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いじめについて


 

文学にみる「いじめ」の解決法

 昨年の暮れに、「いじめ」が原因とみられる自殺が大きくマスコミに取り上げられ、政府を動かすまでに発展しました。ここでは私の意見を述べるのではなく、二つの文学作品を取り上げて、文学の中で「いじめ」がどのように解決されているかをみてみたい。「いじめ」とは何か、なぜ「いじめ」がおこるか、などはこの際どうでもいいこととします。

 

その一、「猫の事務所」宮沢賢治作

 猫の歴史や地理を調べる事務所には事務長と四人の書記が勤めていますが、四番書記の竃猫(かまねこ)は他の三人の書記に嫌われていました。ある日かま猫が風邪をひいて歩けなくなり、泣く泣く事務所を休みますと、他の三人の書記は共謀して事務長をだまし、かま猫が事務所にいられなくなるように画策します。翌日かま猫が事務所に行くと、みんなが無視して挨拶もしてくれません。その上、かま猫のやるべき仕事を他の三人が分けてしまい、何もすることがないのです。かま猫は一日中下を向いて泣いていました。さて、この「いじめ」はどのような解決をみたのでしょうか、以下にその原文を書きます。
『その時です。猫どもは気がつきませんでしたが、事務長のうしろの窓の向こうにいかめしい獅子の金色の頭が見えました。獅子は不審そうに、しばらく中を見ていましたが、いきなり戸口を叩いて入ってきました。猫どもの驚きようといったらありません。うろうろそこらを歩き回るだけです。かま猫だけが泣くのをやめて、まっすぐに立ちました。獅子が大きなしっかりした声で言いました。「お前たちは何をしているか。そんなことで地理も歴史も要ったはなしではない。やめてしまえ。えい。解散を命ずる」こうして事務所は廃止になりました。ぼくは半分獅子に同感です。』
 これが賢治の解決方法でした。猫という存在を超える獅子という大きな力が突然現れて有無を言わさず事務所そのものを閉鎖し、全員の仕事を奪ってしまったのです。かま猫も含めた事務所の全員を罰するというやり方です。先ほどの獅子の言葉を学校にあてはめてみてください。「おまえたちは何をしているか。そんなことでは数学も国語も何も勉強したって無駄だ。やめてしまえ。えい、学校を廃止する」とこうなるわけです。「いじめ」が出た学校はもう廃止してしまえというわけです。思わず快哉を叫びたくなりますが、賢治は「半分獅子に同感です」と書いています。「半分」というところが賢治らしいですね。因みに「猫の事務所」の初稿では「半分獅子に同感です」の部分が次のように書かれていました。
『かま猫は本当にかわいそうです。それから三毛猫も本当にかわいそうです。虎猫も実に気の毒です。白猫もたいへんあわれです。事務長の黒猫もほんとうにかわいそうです。立派な頭をもった獅子も実に気の毒です。みんなみんなあわれです。かわいそうです。かわいそう、かわいそう。』

 

その二、「デミアン」ヘルマン・ヘッセ作

 十歳のエミイル・ジンクレエルは、友だちと遊んでいたところ、たまたま近所の不良上級生フランツ・クロオマアと出会う。こわいので彼の命令のままに橋の下についていくと、そこで少年たちは、それぞれがやったいたずらや悪事についての武勇伝をひとりずつ語ることになる。エミイルはフランツの気をひくために、水車小屋の庭でリンゴを盗んだという嘘の話を語る。ところがフランツはその後、その話をネタに何度も何度もエミイルを恐喝することになる。水車小屋の主人に黙っている代わりに金を持ってこいというのだ。エミイルはその度に親に内緒で金を持ち出したりするようになる。金のないときは使い走りをさせられる。大河内清輝君そのままである。エミイルも大河内君と同じように、両親にはどうしても打ち明けることができず、一人で悩み苦しみ、夢でうなされ、たびたびもどしたりした。心配した両親は医者にみせたりしたが、医者は、冷水まさつをするようになどとトンチンカンなアドバイスをしている。エミイルが両親に打ち明けなかったのは、これを運命だと感じていたからだ。この「運命」という意識がたいへん興味深い。さて、この苦悩の解決は全く思いもよらぬ方角からやってくる。学校に一人の転校生がやってくるのだ。彼の名はデミアン。彼は恐るべき洞察力でエミイルの悩みを見抜く。彼の言葉を聞こう。
『何かきみのこわがってるものがあるんだね。きみのこわがっている人間がいるんだね。ところで、決してそんなものがあってはいけないと思う。そうさ、人間なんか決してこわがるもんじゃないと思うな。・・きみはあいつと縁をきったほうがいいぜ。ほかにどうしようもなかったら、そうしたらあいつをぶちころしちまうんだな。もしきみがぶちころしたら、ぼくは感服するだろうし、よろこびもするだろうな。手伝いもしてあげるかもしれない。・・まあ、いいさ。ぼくたちはきっとうまくやるよ。ほんとはぶちころすのが、いちばんてっとりばやいんだけどね。こういうことになると、いちばんてっとりばやいのが、いつもいちばんいいんだ。きみ、クロオマアにつかまってると、ろくなことはないぜ』
 エミイルがデミアンと別れてから何日かすると、エミイルの家の前で毎日聞こえていたクロオマアの口笛がきこえなくなる。さらに何日かしてエミイルが街でクロオマアに出会ったとき、彼はエミイルを見ると、はっとして、そのままくるりとあともどりして逃げ出してしまうのだ。デミアンはクロオマアにいったい何をしたのか。エミイルがデミアンに尋ねると、彼は次のように答える。
 「ただ、今君と話しているように、あいつと話し合っただけさ。そしてそのときにね、君にかまわないのが、あいつ自身の身のためだっていうことを、あいつにわからせてやることができたのさ」と。
デミアンはそれ以上何も言わなかった。

 この後、この小説はエミイルとデミアンの不思議な運命へと展開していくのだが、今回のテーマは「いじめ」なので、それには触れない。
 さて、デミアンはいったいクロオマアに何をしたのか、これでは具体的にわかりません。しかし具体的な方法などは知る必要はないでしょう。ここで重要なのはデミアンの言った言葉です。「ほかにどうしようもなかったら、そうしたらあいつをぶちころしちまうんだな。」という言葉です。脅迫され「いじめ」られたら、その相手をぶち殺せというアドバイスです。デミアンはエミイルがなぜ「いじめ」られるようになったかなど問題にしていません。エミイルが悪魔的存在にとらわれて死ぬほど苦悩しているというそのことだけを正確にとらえているのです。そうして、それは相手をぶち殺すか自分が死ぬかという、一人の人間の運命にかかわる重大な危機だということを見抜いているのです。「いじめ」の原因はいじめられる側の性格にあるとか、いじめる側の生育歴にあるとか、現代の社会環境にあるとか、様々なことがいわれるが、原因をつきとめることなど全て無効である。誤解を恐れずに言えば、「いじめ」は人間存在を超えた悪魔的存在がさせるものであり、決してなくなることはないのだ。ということはつまり、デミアンは悪魔払いなのである。悪魔払いの方法などわれわれに分かるわけがない。知ろうとしても無駄である。

おわり