文鍼研における臨床の実際[尺膚診]文京鍼研究会;澤田和一

 当研究会では、病気の根本原因(邪気の種類や五臓六腑のバランスのくずれ)を四診法[望・聞・問・切(脉診・尺膚診)]などにより探し出し、治療方針である[証]を立て、全く痛みを伴わない操鍼技術を持って治療を行うことをモットーとしている。

[尺膚診]    
 尺膚診は、中国最古の歴史書である「史記」の倉公列伝の中にも記載されており、「素問」を経て、「霊枢」の邪気臓腑病形篇、同じく論疾診尺篇にいたる。
さらに、「難経」十三難においてもその記載をみる事ができる。切診の1手段である尺膚診は、脉診、腹診と並び、有用な診察法の1つであったことがわかる。

文鍼研における尺膚診

 「霊枢」・「難経」では、色・脉・尺膚の相関性を述べ、尺膚の診かたとしては、緩急・大小・滑渋を診ると表現されている。いわゆる脉診でいうところの脉状診に当たる見方であり、患者の病性(寒熱)病勢(虚実)を弁ずる。当会ではこれに加えて五主(五組織)の所見により、五臓の生理機能を診ることで病証部位の特定をしている。

尺膚診の特徴
 1. 脉診に比べ、前腕内側の・五主の状態は客観的に把握しやすい。
 2. 五主の消去法により、治療の証(あかし)の決定が容易である。
 3. 証や鍼のドーゼの適否が、直ちに尺膚所見に反映されるため、治療効果を容易に確認することができる。
 4. 複数の術者が左右同時に・五主の変化を確認できる。
 5. 尺膚診をする事により、基本的な触診の技術が修得できる。

尺膚診のすすめ方
 前腕内側を術者の手掌をもつて肘から手首にむかい軽く切診する事により、や五主の状態を通じて、患者の寒熱や気血の状態、五臓の虚実を決定する。
とは----術者の手が患者の前腕に触れるか触れないかの部分を言い、この部にて汗腺の開閉・温度・艶の有無などを診る。
五主とは----皮毛・肌肉・筋・骨・血脉のことであり、前腕内側の部位にてこれらを最も良く観察することができる。
1.肺(皮毛)
前腕内側の皮膚の枯燥、潤沢、寒熱、などの状態が季節に合っているか否かをみる。季節にあっている状態を良しとする。
2.脾(肌肉)
前腕屈筋群の筋腹の部位にて肌肉の栄養状態、硬軟をみる。ふっくらと柔らかい状態を良しとする。
3.肝(筋)
手関節の腱の部位にて筋(スジ)の状態、硬軟をみる。筋が硬く皮膚を押し上げているような状態は悪く、皮膚上、軽く、柔らかく触れる状態を良しとする。
4.腎(骨)
橈骨と尺骨と手根骨の骨(コツ)の充実度をみる。重すぎず、軽すぎずを良しとする。

治療の証(あかし)の決定
 「陰病は陽を治し陽病は陰を治す。五主の診察にて得られた結果により、最も状態が良く、かつ治療効果の得られる経脉を用いて本治法を行ない、病のある臓腑の機能回復を図る。
脉診では、右脉が大きければ肝または腎虚証、左脉が大きければ肺または脾虚証となる。大きいとは、陽経脉と陰経脉の差が大きいことをいう。

史記卷百五・扁鵲倉公列傳第四十五

倉公傳
(現、山東省付近)の氾里(はんり)の女子で薄吾の病が甚しい。
醫の衆は皆、篤(危篤の篤で病気が重い)な寒熱と以爲(オモヘラク;みなす)、死に當して不治。臣(へりくだりの自称)意(倉公の名)が其の脉を診て曰く、蟯(回虫)。蟯という病は腹大にて上膚が黄く7672(粗い)、戚戚(セキセキ;くよくよする)然(さま)と循(したがう)。臣意は芫華(げんか;薬草)の一撮を以って飮ます。即(直ぐ)に蟯(蟯虫;腹の虫)を數升ほど出すことを可。病は已(ヤム)る。三十日で故(以前の状態)の如く。蟯の病は寒濕に於いて得た。寒濕の氣が発せられざれば宛(曲がる)して篤(重い)、化して蠱と爲す。臣意が薄吾の病の所を知るは、其の脉を切(接)し其の尺に循(したがう)。
其の尺の索(診察結果)は刺すように7672(粗い)
が毛は美しく髮は奉。
是れ蟲の氣なり。其の色澤(光卓)は藏の中に邪氣は無く及び重病でもない。

素問

平人氣象論篇第十八
第一章
黄帝問いて曰く平人とは何か。
岐伯對(対)して曰く、人は一呼で脈が再(二度)動し一吸で脈また再(二度)動す。呼と吸と定息で脈は五動し、閏をもって太息し命に曰く平人。平人は不病なり。
常を以って病人を調して不病とし、醫(医者)は不病にて故に病人をおいて平息を以って法を調す。
人が一呼に脈一動、一吸に脈一動は曰く少氣。人が一呼に脈三動、一吸に脈三動は躁、尺が熱で曰く病
尺が不熱で脈が滑は曰く病が風。
脈が渋は曰く痺。
人が一呼で脈四動以上は曰く死。脈が不に至るは曰く死。疏(おろそか)や數(こせこせした)は曰く死。
第三章 第三節
臂(腕;尺膚の呼称?)に青脈が多く曰く脱血。
尺の脈が緩渋は謂うなれば解倦(異常な疲労)。
安じて臥しても脈が盛は謂うなれば脱血。
尺が渋で脈滑は謂うなれば多汗。
尺が寒で脈が細は謂うなれば後泄(下痢)。
脈も尺も(粗い感じ)で常に熱は謂うなれば熱中。

通評虚實論篇第二十八
第一章
黄帝問いて曰く虚実とは何を言うのか。
岐伯(対)して曰く邪氣の盛を則して実、精氣の奪を則して虚。
黄帝曰く虚実とは何か。
岐伯曰く氣虚は肺虚なり、氣逆は足寒なり、其の時に非すれば則ち生、其の時に当すれば則ち死。ほかの藏も皆、此れの如し。
黄帝曰く何を重実と謂うか。
岐伯曰く重実は言えば大熱病にて氣が熱し脈が滿つ。是れ謂うなれば重実。
黄帝曰く經絡倶(とも)に実は何か、何を以って治か。
岐伯曰く經絡皆実、是れの寸脈は急で尺は緩なりて皆、治に当り、故に曰く滑は則ち從、渋は則ち逆なり。虚実は皆、其の物の類に始まることに從う。故に五藏や骨肉に滑利すれば長久(長寿)を以って可なり。
黄帝曰く絡氣が不足し經氣が有余るは何か
岐伯曰く絡氣が不足し經氣が有余は脈口が熱にて尺が寒なりて、秋冬において逆し春夏において從うは病の主りを治す。
黄帝曰く經が虚し絡が滿が何か。
岐伯曰く經が虚し絡が滿は尺が熱で滿、脈口が寒で渋なりて、此の春夏は死、秋冬は生なり。
黄帝曰く此の治は何か。
岐伯曰く絡が滿ち經が虚は陰に灸し陽に刺す。經が滿ち絡が虚は陰を刺し陽に灸す。
黄帝曰く何を重虚と謂うか。
岐伯曰く脈氣の上で虚し尺も虚、是れに謂う重虚。
黄帝曰く何を以って治か。
岐伯曰く氣虚は言を無くすが常なり。尺の虚は歩行が惶(落ち着かない)。脈が虚は不象して陰なり。此の如くは滑は則ち生、渋は則ち死なり。

宣明五氣篇第二十三

第十一節
五藏の主る所、心は脈を主り、肺は皮を主り、肝は筋を主り、脾は肉を主り、腎は骨を主り、是れに謂う五主。

霊枢

邪気臓腑病形篇
第二章 第三節
黄帝曰: 色脈を定め何によって別するか。
岐伯曰: 其の脈の調は緩急小大滑渋で病変を定する。
黄帝曰: 調は何か。
岐伯答曰:
脈が急は尺の皮膚も急。
脈が緩は尺の皮膚も緩。
脈が小は尺の皮膚も減して少氣。
脈が大は尺の皮膚も起してふくれる。
脈が滑は尺の皮膚も滑。
脈が渋は尺の皮膚も渋。
凡して此の変には微と甚を有す。故に善く尺を調せば寸に於いて待たず、善く脈を調せば色に於いて待たず。參(三)合の能を行する者は上工を以って可。上工は十全のうち九、二つ行するは中工、中工は十全のうち七、一つ行するは下工、下工は十全のうち六。
第四節
黄帝曰: 請けて問う、脈の緩急小大滑渋の病形は何か。
岐伯曰: かしこまって請けて言う。五藏の病変なり。
心脈
肺脈
肝脈
脾脈
腎脈
(けいしょう;痙攣の意)
癲疾(癲癇(テンカン))
言うことを惡す
(けいしょう;痙攣の意)
骨癲疾(こつてんしつ;病根が深い癲癇)
心が背に引かれるように痛み、
食が下がらず。
肺の寒熱で怠惰(だるい)
咳で唾血(吐血)
腰背胸が引きつる、もしくは鼻息が肉で不通
肥氣が脇の下に在り杯を伏せたようになっている
膈中といい食飲が入っても還出する。
後に沫(泡)を沃(注ぐ)す。
沈厥もしくは奔豚(ほんとん)といい、足がうまく動かず前後(の陰竅)が不得
狂って笑う。
多汗
善く嘔く
痿(手足が萎(な)える)
厥(さらに冷える)
折脊(背骨が曲がって反らせない)
伏梁といって心が
下に在り
時に唾血が上下に行く。
痿(手足が萎(な)える)
偏風(半身不随)
頭から以下に汗が出て止らない
痺(腹に水が溜まって機能が阻害されている)
風痿(風で手足が萎(な)える)により四支不用
心は慧(聡)然とし無病のようにみえる
洞(どう;突き抜けるようなの意で水瀉便)
(咽下して)還出(嘔吐)
(喉の奥に何か引っかっている感じ)
脛(すね)が腫れる
内癰(体内の腫物)
善く嘔き衂(鼻血)を出す
撃仆(げきふ;何かに打たれたようにばったり倒れる)
陰の痿(萎(な)える)
心が背に引かれるように痺れ、
善く涙が出る。
肺痺といって胸背が引きつる
起きて日光を惡しむ
肝が痺れ陰(嚢)が縮む
咳が小腹に引く
疝氣といい腹裏が大し
膿血が腸胃の外に在る
石水(腹水)が起き齊より下の小腹に至り腫れて上り胃腕に至ると不治にて死
善くく(えずく)
泄(下痢)
多飲
寒熱
洞泄(どうせつ;水瀉便)
消疸
(しょうたん;食欲の異常(糖尿病?))
消疸
消疸
消疸
消疸
善く(喉が)喝く
息が賁して上氣する(喘息?)
疝(たいせん;陰嚢肥大)
(たいりゅう;陰嚢が腫れて小便が出ない)
(たいりゅう;陰嚢が腫れて小便が出ない)
心疝といい、齊(へそ)が引かれ小腹が鳴る
上も下も出血
遺溺(いでき;寝小便)
蟲毒蛸蝎(ちゅうどくしょうかつ;回虫?)で腹熱
骨痿といい骨が萎え坐れば起きられず起きれば則ち目無所見(目が眩む)
(声が出なくなる病)
嘔血
溢飲(いついん;汗や尿が出ず、手足が重く痛む)
(ちょうだい;脱腸)
大癰(だいよう;大きな腫れ物)
血溢(血が漏れて出血する)
維厥(手足が冷えてふらふらする)
耳鳴り
顛疾(癲癇(テンカン))
鼠瘻(腋と首にできるできもの(リンパの腫れ?))
が在って頸と掖の間の支えが
下が其の上に勝らず。
其れは善く矣(痛み?)に応ずる
痙攣や筋が痺れる
(ないたい)陰嚢内の何らかの病で膿血を下すこと多き
不月(月経がない)もしくは沈痔(肛門の深部の病み)

論疾診尺第七十四
第一章
黄帝が問い岐伯に於いて曰く、余は視色や持脈を無くして独り其の尺を調し、以って其の病を言い、外に從い内を知るにはどうすればいいのか。
岐伯曰く、其の尺の緩急小大滑渋と肉の堅脆を審(細かく見極める)し、そして病の形を定める。

人の目の上を視、微かな癰(はれもの)の如く臥して新たに起きた状にて、其の頸脈の動の時に咳をし、其の手足を按じた上, (よう;原義は遠く見る、意は窪み)そして不起(なかなかもどらぬ)は風水による膚の脹なり。
尺の膚が滑、其の(光卓の卓の意)澤(濡れたような光卓)は風なり。
尺の肉が弱は、解(えき;だるい?), 安じて臥しても肉が脱するは不治。
尺の膚が滑で澤脂(油のようにつややか)は風なり。
尺の膚が渋は風痺なり。
尺の膚が粗く枯魚(干物)の鱗の如くは水(いつ;水が溢れる)飲(飲んだ水が汗で出ず、手足が痛む)なり。
尺の膚の熱が甚しく脈が盛躁は病が温なり。其の脈が盛にして滑は病が且(まさに)出ずるときなり。
尺の膚が寒、其の脈が小は泄(下痢)にて氣が少い。
尺の膚が炬然(燃えるよう)で先に熱で後に寒は寒熱なり。
尺の膚が先に寒で久しくして熱が大するは寒熱なり。
肘の所のみ熱は腰より上が熱。
手の所のみ熱は腰より下が熱。
肘の前のみ熱は膺(胸)の前が熱。
肘の後のみ熱は肩背が熱。
臂(前腕)の中のみ熱は腰腹に熱。
肘の後(そ;そまつ)(肘頭)より下の三から四寸が熱は腸中に蟲が有り。
掌中に熱は腹中に熱。掌中に寒は腹中に寒。
魚上白肉(母子球)に青い血脈が有るのは胃中に寒が有り。
尺が炬然(燃えるよう)で熱、人迎が大は、奪血(多量の出血)。
尺が堅で大、脈が甚しく小、氣が少なく悗(うつろ)は死。
本藏第四十七
第四章
第一節
黄帝曰く、願くば六府の応を聞かせてほしい
岐伯答えて曰く、
肺は大腸に合し、大腸は皮に応
心は小腸に合し、小腸は脈に応
肝は膽に合し、膽は筋に応
脾は胃に合し、胃は肉に応
腎は三焦膀胱に合し、三焦膀胱は毫毛に応
第二節
黄帝曰く、応とは何か。
岐伯曰く、
肺の応は皮、皮厚は大腸厚、皮薄は大腸薄、皮が緩み腹裏が大は大腸も大く長い、皮が急は大腸も急で短い、皮が滑は腸直、皮と肉が相離ぬは大腸結。
第三節
心の応は脈、皮厚は脈厚、脈厚は小腸厚、皮薄は脈薄、脈薄は小腸薄、皮緩は脈緩、脈緩は小腸が大く長い、皮薄で脈沖(むなしく)小は小腸も小く短い、諸々の陽經脈が皆多く紆(う)屈なるは小腸は結。
第四節
脾の応は肉、肉(きん;は穀物倉)が堅く大なるは胃厚、肉が麼(ば;かすか)は胃薄、肉が小で麼(かすか)なるは胃は堅くにあらず、肉で不稱(身が計れぬほど痩せている場合)は胃下(胃下垂?), 胃下は下管(排泄)が不利、肉が堅くにあらずは胃緩、肉の裹累(起伏)が小さいか無いのは胃急、肉の裹累の多少の場合は胃結、胃結は上管(食道)が不利なり。
第五節
肝は爪に応、爪が厚く色が黄は膽厚、爪が薄く色が紅は膽薄、爪が堅く色が青は膽急、爪が濡で色が赤は膽緩、爪が直で色が白で無約(この場合は爪らしい形をしていないで、平らになってしまっているもの)は膽直. 爪が惡して色が黒く多絞(爪の皺が多い)は膽結なり。
第六節
腎の応は骨、皮が厚く密理(肌理(きめ)が細かい)は三焦膀胱も厚、皮が薄く粗理(肌理(きめ)が粗い)は三焦膀胱も薄、疏が疎なるは三焦膀胱は緩、皮が急で毫毛が無きは三焦膀胱も急、毫毛が美して粗は三焦膀胱は直、毫毛が稀(薄い)は三焦肪胱は結なり。

九鍼論第七十八
第五章 第二節
五主、心は脈を主り、肺は皮を主り、肝は筋を主り、脾は肌を主り、腎は骨を主る。

邪客第七十一
第三章 第三節
黄帝曰く鍼を持つことの縱舍(じゅうしゃ;取り扱い)は何か。
岐伯曰く必ず十二經脈の本末を知り、皮膚の寒熱、脈の盛衰滑渋を先んじて明とす。其の脈の滑で盛は病が日進し、虚で細は久に以って持す。大を以って渋は痛痺と為し、陰陽が如一は病が難治。其の(十二經脈)本末が尚(久しい)熱は病も尚(久しく)在り其の熱が已(止む)んで衰えしは其の病も去る。
其の尺を持って其の肉の堅脆を察し、大小滑渋、寒温燥湿、目で五色を視ることにも因り以って五藏を知り死生を決す。其の血脈を視て其の色を察し、以って其の寒熱痛痺を知る。
黄帝曰く鍼を持つことの縱舍(じゅうしゃ;取り扱い)、余は未だ其の意を得ずなり。
岐伯曰く鍼を持つことの道、端(真意)を欲っし以って正とし、安(疑問)を以って静とし、先んじて虚實を知り而(そうして)疾を徐くを行う。左手は骨(肉体の根元的状況)を執り(とらえる)、右手は肉果を与えること無き(具体的な肉体表現とは別)の循(つまりは経絡に対応)ずる。寫は欲端以正(上の行の"持鍼之道,欲端以正"とのカップリングで端正("定位"や"秩序の成り立ち"が初意)と言う言葉の因を使った文学的表現による技術伝授法。瀉に対する実は治療技術の初歩において状態を把握しやすく、病位の断定や治療プロセスを建て易い。その実の状態を意図的に欲すること)で補は必ず膚を閉じる。鍼の輔(ふ;初意は車台のそえ板。補足的な運転)は導氣、邪は淫の(いつ;溢れるの意)を得て真氣は居を得る。
黄帝曰く皮は扞(カン;攻撃を受け止めて守るの意)にしてそうりは開とは何か。
岐伯曰く其の肉を分けるに因り左にて其の膚を別し、微なること内にして徐(ゆっくり)に端(この場合、真意から転じて的確なる鍼の動作)を之(至り)、神を視て散さず邪氣の去を得る。