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酔生夢死とはなにか


 先日、テレビで、ジュリアナのお立ち台でお尻を出して踊る女性を見て以来、一つの疑問にとり憑かれている。この疑問は学生の頃から折にふれて繰り返し頭を占領してきた疑問である。疑問というより、不思議な感慨といったようなものである。強いて言葉にすれば、「あの娘の人生とこの私の人生と、どこがどのように違うのか、違わないのか」ということになろうか。この疑問の起源は、お祭りの時によく言われる言葉にさかのぼる。すなわち「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損そん」というやつだ。「あそこで踊っている人と、踊らずにここにいる私とは、どこがどのように違うのか、違わないのか、そしてまた、踊らないとなぜ損なのか」という疑問である。踊るにしても、踊らないにしても、どちらも阿呆であるという認識はすぐれていると思うが、本当に踊らないと損なのか、損だとして、どのような損なのかというところがどうしても合点できずにいるのだ。

 この疑問が起るときまって浮ぶ言葉がある。それが「酔生夢死」という言葉だ。「スイセイムシ」この言葉の意味は「酒に酔った心地、又は夢みているような心地で生きそして死んでいくこと。何も為すことなく無自覚に一生を送ること」である。例えば、毎日仕事から帰ってくるとすぐにビールの栓を抜き、テレビでプロ野球を見ながら、監督にケチをつけ、いい気持ちになったら風呂入って寝るという生活が思い浮ぶ。私はこの言葉を知った当時、そういう生活だけは送るまいと心に誓った。だが、そもそも、プロ野球を見て本を読まない生活と、本を読んでプロ野球を見ない生活と、どこがどのように違うのか、という疑問がいつも心の中にある。どちらかが得で、どちらかが損な人生ということがあるのだろうか。そもそもこんなことを真剣に悩むオレはいったい何なのか。それはまあいいとして、先へ急ごう。
 そこで私は改めて「酔生夢死」という語を調べてみることにした。二、三の辞書にあたってみたが、出典はみな同じで、「程子語録」という書物から次のような例文が引いてある。

−雖高才明智、膠於見聞、酔生夢死、不自覚也−

 どのような優れた才能や智恵のある人物であったとしても、見たり聞いたりしたものにとらわれると、酔生夢死して、自分でさとることがない、というのだ。この言葉は現在の常識と矛盾していないだろうか。なぜなら、現実に見たり聞いたりした体験にとらわれると、夢のようなはかない一生を送ることになるというのだから。普通ならば逆に、夢のようなはかない一生を送らないために、あるがままの現実を見つめなさい、ということになるのではないか。からくりは「膠於見聞」という言葉にありそうだ。「膠」は「膠着(こうちゃく)」の「膠」で、凝り固まるという意味だ。つまり、見聞きする一つひとつの事実(書物ならば、一つひとつの語句)にとらわれて、その現実の奥にある「真実」を見ることができない者はすべて「酔生夢死」であることに自分で気づいていないというのだ。

 それでは、現実の奥にあるその「真実」とは何か。「程子」という人は、どのような人生を「真の人生」と考えていたのか。「程子」とは北宋の儒学者で、実は、程伊川と程明道という兄弟を併せ称する名である。二人は宇宙の本源は「理」であるとして、目に見えない「道徳」「自然の法則」といったものの存在を考えていました。これが後の朱子学に受け継がれ、日本にもたいへんな影響を与えることになるわけです。つまり、「真実」とは「理」と呼ばれるものです。全く言葉の意味とはわからないもので、単独にその単語だけでは意味をなさず、文脈の中でしか意味を持たないのだということがよくわかります。おそらく「たこつぼ」存在である我々人間も一人ひとりでは意味をなさないのでしょう。それはともかく、「程子」のいう「理」とはもちろん「聖人の道」です。その「聖人の道」を理会する(理解し会得する)ためには「論語」「孟子」といった古典を学ばねばなりません。要するに「真の人生」とは「学問」する人生です。私がなにより感動するのは、「人生とは学問するためにある」という、この「程子」の確信です。そうしてこの確信はまた「事実をいくら積み重ねても真理には到達しない」「理想を持たない人に現実は悟れない」という意味ももっています。

 私も是非ともこの「確信」を得たいと思う。この確信から眺めれば、ジュリアナのお立ち台の娘は「酔生夢死」であるに違いない。しかし、私にはこの確信がない。それどころか、私には「酔生夢死」への憧れがある。私だけでなく、現代人にはおそらくだれでもこの「酔生夢死」への願望があるだろう。麻薬や覚醒剤は最も手っ取り早い方法だ。みんないい気持ちになりたいのだ。「踊らにゃ損そん」という時の「損」とはこの「いい気持ち」のことを言っているのだ。しかし、酒を飲んだ後には宿酔がある。麻薬を使用した後にはものすごい脱力感というものがある(らしい。私はやったことがないから知らないが)。ひどい時はそのまま廃人になる。それを覚悟でやる時、「酔生夢死」は「酔生夢死」を越えるのではないだろうか。私が憧れるのはそういう、ニ度と醒めることのない「深い酔い」「深い夢」だ。戦国時代の天下人たちがみな人生を夢と観じていた(感ではない)のは偶然ではない。秀吉は「つゆとをち つゆときえにし わがみかな なにはのことは ゆめのまたゆめ」と詠んで死んだ。これをこそ私は、壮大な「酔生夢死」とよびたい。

 そういうわけで私は、ディスコで踊った次の日に会社で有能な社員に変身している女性など想像したくない。踊ったらそのまま踊り続けて死んでほしい。「カラオケ」に行った次の日にすっきりした顔で仕事などしてほしくない。歌うなら血へどを吐くまで歌ってほしい。ストレスを発散し、また明日から元気に働きましょうなどという発想には虫唾が走る。そこには「酔生夢死」する覚悟もなければ、「人生は学問するためにある」というような確信もないからだ。

 最後に、柳田國男の「山の人生」に出てくる話を紹介して終わりにしよう。
「世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)できり殺したことがあった。女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰ってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日も空手で戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。目がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当たりの所にしゃがんで、頻りに何かしているので、そばへ行ってみたら一生懸命に仕事で使う大きな斧を磨いていた。おとう、これでわしたちを殺してくれと言ったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落としてしまった。それで自分は死ぬことが出来なくて、やがて捕らえられて牢に入れられた。この親爺がもう六十近くなってから、特赦を受けて世の中へ出てきたのである。多分はどこかの村のすみに、まだ抜け殻のような存在を続けていることであろう。」

 ここには、「損」か「得」か、などということとは全く無縁な「人生の真相」がある。

おわり