表紙文学と昆虫>源氏物語と昆虫 第2回


「源氏物語」にあらわれた昆虫 第2回

<蛍>の巻

 1,蛍の光でかいま見る女性

 『何くれと言長き御いらへ聞こえ給ふこともなくおぼしやすらふに、寄りたまひて、御きちゃうの帷子を一重うちかけ給ふにあはせて、さと光るもの、紙燭をさし出でたるかとあきれたり。蛍を薄きかたに、この夕つ方いと多くつつみおきて、光をつつみ隠し給へりけるを、さりげなく、とかくひきつくろふやふにて、にわかにかくけちえんに光れるに、あさましくて、扇をさし隠し給へるかたはら目いとおかしげなり。』
 
 これは源氏が兵部卿の宮に玉鬘の顔を見せるために蛍を部屋に放った場面である。蛍の光で勉強するという故事はあるが、蛍の光で女性の顔を見るというのはおふざけである。風流とは思えない。平安朝の女性は結婚するまで顔を見せないというのが一応建前になっていたようだが、源氏はその掟を破って見せてしまう。それによって、兵部卿の宮はもうこの玉鬘のことが心から離れなくなってしまう。それなのに、それなのに、源氏は玉鬘を別の男性と結婚させてしまう。いじわるとしか思えない。嫌な奴だ。玉鬘というのは源氏にとっては養女であり、娘と同じなのに、実のところ他の男に渡したくないのだ。あわよくば自分が・・・とさえ思っている。そういう倒錯した気持ちが蛍を放つ行為になったのだろう。結局一番つまらない男に嫁がせるという仕打ちをしている。自分の愛する娘をどうしても手放さなければならないとしたら、娘が夢中になるかっこいい男性よりも、娘が結婚を後悔するような無骨な男と結婚させて離婚して帰ってくることを期待する。そんな心理があったのかもしれない。
 
 2,鳴かぬ蛍が身を焦がす
 
 『声はせで身をのみこがす蛍こそ いふよりまさる おもひなるらめ』
 
 先ほどの玉鬘から兵部卿の宮への返歌である。鳴く虫は切々と思いを訴えるが、鳴かない蛍の方がよりいっそう「思ひ」に燃えているという歌だ。「思ひ」は心の奥に燃え上がる「思火」だ。この歌はつまり、やたら声に出してくどく男には逆に誠意がないという皮肉なのだ。皮肉を言う女は嫌いだ。
 
 3,夜しか燃えない蛍の思い

 『夜を知る蛍をみても かなしきは 時ぞともなき おもひなりけり』
 これは紫の上亡き後、孤独と悲しみに沈む源氏が思わずもらした歌である。蛍は夜しか光らない。ということはヒルはせつない思いも消えているのではないかというわけだ。それにひきかえ、この私の悲しみは夜も昼もないのだと、そう訴えている。これは源氏の真情だと受けとめたい。
 
 4,遣り水の蛍
 当時の貴族の邸宅の庭には、川から水を引いてきて流れをつくる「遣り水」というものがあった。そこには蛍が生育していたようだ。わざわざ蛍を採ってきて放った訳ではなさそうだ。どこか旅に出たときなど、その遣り水の蛍を思い出すのだ。
 『いと木しげき中より、篝火どもの影の、遣り水の蛍に見えまがふもおかし』
 これは源氏が明石君を訪ねたところ。篝火のちらちら燃える光が蛍に見えるのだ。
 『小野には、いと深くしげりたる青葉の山にむかひて、紛るることなく、遣り水の蛍ばかりを、むかしおぼゆる慰めにて、ながめいたまへるに、』
 出家した浮舟が、小野の山荘で蛍をながめているところ。遣り水の蛍は華やかな昔を思い出させるのだ。
 
 おわり