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中国私論 橘玲 中国ではパソコンを買うとき、ものすごくよく騙されるんです。組み立てるてきニセモノのパーツや中古品のパーツを入れられても、製品が届く前にお金を払ってしまったら店側は相手にしてくれませんよ。 中国人は相手を騙すということではない。中国の社会には「信用」という資源が枯渇しているということだ。 その理由はものすごく単純だ。中国には、人間があまりに多いのだ。 中国人はあまりにエゴイストなので、共産党が暴力でもって縛り付けないと国が崩壊してしまう。 中国人にはデモクラシーは無理なのだという。 省(自治区)をひとつの国と考えるならば、「アジアの大国20」のうち、13までは中国国内にある。 なぜ洋の東西でこれほどまでに人口が違うのか。 アジアでは稲作なのに対して、中東からヨーロッパにかけては小麦がつくられてきたからだ。 小麦は連作障害で一年に一回、水田は連作障害とは無縁なので三毛作も可能だ。 江戸時代に日本には3000万人が暮らしていた。 同時代の清朝の人口は4億だった。 中国では人口の半分以上が行政とはなんに関係も持たずに暮らしていくことになった。 広大な中国では移動が避けられないから、場所を基準とした社会秩序は意味がない。人的ネットワークを張り巡らせて情報を集め、宗族のような共同体(関係)を利用して暮らしを立てるのがもっとも効果的な生き残り戦略なのだ。 中国人は人間関係を自己人と外人に二分する。 外人を信用せず、すべてを内輪でやろうとするわけではなく、だれとでもおおらかにつきあうが、どれほど親しく見えても最後は裏切る(裏切られる)ことが人間関係の前提にある。 安心は自己人によってもたらされる。自己人(朋友)の依頼を断れば生きていくことができない。 つまり、ルールよりも人間関係を優先する。 中国共産党は革命を目指す秘密結社として誕生し、宗教結社や黒社会などの秘密結社を駆逐し、あるいは包含して中国を統一していく。 中国人は組織ではなく個人単位でものごとを考えるから、競争や信賞必罰に抵抗がない。納得できないことには従わないから、上司はすべてを理詰めで説明しなければならない。 中国ではコネが全てで、自分が共産党員か、親族に共産党員がいないかぎり、まともな仕事を見つけるのは不可能なのだという。 そのうえ中国人は、自分とは関係のない中国人にものすごく冷たい。 中国で役人がいばるのは、中国人の民度が低いからだ。 膨大な人口を抱える中国では、士大夫による官僚制(国)と宗族による家父長制(家)によって国家が運営されていた。そこでは皇帝や中央政府の意向はせいぜい県までしか届かず、地域社会の末端である町や村の政治はリーダーである族長に任されていた。 毛沢東思想はユートピア的な共同体主義で、文化大革命の時期は私有制が全否定され、農村では人民公社が、都市部では国営企業がコミューンとして人民を支配した。すべてのコミューンには共産党の支部(委員会)が置かれ、中央の指示を忠実に実行するよう求められた。 有史以来はじめて、宗族や秘密結社などの中間団体を介さずに末端まで権力を直接行使する体制が完成した歴史的意義は大きい。 中国共産党の統治集団こそ一つの黒社会にほかならない。 政治面での残忍性、行動様式の秘密性、不断の内部闘争などの特徴がある。 郷鎮企業の錬金術 香港企業から郷鎮企業へ加工費が支払われる。25%の手数料を徴収し、そのうち4割を市政府や省政府に上納し、残りの6割を関係者で山分けした。国税である法人税はまったく増えない。この制度は中国の中の広東省しか使えない。 経済政策に関しては、省地方政府は政府から独立して意思決定する。 中国では各地方があたかも独立した一企業のように活動している。 地方政府自らが投資を促し、銀行に融資を強要し、株を保有する。地元の共産党幹部が圧倒的な権力を背景に、裁判所などの司法を支配し、経済活動を管理する地方条例を自在に制定することで事実上の自治区をつくりあげていたのだ。 格安の秘密は、汎用の部品を寄せ集めて組み立てているだけだからだ。検査機関による認証を省いてコストを削減している。密輸によって付加価値税を逃れることで値下げの原資をひねり出している。 彼らが目指すのは「ボトムミリオン」とも呼ばれる貧困層の巨大マーケットだ。 理財商品のリスクは最終的に地方政府が尻拭いする。 それによって「影の銀行」の融資残高は中国のGDPの約7割にあたると試算されている。 中国の土地は国有だが、その管理、処分は地方政府に任されていた。 経済成長にともなう都市化によって、地方からの人口の流入が続いている。 中国の地方政府は都市郊外の農民から一平米あたり10元で仕入れ、銀行の融資によって公共交通やインフラ整備を行い、地価の暴騰したその土地を1000倍の一万元で販売することで巨額の利益を生み出している。これが中国の錬金術だ。 中国全体の地価総額は約5054兆円で、中国のGDPの6.6倍になる。 農民が村を出ていくのは、税金があまりに重いからだ。 土地は国有なので、その借地料が一畝あたり200元(3800円)かかる。加えて一人当たり100元〜400元の人頭税がかかる。この人頭税は都市の住民には課税されないから完全な身分差別だ。 農民から重税を取り立てるのは税金で生活する役人の数が多すぎるからだ。 最高権力者が「書記」なのは奇妙だが、これはソビエト連邦にならった呼称で、中国共産党創生期に幹部が自分たちを「民衆の書記」と名乗ったころの慣習でもある。 中央や省政府がどれほど強く命令しても末端の組織に行くにしたがって指示は歪められ、責任は雲散霧消して何の効果もなくなっていく。 改革開放というのは、中国のひとびとにとっては、「共産党の支配を容認する代わりに自分たちの金もうけには口を出させない」という暗黙の契約だった。 共産党はなぜ自ら腐敗を認めるのか。それはこの党の正統がいまなお毛沢東の理想主義にあるからだ。共産党は無謬でなければならない。 公務員の腐敗が起こるのは公務員の給料が安すぎるのだ。 首相の給与が月額2万4000円だった(2001年) 公務員が生きていくためには収賄に手を染めるしかない。社会正義の実現だという理屈が台頭した。 その原因は公務員の数が多すぎるからだ。 中国では贈り物を受け取ってしまったために便宜供与を断れなくなって汚職にはまっていくということがしばしばおこる。 金をもらってもなにもしないのは「暴力腐敗」で、自分は便宜を供与したのだから「温和腐敗」だという。 贈り物を受け取らないと「精神障害」にされてしまう。 大規模な不動産投資は地方政府と国有銀行が結託して行われており、そこには失敗に対して責任をとる主体がない。 上海は排他意識の強い地方で、上海人は他省の人間とは結婚しない。 中国人の一生というのは、親や親せき、銀行などから借金してなんとか家と車を買い、結婚後は子育てを祖父母に任せ、夫婦共稼ぎで住宅ローンを返済していくことなのだ。 日本は中国を侵略したのではなく、欧米の植民地支配からアジアを解放しようとしたのだ、とか、植民地化は朝鮮人が自力で近代化できなかったからで、朝鮮・韓国人のためにもよかったなどという暴論を中国や韓国の人たちが受け入れることは絶対にないから、これは最初からコミュニケーションを拒否しているのと同じだ。 完全無欠の世の中を夢見ても仕方ないし、人生というのは不完全な世界と折り合ってなんとかやっていくことだ。こんなことは大人になれば誰だって思い知ることだと思うのだが、なぜか「正義」に関する話題になるといっさいの妥協を拒否するひとが現れる、それも、ものすごくたくさん。 ヴァイツゼッカーいわく「ホロコーストの主犯はあくまでもヒトラーとナチスだが、だからといって自分たちが従犯であったことから目をそらすわけではない。ただし、責めを負うのはあくまでも個人であって、民族全体=ドイツ人ではない。」 個人を一人ひとり特定できないからこそ、罪ある個人に代わってドイツ大統領が国家として謝罪するのだ。という論理。 靖国問題において日本は「A級戦犯に責任がないというなら、戦争責任はいったい誰にあるのか」と問われているのだ。 ドイツでも日本でも戦争責任において国家と個人を分離すべきことは変わらない。これは、戦争責任についてあなたが謝罪する必要はない、ということではなく、謝罪してはならないということだ。責任は国家にあるのだから、謝罪できるのは国家元首、大統領、首相、およびその代理としての外務大臣などに限られ、「日本人」というだけで一介の個人に「国を代表して」謝罪する資格などないのだ。 日本では民族と国家の区別があまりにも曖昧で、中国や韓国から歴史問題で批判されると、まるで自分個人が批判されたように感情的に反応するひとが多すぎる。 個人主義が徹底されている欧米社会では、過去の歴史について個人的な批判にさらされるなどという不安は考えられない。 過去の歴史について国家同士が謝罪したり許したりすることを安易に個人化せず、外交儀礼国家戦略として冷静に議論できるようになればいい。 中国、中国人は、清朝からの亡命知識人たちが日本で生み出した言葉だ。人民、共和国は和製漢語だし、共産党、社会主義などの思想用語もほとんどが近代日本に由来する。 日本の悲劇は、東アジアで最初に近代化に成功して大きな優位性を獲得したものの、そのときすでに帝国主義が末期に至っていることを理解できず、成功体験の大きさのために第一次大戦という「グローバルスタンダードの転換点」に適応できなかったことだ。 「中国人」を生み出したのは日本人だった 毛沢東のことば「日本の軍閥はかつて、中国の半分以上を占領していました。このため中国人民が教育されたのです。そうでなければ、中国人民は自覚もしないし、団結もできなかったでしょう。日本の独占資本や軍閥は「よいこと」をしてくれました。」 中国の大統一のメカニズムは、宗法的家族と封建官僚制の同型構造にある。 皇帝を頂点とする官僚システムと同姓集団=宗族による地域支配のことだ。 地方に基盤を持たない士大夫の官僚は、宗族の族長たちを利用して徴税、監督を行うほかなかった。 「群体性突発事件」が多発するのは住民が地方における自分たちの代表を自ら選んでいないためで、司法制度が地方権力者と癒着している現状では騒擾以外に抗議の方法がない。 共産党独裁を続けるためには、党中央は地方政府の腐敗をこれ以上看過することができなくなっている。自浄作用を期待することはできず、「人民による監視」によって腐敗と戦う以外にない。 矛盾するようだが、民主化を弾圧しながら民主化を進めるしかない。 愚かな人民はエリートによって支配された方が幸福だというのは典型的な愚民政策で、儒教的な価値観から強い影響を受けている。 紀元前から「知識社会」である中国では、愚民と賢人が同じ一票をもつという政治思想は理解しがたいのだ。 共産党支配が弱まって民主化を求める声が高まれば、ゆたかな沿海部はかつての軍閥のように事実上独立し、自らの権益を守ろうとするだろう。 中国は民主主義を実現するには広すぎるし、人口が多すぎるのだ。 コリアーは民主的な選挙は政治に正統性を与える工夫で、民衆によって選ばれた指導者は暴力で政権を奪った独裁者よりも大きな権力を行使できると述べる。 だからこそデモクラシーには、三権分立や法の支配など、権力を制限する制度的な仕組みが不可欠だ。 デモクラシーは民族や宗派の対立を抱える社会にとっては劇薬となる。当選した政治家は多数派の支持にこたえるべく利権を独占し、少数派を排除、弾圧する。ときに内戦にまで発展して、独裁政治よりもさらに悲惨な事態がもたらされるのだ。 中国との領有権問題を抱えるアジアの国々は、日本が集団的自衛権のくびきを解いて、対中国包囲網に加わることを強く期待している。 中国共産党が辺境の人民解放軍を統制できていないと考えた方が実態に近いのではないか。 現地の司令官が独断で越境し、習近平に圧力をかけているのだ。 中国の台頭が強国主義との批判を受けるのは、ソフトパワー(文化)を欠いたままハードパワー(経済援助と軍事力)で国威を示そうとするからだ。 中国には「知日派」はいても「親日派」はいない。中国で「親日」のレッテルを貼られると、「漢奸」「売国奴」として社会的に抹殺されてしまうからだ。 私はずっと、資産運用において個人のリスクと国家のリスクを切り離すことを提言してきた。 日本が財政破綻し、円が紙切れになることを心配するひとがたくさんいるが、この不安は一定の資産を外貨建てにするだけで解消する。 歴史問題についても考え方は同じだ。 どちらの歴史認識が正しいかを議論することには意味がない。ひとは誰も、自分が見たいものしか見ないし、自分の理解したいものしか理解しないからだ。 だったら、国家の歴史認識と個人の人間関係を切り離せばいい。国家同士のくだらない争いを離れてつきあえる友ができたなら、これほど素晴らしいことはないだろう。 |