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「地下生活者の手記」 ドストエーフスキー著 (ドストエーフスキー全集 河出書房)



わたしは病的な人間だ・・わたしは意地悪な人間だ。わたしは人好きのしない人間だ。これはどうも肝臓が悪いせいらしい。
わたしはもう前からこんな生活をしている。−−かれこれ二十年になろう。いまわたしは四十だ。以前は勤めていたが、いまは浪々の身の上だ。
わたしは単に意地悪な人間ではないばかりか、世を拗ねた人間でさえもなく、ただいたずらに雀のような連中を驚かしてようやくみずから慰めているにすぎない。
今やわたしは自分の片隅に最後の日を送りながら、賢い人間は本気で何かになることはできない。ただ馬鹿が何かになるばかりだという、なんの役にも立たない毒々しい気やすめで、自分で自分を愚弄している態たらくだ。そうだ、十九世紀の人間は精神的な意味で、もっぱら無性格な存在たるべき義務がある。
馬鹿とやくざ者が四十以上も生きるのだ。わたしはありったけの老人どもに、面と向かってそう言ってやる。・・わたしはそういう権利をもっているのだ。なぜならわたし自身八十までも生きつづけるからだ!
わたしは食わんがために(ただそれのみのために)勤務していたが、去年、遠い親戚の一人が、六千ルーブリの金を遺言して死んでくれたので、わたしはすぐに辞表を提出して、自分の小さな片隅に閉じこもってしまった。

なぜ私が虫ケラにさえなれなかったかというわけを話して聞かせたいとおもう。
諸君、誓って言うが、あまり意識しすぎるということは、それは病気なのである。間違いのない本物の病気なのである。人間の日常生活にとっては、ありふれた世間なみの意識だけでも十分すぎるくらいなのだ。
わたしは心から確信している。−−意識の過剰どころか、どんな種類の意識でも、意識はすべて病気なのである。
絶望の中にも焼け付くように強烈な快感あるものだ。
直情径行的の人間をわたしは本当のノーマルな人間だと思う。
自分の復讐の試みのために、相手よりもかえって自分のほうが百層倍も苦しんで、先方はけろりとすましているに相違ないことを、前からちゃんと知りぬいているのだ。
−−自棄半分に四十年間も意識的に自分を床下に生き埋めにしたという事実の中に−−不思議な快感の真諦が蔵されている。

「歯痛にだって快感はありますよ」
敵はどこにもいないのに、痛みは存在する。いったい自意識の発達した人間がいくらなんでも自己を尊敬するなんてできるものだろうか。
わたしがわれから賢者をもって自認しているのは、生涯なに一つ始めることも完成することもできなかったからである。
「なまけ者」これは実に一個の肩書きであり、使命であり、履歴であるのだ。

人間というものは、みすみす自分の本当の利益を承知しながら、それを二の次にしてしまってだれにも何ものにも強制されているわけでもないのに、別な冒険の道へ突進してゆく。この強情とわがままは、まちがいなしに、どんな利益よりも気持ちがいいわけである。
文明はただ感覚の多面性を発達させるばかり・・この多面性の発達をつきつめていくと、人間はおそらく血の中に快感を発見するようになるだろう。
ともあれ自分自身の空想−これこそすなわち世人の見のがしている最も有利な利益なのである。
理性はただ今まで認識できたものを知っているにすぎない。
賢明なことよりほか望んではならないという義務に縛られないために、この上もない馬鹿げたことさえのぞむ権利をもちたい。
人間とは二本足で歩く恩知らずの動物なり
呪詛というやつは、ただ人間のみに与えられた能力

わたしは歯をくいしばりながら冗談をいっているのかもしれない。
二二が四はもはや生活ではなく死の始まりに過ぎないのである。
苦痛−これこそ実に自意識の唯一の原因なのだ。
自意識を保っていれば・・少なくとも時々自分をぶんなぐることはできる。
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諸君、とどのつまり、なんにもしないのが一番いいのだ!瞑想的惰性が一番いい。わたしは退屈なのだ。わたしはいつもなんにもしていない。ところが物を書くということは、本当に仕事らしく感じられる。

第二 ベタ雪の連想から

そのころわたしはやっと二十四だった。
軽蔑するためか自分よりえらいもの扱いにする、とにかくほとんどいかなる人に出会っても、わたしは必ず目を伏せてしまったものだ。
いつもわたしのほうが先に目を伏せるのであった。
すべて現代のちゃんとした人間は、臆病者で奴隷なのである。
現代人はそういうふうに作られている。そうなるように仕組まれているのだ。
「わたしは一人きりなのに、やつらはみんながかりだ」とわたしは考えた。
家にいるとき、わたしは何よりも一番読書に耽った。
夜々そっと内緒で穢らわしい淫蕩に耽った。
わたしは通り道をふさいでいた。その将校はそこを通り抜けるため、いきなりわたしの両肩をつかんで無言でわたしを他の場所へ動かした。わたしはまるで蝿のような取り扱いを受けたのだ。
わたしは・・むかっ腹を立てたまま、こそこそと姿を消すことに決めたのである。
わたしは将校に決闘を申し込む手紙を書いたが、すでに二年も経っていた。遂に出さずにしまった。自分はだれよりも賢い−それはわかりきっているけれど、それでものべつみんなに道を譲って、みんなに辱められる一匹の蝿にすぎないのだ。
「どうしてお前はいつもさきに身をかわすのだ?」ときおり夜中の二時過ぎに目を覚まして、わたしはもの狂わしいヒステリーの発作にかられる。
わたしが目をつぶったと思うと−−二人の肩がぴったりぶっ突かったのである!
わたしはちっとも道を譲らず、完全に五分と五分で傍らを通りすぎたのである!

わたしにはいっさいを諦めさせる逃げ道があった。それはすべての「美しくて高遠なもの」のなかへ遁れこむことであった。むろん空想の中での話だ。

同級生の一人、ズヴェルコフの送別会をひらくことになった。わたしはその会の数に入っていなかった。わたしは強引に仲間に入れてもらったが、すでに後悔していた。あんな俗物のために行く必要はない、断ってやろうと思いながら、自分が明日出かけていくことを承知していた。
何よりも肝腎なことは、第一着に行かないことだ
わたしはもう前の日から、自分が第一着に乗り付けることを承知していた。
一同はわたしに見向きもしなかった。わたしは圧し潰されたような恰好で、しょんぼりと座っていた。・・いったい何をぐずぐずしていることがあるんだ!ひと言も口をきかないで、さっさと行ってしまおう・・おれは七ルーブリの金なんか惜しくないぞ、いますぐ出ていくんだ」
だが、むろんわたしは居残った。
「さあいまこそやつらにビンを投げつけてやる時だ」とわたしは考えながらビンを取り上げた。そして・・自分の盃になみなみと注いだ。
「いや、いっそ最後まで尻を据えてやれ」とわたしは考え続けた。
・・それどころか気が向いたら唄でもうたってやる。そうとも、うたわなくってさ」
しかし、わたしは歌わなかった。
わたしは辛抱づよくも八時から十一時までテーブルから暖炉へ、またその反対に暖炉からテーブルへ、彼らのまん前をいつも同じところばかり、こつこつと歩きつづけた。
彼らはあそこへ、二次会へ行った。わたしは金がなかった。やけになってシーモノフに金を借りた。「あそこへ」とわたしは叫んだ。「やつらがみんな膝をついて、おれの両足を抱きしめながら友情を哀願するか、それとも・・おれがズヴェルコフに平手打ちするか、二つに一つだ!」
「だがいっそ・・これから真っ直ぐに家に帰ったほうが好くはないだろうか?・・」
「これは何かの約束なのだ−−宿命だ!飛ばせ、もっと飛ばせ、あそこに行くんだ」
しかし、彼らはもうむろんいまの間に、めいめいの部屋へ分かれて行ったのである。
もし彼らがいたら、わたしは平手打ちを食らわしたに相違ない!

リーザという娼婦を相手に、わたしは何より演技の面白みに心をひかれたのである。
「いったい何を自分で縛っているのか知っているかい?魂だ、魂だよ。
最後にはセンナや広場に転落するだろう。そこへ行ったら、もうのべつ、きみをぶん撲るようになるだろう。」
じっと押しこらえていた慟哭は、彼女の胸を圧迫して、はり裂けそうにしていたが、やがて不意に魂ぎるような悲鳴と号泣になって、外へほどばしり出たのである。
「ねえ、リーザ、ぼくは役にも立たないことに・・どうか勘弁しておくれ」
わたしは住所を書いた紙を与えて別れた。
あわれな女、彼女は学生の手紙をまるで宝物のように、大事にしまっていたのである。

何はさておいても至急、ズヴェルコフやシーモノフに、わたしという人間の価値評価を回復させなければならないのだ。
わたしは万事自分を悪者にして謝罪の手紙を書いたのだった。
とにかく、うまくごまかしたのだ。それが肝腎かなめなところだ。

リーザがやってくる、この考えはのべつわたしを苦しめていた。
「いつもおれは誇張ばかりしている。そのためにろくなことはないのだ」
「人間の魂をすぐさま思いどおりに転換させるには、なんと僅かな言葉でこと足りるのだろう・・」
しかし、彼女は三日たっても来なかった。
わたしはアポロンの奴に七ルーブリの給金を渡すのがいやなんだ。いやだというわけは、そうしたいからなのだ。なぜといって「おれは主人だからそうしたいと思えば自分の勝手にできる」からだ。
彼女はやってきた。
ぼくは貧乏だけれど高潔なんだと言った。わたしは体裁をつくろうために芝居をして泣いた。もっとも発作は本物だったけれども。

「わたしはあそこから・・すっかり・・脱けだしたいの」と彼女は言った。
「ぼくはきみをからかって胸をせいせいさせたのさ、ぼくはばかにされたから自分もだれかをばかにしてやりたかった」
わたしのために圧倒的な侮辱を受けたリーザは、わたしが想像したよりもずっと多くのことを理解したのである。
彼女はやにわにわたしに飛びかかって、両手でわたしの頸を抱きしめながら泣き入ったのである。わたしも慟哭した。
「ぼくは善良な人間に・・なれないのだ・・人がならしてくれないのだ」

わたしはいつも愛を憎悪からはじめて、精神的な征服でおわるのだった。

わたしは「平安」を願ったのだ。一人で地下の世界に残ることを望んだのだ。
「生きた生活」は長く遠ざかっていたために、息をするのも苦しいほどわたしを圧迫したのである。彼女が帰ってくれることを望んだ。

わたしが彼女の指に金を握らせたのは−−意地の悪い皮肉なのである。

安価な幸福と高められた苦悩と、いったいどちらがいいだろう?

それ以来、わたしはついに一度もリーザに逢わないし、彼女の噂さえも聞かない。

地下生活こそ、「生きた生活」なのである。

われわれは死産児で、しかもずっと前から、生きた父親から生まれたのではないのだ。

やがて遠からず、なんとかして、観念から生まれることを考え出すだろう。
が、もうたくさんだ。−−わたしはもう「地下の世界」から書き送るのがいやになった。