2013-4-21 五行と生体認識 加藤秀郎

東洋医学を学ぶにあたり、まずは「気」を習い、続いて「陰陽」そして「五行」と習います。そしてこれが基本だと言う事で、五行から五臓の展開を習い、この医学は五行をしっかり解っていないと成らないものだと思ってしまいます。しかしいくら臨床家の話を聞いても五行論できれいに論説を展開されている話があまり無く、いったいどのように大切なのかと思います。


五行と言うと相生相剋論を習います。
ですから五行論は、この相生相剋の組み合わせを用いて考える物と思ってしまいます。
しかしこの五行の相生相剋と言う考え方を使って、きれいに整理された医療の考え方を聞いた事が有りません。
むしろ昔の考え方を受け入れないと、古典を元にした鍼治療はきっと出来ないものなのだと、鵜呑みにしてしまっているのが現状です。
相生相剋の五行論を使っての、生理学や病理学や生体把握でスラスラと「証」が立てる治療論は有りませんし、古代の人から見ても現代人からみても納得できる医療論説も有りません。
つまり医療現場に置いて、この相生相剋の認識で施術内容を考えている事はほとんどなく、あたかも五行論で治療をしている様な論理展開は聞こえてきますが、だからといって常に相生相剋で考えなくても治療は進められます。

ですから経絡治療とは五行の相生相剋論で考えるのではなく、そういう考え方もあって良い程度の物と言う認識が大切ではないかと考えています。


教科書などに「色体表」というものが載っています。
色体表を見てしまうと、二千年の長い歴史が合理的に整理してくれて、この表の書いてある通りに考えれば自ずと治療が成立するのであろうと、思ってしまいます。
例えば、「木」の項目を縦に眺めてみた時に「涙が出て筋肉が痛むのは肝臓の病気で、風を嫌い怒りっぽくなるから麦や鶏や韮を酸っぱくして食べれば治る」などと考えてしまいます。これは短絡で、複雑な人体がこんな明瞭な法則を示す事は有りません。
この様な形に考えてしまうのは、実は我々が受けて来た近代教育と、黄帝内経が成立した時の社会が持つ認識に違いがあるからです。
近代教育というのはいわば記憶力の訓練です。正確で多量の情報をいかにたくさん憶えられたかを試験して、ステップアップを図ると言う方法です。それによって「絶対」という認識が育ちます。複雑で高度な情報を中心とした社会には、個別に各々が持つ特有の能力よりも、その時に必要な情報だけを誰もが迅速に引き出す事だけが求められます。
それ以前の社会が人に求めた認識は「相対」でした。人の発想力や想像力や少ない情報からの応用力が重要でした。そういった能力を駆使して、いかに多角的なモノの見方で事象を捉えるかが大切だったのです。古代文献や太古から受け継がれた物の全てが、憶えなければ成らない絶対的な知識ではなく、相対認識に向けた豊かなモノの見方を支えるためのヒントなのです。
我々が受けてきた教育は「たった一つの精度の高い正解を素早く導く事が価値」という認識ですが、そのため「決められた事を忠実に守れば誰でも出来るはず」という勘違いを生みます。つまり相生相剋論や色体表に間違いが有るのではなく、我々の捉え方が合っていないのです。

色体表

五 行  木   火   土   金   水 
五 臓  肝   心   脾   肺   腎 
五 腑  胆  小 腸  胃  大 腸 膀 笳
五 役  色   臭   味   声   液 
五 ラ 中 風 傷 暑 飲食労倦 傷 寒 中湿
五 根  目   舌  口 唇  鼻   耳 
五 支  爪   毛   乳   息   髪 
五 主  筋  血 脈 肌 肉 皮 膚  骨 
五 変  握   憂  吃 逆  咳   慄 
五 精   魂   神  意・知  藪  精・志
五 志  怒   喜 

憂・悲 恐・驚
五 悪  風   熱 

湿
 燥   寒 
五 色  青   赤   黄   白   黒 
五 香  腴   焦   香   腥   腐 
五 味  酸   苦   甘   辛   鹹 
五 声  呼   言   歌   哭   呻 
五 液  涙   汗   涎   涕   唾 
五 音  角   徴   宮   商   羽 
五 労 久 歩 久 視 久 座 久 臥 久 立
五 季  春   夏  土 用  秋   冬 
五 方  東   南  中 央  西   北 
五干支 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 瓠
五 穀  麦   黍   粟   稲   豆 
五 畜  鶏   羊   牛   馬   羈 
五 菜  韮   薤   葱  豆の葉

例えば基礎技術で、間接的に「証」をたてる考え方が有ります。
左右の脈の比較をして、より特徴的なのが左なら「肝」「腎」、右なら「肺」「脾」。さらに尺膚の五主で分類します。
  脾     導き出された臓の名称の左図の対側の経を「証」とします。
肝⇔連稜戞  ,海譴楼豸、相生相剋的ですが、五行論的法則では有りません。
  腎     五行に配当してあるだけです。

ですので五行の認識を確認します。それが今回の生体認識となります。
実は五行論には二種類あります。
一つは相生相剋の五行です。これを絶対五行とか原理五行と呼ぶと良いのではないかと考えています。
もう一つが五行と陰陽の組み合わせです。これを相対五行とか現象五行と呼んで良いのではと考えます。
実は医療現場に置いては、と言うより一般実用の面ではこの現象五行と呼んでいい物の方が、遥かに使用状況が整います。 

五行と陰陽の各組み合わせは、右記の通りです。
五行の表に配当された項目は、基本的にこの陰陽との組み合わせによる物です。
つまり色体表は全てこの陰陽の考え方で分類されています。季節も方角も現象を陰陽の性質で認識する為に、五行の形で分けてあるのです。

陽である物
→↓
木-陽へと
向かうもの
変化と中軸
金-陰へと
かうもの
↑←
陰である物

ところが五行論の勉強をしようとした時に、この陰陽との組み合わせはどこにも書かれていません。五行論以前にまず陰陽論を習うのですが、だから当然、五行は陰陽と組み合わせて考えるでしょうと、古代の人は自然に発想したのです。古代の人は教わらなくても陰陽の性質で五行を考えたのに、現代人は自力では気がつけないくらい発想も想像もそこからの多角性も乏しいのです。

ところで五行五行と言っていますが、経絡治療の患者で最も多いのは、自力で通院して来る整形外科的疾患です。この場合の多くに対して、五行で考える様な治療が必要だとは思えません。陰陽でも五行でもない取り組みも、古代の多角性の中に含まれています。ただ我々の治療にも形態と言うのが有って、経絡治療の治療の進め方や捉えかたは黄帝内経を参考にして出来上がってきました。
でも、経絡治療なんだから、何が何でもあらゆる事を五行の相生相剋論で考えましょうと言うのは、ないと思います。
まずは医療に縛られずもっと大きい意味で、大自然全体の現象を五行で捉えておく事が必要なのです。

陰陽論のおさらいをします。
陰陽論で物事を考える上で知っておかなければ成らない事は、陰陽と言う分け方には「固定された基準が無い」と言う事です。陰陽と言う言葉は「明と暗」や「高と低」などの対象語として使われますが、厳密には違います。例えば1mを基準とした時に1m20cmなら「高」で、80cmならば「低」です。これは「絶対」というものの見方です。
陰陽論では、片側が「明」であればもう片側は「暗」ではなく「平」です。つまりどちらかの特徴を知る為に、もう片側を「平」つまり基準と考えるのです。「平」の方が「暗」であれば「明」だった側は「平」です。「平」に対して高い片側は「高」であり、もう一方はより低いので「低」となるのです。これは双方を比較し合う「相対」という考え方です。比較し合うのは、ある条件に於いての関係性を探るためです。比較で成り立ちを知り、成り立ちと言う関係性で互いの変化が解ります。陰陽論は「ある条件」をもうけ物事を区切って考えます。その区切りが「テーマ」です。陰陽で分けるには必ず「テーマ」が必要で、それは物事の「変化」を探求したいからです。とある条件で区切られた物事の変化を知る為にテーマを決め、その変化を知って性質を把握するのが陰陽論の目的です。そしてその陰と陽の間を人為的に細かく分けたのが相対五行です。
例えばテーマを「季節」とした場合、その変化は「温度」です。温度の変化を知って生活に備え、農業などに役立てます。その年の最も暑い時を「夏」、寒い時を「冬」とします。毎年最高温度も最低温度も違いますので何度以上が夏で何度以下が冬と言う訳には行きません。つまり「絶対」ではなく「相対」です。
でも年間のこの温度変化を起こす仕組みは解ります。太陽の運行です。一年間で最も太陽が高く昇って昼間が長い日があり、その半年後には最も低くて昼間の短い日が有ります。この太陽の運行の最も高く昇って昼間が長い日を「陽」、最も低くて昼間の短い日を「陰」とした時に「夏は火」「冬は水」という基本軸ができます。するとこの「火」から「水」もしくは「水」から「火」まで変化する時期が有ります。そうした場合、「水」から「火」つまり陰から陽に向かうものを「木」、「火」から「水」という陽から陰に向かうものを「金」と決められます。

こうすることで「春は木」「夏は火」「秋は金」「冬は水」という配当になります。
しかしこれではまだ各季節の境目が不明瞭です。この不明瞭な境を明確化したいという要望で、人は意を働かせます。その意によって一年間を356日と観察し、12ヶ月と区切りました。12ヶ月を四季の4で割ると一つの季節は3ヶ月と限定できます。この各季節の3ヶ月の真ん中の日に太陽が最も高くて昼間の長い日と、最も低くて昼間の短い日と、その中間にある昼間と夜の長さが同じ日を当てはめます。そうすることで春夏秋冬を便宜上区別する暦と言うものの元が出来ます。
こうして区切った境目を次の季節への変化点と考え「土」としました。かと言って夏至の一月半後がいきなり秋に成る訳ではありません。変化の余裕をみるために、まずは365日を五行の5で割り「73」を出します。これは春夏秋冬に土を加えた各季節の日数です。しかし土は各季節に分散された変化の時期ですので、さらに73を4で割って約18という数字を出します。この18日を季節が変わって73日経った後ろに加えます。73+18=91 この91日が一つの季節の長さとなり、その季節が終わる前の18日間を土用と言います。「土」は人為を意味する場合が多く、方角の東西南北もある地点の「中央」の「土」に人が居て、観察した結果での配当です。何故なら日本の東はアメリカの西だからです。人が使用するにはある種の便宜が必要なため、人の意識と言う基準で五行の配当を区切って行く訳です。

「人が“意”を持って観察した大自然の現象」と言うのが大切です。
人は意識を心の内から体の外に向けて、取り巻く大自然を観察します。これは能動的で内→外への動きです。内→外は陰→陽ですので意識を外に向けた能動的動きは「木」です。能動的動きは意図として情報把握に勤めます。能動的動きの代表は骨格筋であり、意図として情報把握の代表は目です。
しかし人は大自然に身を置いていると、音や温度、匂いなどの情報は放っておいても収集されます。これは受動的な働きです。この受動的な働きもそうですし、能動的に掴んだ情報を知覚したと言うのも外→内の動きです。外→内は陽→陰ですので「金」です。受動的な働きの代表は皮膚で、鼻や耳などは意図とは別に勝手に情報を拾います。
意図的に把握した情報も勝手に収集された情報も、“意”によって分別され“知”と成ります。その働きが「土」です。結果、情報が知識や経験となって身に蓄積されれば「水」となり、その蓄積が能力として発揮されその個人の特徴として社会に認識されれば「火」となります。
能力の発揮は「木」で社会からの認識は「火」ですが、社会活動での体験は「金」です。体験がまた知識や経験と成れば「土」で、内面の充実が「水」です。 【この五行循環が人側から社会や大自然を観た「小宇宙」です。】
この小宇宙を成り立たせる五行循環は、五臓によってもたらされます。人体内部に五臓があるから五行循環があると考えるからです。それが黄帝内経医学の根幹です。小宇宙の五行循環は人の行動や意図だけではありません。むしろ生理こそ大自然と呼応し合うための五行循環と言えます。

小宇宙の生理活動の五行循環が、生体認識です。
小宇宙に対しての大宇宙は大自然ですが、それぞれが別々の中核を持っています。小宇宙の中核は五臓で大宇宙は太陽です。太陽はその運行で東西南北を作り、春夏秋冬を興します。五臓は各臓が内包している魂神意魄精で生理活動をもたらせます。
自然と呼応し合う五行循環の生理活動とは外的変化への対応です。大宇宙である外環境の変化に対し、小宇宙である内環境を変化させて平均を保つと言う働きです。五臓が魂神意魄精をもってして体内にもたらしているのは内部環境の保持で、現代用語ではホメオスタシスといいますが、内部環境を外的変化から守るために五行循環と言う生理活動を興します。

毛穴を

体温を

水分量を

熱い

開く

下げる

増やす

寒い

閉じる

上げる

減らす

仮に外環境の気温の変化に生理活動が対応したの場合、左表の様な事が体内で起り内部環境の安定に勤めます。外環境の温度変化の影響で、体温が変わらない様にするためです。この時の「気温の変化を知覚(金)」「熱くなったか寒くなったかの判断(土)」「肉体が毛穴の開閉や体温の上下で対応(木)」「衣服や空調など行動で対応(火)」「外環境の変化を経験として蓄積-予めの水分量の増減(水)」が生理活動の五行循環です。