしてすぐそこにいるのに、全然歩いてこない。
「何やってるんだいったい。ほんの五メートルくらい歩いてもよさそうじゃないか。玄関まで来いというのか」
俺は切れそうになったが仕方なくバックで玄関まで車を入れた。
親父はちょっと待ってろという。近所の人が弁当を持って帰るのを忘れたらしいからそれを持ってってやるという。
どうもその弁当を待っていたようだ。

とりあえず怒りを納めて家に戻った。

さて、その宴会で話題になったらしく、百歳になったらいくらお祝いをもらえるか興味津々で聞いてくる。
五十万円くらいもらえるかなという。
今時そんな大金をくれる自治体があるわけがないというと、
いや、そんなことはないと言い張る。
ネットで調べるとどうも十万円くらいもらえるらしい。
ただ、いつの時点で百歳になるといつの時点でお祝いをもらえるのかわからない。
その年の年度で百歳になる予定の人がもらえるのではないかという。
それなら百歳になる前にもらえる人が出てくるが、もらった後にすぐ亡くなった場合はお祝いを返すことになるのか。
そんなことをああだこうだと言っている。

そのうち、12月31日時点で満百歳であることというネットの記事を見つける。
親父は1月4日生まれだから、ほぼ一年後になってしまうのか。

実は親父は1月4日生まれと言いながら本当は12月28日生まれだという。親に生前そう言われたという。
役場が年末休みだったので1月4日に届け出たのだという。
それをずっと97歳の今まで信じてきたのだ。
しかし、どう考えてもおかしい。
届けた日が誕生日になる必要はない。
親父の親はそれほど愚かだったのか。

そこで親父の戸籍を調べてみた。
すると、誕生日は1月4日で、届けた日は1月7日であることが判明した。
それを報告すると親父はまだ半信半疑で、「おかしいなあ、確かに親から12月に生まれたと言われたんだがなあ」と言い張る。
もうそれ以上に説得する術はない。

誕生日が97年間ずっと曖昧だった。
あるいは、本当の誕生日と戸籍上の偽の誕生日と二つあった。(親父の記憶)

長寿の理由はこのようなところにもあるのだろうか。

2025.5.21
江藤農水大臣が辞任したニュースを聞きながら親父が言った。
「米買ったことないなんて言っちゃいけないよな。米はどこも<おんなし>(女性一般のことを指してこう呼ぶ)が買うから、
俺も買ったことないけど」
????この人は何を言っているのだろうかとしばらく意味がわからなかったが、
どうも親父の解釈では、江藤大臣の発言は「自分では米を買ったことはない。米は妻あるいはお手伝いさん?が買ってくる」という意味らしい。
確かに昔の男の人は買い物などすべて妻に任せて自分で米を買いに行った経験などないのだろう。
親父のとんちんかんはついにここまで来てしまったのだった。

「そういうことじゃなくて、大臣は米を支援者からもらっているから買ったことがないという意味だよ。妻が買ってくるから自分で買いに行ったことがないというそんな意味じゃないよ。それなら辞任する必要はないだろう」というと、
「そうだけどさ」という。
「そうだけど」というのはどういう意味なのか。
全くさっきの自分の発言はなかったかのようにスルーしている。

長寿の理由はこのようなところにもあるのだろうか。

そんなわけで、これからまた長寿の秘訣を探っていこうと思います。