たこつぼ通信 2003年 新年号


 
たこつぼや 
 書斎になった 子ども部屋

 
2002年回顧 たこつぼ的重大ニュース
 
@スッポン太がやってきた
 
 引っ越しのために飼えなくなったというスッポンモドキを近所からもらった。外見はスッポンに似ているが、口はスッポンのように吸いついたりしない。来た当初一週間くらいはストライキをして餌を食わなかったが、今では餌が遅いと水槽の中でバチャバチャ暴れて周りを水浸しにする恐ろしいやつだ。さらに餌が足りないと水槽のガラス面に顔をブチュっと押しつけてものすごい力で水を掻き、ガラスを突き破る勢いでこちらに来ようとする。
 ふつうの陸ガメなら外で一緒に遊べるのだが、こいつは一生水の中で生活するので、われわれ人間とは文字どおり住む世界が違うのだ。哀しい。体長が30センチほどあるので、90センチ水槽では狭くなってきている。ろ過フィルターの吸水パイプもすでに何回も抜かれている。その度にポンプが空回りして轟音をたて、ついには故障してしまう。温度も27度以上の高温を好み、いつもヒーターにはり付いている。電気代もかかるやっかいな奴だった。
 
A烏骨鶏がやってきた
 
 理科の清水先生が飼っていた烏骨鶏をを教頭がもらい、そのヒナが孵って私がもらったのだ。烏骨鶏の卵は一個百円くらいするらしいが、それは産卵数が少ないからで、二十日くらい産み続けたかと思うと一ヶ月くらい産まなくなる。忘れた頃にまた生み出すという繰り返しだ。卵はひどく殻が堅くて普通にぶつけても割れない。といって思いっきりぶつけるとビチャっとつぶれて殻も中身も一緒に粉々になる。だれかよい方法を教えてください。
 また、夜中の十二時に鳴くので近所迷惑である。しかも、今にも死にそうなつぶれたような声で鳴くので聞いていると情けなくなる。飼い主に似るというのか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
B親不知を抜く
 
 約10年ぶりに歯医者に行く。奥歯が虫歯になって欠けたのだ。ついでにその奥の親不知も抜いてしまった。その抜いた穴がふさがったら今年は入れ歯にするのだ。いよいよ私も老人会の仲間入りをするのだ。年をとるってすてきなことです。そうじゃないですか。
 
 
Cカップ麺中毒になる
 
 文化祭で、あるクラスがカップラーメン屋さんをやり、その時の残り物を無理矢理買わされたのがきっかけだった。体に悪いと言われるが、あの癖のある無機物的な味がたまらない。最近では生麺のような味もある。スープはほとんど肉のエキスを使っているので、似非菜食主義者は悩んでいる。
 
Dたこつぼ記事が
 静岡県芝川町の成人式で配布される
 
 インターネットに掲載していたたこつぼ通信の記事「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」が成人式で配布された。町長の祝辞の主旨に関連するので配布させてほしいという依頼があったのだ。あの記事は前途有為な青年にはふさわしいものではないのだが、私は承諾した。しかし反響は全くなかった。
 
E拉致事件を通して自虐史観に目覚める
 たこつぼは世間とは隔絶しているが、それでもひとつだけどうしても無縁ではいられない出来事があの「北朝鮮の拉致事件」である。 あの事件についてどう思うかと聞くと、「絶対許せない。小泉首相は軟弱だ。北朝鮮なんかつぶしてしまえばいい」という奴がいる。
 
 ETになって帰ってきた蓮池さん 
 
 こういう意見がでてくる背景には、戦後日本の教育で朝鮮のことはほとんどまともに教えていないということが大きくある。私自身教わった記憶がない。在日朝鮮人が今どれくらいいて、それぞれどんな生活をしているのか。日本での身分はどのようになっているのか。戦後なぜ帰らなかったのか。なぜ日本で暮らしながらわざわざ朝鮮学校に行くのか。朝鮮は南北に分裂しているが、日本国内の朝鮮人の分裂対立はどうなっているのか。戦後補償の問題はどうなっているのか。等々素朴な疑問は尽きない。それに対する公式な答えは用意されているが、私は非公式な真実が知りたいのだ。拉致事件も小泉訪朝まで非公式の事実だったのだ。朝鮮問題の解決は非公式の事実を一つひとつ公式な場に引き出していくことでしかありえないのではないか。 日本が朝鮮を植民地支配していた時期の数々の暴虐を認めることが「自虐的」な歴史観だという意見がある。戦争中という異常事態の中で起こったことだから仕方がないという考え方がある。しかし、北朝鮮は今も戦争中なのだとしたらどうか。こちらは戦争が終わったと考えていても向こうは終わったと考えていないとしたらどうなるのだろうか。拉致事件も、いまだに続いている戦争という異常事態の中で行われたことだから仕方がないといえるのか。いえないのだったら日本はきちんと過去の非公式の暴虐を公式に認めるべきだろう。戦争ははたして本当に責任のとれない狂気なのか。アジアを一つにするという理想に日本人自身もだまされていたのだと言ってすむものなのだろうか。
 
 「そのときトマーシュはオイディプスのケースを思い出した。オイティプスは自分の母親と寝ていることを知らなかった。それにもかかわらず、何が問題なのかが分かったとき、罪がないとは感じなかった。自分が知らなかったためにおきた不幸を見るに耐えられずに、目を刺し、盲目となってテーバイを出ていった」(『存在の耐えられない軽さ』より)
 
 「自虐」とは、たとえ自分が知らずに犯した罪であってもその責任を取り、自分の目をつぶすことである。そういう意味で、キリストの犠牲も「自虐」である。
 非公式の歴史を教えることはけっして「自虐」ではない。「北朝鮮なんかつぶしてしまえ」という考えと「自分の目をつぶす」ことの中間に答えをさがしたい
 
ひつじ年に因んだ羊の話
「吉祥(きっしょう)」
 めでたいこと。「祥」の字には羊がある。羊はおとなしくて役に立つ家畜なので、めでたくよいものを表すようになった。
「羊羹(ようかん)」
  羊肉のスープ。日本ではあんこのお菓子。
「羊たちの沈黙」トマス・ハリス著
 クラリス捜査官は時折子羊たちが悲鳴をあげている暗闇の中で目を覚ます。子羊たちが屠殺されるときの悲鳴を聞く。彼女が幼いとき子羊たちを助けてやることはできなかったことがトラウマとなっているのだ。彼女は後にFBI捜査官となり、人の苦しみを見てその苦しみに駆り立てられている。しかし、世の苦しみは永久に絶えることはないから羊たちの沈黙はほんの一瞬でしかない。
「スケープゴート」
  聖書に見える「贖罪(しょくざい)の山羊」。民衆の不平や憎悪を他にそらすための身代わり。いつも弱い者、抵抗できない者が犠牲になる。
「迷羊(ストレイシープ)」
  漱石が小説『三四郎』の中で、ヒロイン美禰子に言わせた意味深長なセリフ。「stray sheep」とは「迷子」の英訳だという。美禰子は自分のことを「ストレイシープ」だという。そんな彼女に最後までもてあそばれた三四郎もまたストレイシープである。
「羊頭狗肉(ようとうくにく)」
  羊の肉だと偽って犬の肉を売る。看板や表示にうそがあること。去年もたくさんのニセ食品が出回った。
「多岐亡羊(たきぼうよう)」
  飼っていた羊が逃げた。捜しに行こうとしたが、道がたくさんに分かれていて途方に暮れている状態。人生そのものをたとえたことば。
 
 編集後記
 「北朝鮮をつぶす」ことと「自分の目をつぶす」こと。これは意図して書いたわけではない。筆のままに書いていったら偶然「つぶす」という言葉でつながったのだ。我ながら驚きまた気に入った落ちとなった。
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    犬のぽん太もお忘れなく (15才)