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文学と昆虫 現代小説編


「鉢に落ちたカメムシ」森敦『月山』より

「這い上がっては落ち、落ちては這い上がり、ときには転んでもがいてさえいたカメ虫が、どうして辿り着けた縁まで来てい、おもむろに甲殻を拡げると薄羽を出して、ブーンと飛び立って境内を過ぎ、杉の立木を抜けて部落の繁みのほうへと見えなくなってしまったのです。わたしは声を上げて笑わずにはいられませんでした。ああして飛んでいけるいけるなら、なにも縁まで這い上がることはない。そのバカさ加減がたまらなくおかしかったのですが、たとえ這い上がっても飛び立っていくところがないために、這い上がろうともしない自分を思って、わたしはなにか空恐ろしくなって来ました」

「いやァ、ながい間、這い上がっては転げ落ち、転げ落ちてはまた這い上がるようなものだったよ。まるで、鉢に落ちたカメ虫みたいにね」
「鉢に落ちたカメ虫?」
わたしは耳を疑わずにはいられませんでしたが、友人もげんにおなじようなところから来たので、わたしの見たことをわたし以外に見た者がないと思うことが間違っていたのかもしれません。
「そうなんだ。ところが、縁まで這い上がってみれば、ブーンとなんでもなく飛べるんだな」
「・・・・」
「なにしろ、あたりは密造なんかやってる部落ばかりだろう。センターの話を持ち出したら、村のほうが飛びついて来て、ただみたいに譲ってくれたんだ」


作品の解説
 主人公の「わたし」は月山の山ふところにある注蓮寺にやっかいになっている。
 そこで「鉢に落ちたカメ虫」を見る。
 カメ虫の愚かさを笑いながら、それ以上の自分の愚かさに気づいて恐ろしくなる。
 友人が寺に迎えに来たとき、偶然にも友人が自分のことを「鉢に落ちたカメ虫」みたいだと語る。友人はなんとか這い上がって飛び立つことができた。しかし自分はいっこうに這い上がる気色はないのだった。