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「弟子」中島敦 (中島敦全集 筑摩書房)


 

魯の卞(べん)の遊侠の徒、仲由、字は子路という者が、近頃賢者の噂も高い学匠・陬人(すうひと)孔丘を辱めてくれようものと思い立った。

けたたましい動物の叫びと共に眼を瞋(いか)らして跳び込んで来た青年と、圜冠句履緩くケツを帯びて几に凭(よ)った温顔の孔子との間に問答が始まる。
孔子が言う。
「匡め理め磨いて初めてものは有用の材となるのだ」
「汝の言う南山の竹に矢の羽をつけ鏃(やじり)を付けてこれをみがいたならば、ただに犀革を通すのみではあるまいに」
即日子路は師弟の礼を執って孔子の門に入った。


ただ最も常識的な完成に過ぎないのである。知情意の各々から肉体的の諸能力に至る迄、実に平凡に、しかし実に伸び伸びと発達した見事さである。とにかく、この人は何処へ持っていっても大丈夫な人だ。

究極は精神に帰すると言いながら、礼なるものは全て形から入れねばならないのに、子路という男は、その形から入っていくという筋道を容易にうけつけないのである。我が儘を言って親を手こずらせていた頃の方が、どう考えても正直だったのだ。今の自分の偽りに喜ばされている親たちが少々情けなくも思われる。

弟子の中で、子路ほど孔子に叱られる者はない。子路ほど遠慮なく師に反問する者もない。

魯の定公のとき、孔子は宰相として、魯候の権力の強化にあたる。強国斉はそれを恐れて、魯候に美女を贈り、心を蕩かし、孔子と離間させた。孔子は魯を去り、以後、長い遍歴が始まる。

陳蔡の厄の時、孔子は飢えの中で絃歌した。
「君子の楽を好むは驕るなきが為なり。小人楽を好むはおそるるなきが為なり」

生命は道のために捨てるとしても捨て時、捨て処がある。それを察するに智をもってするのは、別に私の利の為ではない。急いで死ぬばかりが能ではないのだ。

「一小国に限定されない、一時代に限られない、天下万代の木鐸」としての使命に目覚めかけてきた、かなり積極的な命なりである。
如何なる場合にも絶望せず、決して現実を軽蔑せず、与えられた範囲で常に最善を尽くすという師の知恵の大きさも判るし、常に後世の人に見られていることを意識しているような孔子の挙措の意味も今にして初めて頷ける。

孔子は子路を衛の国に推挙し、仕えさせた。

霊公の子、太子カイガイ−−義母南子を刺そうとして失敗。晋に亡命。

カイガイの子、輒(ちょう)の即位(出公)

子路は名大夫・孔叔圉の家の為に宰として蒲の地を治めた。

孔叔圉の死。未亡人伯姫は弟のカイガイ擁立を謀る。孔叔圉の子・カイを脅して、カイガイを即位させようとする。

子路は自分の直接の主人にあたるカイが捕らえられ脅されたと聞いては黙っていられない。おっとり刀で公宮へ駆けつける。

「見よ、君子は冠を正しうして死ぬものだ」
  全身膾(なます)のごとくに切り刻まれて子路は死んだ。
  
魯にあって遙かに衛の政変を聞いた孔子は即座に、「柴(子恙)や、帰らん。由や死なん」と言った。