表紙あらすじで読む文学作品何処へ

「何処へ」 正宗白鳥
  健次は織田常吉に会う。織田は健次の同窓の友で、今は私立学校の英語教師をしながら翻訳などをしている。胃ガンの父も面倒をみているので、金が要る。出版社に勤める健次に翻訳の原稿を依頼に来たのだ。もう一人の友人箕浦のうわさをする。箕浦はコツコツと根気よく学問を続けている。その箕浦が健次の妹にほれていると伝えた。織田が健次のタバコの飲みすぎを注意すると、健次は阿片が吸ってみたいという。
 健次の菅沼家は、元旗本の家柄で、父は健次に期待をかけている。唯一の夢は馬を買うことだ。縁故のある桂田家の博士に目をかけられ、健次は文科へ進んだ。卒業後は博士の推薦で中学教師となったが、蓄音機のような仕事だとして三月で辞職。もっと活気のあるものとして今は雑誌記者をしている。
 独り黙然と静かな部屋に坐っていると、心が自分一身の上に凝り固まって、その日常の行為のくだらないこと、将来の頼むに足りないこと、仮面を脱いだ自己がまざまざと浮かび、終いには自分の肉体までも醜く浅ましく思われてたまらなくなる。
 桂田教授は漸く四十を過ぎたばかりの有名な読書家で、一生学問をしに生まれてきた人である。健次は迷わず書物に耽溺する一生がうらやましくもり、剣呑でもある。
 桂田の細君は健次を自分の子どもと思って目をかけ、世の中に立派な人間として働かせたいと世話をするが、健次はそれを受けようとしない。
 救世軍の演説を見て、健次は地球のどん底の真理を伝えていると確信している救世軍の方が、心にもないことを書いて読者のご機嫌を取る雑誌記者よりも面白いと言ってみる。もっと刺激の強い空気が吸いたいと思う。
 何か自分を刺激して、新しい生命を惹き起こすものはないかと書店で露国革命家の自伝と、ある冒険家の北極紀行とを購った。
 撫でられて、舐められて、そして生命のない生涯が耐えられないと感じた。「迫害される者は幸いなり」。生命に満ちた生涯。自分はそれが欲しいのだ。彼は主義に酔えず、読書に酔えず、酒に酔えず、女に酔えず、己の才知にも酔えぬ身を、独りで哀れに感じた。
 このころの健次は絶えず刻々の時と戦っている。ただ、持ち扱っている時間を費やすのためのみで、外に意味はない。戦争も革命も北極探検も人間の退屈醒ましの仕事だ。
 健次は家を出て一人で暮らしたいと思った。
 桂田の家で晩餐をかねて小園遊会が開かれ、箕浦織田等の家族、健次らが招かれた。
 健次はひとり醒めていた。健次は張り詰めた気が弛んで誰かに縋り付いて、自分の本音を吐いて泣いてみたくなった。「世界に取り残された淋しい人が独りある。」と。
 健次は織田の家で箕浦と会う。同じく交際の深い友人であれど、健次は織田に対すると、常に弱者を庇うというような態度を執り、箕浦に対すると、何となく圧えつけるyほうな態度を執っている。
 織田がとうとう箕浦に妹を売りつけるのではないかと思うと、気がむしゃくしゃして、ビールをぐい飲みして家を出た。結婚などナンセンスだと思っていても、いざ箕浦に取られると思うと嫉妬するのだった。