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妖怪研究序説


 第一章 妖怪とは何か

 妖怪とは感覚遮断状態あるいは感覚の真空状態をうめるために出てくる何物かである。これが今のところの私の結論である。自然は真空を嫌う。真空状態があると、自然は絶えずそこに何かを埋めようとする。感覚の真空状態とは、感覚が何も感じない状態である。例えば目を閉じて、視覚が何も感じない状態にすると、何やら奇妙な模様のようなものが瞼に浮かんでくる。色とりどりの波のような模様が次から次へと浮かんでくる。これが妖怪の正体である。真っ暗闇の状態は視覚の真空状態であり、それを埋めるために何かが出てくるのである。暗闇である必要はない。誰もいるはずのない山寺や便所。そこはいわば真空状態であり、ひとりでに鐘が鳴り、小便の音がしとしとする。また逆に、人が多勢集まる場所にも真空状態ができることがある。余りに多忙すぎると意識が細部にまで及ばず、一人ひとりに注意を向けることができない。そんな意識のスキ間に忍び込む妖怪が「ぬらりひょん」だ。視覚だけではない。聴覚の真空状態もある。例えば物音一つしない山中にひとり迷い込んだ場合、そこに聴覚の真空状態が発生する。それを埋めるために何かが聞こえてくるのである。例えば赤ん坊の泣き声、木が倒れる音など。前者を「オボの泣き声」といい、後者を「空木倒し」という。幻聴と言ってもかまわないが、これは決して精神の異常ではない。精神にもともと備っている正常な作用であり、システムの一環である。そう考えると、なぜ夢をみるかということも説明できる。睡眠とは意識の真空状態であり、その真空を埋めるために様々な幻覚をみるのである。

 さて、現代は騒音と饒舌と光に満ち、感覚の真空状態はほとんど残されていない。唯一残されている真空空間は、夜の学校である。だからこそ、今、学校の怪談などがはやるのである。

第二章 退治法による妖怪分類の試み

 妖怪の分類法は様々ある。最もオーソドックスなのは出現場所による分類だ。山の妖怪、川の妖怪、家の妖怪といった具合だ。あるいはまた、その妖怪が本来何であったかによる分類がある。例えば、動物の妖怪とか火の妖怪とか人間の妖怪とか器物の妖怪だとかそういうものだ。ここで私は新しい分類を提案したい。それは退治法による分類である。妖怪には必ずそれぞれ退治法あるいは退散法が決まっている。これが面白いところだ。ではさっそくいくつかあげてみよう。

 

その一 眉に唾をつけることによる退散法

 この方法で退散させられるのは狐や狸などの変身系動物妖怪である。狐や狸が人間に化けて出てきても、眉毛に唾をつけるとだまされないのだ。なぜ眉毛に唾なのかよくわからない。唾といえば、河童に出会って「相撲をとろう」と言われた時は、手に唾をつけると河童は逃げるといわれている。唾には魔力があるのだ。それはそうと、車を運転していて眠くなった時など眉に唾をつけると眠気がさめたりするのも事実なのである。いやこれは嘘ではありません。やってみてください。決して眉唾ではありません。

 

その二 両足をはすかいに踏み交わして立つことによる退散法

 これは股をくぐろうとする妖怪全般に対処できる方法である。例えば沖縄に出る「耳無し豚」「片耳豚」などがいる。これらの妖怪は人間をみるとその股をくぐろうとして突進してくる。この時、逃げたりするとかえって危ないのだ。逃げないで両足を交差して立っていれば、奴は何もできないのだ。股をくぐられるとだいたい二、三日中にその人は死ぬと言われている。けっこう怖い妖怪である。しかし所詮、豚は豚である。もっと簡単な退散法もある。それは「臭い臭い」といえばいいのだ。奴は臭いと言われると哀しそうに逃げて行く。
 また、これについては伴信友の「比古婆衣」という書物におもしろい記事がある。昔、里人が山に入る時に左の足を上にやりちがえ、つき立てる動作をしてから入ると、山中で災難に遭わないのだという。さらに、「鹿のちがえ」という話もある。これは人間ではなく、鹿が猟師に遭った時、前足を交差して立つことがあるのだという。これをされると、どんなに腕の良い猟師が、どんなに狙いを定めても鉄砲があたらなくなってしまうのだという。若い鹿はこれをやらないという。老いた大鹿しかやらない。こうしてみると、このまじないは、股をくぐる、くぐらないとは別の何かがあるようだがよくわからない。

その三 食べ物を小枝にさして門口に掲げる方法

 枝にさす食べ物として、ダンゴが有効なのは「寒戸の婆」という東北地方の冬に山から下りてくる妖怪。赤飯は「一つ目小僧」に対して有効。焼きかかし(獣肉を焼いたもの)は「一本ダタラ」という一本足の妖怪、その他動物系の妖怪全般に有効らしい。かかしというのは田んぼに立っている人形だけではない。古くはこの獣肉を焼いたものなど、動物を寄せつけなくするものを総じてかかしと呼んでいたらしい。それらを刺す小枝は何の木でもいいようだが、特に刺のある木の枝がいいようだ。柊(ひいらぎ)の枝がいいという文献もある。いづれにせよ、これは妖怪が家の中にまで侵入するのを防ぐためである。枝にさしたダンゴを食べただけで気がすんで帰っていく妖怪もいるし、かかしの臭いを恐れて退散する妖怪もいるというわけだ。

その四 関係のないことを言って注意をそらす方法あるいはなぞにいうまく答えて納得させる方法

 妖怪の中には人間に話しかけてきて人間を試そうとする奴がある。「トイレの花子さん」は「赤い紙がいいか、青い紙がいいか、黄色い紙がいいか」となぞなぞを出す。この時、「赤」は血を意味し、「青」は逆に貧血を意味し、「黄」は気違いを意味する。こんな時は「紫」というと妖怪は消えると言われている。  「口裂け女」の場合は「私きれい?」というなぞなぞを出してくる。「きれい」と答えると「これでもか」といってマスクをはずして口の裂けた醜い顔をさらすわけだが、それを避けるには「ポマードポマード」と関係のない言葉を唱えると消えると言われている。「にんにく、にんにく」と言ってもいいらしい。要するに、この手の妖怪はあまり賢くないので、予測していない答えが返ってくると混乱してしまうというのが真相のようだ。  これもトイレに出る「ムラサキババァ」というのはよくわからないものだが、紫色の物を手に握り、「ムラサキ・・」と言って振ると消えるらしい。  「船入道」は長さ6、7尺、色黒、目鼻手足なしという妖怪だが、「あれは何だ」と言って驚くと船を沈める。だから、黙って何も言わずに無視するのが一番よいが、たまに「俺の姿はおそろしいか?」となぞをかけてくる。この時は「世間を渡ることほどおそろしいことはない」というと納得して消えるらしい。こんなことで消えてくれるのだから、この妖怪はたいした頭の持ち主ではない。  「マジムン」という家畜の妖怪は「ウワーンダ グーグーンタ(豚、源太)」と唱えると逃げるらしい。これは妖怪の正体を豚と見破ったからであろう。正体を見破られただけで消えていく妖怪は多い。

その五 鳴弦(弓に矢をつがえずに空打ちする)

 これは妖怪一般、もののけ一般に有効である。火の用心で、拍子木を打つのもこの鳴弦のバリエーションであろう。武器があるぞと妖怪に知らせてびびらせる戦法だ。

その六 動物の習性を応用する方法

 これはもちろん動物の妖怪に適用する。  「管狐」というのは尾が裂けているので「オサキ」とも呼ばれているが、これは狼を恐れるので、秩父の三峯権現の御豹(狼の図)を借りてくると離れる。離れるというのは、この妖怪は家や人に取り憑くものだからである。  「しい」という吉野山中に現れる妖怪は、牙はネズミで歯は牛、脚太く水カキがあって、飛ぶように速い。触ると傷つけられる。これに出会ったら、倒れて寝たふりをしていると食いつかずに去るという。熊に襲われた時の応用である。また逆に鐘や太鼓で騒々しく追って殺すという方法もある。  「野槌」という蛇の妖怪は猛毒で山中で坂をころがるように追いかけてくるが、下るのは速いが、上るのは遅いので、高い所へ上れば助かる。これも単純。

その七 塩を使う方法

 塩を嫌う妖怪は多い。葬式後に塩で清めるように、塩はけがれや邪気をはらうはたらきがある。  「山童」(やまわろ)は塩気のある物を嫌うので、これを食べさせると逃げる。 つづく・・かもしれない。

おわり