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たこつぼ的国際交流のすすめ


 去る十月十三日の祭りに、アメリカから来ている英語の助手のジョンさん一家をわが家に招待した。これはわがわが家始まって以来の大事件なのだった。しかし母の実家では戦後まもなく外国人宣教師が布教のために訪れ、近所衆が集まって説教を聞いたことがあるらしい。従って母は外人と一つ家の中で話すのは初めてではない。

 さて、ジョンの家族は全部で四人。ジョンと奥さんのヒラリー(クリントン大統領夫人と同じ名前)。長男のジャクソンはまだ一歳九ヶ月。そしてその下に長女のメレリーがいる。彼女はなんとまだ生後二ヶ月しかたっていない。ジャクソンは金髪でまつ毛が長すぎるくらい長くて、精巧に作られた人形のようなのだ。親父は会う早々ジャクソンを足で抱え上げ飛行機だといって遊んでやる。ジャクソンは見事な発音で「AIR PLANE」と言って喜んでいる。ジョンは私に「あなたのお父さん若い」と言って笑った。赤ちゃんのメレリーはただただよく眠っている。わが家にいる間じゅう一回も泣かなかったのは驚くべきことである。昼食を食べ終わるとジョンはさっさと台所に食器類を片づけ始めた。アメリカでは招待されても積極的にその家の手伝いをするということは聞いてはいたが、まのあたりに見て感動した。私も座っているわけにいかず、一緒に後片づけをした。我が家の長男を中学二年だといって紹介すると、ジョンは驚いて、高校二年の間違いではないかと言った。我が家の犬、ポン太を紹介すると、なんとポン太は恥ずかしがって小屋に入ってしまった。ポン太にも外人はわかるらしい。話を聞いていくと、ジョンとヒラリーは二歳違いで、知り合ったのは十四歳、結婚はヒラリーが十八歳の時だという。アメリカでも早い結婚だ。ジョンはその時まだ学生だった。結婚しても目標を見失わず、勉強を続けて念願の日本に軽々とやってきてしまうところにアメリカの風土と日本の風土の決定的な違いを見てしまう。ジョンは大学で2年間日本語を学んできている。たった2年だが、その学習スケジュールはタイト、過密である。一週間でひらがなを全部覚えさせられてすぐテスト。次の週にはカタカナを全部覚えさせられてまたテスト。といった具合に、テストテストで追いまくられる。その試験に合格するのは全体の数パーセントという厳しいものだ。ジョンは2年間で挫折したのだと言う。それでも日本に来て何とかやってしまうたくましさ、楽天性に学ばなければならないと思った。ジョンに増してたくましいのはヒラリーだ。彼女は高校時代に日本に2年間ホームステイを経験しているので、日本語はジョンよりも達者である。そうはいっても異国の地で二人の子どもを育てるのは並大抵ではあるまい。日本に来たのはこの夏の8月の上旬である。メレリーを出産したのは8月の下旬である。いっそのこと、アメリカで産んでから日本に来ればよかったのにと我々は思ってしまう。しかし、常に夫婦一緒にいるのが彼らの流儀だし、生まれたての赤ん坊を長時間飛行機に乗せるのも無理がある。そこでともかく日本での出産となったわけだが、驚くべきことに、彼女は病院にも行かず、お産婆さんを頼み、アパートで出産しているのだ。へその緒はジョンが自ら切ったという。その翌日にはヒラリー自ら生まれたてのメレリーを抱いて学校に見せに来ているのだ。ちょっと何もかも信じられない。彼らの出身地オレゴンはかくも逞しい人間を育てる土地なのか。

 何はともあれ、私は彼らをまつりに連れていった。ジャクソンのかわいらしさに誰もが立ち止まり話しかける。酔っぱらいもしつこく話しかける。「FESTIVAL IS VERY GREAT」などと愚にもつかない言葉を繰り返し、酒臭い息を吐く。別の酔っぱらいはジョンに酒をつごうとしてコップを捜したが見つからず、ごみ箱から紙コップを拾い出して無理矢理ジョンに飲まそうとする。それでもジョンはニコニコと応対している。全く偉いものだ。お祭り広場でおしめが濡れているのに気づいたヒラリーはちょいとしゃがむと赤ちゃんを膝の上に寝かせ、片手で頭を持ち、片手で器用におしめを取り替えた。私がジャクソンにあんぱんマンのお面を買ってあげたのだが、全く顔のサイズと合わない。そのうちジャクソンはいらいらして紐を切ってしまい、道ばたに放り投げた。それを見ていたジョンは道の隅にジャクソンを連れていって、静かに優しくゆっくりと何やら言い聞かせている。決して人前で大声で怒ったりしない。そのちょっと前にも、時間の都合で場所を移動しなければならないのにジャクソンがもっと遊びたいと言って駄々をこねた時があった。その時もジョンは同じように静かに優しく説得していた。言葉もよくしゃべれない子どもに一生懸命言葉で説得 する。これが民主主義の国だ、などと勝手に感動するのだった。
 

 お祭りには他の外国人もちらちら見られた。この町の工場で働くイラン人らしき人たちだ。だが、誰も彼らに話しかけるものはいない。ここにも根強い人種的偏見を見ることができるのだった。

おわり