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文学と昆虫

源氏物語と昆虫 第5回


蝶の巻

「梅のをり枝、てう、鳥とびちがひ、唐めいたる白き小袿に、濃きがつややかなる重ねて、明石の御方に、思やりけ高きを、上はめざましと見給ふ」(玉鬘)

源氏が明石の上に贈った正月の衣装の柄は梅の枝に蝶と鳥の飛びちがうものだった。気品のある華やかな模様だ。蝶はひらがなで「てふ」や「てう」と書かれている。源氏物語では専ら装飾デザインとして登場する。本物の蝶は出てこない。万葉集に蝶を詠んだ歌が一つもないことと合わせて検討すべき問題である。

春の上の御心ざしに、仏に花たてまつらせ給ふ。鳥、蝶に装束き分けたる童べ八人、かたちなどことにととのへさせ給ひて、鳥には銀の花瓶に桜をさし、蝶は黄金の瓶に山吹をおなじき花の房いかめしう、世になきにほひを尽くさせ給へり。」(胡蝶)

紫の上から秋好中宮への献花。花を献ずるのは、童舞の童女。鳥の衣装を着て鳥の舞を踊る者と蝶の衣装を着て胡蝶の舞を舞う者と、これ以上ない華やかさである。

「御消息、殿の中将の君して聞こえ給へり。

 花園の胡蝶をさへや下草に秋まつ虫はうとく見るらむ

宮、かの紅葉の御返りなりけりと、ほお笑みて御覧ず。」(胡蝶)

これも紫の上から中宮へ。この二人は春と秋のどちらがすばらしいかという論争をずっと続けている。紫の上は紫という名前のとおり藤の花のイメージだから春を好む。中宮は秋好中宮と呼ばれているくらいだから紅葉の秋を好む。どちらも譲らない。紫の上は胡蝶の舞を見せることで春のすばらしさを訴えた。「これを御覧になってもまだ秋の方がすばらしいとおっしゃいますか」という趣旨。中宮は笑ってこの風流論争を楽しんでいる。

「きのふは音に泣きぬべくこそは。

  こてふにも誘はれなまし心ありて八重山吹きを隔てざりせば

 とぞありける」(胡蝶)

中宮より紫の上への返事。昨日は会えなくて寂しかったと述べた後で一首。「こてふ」は「胡蝶」と「来てふ」の掛詞。「胡蝶の舞の童女の後ろについて行ってあなたにお目にかかりたい」という趣旨。なぜなら「こてふ」には「来てふ」というもう一つの意味があり、こちらは「来てください」という誘いの言葉である。「その誘い言葉に乗って会いに行きたいが、あなたの方で私をうとましく思っていなければいいのですけど」といった気持ちが含まれている。春秋論争で二人は何となく対立しているような関係にあり、ちょっとお互い気にしているのである。しかしこれはあくまで風流論争であり、お互い信頼し合って楽しんでいるのである。喧嘩しているわけではない。しかし、たどりたどっていけば、紫の上は源氏の正妻であり、中宮の母はかつて源氏の愛人のような立場に置かれ、嫉妬からさまざまな事件を引き起こしたあの「六条御息所」である。お互いのこだわりはないだろうが、なにがしかの因縁はあろう。