2014-6-15 病体治療の解説と実際 加藤秀郎

病体治療は間接治療か?と考えたときに、
症状軽減が主体の治療である場合に「直接ではない」と言えます。
なぜ対象治療を直接であり標治、病体治療を間接であり本治としたのかいえば、標治で症状軽減を果たせるので本治の必要性は理解されていないと思い区別をしてみたからです。対象治療で患者からの要望が果たせるなら、方法論だけの学習で充分です。もし症状軽減だけが治療要望なら、修得に時間と手間のかかり、なおかつ患者サイドからは何のためにやっているのか分からない本治法は、どうしても後回しにせざるを得ないという意見です。

患者側からは「低料金と省時間」を、術者からは「省時間と浅い認識で済ませたい」を求められる現代で、病体治療という概念は時代の流れから逆行しています。

では直接医療ばかりを患者は求めてくるのかというと、そうではありません。
患者は症状を訴えるので、我々が勝手に直接治療を求めていると、決めつけているのです。
実は治療希望者の誰もが、症状の原因を知りたがっています。
「膝が痛いのは腰からですか?」とか「腕の痺れは首のせい?」と聞かれる方はたくさんいます。つまり膝関節痛で受診しながら、膝にだけ鍼をいくつも刺すのは治療として不充分なのではないか?と思っているのです。
ちゃんと因果関係を突き止めて、痛みをごまかすだけの治療はするなよというメッセージが「膝が痛いのは腰からですか?」に込められています。つまり私は解っているんだからな、ということです。ただし膝が痛いから腰も治療するのは、対症治療の範囲です。この場合は対症治療の範疇において、膝は直接、腰は間接です。
膝が痛い患者は膝の痛みをどうにかしてほしいのですが、治療後もできるだけ痛みの再発を防ぎたいのです。痛みを軽減してさらに痛くない期間を長く保つには、痛みの箇所+原因となる場所の治療も必要と、患者さん側が考えて来院してくるのです。

例えば我々は、腕や脚が痛い人に背中も治療します。
生活中の一般動作は、背中の動きが軸になって行われるからです。つまりどんな暮らし方をしていようと必ず背中は疲れますし、疲れた背中の動作の影響を受けて手足に痛みが及びます。これは標治法の範囲ですが、患者の求める「痛みの箇所+原因となる場所の治療も必要」は満たします。しかし「できるだけ痛みの再発を防ぎたい」には、ほぼ答えていません。なぜなら背中の筋肉の疲れは標治で緩和できても、その筋肉を疲れさせている体力低下は解消されていないからです。この体力低下への治療が、病体治療といえます。
ところが病体治療だけでは、患者が治療院にいる時間内での症状緩和が見込めません。患者は術者を前にして、症状が軽減したのを確認したいのです。そしてその上でしばらくは症状からの苦しみを感じなくて済むと安心したいのです。

「症状の軽減」に対して病体治療は間接です。
しかし「しばらくは症状からの苦しみを感じなくて済むと安心したい」というもう一つの要望を主体と考えれば、病体治療への要望となります。そうなると病体治療という行為は間接治療ではなくなります。ですから冒頭に“症状軽減が主体の治療である場合に「直接ではない」”としたのは「病体治療を望みながら症状軽減を主眼においている要望」での来院だからです。
何の知識を持たない方でも、症状だけでなく原因もどうにかしてほしい。しいては病気を起こすこの体そのものをどうにかしてほしいという要望を持って、我々のところに来院します。なぜならこの要望は病院では果たしてもらえないと気がついたからです。「現代医学は表層的に症状を軽くするだけ」だから「体の芯までの治療は東洋医学だろう」と考えて来るのです。

つまり「鍼治療」の看板をあげている以上、社会からは
病体治療という本治法の施術
を求められているのです。

「病体」とは何か?

その前に「健体」とはどういうことなのか?
我々はほ乳類であり、恒温動物であるということが原点です。古今東西を問わずあらゆる医学が、人体の内部環境に着目していきました。「ホメオスタシス」です。つまりどんなに寒くとも人の体はなぜ暖かいのか?どんなに暑くともなぜ火照らないのか?という動的平均です。外気の温度が大きく変化しても、体内は一定の温度が保てる。しかし器の水は冷めてしまう。体内が外気温とは逆のダイナミックな変化をすることで、この一定性があるのではと考えたのでした。的確でダイナミックに対応できる生理の原理に、「天地人」という考え方が用いられます。
そして恒常性の維持、もしくは内部環境の保持が健康状態の基本といえます。

外気の変化に体内の生理動作が、的確で迅速に対応し続けられるための体力があること。
それが「健体」といえます。

逆に生理の動作対応の「的確」さや「迅速」さがいくらかでも損なわれていれば、それは「病体」とみなされる判断材料となるのです。

この「病体」とみなす判断材料の取得方法が「望聞問切(四診法)」です。

かといって診断対象は「的確」さや「迅速」さではありません。「的確」さや「迅速」さは生理対応が上手にこなせていない様子を形容しているだけです。必要なのは「どうして上手にこなせていないのか?」です。そのどうしてを探るために「望聞問切」があるのです。
この「望聞問切」のうちの「切」が2014年4月の講義の脈診と尺膚診です。
この初心者用の実技では用語を実用に近づけるため、五臓を割り出す形をとっています。五臓の名前を使って傷害部位を割り出しどんな病体であるかを把握して、治療に結びつけるプロセスを修得するカリキュラムとなっています。

では「健体」であるがためには、なぜ生理動作の「的確」さや「迅速」さが必要なのか?

いつどれだけ変化するかわからない外環境に応じて、ホメオスタシスを守るための丁度良い対応を常にし続けている様相が健康です。この健康状態は、内部環境が外環境の変化から干渉されないよう生理の動作で維持されています。逆に対応動作に微細な失敗をしてしまっていれば、それを「病体」といいます。つまり病体とは生理動作のある程度以上のガタ付きです。このガタ付きを現代医療では「自律神経の不安定」と言っています。

「自律神経の不安定」である
‘ガタ付き’をどう把握するか
で、
様々な言葉が当てられました。
「陰陽」「五行」「五臓」「五精」「五主」「七神」「三焦」「五臓六腑」「天地人」「気血」「津液」「精気神」「気形質」「気血精」「経病・腑病・臓病」

これらの言葉は学問とは別に、施術者が様々な用途でその都合に合わせて使い分けています。そして今の経絡治療の中では、広い意味の統一性はありません。各施術者が病体を把握し治療に繋げやすいように、それぞれの用途に沿って独自の使い分をしているのが現状です。だから経絡治療を勉強しようとして、いろいろな施術者の話を聞くと混乱してしまうのです。
初学者は漢方が大いなる1つのものと思いがちですが、小さなたくさんなものの集合体です。小さなたくさんのそれぞれは、言葉の統一性を持たずに散在しています。しかし言葉では探れない形での大きな根本が、一つの筋として通っています。
その言葉では探れない大きな根本の筋が理解できれば、誰でも経絡治療的な独自の治療法を編み出すことができます。自分で作ってしまえばわざわざ覚える必要ありません。そうかといってデタラメに勝手な使い方をするわけにもいきません。
経絡治療への向学は様々な臨床者の話を聞きながら、大きな根本を探し出す必要があります。

初心者用の実技は「五臓」の割り出しに絞った診察です。

「生体の全て不具合は五臓のいずれかが病傷」であると“仮定”して、ガタ付きの内容やレベルを推察する練習ができます。例えば特定された五臓のいずれかで、体内損傷を大きく「気」と「血」に区分して、その病因は機能の問題なのか形質の問題なのかという区別をして、「気」なら軽く「血」なら重いという判断もできます。
また季節や症状と五臓のとの組み合わせも、傷害内容や損傷レベルの推察が可能です。
その分類法が下記となります。
○○
脾と肺は気の臓と考え、機能の損傷が原因の病体です。血を補って治療とします。
肝と腎は血の臓と考え、形質の損傷が原因の病体です。気を補って治療とします。
もう少し細かい診方として、各五臓を損傷レベルのゲージと考え、体の状態や季節と照らし合わせて損傷の程度と内容を推察する方法が下記の表です。
すべて初級者用の診断法の学習プログラムです。
レベル

季節

土用

土用
症状
筋肉痛
微熱
機能損傷
呼吸器系
疲労
消化器系
婦人科
泌尿器
疲労
消化器系
婦人科
泌尿器
疲労
消化器系
機能損傷
呼吸器系
疲労
消化器系
筋肉痛
微熱

季節

土用

症状
疲労
消化器系
機能損傷
呼吸器系
筋肉痛
微熱
婦人科
泌尿器

季節

土用

症状
冷え、婦人科
泌尿器
筋肉痛
微熱
機能損傷
呼吸器系
疲労
消化器系

このような表を元にして、治療に必要な損傷部位とその傷害内容とレベルを把握して原因を診断すれば、治療方法を特定するまでの一連の流れを身に着ける訓練になります。
レベルの軽中重は五行の同行、相生、相剋の違いです。
仮に、尺膚を診て五主の「筋の硬さ」が見受けられ脈では「左が強く」感じられたため「肝」の病症であると仮定します。治療をする季節が「春」であり症状が痛みであったなら、五行では同行の括りとなるため損傷レベルは「軽・軽」となります。原因は肉体労働で形質を痛めた「血の傷れ」として、逆の「気」である「肺」の経絡を使って体の力を補う治療を施します。損傷レベルは「軽」ですので、少し休んでいただければ体が軽くなりますよとアドバイスできます。

これで先ほどの言葉の中の「陰陽」「五行」「五臓」「五主」「気血」と「気形質」の一部を使って、生理学や治療理論の形が模倣できます。

レベルは「中・中」以上では、ドーゼ(治療刺激)の量で対応します。ドーゼのコントロールは術者がどれだけ治療の経験をしたかで、身につけられます。診察と治療の経験を積みながら、この表で区分した分類のあらゆるパターンの治療をこなし、それぞれのパターンの理由を考え実際の患者の体との照らし合わせをしていくことで、技術の「ドーゼのコントロール」と理論の「大きな根本」の二つを獲得していくことができます。

まずは五行によって分類されたものを、どのように取り扱うかが基本となります。

ただし五行分類も五行論の要である相生相剋論も、治療論のすべてではありません。特に五行の色代表は単に分類されたもののサンプルです。色代表に則って診断や治療をするということはありませんし、まして色体表から外れた診断をしたら間違いであるということはありません。

学問の基本は分類です。分類によってあらゆるものの性質を把握します。

しかし現代は、その分類を細分化することばかりに囚われているのではないかと思われます。なぜなら大自然には、性質の異なったもの同士が組合わせが存在します。「晴天の雨」「夏の雪」「干ばつの洪水」こういった状態への推論こそが、学問というものへの本質であると考えています。ですから五行分類もまた性質の把握です。性質の把握のためには色体表を横読みして、なぜ“木”や“水”などに配置されたかを考読しておかなければなりません。それでも五行性質の把握は、結論へ向かうための仮説を立てる材料の一つです。四診法の病体観察でその様相を把握し、様相を作り出す様々な組み合わせを推論して仮説を立ち上げることが、本来の「証」を建てるという作業です。その証に基づいて治療をし、施術結果を確認して立証となります。
経絡治療の“証を建てる”とは、
診察をして仮説を立て、実行として治療をしその成果で仮説を立証するという一連です。

例えば「三焦」とは、この医学の独自のものです。

体幹を上中下焦に分け、それぞれに五臓が配当されています。
この配置は季節と人体とのつながりを示していいます。上焦は陽、下焦は陰ですが、そのまま上焦は夏、下焦は冬となりそれぞれに心と腎が配置されています。季節は巡り冬から夏に向かう春の作用を肝、夏から冬に向かう秋の作用を肺として、上焦や下焦のカップリングができあがります。上焦から肺が下げ下焦から肝が上げるのです。
古典では三焦水道ともいいますが、これはそのまま体内の水の流れが季節に対応していることを図式化しています。実際に飲水する脾が中心軸となっての回転です。
どういうことかというと、上焦に上がるとは体表付近に水分が集まるという意味で、夏は体表に水分を拡散させて、蒸散を活発にして冷えやすい体にしているということです。冬は下焦に下げて、体内に水分を集め体を冷えにくくします。
また運動すれば水分を体表にあげて体温を逃がすようにします。これも肺と心の働きです。この三焦という仮想機能を中心に、全身へと水分が動く様相が「栄気、衛気、宗気という分布成分」です。

この
三焦という考え方
は、
ホメオスタシスという言葉がまだなかった時代
に、
体内環境の保持
どのようにされているか
具体的に示した
医学史的一例です。

生体は外が寒くても死ぬまで冷たくならないし、暑くても死ぬまで腐らないのは何故か?
人体内部では人知れず何かの動作があって、外界の影響を受けずに内部を一定に保てる。その機構こそが生命であり、保てるか保てないかが健康と病気の違いではないかと考えたと、思われます。そしてその機構は季節と連動しているとしました。それは単に寒ければたくさんカロリーを燃やして体温を作り、暑ければ何にもしないで闇雲に汗だけかいていたら、体は疲れてしまうからです。
そこで夏は体内水分を増やして体表に拡散させれば冷えやすい体となり、貴重な水分を汗で出して無駄を遣いをしません。また冬は水分量全体を減らしたうえで体内の奥に集めれば、ガンガンにカロリーを燃やさなくても体温が保持できるであろうと考えて、三焦という仮想機能が想定されました。
つまり恒温動物とは、常なる水分移動とカロリー燃焼のバランスで命や健康を保持していると、黄帝内経医学から我々は結論できます。

今、

どのようにホメオスタシスを守って

いるか。

それが

<病体観察をする上での基本概念>

となります。

四診法で、ホメオスタシスに支障する要素から体を守っている生理活動の、把握をします。
そこから起こした
治療方針が“証”
で、対応するための
取り組み姿勢が「病体治療」
です。