表紙あらすじで読む文学作品>斗南先生


 「斗南先生」 中島敦 中島敦全集(筑摩書房)


      

 伯父は一昨年の夏(昭和五年)死んだ。その遺稿が纏められて、此の春、文求堂から上梓されたのである。羅振玉氏が序文を書いている。
 「日本男子中島端ト書ス。・・終身婦人ヲ近ズケズ。遺命ニ、吾レ死スルノ後、速ヤカニ火化ヲ行ヒ、骨灰ヲ太平洋ニ散ゼヨ。」
 死んだ時伯父は七十二で、三造はその時二十二であった。
 一生、何らまとまった仕事もせず、志を得ないで世を罵り人を罵りながら死んでいった。伯父は経済的には殆ど全部他人の(友人や弟達や弟子達の)援助を受けていた。
 昔風の漢学者気質と、狂熱的な国士的気質との混淆した精神。
 
 相州の大山に養生のためにこもる。
 
 悪詩悪筆、自欺欺人、億千万劫、不免蛇身
 
 「此の世界で冗談で云ったことも別の世界では決して冗談ではなくなるのだ」と言う気がした。
 
 いよいよ胃癌で到底助かる見込みのないことを伯父自身に知らせたということ
 
 しまいに伯父は薬で殺してくれと言い出した。医者はそれはできないと云った。だが苦痛を軽くするために、死ぬまで薬で睡眠状態を持続させて置くことは許されるだろうと付け加えた。
 いよいよその薬をのむという前に、三造は伯父に呼ばれた。
 
 彼自らも伯父同様、新しい時代精神の予感だけはもちながら、結局古い時代思潮から一歩も出られない滑稽な存在となるのではないか。
 
 お髯の伯父の跋によれば
 「・・遂ニ自ラ号シテ斗南狂夫トイフ」