六十四難、六十八難から考える井、、兪、經、合の意味

まず、六十四難の原文を読む

六十四難曰く、十変に又言う。陰の井穴は木.陽の井穴は金.陰の穴は火.陽の穴は水.陰の兪穴は土.陽の兪穴は木.陰の經穴は金.陽の經穴は火.陰の合穴は水.陽の合穴は土.陰と陽が皆同じではない.其の意味は何か?

是は剛柔の事也。
陰の井穴は乙(きのと-木の陰)木。陽の井穴は庚(かのえ-金の陽)金。陽の井穴は庚(かのえ-金の陽)。庚(かのえ-金の陽)なる者は乙(きのと-木の陰)のNTER">
噫(おくび。
胸がつかえて出るげっぷ)
語(かたる)
呑(飲む)
欠(あくび)
嚏(くしゃみ)
 
咳論篇第三十八 」では、
黄帝問いて曰く、肺の令(冷え?)で人は咳をする、なぜか?
岐伯むかいて曰く、五藏六府、皆令で人は咳む、肺の単独に非ずなり。
帝曰く、其の状を願いて聞く。
岐伯曰く、皮毛は、肺の合なり、皮毛が先ず邪気を受け、邪気を以て其の合に従すなり。其れ寒の飲食を胃に入する、脈は上りてに肺に従し於いて肺に至り、則ち肺は寒す。肺の寒は則ち外内の邪因の合にて客し, 則ち肺にて咳をなす。五臓は各を以て其の時に病を受け、其の時に非ずして、各に伝えり以て与えし、人の与えしは天地の相參、故に五臓は各を以て時に治し、寒に於いて感ずるは、則ち病を受し、微は則ち咳をなし、甚しければ泄と痛をなす。
 秋に乗じては則ち先して肺が邪を受け、
 春に乗じては則ち先して肝が邪を受け、
 夏に乗じては則ち先して心が邪を受け、
至陰に乗じては則ち先して脾が邪を受け、
 冬に乗じては則ち先して腎が邪を受ける。
帝曰く、何を以て異とするか?
岐伯曰く、
肺咳の状、咳をして喘息し音を有し、甚しければ則ち唾血す。
心咳の状、咳は則ち心痛す。喉中に介(はさまる)りし梗(かたいとげ)の如し咳、甚しければ則ち咽が腫し喉が痺す。
肝咳の状、咳は則ち両脇の下が痛み、甚しければ則ち転じるを以て不可とし、転じれば則ち両(脇腹)の下が満ちる。
脾咳の状、咳は則ち右の脇の下が痛み、肩や背に陰から引き、甚しければ則ち動じるを以て不可とし、 動じれば則ち咳は劇す。
腎咳の状、咳は則ち腰と背が相引し痛み、甚しければ則ち咳が涎す(よだれを垂らす)
帝曰く、六腑についてどうか?どこが病を受けるのか?
岐伯曰く、五臓の咳が久しく,六腑に於いて移る。
脾の咳が已むまねば、則ち胃が受けて、胃咳の状、咳は嘔し、嘔すること甚しければ則ち長蟲(回虫)を出す。
肝の咳が已むまねば、則ち胆が受けて、胆咳の状、咳は胆汁を嘔す。
肺の咳が已むまねば、則ち大腸が受けて、大腸咳の状、咳は遺失(大便を漏らす)
心の咳が已むまねば、則ち小腸が受けて、小腸咳の状、咳は失気(おならを漏らす)。咳が与え気と倶に失す。
腎の咳が已むまねば、則ち膀胱が受けて、膀胱咳の状、咳は遺溺(小便を漏らす)
久しく咳が已むまねば、則ち三焦が受けて、三焦咳状の状、咳は腹が満ち、食飲は不欲する。
此らの皆は胃に於いて聚し、肺の於いては關(かんぬき)とし、人は多く涕唾で面は浮腫し気は逆し使(せし)むなり。
帝曰く、治は何か?
岐伯曰く、臓の治は其の兪を治し、腑の治は其の合を治す。浮腫は其の経を治す。
帝曰く善し。
咳にの関しても宣明五氣篇第二十三の表や、咳論篇第三十八の「 人は咳む、肺の単独に非ずなり」から、まずは肺の病であることがうかがえます。
そのうえで‘肺の単独に非ず’つまり発生は各五臓に起因理由があるためで、金-經-喘咳寒熱という経穴に配当した理由も伺えます。

水-合-逆氣で泄


泄については五十七難にあって、

此れ五泄の法なり。

胃泄 脾泄 大腸泄 小腸泄
飮食不化 腹脹滿 食已窘迫 溲而便膿血 裏急後重
色黄 泄注 大便色白 少腹痛 數至而不能便
食即嘔吐逆 腸鳴切痛 莖中痛
と、なっています。

その他、泄については上記の十六難にあります。
また、霊枢については、「九鍼論第七十八」にあります。
六府氣 膽為怒 胃為氣逆 大腸小腸為泄 膀胱不約為遺溺 下焦溢為水

素問にある‘逆’と‘泄’についての記載では、「宣明五氣篇第二十三
胃が為すは気逆を為して(しゃっくり)をし恐を為す。大腸と小腸は泄を為し、下焦は水を為し溢れ、膀胱の不利は(小便が出なくなる)を為し、不約は遺溺を為す。膽は怒を為す。是れに謂う五病。

逆気もしくは逆は、上記の十六難四十九難五十六難にあります。

素問にある‘逆’についての記載では、「通評虚實論篇第二十八」の、

帝曰く、従に則るは生、逆に則るは死とは何を謂うか?
岐伯曰く、従なる者、手足の温なり。逆なる者、手足の寒なり。

と、

方盛衰論篇第八十 」の

雷公が気の多少について問いて請う、何を逆か?
黄帝が答えて曰く、陽は左を、陰は右を、老は上を、少は下に従う。是れを以て春夏は陽に帰し為して生、秋冬に帰し為して死。反の則りては秋冬に帰し為して生、是れを以て気の多少逆。皆厥に為す。
問いて曰く、有余なるが厥か?
答えて曰く、一にして上り下らず、寒での厥は膝に到る。少なる者は秋冬に死して、老なる者は秋冬に生す。気が上って下らずは、頭痛して(倒れる病)す。陽を求めても得られず。陰を求めても審(こまごました点まで明らかなさま)せず。五部は隔(離れて)して徴(集まる)せず、広い野に居るがごとく, 空室に伏すがごとく、, 緜緜(めんめん)と満たせず日を属す。

十六難では、逆気、泄ともに腎脈にあります。四十九難五十六難には、逆が腎の欄に並んでいます。難経では逆気、泄ともに水-腎であるとしたうえで、泄に関しては五十七難で消化に関する臓腑を4つにわけ、大泄を加えています。泄は下痢のことと見てほぼ間違いなく、症状のタイプによって発症部位を分けています。

黄帝内経での逆気、泄ともにある記載は素問では「宣明五氣篇第二十三」霊枢では「九鍼論第七十八」で、逆気は胃のしゃっくりを泄は大小腸に関してですが、それ以外の記載に関しても、この2つはほとんど共通しています。

素問の逆についての記載で「通評虚實論篇第二十八」「方盛衰論篇第八十 」では生理的病理論といえると思います。逆とか厥という言葉は、霊枢モ難経と進むにつれ使用される回数がめっきり減っていく言葉です。
逆と水-腎の関係ははっきりしないのですが、泄は便が水状になることから四十九難の腎は液を主るにならうことが出来ると思います。ただ水-合-逆氣で泄と経穴に配当されたことについて、五十七難のように発症部位が分けられたためと思われます。
どうも

けい

心下満 身熱 体重節痛 喘咳寒熱 逆氣で泄
と限定できる要素はあるようです。
ただ心下満に関しては火-けい-心を逆氣で泄の泄に関しては土-兪-脾や六腑の性質を含んでもいるようです。
身熱と喘咳寒熱の少なくとも咳に関しては、各五臓にそれぞれ発症原因を持っています。
このことから結論として、
はっきりと五臓に配当できそうな症状で、それでもほかの五臓に起因するような特徴を持った症状に関しては、五輸穴に配当したとうかがえます。
しかし、これだけでは証の決定を経穴まで絞り込むといったところまでには行きません。
五行から運気を含めたさらなる展開が必要だと思います。


最後に
他の要穴で五輸穴とは別の、原穴についての難経の記載は「六十六難
体幹の輸募穴のついては「六十七難です。」